羅漢寺山の弥三郎岳から、左より、奥に茅ヶ岳・金ヶ岳、手前に太刀岡山、奥に曲岳、山頂部が黒い鬼頬山、奥に枡形山の山頂部、険阻な稜線の黒富士

曲岳、枡形山、黒富士、鬼頬山、太刀岡山

甲府を出た下り中央本線の右側車窓に茅ヶ岳が見え始めると、車内のハイカーのグループから「ニセ八ツだ」の声が上がる。確かに本家と見まごう姿は人目を惹く端正さだが、その右手奥に小首をかしげた山を認めてしまえば茅ヶ岳ばかりを眺めているのももったいない気がしてくる。名は体を表す通りの曲岳(まがりだけ)は一度山名を知れば覚えてしまう。
このあたりは黒富士火山群の山々が密集しているところで、曲岳から始まって枡形山、八丁峰、黒富士、鬼頬山(おにがわやま)に太刀岡山(たちおかやま)と小振りながら個性的なのが揃っている。ぜひ通して歩いてみたいところだが、公共交通機関の便が悪くて日帰りでこれらの山々をすべて回るのは時間的に余裕がない。なので甲府に前泊し、朝早く市内からタクシーで曲岳の肩に当たる観音峠まで上がって頂を巡りながら南下して清川のバス停に下り、うまくいけば15時台、遅くとも18時台の最終バスに乗れればよいとした。時間が空きすぎであればタクシーを呼ぶことも考えよう。こうして秋の彩りもたけなわの頃に出かけてみたのだった。


朝の観音峠はまだ紅葉が残っていたものの、寒々とした空気が冬近しを告げていた。まずめざすは曲岳で、登り出すとすぐに急登だ。尾根筋を外して左手に深い谷を眺めながら危うげな踏み跡をたどると再び尾根の上に出る。標識があってめまい岩とあり、戻り気味の岩稜は短い距離だが歩いて突端に行くのは度胸がいる。そのぶん空間の広がり具合は申し分ない。青空を頭上に掲げて目の前に大きいのは茅ヶ岳と金ヶ岳で、視野を占める山腹障壁の麓は黄葉の琥珀色で中頃から上は葉を落として胡桃色、朝の光を浴びて全山が煙るように輝いている。登り初めの展望としては上々だ。めまい岩を過ぎると比較的穏やかな道のりになるが、徐々にまた急となり、木の根を掴んだり、ロープに頼ったりする。展望ブリッジという標識が立つところでも先の二山の眺めがよい。
めまい岩から茅ヶ岳
めまい岩から望む茅ヶ岳
曲岳山頂は灌木に囲まれていて展望はほとんどなく、木々の間から茅ヶ岳と南アルプスが見えたくらいだ。振り返ると枝越しに金峰山と瑞牆山が望めるが、両方を同時に眺められるほどの隙間はない。山頂は広くなく、足下には岩が出ている。まだ歩き始めて短いことでもあるし、長い休憩は先に延ばすことにしよう。
山頂から下りにかかると展望舞台と名付けられたポイントがあり、低い太陽の下に大きく開けた正面には黒富士火山群が見栄えの覇を競う。ウコン色のカラマツ林の上に太刀岡山が均整の取れたシルエットを見せ、左手には黒富士、鬼頬山が並び、逆光の海に浮かぶ島々の様相だ。曲岳の小首をかしげた側を下っているせいだろうか急な下りが続くが、長くはない。ふたたび穏やかになると秋の色づきも目に入る。とはいえ主立った木々の葉は落ちてしまっており、展望舞台からも見渡したカラマツの黄色い葉ばかりが目立つ。


