John Coltrane / Coltrane (Prestige 7105)
(ビクター SMJ-6547 「プレスティッジ・ジャズ・マスターピース・シリーズ」による1977年の再発)

 ジョン・コルトレーンの最初のリーダー・セッションを収めた本アルバムは、彼がセロニアス・モンクと組んでファイヴ・スポットに出演する前後の、57年5月31日に録音された。同じ日の録音でピアニストが代わっている事情は不明だが、ともあれパーソネルは次の如くである。
●Bakai
   Johnnie Splawn (tp)
   John Coltrane (ts)
   Sahib Shihab (bs)
   Red Garland (p)
   Paul Chambers (b)
   Al Heath (ds)
●Violets For Your Furs
●Time Was
   Same except Splawn and Shihab out
●Straight Street
●Chronic Blues
   Johnnie Splawn (tp)
   John Coltrane (ts)
   Sahib Shihab (bs)
   Mal Waldron (p)
   Paul Chambers (b)
   Al Heath (ds)
●While My Lady Sleeps
   Same except Shihab out
 マトリックス・ナンバーから言うと、マル・ウォルドロンの加わった三曲が先に録音されたようだが、ここではアルバムの第一面に収録された曲の方を先に置いた。

 コルトレーンがこのアルバムを吹込んだころ、モダン・テナーの王座に君臨していたのは、申すまでもなくソニー・ロリンズであった。ロリンズは、前年の6月に「サキソフォン・コロッサス」を吹込み、この年の3月には、西海岸で「ウエイ・アウト・ウエスト」の録音を完了していたが、今にして思えばこのころが、彼自身にとっても生涯の絶頂期で、その融通無礙なフレージングの妙は、容易に他者の追随を許さない、天才の業をわれわれに感じさせた。ロリンズとコルトレーンは、ほぼ同年令でプロ入りし、しかもコルトレーンの方が三才年長であったという事実から考えると、この期に於けるこうした実力差は、いささか不思議な感を与えぬでもないが、トレーンの方が、実は四十年代に可成りの期間アルト・サックスを吹いて来て、51年のはじめにガレスピー・コンボの一員となった時から、はじめてテナーに専念するようになったのだという事情を考えれば、多少の斟酌はあってしかるべきであろう。しかしいずれにせよ、55年の秋にマイルス・デイヴィス・クインテットに加わったころのコルトレーンは、ファンから何度も陰で首切りを進言されたほどの下手なテナー・マンで、翌56年の一年間に長足の進歩を遂げたとはいうものの、本アルバムが吹込まれた時点に於いては、まだロリンズとのあいだに、可成りの水をあけられていた。その意味で、もし58年以降の大成がなかったとしたら、このアルバムもまた今頃は、何枚かのハード・バップの小傑作同様、時代の波に流されてしまっていたかもしれない。
 だが、周知の如くコルトレーンは、57年のモンクとの共演を通じて多大の啓示を受け、翌年はじめには、ふたたびマイルスの許に戻って、押しも押されもせぬモダン・エイジきってのインプロヴァイザーの一人にのし上がった。しかもコルトレーンの場合は、生涯を通じて、一ヶ所に停滞することなく変貌を続けたから、いまだ未熟な時代に吹込まれたブローイング・セッションまでが、のちには好個のコレクターズ・アイテムとして再評価されることになった。彼が初めてリーダーシップをとったプレスティッジのこのアルバムが、現在では、本来の価値を正しく認められる以上の敬意を以て聞かれているのもむべなるかなである。
 コルトレーンを専属とするようプレスティッジに働きかけたのは、マイルス・グループの同僚であったレッド・ガーランドだと言われるが、この契約は、結局57年に始まって、彼がアトランティックに移る直前の58年終わりまで続いた。無名時代にプレスティッジの傘下で働き、名が出始めるや、早々に他レーベルへの移籍を企てたミュージシャンは他にも数多いが、本アルバムに含まれているトレーンのオリジナルが、いずれもプレスティッジ・ミュージックの名で出版され、本人には全印税額の半分しか渡らぬ仕組みになっていたあたりにも、当時のプレスティッジの辣腕ぶりが象徴されていると思う。

