甲斐駒ヶ岳山頂より仙丈岳仙丈岳
「明日は必ず降るよ」と大平山荘の管理人さん一家から言われたのは10月26日夜だった。泊まり客はわたし一人。「朝から降水確率は50%で、昼からは90%だよ」
「行けるところまで行って、無理だと思ったら引き返してきます。引き返すのは慣れてますから」。それに、「あしたは確実にわたし一人の山になりそうですからね。行きますよ」


こうして翌朝4時に起床し食事を済ませ、意を決して小屋を出た。夜明けには早い闇の中、ヘッドランプで足下を照らしながら仙丈岳(せんじょうだけ)の高みを目指し、沢沿いの藪沢(やぶさわ)新道をたどる。風が少しある。
山の天気は平地より早く悪化する。雨が降り出すのはたぶん9時頃だろう、と適当な当たりをつけていたが、夜明け時刻の5時半になると同時に細かい雨が降り出し、晴れているうちに登りの半分は消化、という目論見はもろくも崩れる。
歩き出して一時間ばかりで道は雪に覆われたものになった。一週間前の降雪のなごりがあった上に、少し前に雨から変わった雪が降りかかっている。アイゼンをつけ、景気づけにピッケルを打ち付けて小さな岩場を越える。沢の下流を振り返ると、中空を流れるガスの下方に甲斐駒ヶ岳の基部が見えた。昨日は雲一つ無い快晴の下、いっときはTシャツ一枚であの山に登ったのに、今日はうってかわって冬山風情だ。これが秋山というものだ。
しばらくしてもう一度振り返ると、甲斐駒ヶ岳はまったく見えなくなっていた。
藪沢の谷もかなり上まで来ると、左手の小仙丈岳の斜面が巨大な衝立のようになって視界をさえぎる。冬枯れした木々が黒い影を作っているだけの一面真っ白な景色で、上空にうずまくガスが山頂部を覆い隠している。沢を離れて稜線へ出る斜面を登り出すと、立派な建物の馬の背ヒュッテが現れる。だがシーズンが終了していて施錠され、軒先さえ借りることができない。腰を下ろしたくても下ろせず、のろのろと登る。雪はあいかわらず降っているが踏み跡はしっかりしており、歩きにくいということはない。90%の確率で山頂まで行けるだろう。
馬の背と呼ばれる稜線に出ると、風がずいぶんと強い。ときどきよろける。初めてピッケルを持ってきたが、最初から耐風姿勢の練習をさせられる。いや練習ではない、本番だ。両側に木が生えていない尾根を行くときは、いつでも滑落停止姿勢に入れるようにピッケルを構えながら風の弱まった瞬間に前進する。背の低いハイマツを陰にできるところでザックを下ろして休憩し、テルモスの湯を飲む。周囲を見回しても見えるものは仙丈岳の雪の斜面だけだ。
突然、登山者のなりをした人がひとり、視界に現れる。予想もしていなかったし気配もしなかったので思わず声を上げるほど驚いた。山頂直下の藪沢カール縁に建設中の仙丈小屋で仕事をしている人だった。「上は吹雪ですよ」と言いながら下っていく。このとき、強風が山頂部のガスを吹き払った。ほんの少しのあいだ、山頂部が垣間見えた。
馬の背から仙丈岳山頂部
馬の背から風雪の仙丈岳山頂部を望む(中央はカールのへりに建つ仙丈小屋) 
なだらかな馬の背の稜線を抜け、藪沢カールのへり目がけて登り出すと、それまで残っていた踏み跡が徐々に怪しくなってくる。藪沢のカールのへりは周囲の稜線から吹き下ろす風が全て集まって吹き出す出口になっており、仙丈小屋の手前ですでにとてつもない強風になっている。その瞬間は前に進むどころか2,3メートルは押し戻される。腰を落とし、両足を踏ん張って耐える。
風が弱まった瞬間をとらえて小屋の陰に逃げ込み、進むか退くか思案する。
カールのへりだけが強風に襲われ、稜線はそうでもないだろう、ならば山頂まで行ける見込みはまだあると考え、小屋から稜線に登る道に出る。だが風は強い。しかも小屋の裏からしばらく行くと完全に踏み跡が消え、深さ30センチほどだがツボ足で歩かなければならなくなる。あと山頂まで、無雪期なら30,40分の距離だ。だがこの状況なら有に一時間はかかる。しかも刻一刻と降水確率は増加している。昼からは雷雨になるとも予報は言っていた。時刻は10時前。山頂まで行くと、帰りの行程も含めて遮るものの乏しい稜線をあと3時間ほどは歩かなくてはならない。それになんと言ってもわたしは単独行だ。危険だ。
藪沢カールのモレーンが足下に見える。三日月形の土手のようになっている堆石だ。これを見たから今日の山はよしとしよう。これで吹っ切れた。撤退だ。


今朝の出発間際に大平山荘のおばあさんに言われたとおり、同じ道を下った。山頂には行けなかったが、あまり残念だという気持ちはなく、むしろ充実した気分だった。だが下りは長かった。高度を下げて雪が雨に変わり、さらに大雨になってからは特につらかった。
小屋に戻ったら、みなが心配していた。静かに焚かれている薪ストーブのそばで冷え切った身体を暖めながら、北沢峠から出るバスの時間まで3時間近く休憩した。そのあいだというもの、小屋のみなさんが話し相手になってくれた。おばあさんからは若かりしころ何人かで甲斐駒と仙丈に登った話を聞いた。今ではバスで行ける北沢峠には当時は戸台から6時間ほど歩いて登るほかなく、小屋と行ったら北沢長衛小屋しかなかった。ハチミツを携えて仙丈岳に登った若者たちは、雪渓の雪にそれをかけてかき氷を作った。それは戦時中のこと、ほとんど誰一人として山に登る人のいないころのことだ。「あのかき氷の味が今でも忘れられない」と言われるこのおばあさんが、ご主人と共に大平山荘を建てられたのだった。
1999/10/26-27
大平山荘の薪ストーブ
大平山荘の薪ストーブ (写り込んでいる日付は間違い)
大平山荘のみなさんにはお世話になりました。心から御礼を申し上げます。

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