なだらかな道のりをのんびりと歩いてくるとススキの原が目にとまる。その先の木々の合間を抜けると八丁峠だ。眼前に開ける高原風の景色に心が落ち着く。ここは十字路になっており、右に踏み跡を選べば八丁峰を越えて越道峠、直進すれば黒富士、左に行けば枡形山となる。黒富士と枡形山は山頂往復となり、いずれもこの峠に戻ってくる。まずは枡形山に向かう。
展望舞台から太刀岡山 高原風の八丁峠
太刀岡山、左奥に羅漢寺山 高原風情の八丁峠
登り初めのゆるやかさが急傾斜に変わって喘登となりだす頃、頭上に岩場が見えてくる。それが山頂で、2,3人も乗ればいっぱいという露岩の大展望台だ。茅ヶ岳こそすぐそばの木に邪魔されてよく見えないが、それ以外はぐるりと見渡せる。まずは谷を隔ててすぐ隣の黒富士、この山はほんとうに見る方向によって形が変わる。ここからだと市女笠のような形状で、山頂直下から手前に絶壁が落ちている。黒富士の右手には八丁峰越しにほぼ等間隔に鬼頬山、太刀岡山が並ぶ。ここからだと鬼頬山は少々傾いでいるものの端正な台形で、こちらが黒富士ではと思えるほどだ。その後ろには羅漢寺山がごつごつとした稜線を見せてわだかまる。
さらにその背後遠くには御坂の山々と富士山が見えていたはずなのだが、逆光でもあるしその他の山々に目移りして見ないで済ませてしまった。反対側は広大な空間のなかに金峰山と瑞牆山が並ぶ。とくに金峰山が大きい。五丈岩は当然よく見える。小川山の丸い頭も国師岳の大きな姿も眺められる。瑞牆山から左へ、信州峠を経て横尾山に連なる稜線の背後にはよく見ると男山と天狗山、高登谷山が顔を出している。さらにその左手彼方には、雲を載せて頭が隠れているとはいえ、八ヶ岳の大きな山体が浮かんでいる。茅ヶ岳と金ヶ岳は前述の通りに見づらいが、その左方に延々と延びるのは南アルプスの稜線で、甲斐駒ヶ岳の三角錐と鳳凰三山の地蔵岳山頂に突き立つオベリスクが望めるのだった。
逆光の黒富士と鬼頬山、彼方に羅漢寺山が霞む
八ヶ岳遠望
金峰山
枡形山山頂にて
(上) 金峰山
(左上) 逆光の黒富士と鬼頬山
(左) 八ヶ岳遠望
狭い山頂で賛嘆の声を上げながらこれらの山々を眺めまわす。休憩しようにもどちらを向いて座るべきか悩むほどで、きっと奥秩父側の広い展望はここだけだろうと金峰山を向いて腰を下ろすことにした。山梨百名山を目指す人は枡形山には来ないだろうからしばらくは山頂を独占できるだろう。なので湯を沸かすことにした。コーヒーを飲みながら地図を広げ、山の名を調べているとすぐに時間が経つ。温かい飲み物一杯だけで45分は休憩した。それだけの価値がある山頂だった。


じつに名残惜しい枡形山を後にして八丁峠に戻る。次に目指すは黒富士だ。枡形山から見ると急な登りがあるかと予想したが、さほどのこともなく頂稜に上がった。そこには露岩があって展望がよいものの空間の広がりは枡形山に比べてやや狭い。それでもたったいま踏んできた枡形山がすぐそこに見え、八丁峰の上に曲岳が顔を出しているのは新鮮だ。南アルプスにかかっていた雲もとれた。鳳凰三山の後ろに見えるのは間ノ岳だろうか。すでに稜線は白くなっている。
黒富士山頂は灌木に囲まれていてあまり眺めがない。葉が落ちているせいでようやく金峰山から国師岳に続く稜線、茅ヶ岳と金ヶ岳、裏には南アルプスが伺える。山頂から先へは踏み跡が続いており、2,3分ほどで正面が大きく開ける場所に出る。小さな木ぎれがかかっていて黒富士展望台とあった。手前に低いのは羅漢寺山、その彼方、中天にかかる太陽の真下、予想外の高みに山頂を掲げるのは富士山だ。富岳の足下には御坂の山並みが左右に延び、右手彼方に天子山塊が大きい。あんなに大きかったかというほど大きい。近いところでは傍らの松の木越しに鬼頬山と太刀岡山が一直線に並ぶ。それにしても展望地の多い山塊だ。本日のような好天日であれば愉しいことこの上ない。
黒富士山頂手前の露岩より左から甲斐駒ヶ岳(奥)、茅ヶ岳、金ヶ岳、曲岳
黒富士山頂手前の露岩より左から甲斐駒ヶ岳(奥)、茅ヶ岳、金ヶ岳、曲岳 
黒富士を後にして再び八丁峠に戻る。唯一辿っていない道筋を案内する標識は二枚あり、「鬼頬山・太刀岡山」と「太刀岡山・平見城」を告げている。ほんのすこしの登りで出る八丁峰の山頂稜線は落ち葉の降り積もった細長い平地を明るい冬枯れの木々が取り囲んでいる。眺望こそないが穏やかな風情が醸し出す安心感があり、ハイカーはこちらへ回らないのか静かでもある。八丁峰から鬼頬山へはまず100mほど下るのだが、この100mが初冬と晩秋を分けているようで、そこここに色づいた葉が見られるようになってきた。何度かコブを超えつつ、左手に黒富士の絶壁を垣間見ながら鬼頬山へと歩く。
八丁峰から小一時間ほどで正面に逆光で黒いのが近づいてきた。それが鬼頬山で、山頂には小さな鬼の顔のイラストが描かれた標識が立木に取り付けられていた。比較的狭く、ちょうど昼だが人影はない。灌木越しに曲岳と八丁峰、黒富士、枡形山に茅ヶ岳が梢越しに見えるくらいだが、この季節の山頂の雰囲気としては好ましい。日が真上にあるせいか、朝は輝いていた茅ヶ岳の山腹がかすんでいる。平見城の牧場から正午のウェストミンスターチャイムが聞こえてきた。湯は枡形山で沸かしたので、ここでは持参のおにぎりを食べるだけにした。


