南東尾根からお坊山棚洞山からお坊山東峰

お坊山とはどことなくとぼけた名前だが、大菩薩の南西端近く、中央本線笹子駅の北にそびえ立つ小山塊で、見上げる斜面はなかなか急峻だ。大菩薩とあれば参照せずにはいられない岩科小一郎氏の『大菩薩連嶺』によれば、「これは田野でトクモリ、笹子でお坊山と呼ばれる」とある。続けて「厳密にいうと、中央及び西二峰は前者、東南方の一四二三米独標を有するものが後者と区別されなければならぬ」と書かれているが、この一四二三米は現在では1421mとされている東峰のことだろう。笹子からすればこの東峰が前面に見えて最も高く、後方のピークは東峰に隠れてしまうか、双耳峰の背後の一つとなる。なお岩科氏はこの山塊のピークを四つと数えており、これは同書末尾の折り込み地図を見ると、”東峰”、現在の”お坊山”と東峰側手前の高まり、同じく”トクモリ”を指すようだ。以下では山名は現在の呼称に従う。
大鹿川沿いから滝子山に登ろうと笹子駅に降りたハイカーはこの小山塊が南東に落とす尾根の裾を巻いて道証地蔵からの登山道に入ることになる。お坊山へは笹子駅から笹子雁ヶ腹摺山に上がって稜線沿いに山頂に達したり、甲斐大和駅から田野の景徳院を経て大鹿峠に上がって頂上を目指したりというのが一般的と思えるので、ガイドも出ていないし地図上は波線表記というこの南東尾根をたどって山頂を目指すコースは間違いなく静かなものだろう。春の声もまだ遠い季節、やや長めのこのルートを登り、さらに歩き応えを求めて笹子雁ヶ腹摺山まで足を延ばすという計画でお坊山を訪れることにした。


本日の登り口へは笹子駅を下りて滝子山に登る途中から分岐して達する。しかしこれがわかりにくい。ガイドマップを見ても細かい分岐が書いてあるわけではなく、現地にも標識は出ていない。実際には稲村神社の脇から山に向かって登っていく農道を上がり、左手に墓地を見て右へ道なりに行き、高速バスの乗り場のすぐ先にあるトンネルで高速道をくぐる。出た先で左側にある高速バス乗り場を再びやり過ごし、まっすぐ進んだ突き当たりの農場入口前で左に折り返す(ここには登山口までの案内板がある)。踏み跡となったルートは高速道につきあたって右へ折れ、短い上り坂となる。
稲村神社(後方)
後方からの稲村神社。
T字路になっているすぐ後ろの道を高速道めがけて上がっていく。
 
さてここでまた問題だ。登り口とされているところはこの短い登りがてっぺんに着くほんの少し手前の右手にある。これはお坊山からの南東尾根が南に向かって落とす支尾根の最東端を上がるものだ。以前は看板が立っていて登り口を示していたそうだが、いまでもこの看板はあるものの、なぜか全面焼けただれていてまるで用をなさない。ともあれここから右手の斜面にとりつくのだが、出だしからして踏み跡は斜面を戻り気味に斜めに上がるので、よく見ないと入口からわからない。しかも最初の登り数メートルは仕事道の踏み跡が錯綜しているうえにところどころに伐採された木々が横倒しにされているのでどこをどう歩くのかわかりづらいこと甚だしい。だいたいの見当をつけて斜面を上がり、ジグザグを切る頼りなさげな踏み跡を継続して歩けるようになったら、それがルートだろう。
西隣の支尾根登り始めで笹子駅方面を眺める
西隣の支尾根登り始め。周囲は伐採された焼けこげた木だらけ。笹子駅方面を眺めれば、笹一酒造の建物が大きい。 
最初にでかけたときはこの登り口がわからず、短い登り坂を越えて向こう側へと下り、その先すぐの行き止まりに当たってしまった。左手には高速道をくぐる下水溝のような狭くて小さいトンネルがある。右手は浅い谷間で、最東端の支尾根とそのすぐ隣の支尾根のあいだのものだ。踏み跡らしきが見えたのでこの谷間に入り、左手に回り込むように隣の支尾根に乗った。そこは中央本線の車窓からも見えるほどの開けた伐採地で、なぜか焼けこげた跡のある太い幹が束ねられるようにして斜面におかれている。踏み跡はあるものの仕事道らしくこれまた頼りない。だが伐採地を抜け、支尾根とは言え稜線にあたるところに出ればかなりしっかりした道筋がついている。後日、本来のルートである最東端の尾根を下ったが、登りであればこの隣の尾根を登ってもよいのではと思える。
というのも足下はしっかりしているし、雑木林なので明るい気分で登れるからだ(出だしは問題だが)。斜度は急だが木の根にすがって登るというものではない。途中に岩場があるように地図に記載があるが、ちょっと大きな岩が出ているという程度のもので前進を阻むほどではない。ぐいぐいと高度を上げていくので爽快でさえある。


