太刀岡山から茅ヶ岳(左)、金ヶ岳  

茅ヶ岳

中央本線の車窓から望む姿が八ヶ岳にそっくりなことで有名であり、また「日本百名 山」の著者である深田久弥の終焉の地としても知られている茅ヶ岳(かやがだけ)を連れと二人で歩いた。山腹は紅葉の盛りだった。山頂部はかなり冬枯れの様相だが、それでも何本かの木々は散り残った葉を日に輝かせていた。


このあたりになると日帰りでは慌ただしいので、連れと二人で前夜のうちに甲府まで行って駅近くのビジネスホテルに投宿した。翌朝、韮崎駅まで電車移動してタクシーに乗り込む。登山口に着いてみれば広い駐車場に車が30台くらいは停まっていて、これから登ろうという団体のメンバーが出発のかけ声を待っている。こちらは二人きりなので、さっそく歩き出す。
深田公園分岐までは林道を行く。殺風景なところと聞いている公園には寄り道せずにすぐ茅ヶ岳への道に入る。雑木林の中のほぼ平坦で歩きやすい道のまわりは黄葉がまっ盛りだ。気分も高揚してくる。日差しはないが風もなく、ほどよい寒さのなか、歩くピッチもしだいに上がってくる。
黄葉の樹林帯
黄葉の樹林帯 
 
道がだんだん細くなって足下に岩が出始め、両側の小さな尾根の斜面が迫ってくると、正面に「とおせんぼ」をするような風情の一枚岩が見えてくる。なぜそう呼ばれるのかわからないが、女岩という。ここは水源地になっていて、細い水流が岩から幾筋か流れ落ち、コンクリで簡単な仕切りをされた中に消えている。ためしにカップで水を集めて飲んでみる。口当たりが柔らかく旨い。
右手の簡単な岩場を超え、木の根の出た細く曲がりくねった急な登りを辿りつつ、大きく開けた谷を詰めるようにジグザグを切って登っていく。このあたりの紅葉はみごとだった。立ち止まってあたりを見回すたびに交互に感嘆の声を上げる。


稜線に出ると眺めが広がる。中でも、目の前にある小さな富士型の山が目をひく。名は曲岳(まがりだけ)といい、甲府盆地側から見ると名の通り山頂部が曲がったように見える山だが、その曲がっている方向から見ているせいで首がまっすぐに見える。紅葉はまわりの山も含めて盛りで、秋の日差しに照らされた一帯は夕方でもないのに薄赤く色づいている。左手を仰ぎ見ると、茅ヶ岳山頂が近い。
そこから急で痩せた稜線をたどる。腰ほどの高さの岩を登り、または回り込むといった道だ。両側は灌木がしげっていてそれほどの眺めはなく、たまに韮崎側が見えても朝からの雲は南アルプスの山々を隠したままだ。深田久弥氏の亡くなられた場所は稜線に出てからすぐのところにあり、標柱が立ち、花束が添えられてあった。やはりここは感慨を催させる場所で、何人かの人が考え深げな面もちで狭い道に佇んでいる。山頂を往復する人は帰りもここで立ち止まるらしい。「ここですよ」とだけ言って、下るために歩き出していくのだった。
稜線に出てから20分ほどで茅ヶ岳山頂に着く。曇天の下、寒くはないものの、灌木に囲まれた山頂は食事休憩をする登山者で満ちあふれて腰を下ろす場所もなく、「次のピークに行こうよ」という連れの言葉に一も二もなく賛同し、到着時刻だけ確認して立ち止まることなく金ヶ岳への縦走路に入る。
急坂を下って鞍部に着く。色づいた木々が美しい穏やかなところだ。ここから登りになって金ヶ岳を目指す。大きな岩が持たれあっているかのような石門をくぐり抜けてすぐの登山道左手に大岩があって人が二人立っている。ふと気になって岩の上に登ろうとすると、先の二人が「ここからの眺めは絶景ですよ」と言う。言われなくても登ろうとしているのになんでそんなことを、と傾いた岩の斜面に靴底のフリクションを利かせて登ってみると、「おお、すごい」と思わずつぶやく。眼下には紅黄葉に埋め尽くされた広い緩やかな谷が広がっていたのだった。なるほど、これは人に素晴らしさを教えたくなる景色だ。そこで今度はわたしが、登らず下で待っている連れに「見ないと損だよ」と教える番だった。
金ヶ岳との案部付近から西方の谷を望む
茅ヶ岳と金が岳の鞍部付近より
西方の谷を望む
会津あたりの山の光景を思わせる紅葉だった
谷の彼方、向かいの南アルプスの山々はあいかわらずガスにおおわれていて何も見えない。ほんの僅かの間、沸き立つ雲の切れ目から、つい一週間ほど前に登った甲斐駒ヶ岳(かいこまがだけ)の山頂が垣間見えただけだった。


茅ヶ岳より60メートル高い金ヶ岳の山頂は茅ヶ岳と比べて閑散としていた。登山者の大半は茅ヶ岳を往復するだけらしく、温度の低さも手伝ってか登山者は10名ほどしか見あたらない。しかしとにかくおそろしく寒い。木々は全て冬枯れしており、吹き付ける風は冷たく、かつ強い。風の通り道に当たっているらしかった。おかげで二人して震えながら飲んだ即席汁粉がとてもおいしく感じられた。金ヶ岳からは東大宇宙線研究所のある方に下った。山頂直下では両側の切り立った吹きさらしのなかを行くものの、ほどなく樹林帯に入り、風も絶え、まわりは近くも遠くもふたたび穏やかな秋の彩りとなるのだった。
1999/11/3

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