鬼頬山山頂を越えてすぐ、右手へ、急激な下りが始まる。地図上で200mの高度差の道のりは、ジグザグを切るなどという親切なものではなく、ただひたすらまっすぐ下るというものだ。延々と張られたロープがなければ安心して歩を踏み出せないところも数知れず、誰がいつこのコースを定着させたのかは不明だが、無理を感じるコースだと思う。左手に木々が切れた場所があり、目を向けてみるとすぐそこの中腹に岩壁があり、しかも巨大な岩窟が口を開けている。鬼頬山が険しいのは名前だけではなかったようだ。あの岩窟にどうやって至るのか、そもそも至ることができるのかどうか知らないが、かつて誰かが住んだ跡があるのではと思える規模だった。洞窟の右手彼方には長い稜線が空を切っている。そのなかでももっとも高く見える丸い山はじつに魅力的だ。どうも水ヶ森という名の山らしい。
八丁峰山頂
八丁峰を下ると彩りが華やかになった
鬼頬山の山腹越しに水ヶ森を望む
(上) 鬼頬山の山腹越しに水ヶ森を望む
(左上) 八丁峰山頂
(左) 八丁峰を下ると彩りが華やかになった
ようやくなだらかな道のりとなった頃には相当気疲れがたまっていた。そのせいか、太刀岡山との鞍部にあたる越道峠(こいどとうげ)までのおおむね平坦な道のりが予想以上に長く思えた。当初は太刀岡山を越えて清川のバス停に下ろうと思っていたが、鬼頬山からの下りを経験してしまったため、同様に急だという清川側への直接の下りは回避したくなり、太刀岡山を越道峠から往復して平見城に出て車道をバス停に出ることにした。しかし肝心の越道峠になかなか着かない。コースタイムを超えても着かない。焦りが出てくる。午後に2本しかないバスのうち、明るいうちに出るのは日曜だと15時20分発だ。太刀岡山に登るとどうも乗れそうにない。しかも本日の天気予報は午後から降水確率が上がり、夜は雨となっている。どうしたものか。
ようやく着いた越道峠では稜線を切り崩して作られた林道が通っていた。右手に下れば平見城を経てバス停に時間通り着ける。しかしやはり目の前まで来て太刀岡山の頂を踏まずに帰るのは心残りだ。いつまた来られるかわからないまま後悔するのもいやなので、バスはあきらめ、天気はしばらくはもつものと仮定して、のんびり太刀岡山を往復することにした。峠からの道は比較的ゆるやかで、遠望はまるで効かない最高点の北峰を越え、山頂とされる南峰へは小一時間で着いた。ほぼ南方正面の甲府盆地彼方には富士山と御坂山塊が霞んでいる。左手には枝越しに水ヶ森から奥帯那山に続く稜線がゆったりと見える。右手後方を振り返ればどこに行っても見える茅ヶ岳が左手奥の南アルプスを案内している。下り坂の天候が予想されるせいか誰もいない山頂は夕暮れの寂しさが漂い始めていた。
太刀岡山北峰
太刀岡山北峰
太刀岡山頂から茅ヶ岳・金ヶ岳
太刀岡山頂から茅ヶ岳・金ヶ岳
ここでとんぼ返りすればまだバスに間に合う可能性があったが、そんな慌てた山歩きをするのは趣味ではない。なので荷を下ろし、冷え始めた空気のなか、山頂に立つ祠の脇で湯を沸かしてコーヒーを飲んだ。それだけでは終わらず、スパゲッティをつくって食べた。さらにスープまで飲んだ。飲み終わる頃には到着時は青空だったのが一面の曇り空となっていた。雨の気配もしてきた。


荷をまとめて越道峠に戻った。峠からは未舗装林道から舗装林道となる幅広のを平見城まで下った。牧場施設が集まっているのか、牛舎から鳴き声が響き、大型トラックも入ってくる。最近まで使われていたのか、車道脇のところどころにバス停の待合のような小屋が残っている。このあたりまでバスが登ってきてくれれば甲府に出るのが楽になるのだがと思っても仕方がない。ときおり思い出したように降ってくる雨粒を手の甲や頬で感じながら歩き続ける。
今朝がた観音峠へとタクシーで走ってもらった車道に出て川沿いに下る。途中にあるオートキャンプ場あたりから本格的に降りだしてきた。歩くにつれて太刀岡山が黒錆色の岩壁をこちらに向けてくる。傘越しに見上げてみると、この脇を通るという山道を下らなくて正解だったと思いつつ、こちらのルートを上って山頂に至らなければ太刀岡山に登ったことにはならないだろうとも思わせる。どうやら結局また来なければならないようだ。
雨中に麓から見上げる太刀岡山鋏岩岩壁 清川集落から夕暮れの雨の中で振り返る曲岳
雨中に麓から見上げる太刀岡山鋏岩岩壁 清川集落から夕暮れの雨の中で振り返る曲岳
清川の集落にさしかかっても、当然ながらこんな天気に外を歩いているのは自分だけだった。振り返ると鼠色の曲岳が雨に煙っていた。それでもこの日の山はよい山だった。どの山頂もよい雰囲気を持っていた。鉄道の駅へは地元のかたに車で拾って頂き送ってもらった。親切が身にしみる山でもあった。
2009/11/1

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