薬師岳から観音岳 鳳凰三山(一)

ほんらい鳳凰は限られた者だけが幻視できる霊鳥であり、飛翔する姿を捉えるには彼岸の空をかいま見なければならない。いにしえの中国においては全鳥類の頭目とみなされ、その出現は天下太平の瑞兆とされたという。
高き山は非日常という意味で幾分か彼岸に近い存在である。それが鳳凰の名を冠しているとすれば気にならないわけがない。中央本線で甲府盆地を下っていくと、車窓左側からいったん離れていた山々が再び迫ってくるようになる。それがまるで覆い被さるような急峻さで、ひときわ高い甲斐駒にまず目が行くものの、その手前に屏風のように連なる鳳凰三山の高さにも惹かれる。天上の鳥の名を持つ山が白砂に這松を配した庭園光景を稜線に連ねていると聞けば、遅かれ早かれ訪れないわけにはいかない。そして三山の一つ地蔵岳の山頂に屹立する岩塔、通称"オベリスク"に登るのだ。


朝5時、バスを夜叉神(やしゃじん)峠入り口で下り、生活道路として使われたと思われる広く平坦な道をたどって夜叉神峠をめざす。眺めはまるでなく、植林のように整然と並ぶ針葉樹を眺めながらゆっくり登っていく。暗がりの中に末広がりの白い5弁の花が一輪咲いている。あとから調べてみると日本特産のセンジュガンピという花のようだ。
夜叉神峠は白峰(しらね)三山の展望台であると聞かされてきたが、明るく開けた峠の彼方に広がる姿は確かに効果的である。夜叉神峠小屋では望遠鏡を出して男女の若い二人の小屋番が北岳山頂を眺め、人がたくさんいる、と言っている。昼前にはガスが湧いてくるかもしれないし、それに暑くなる。いま朝の6時半。山頂を踏むにはよい時刻だ。
夜叉神峠から白峰三山
夜叉神峠から白峰三山
ここから今日の泊まりの南御室(みなみおむろ)小屋までほぼ登り一辺倒である。とくに杖立峠までのだらだらとした登りが眺めもなく長い。左手には北岳が見えていたが、夜叉神峠を出発したときに農鳥岳(のうとりだけ)を隠してしまった雲はしばらくすると三山すべての山頂に覆いをかけてしまった。大きな景色の変化がなくなって退屈だ。それに甲府からの早朝バスに乗るため昨夜10時に寝て朝の3時起きしたので眠くて仕方がない。
歩きながら寝ないようにするため、両脚を踏み出す毎にいーち、にーぃ、と数えながら一定のペースで登る。ひゃーく、まで来たらまたいーち、と始める。だいたい2000強を数えると休憩時間である。ただ登っているだけのような気がして気が重い。とはいえここを乗り越えないと寝る場所に着かないので45分から1時間歩いては10分休むを繰り返す。例によって単独行なので、歩く速さにしても休憩する時間間隔にしてもペースを保つのは自分しかいない。南アルプスの入門の山、と言われるものの、幕営道具一式を背負った身にはなだらかな道とはいえ少々辛い。


こういう労苦を慰めてくれるものの一つは足下の花々である。北八ツでお馴染みになった白色4弁のゴゼンタチバナがあちこちに咲いている。赤くて小さなつぼみを周囲に散らした5弁の黄色い花が砂礫上に咲いている。これはミヤマオトギリだった。ミニサイズの金平糖のようなマイズルソウも暗い林縁に白い明かりを灯している。
ゴゼンタチバナ
ゴゼンタチバナ
本日の最高点は辻山の肩で、ここは苺平と呼ばれているのだが、名前のイメージとは多少違って狭い平坦地である。何人もの登山者が休んでいたが、疲れ切って記憶力と判断力が減退していたわたしはここが苺平であることがわからず、地図を確認しないまま広い平坦地がこの先にあるものと思いこんで足も止めず、下りになった山道をとばして歩く。「まずは広くて平らなところに出て、本日ゴールの南御室小屋はそれからだ」と自分を励まして歩いていったら、いつの間にか小屋の屋根が見えてきている。苺平小屋とかができたのか?まさか。
それが南御室小屋だった。まだ11時である。規則正しい歩き方をしてきたせいか割と早く着いたようだ。ひろびろとした小屋前の平地に荷を下ろして予定通りここに幕営すべきか、それとも先に進むべきか考える。途中で追い抜かれた二組くらいの幕営パーティーは先に行ったらしく見あたらない。だがこの先のテント場と行ったら鳳凰三山を縦走した先の鳳凰小屋になる。あと4時間くらいは歩かなければならない。すると到着は夕方4時だ。たいへん疲れるだろうし、テント場はそのころには混雑しているかもしれない。先ほどからガスがこのあたりに漂い始めており、ここより高い稜線は雲の中だろう、眺めは悪いに違いないから行っても仕方あるまい。でも11時で山行を停止するのは早すぎるのではないか....と長いこと逡巡していると、苺平で休憩していたパーティーや稜線を縦走してきたらしい人たちが次々と到着し、よしテントを張ろう、とか言っている。そういうものか、と自分もここで泊まることに決める。


まだ早いので持参した文庫本を読んだり小屋でビールを立て続けに買って飲んだりテントの中やベンチの上で昼寝したりして夕方まで過ごす。広々としたよい感じのテント場なのでくつろぐことができる。日が暮れる頃にはテントの数は20張りほどになっており、そのうち三分の一くらいが単独行者だった。
ところで山といえども”はた迷惑な人”というのはいるもので、中年オヤジ三名のパーティーが午後じゅうテント場のど真ん中でラジオをうるさいくらいに鳴らして、しかも自分たちはテントの中で熟睡モードである。親切のつもりなのだろうか?ニュースや天気予報ならわかるが、山の中に来てまで落ち着かない音楽や馬鹿馬鹿しい番組とかを大音量で聞かされるのはいい迷惑である。ラジオを聴くならイヤホンを使うか、せめて音量を必要最低限なまでに下げるべきだろう。
(つづく)

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