 この日のセッションに参加したサイドメンは、今日ではそれぞれの立場で良く知られた人ばかりだが、中かではジョニー・スプローンだけが、今も昔も無名のままに終わった。原盤解説によれば、彼は31年1月生まれの若いトランペッターで、ソニー・スティットやルー・ドナルドソンと仕事をした経験を持ち、アイドルとするトランペッターはクリフォード・ブラウンだとされているが、この録音によって判断する限りは不安定な面が多く、そのためか、わずか二曲でソロを許されたにとどまっている。
 サヒブ・シハブは、四十年代にブルーノートに吹込まれたモンクの録音によって知られ、近年ではクインシー・ジョーンズやクラーク〜ボラーンの双頭オーケストラにフィーチュアされて好評を博したが、ここでは専らバリトン一本に絞って、ソロはもとより、アンサンブル・パートに於いても重要な役割を果たしている。
 アル・ヒースは、有名なヒース三兄弟の末弟で、近年はまたヨーロッパに戻っているが、このレコーディングが行なわれた当時は、いまだ無名に近い一ローカル・ミュージシャンであり、翌年J・J・ジョンソンのグループに加わったころから中央に知られるようになった。しかしこの録音に聞かれる彼のリズム・ワークは、すでに充分にツボを心得た一流のもので、近頃のやや大味になってしまったプレイよりも、むしろ上だと言えるかも知れない。コルトレーンとは、かつて48年ごろに同じバンドで働いたことがある由だが、もちろんそのころの演奏は、レコードには残っていない。
 これ以外の人々、ガーランド、チェンバース、マル・ウォルドロンの三人に関しては、今更説明を加える必要もないであろう。
 さて演奏の方だが、一曲目の「Bakai」は、トランペッターのカル・マッセイが書いたマイナーのオリジナル。彼はコルトレーンの古い友人の一人で、葬式の時には「A Love Supreme」の詩句を朗読して親友を悼んだ。ピアノ、テナー、バリトンの順でソロがリレーされるが、いまだクリシェに陥る以前のガーランドのソロは、流石に魅力的だ。トレーンのソロは、一聴直ちに前年10月のマイルスのセッションからの飛躍を指摘し得る悠容たるもので、この期の彼の成長の早さに驚かざるを得ない。
 二曲目の「Violets For Your Furs」は、有名なマット・デニスのオリジナル。五十年代に吹込まれたトレーンの全作品中でも屈指の好演で、いわゆるビタースイートなコルトレーン流のバラード奏法が満喫出来る。モダン・エイジに入ってからのバラードが、とかく中途半端な表現で不評を買ったのに対し、コルトレーンは原曲のメロディーを充分に尊重しながら、余分な甘さを捨て去ることによって、独特の境地を開いた。インパルスに吹込むようになってからも、ことバラードの解釈に関する限り、この姿勢は変らなかったが、若々しさという点を買うなら、むしろ五十年代の演奏の方に一層の良さがあった。
 三曲目の「Time Was」もカルテットによるミディアム・テンポの演奏で、いまや完全に自身の方向を掴んだコルトレーンの演奏が聞かれる。この年のはじめに、彼は長年苦しんで来た麻薬の悪習と手を切ったが、恐らくこの録音も、クリーンになってからの企画と考えられる。ポール・チェンバースのソロが、いつもより魅力のない音に聞こえるのは残念だが、こうした中庸テンポに乗った時のガーランドのシングル・トーンの良さは格別である。バックをつけるアル・ヒースのブラッシュ・ワークも聞き逃がせない。
 第二面に入って、ピアノはマル・ウォルドロンに代わるが、最初の「Straight Street」は、フル・サイズによる演奏で、コルトレーンの作編曲になるもの。ソロは、テナー、トランペット、ピアノの順でリレーされるが、コルトレーンのプレイが頭抜けているだけに、あとの二人が少々影の薄くなるのは止むを得ない。
 「While My Lady Sleeps」は、あまり耳にすることのない曲だが、コルトレーンの粘っこいフレージングが圧巻で、トランペットは、最後にテナー・サックスに合流するだけの役割で終わる。
 「Chronic Blues」も、コルトレーンのオリジナルで、シハブのバリトンに次いで出るトレーンのソロが、ここでもハイライトを作る。プレスティッジ時代のコルトレーンのプレイを最も好ましいとするファンのあることもうなづけよう。スプローンとマル・ウォルドロンのソロもフィーチュアされているが、第一面のガーランドの好演に比して、モールス信号風のマルのプレイが魅力薄に響くのも、このセッティングにあっては、いたしかたあるまい。


→粟村政昭
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