高速道の脇を離れて登りだしてからだいたい半時ほどで稜線に出た。拍子抜けするほど穏やかなところだ。脇には「公団笹子線 NO2」および「NO.3」を示す標識が立っている。梢越しに入道山らしき山を見上げつつ、さきほどまでの激しい登りとはうってかわって、散歩みたいな稜線歩きが始まる。コナラや赤松が多く、日差しが足下にまでまわって明るいのは嬉しいが、なぜか根元が焼けて黒ずんでいる木が多い。山火事でもあったのか、松食い虫対策で根元に火を当ててまわったのか、焦げた匂いはいまだに漂っていた。
南東尾根稜線の末端近く
南東尾根稜線の末端近く。コナラやアカマツが多い。
冬枯れの木々に見え隠れして、右手に滝子山が大きい。その先に目立つ円錐形の山があるが、あれは”オッ立”という山だ。地図を見ると山道は山頂を通っていないが、かなり立派な姿なのでいつか頂を踏んでみたい気にさせられる。その隣には大鹿山とされている山があるが、オッ立より低く貧弱だ。”大鹿山”とは大鹿川源流の山々の呼称であり、この山のみをその名で呼ぶのは適切ではないらしい(岩科氏、同前、なおオッ立は同書では大立(おおだち)とされている)。
入道山と思っていたところに着く前に、「入道山」という標識が立つ頂に出る。県産材使用とわざわざ断っている立派な標識だ。ここでちょうど午となって笹子駅周辺からチャイムの音が上がってくるが、歩き出してまだ間もないので棚洞山に着いてから昼食をとることにした。入道山とばかり思っていた棚洞山に着いてみると、前方すぐそこにお坊山(じっさいには東峰だが)が見事な円錐形で立ち現れる。右手には徐々に鋭さを増してくる滝子山。周囲は雑木林、足下からは大鹿沢の瀬音が遠くから上がってくる。食事休憩にはお誂え向きの場所だ、ではグラウンドシートを広げよう。
尖塔化する滝子山
棚洞山を越えるとそれまで鈍重だった滝子山が尖塔化してくる。
棚洞山からお坊山へは尾根通しに歩いていく。さきほどからやや幅広の道がついたり離れたりする。立派な道で、じつはこの尾根道は峠道か何かだったのだろうかと思えるほどだ。後日逆コースを歩いたところ、どうもお坊山を巡るハイキングコースとして整備されたものらしい。東峰への登りは一定の斜度で続き、踏み跡もあるので尾根筋を直登していっても迷うことはない。しかしさすがに疲れてきて、大きくジグザグを切って登っていく幅広の道を辿ることにする。
葉の落ちた雑木林が素晴らしいのは冬枯れの木立を透かして周囲の眺めがよいこと、加えて枝振りが一本一本異なるため単調にならず面白みを感じられることだ。下草が生えていない斜面にそういう木々が立ち並び、その上に滝子山のような見栄えのよい山を眺め渡せられるのなら、これほど素敵な山歩きはない。たとえ鮮やかな色彩といえば空の青しかないとしてもだ。東峰へはそういった道のりだった。振り返れば低くなっていく棚洞山の彼方、鶴ヶ鳥屋山から本社ヶ丸へと続く稜線の下に笹子川縁の集落が広がっている。なんとゆったりとした眺め。この南東尾根は登り口には難があるが稜線上は言うことなしだ、少なくとも空気の澄んだ季節であれば。
東峰山頂
東峰山頂。お坊山山頂より落ち着いた雰囲気。
広々としたお坊山の斜面では背の高いコナラの木立が目だったが、山頂近くでは丈の低いミズナラがよく目にとまる。この近辺は冬の風雪が相当に強いのだろうか。お坊山の頂は通路の延長のようなところで、昨日雨が降ったあとに多数が訪れたせいかぬかるんでいた。例によって出発が遅かったせいでか人影はすでにない。眺めは西方が開け、これから越えていこうとする米沢山やその向こうの笹子雁ヶ腹摺山が傾きだした日を背に黒々とし始めている。その背後には御坂の山々が広がり、大洞山から達沢山に連なる山塊が大きい。左手のさらに背後には御坂黒岳や釈迦ヶ岳。御坂山地の右手彼方には雪で白い南アルプスが荒川岳あたりまで眺め渡せられ、甲府盆地を横切って右手には八ヶ岳、五丈岩を押し立てた金峰山が高い。
しかし目の前の縦走路は高低差がありそうで、これまで散歩気分の稜線歩きを楽しんできた身には「やれやれ」と思わせるものだ。体力も使いそうだし、もう2時過ぎ、当初は笹子雁ヶ腹摺山から笹子峠に出て笹子駅へと考えていたが、峠周遊を割愛して南尾根を下りることにしよう。
笹子雁ヶ腹摺山への登りにてお坊山を振り返る
笹子雁ヶ腹摺山への登りにてお坊山山塊を振り返る。
右端のやや平らなものが東峰、その左にお坊山(とされているピーク)とトクモリ(とされているピーク)が重なる。
背後に霞む尖塔は滝子山。お坊山から連なる稜線が左中央で高まるところは米沢山。背後は南大菩薩の連嶺。
じっさい、お坊山からはそれまでとは異なり上り下りが激しかった。トクモリ前後の急崖縁を行く滑りやすい山道、米沢山からの鎖場付きの急な下りを経て、ようやくの思いで笹子雁ヶ腹摺山に着いた。夕方近くになり吹き越す2月の風は十分すぎるほど冷たくなっていたが、このあとは下るだけなので腰を下ろし、湯を沸かしてお茶を飲み、山の余韻を味わった。刈払いされたのか、以前来たときより広くなった気のする山道を下って新田集落の登山口に出たのは、道路照明が灯り出すころだった。帰京する車に追い越されながらさらに40分かけて国道20号脇を歩き、笹子駅に着いたころには、あたりはすっかり夜になっていた。
2006/2/19

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