Miles Davis / Kind of Blue
(CBS Sony SOPL 155 ―1970年代中頃の再発)


カインド・オブ・ブルー
マイルス・デイビス

SIDE A
1. SO WHAT
  ソー・ホワット
2. FREDDIE FREELOADER
  フレディ・フリーローダー
3. BLUE IN GREEN
  ブルー・イン・グリーン
SIDE B
1. ALL BLUES
  オール・ブルース
2. FLAMENCO SKETCHES
  フラメンコ・スケッチ

 このアルバムの原盤ジャケットに一文を寄せているビル・エバンスは、マイルス畢生の名演として知られる「カインド・オブ・ブルー」のセッションを、わが国古来の芸術たる墨絵になぞらえている。いったん筆をおろしてしまったが最後、もはや消すことも修整することもかなわぬ墨絵の真髄は、単純な墨跡のうちに画家の目と心がとらえたすべてのものを描き尽さんとするところにあり、その表現手段の簡潔さと自身に課する厳しさとによって、数ある古典芸術中でも特に異彩を放つものとなっている。ビル・エバンスがどこまでわが国の伝統や文化に造詣が深いかは筆者の知るところではないが、あらゆる面で一路西洋化されつつあるわが国の現状を考えると、彼のオリエンタル・アートに寄せる関心が――たとえ比喩だけのものであったとしても――きわめて興味深く、好ましいもののように思える。

 このアルバムに収められた演奏は1959年の春に録音された。その正確なデータについては以下に記すが、59年と言えば、いわゆるハード・パップという言葉に代表される演奏乃至はアドリブのやり方が、遂に限界にまで煮詰まって来て、新たな可能性を求める試みが暗中模索の境地で始められた頃である。
 五十年代の前半、ジャズ界の話題をさらったウエスト・コースト・ジャズが、いささか軽薄なクラシック音楽への追随とアドリブ能力の脆弱性故に自滅への道をたどったあと、ジャズ界の中心地は再びニューヨークへ移って、黒人ハード・バッパー達による豪快なアドリブ万能の時代が到来したが、彼等が揃って手がけたコード分解による即興演奏の可能性は数年を経ずして究め尽されてしまい、次々に発売されるレコードの内容が、いずれも大同小異に聞こえるという深刻な行きずまりが表面化し始めた。56年から7年にかけて「サキソフォン・コロッサス」「ウエイ・アウト・ウエスト」という二大名盤を吹込み、ジャズ・アドリブの世界に一つの頂点を記録したソニー・ロリンズにしてからが、これ以降の作品からは、楽想の乱れ以上の変化を見出すのがいささか困難となってしまっている。

 マイルス・デイビスの、50年代末期を飾る名作「カインド・オブ・ブルー」は、正にこういった調性アドリブの明白なマンネリズムを背景として録音された。
 マイルスはそれ以前より――つまりニューヨークの黒人新勢力がウエスト・コーストの白人達から主導権を奪い返したその直後より、すでに旧来のコード進行を遵守したアドリブには、近き将来限界が訪れるであろうことを予知していたかの如くに思える。
 それ故に彼は「ブルース・バイ・ファイブ」(56年10月)に於いて早くも型通りのハーモニック・ヴァリエーションからの脱出を試み、「マイルストーンズ」(58年4月)に於いては、モード手法による作曲〜演奏という、それまでのジャズには聞かれなかった新しい分野を開拓して、固定しつつあったアドリブの限界を一気に押し広げることに成功したのであった。
 「モード」とはメロディを基にして創られた自然発生的な音列のことで、日本語としては「旋法」と訳されていることが多いが、現在ジャズの世界で使われているモードとしては、ドリアン・モード、リディアン・モードなど数種のものがあり、それを用いることによって、従来の和声に基くアドリブから、音列に基くアドリブへと移行することが出来る。マイルスがこのやり方に本格的に興味を抱くようになったのは、恐らくは「マイルス・アヘッド」に始まるギル・エバンスとのコラボレーションを通じてのことではなかったかと思われるが、このアイディアを一枚のLP全体にまで拡大したのが、記念すべきこの「カインド・オブ・ブルー」のセッションであり、その且つて聞かれたことのないフレッシュな音の配列は、モードの何たるかに全く関心のなかったジャズ・ファンの耳をも、一様にそば立たせるほどの魅力ある新次元を切り拓いたのであった。
 こうしたマイルスの成功は当然の結果として幾人かの賛同者を生んだが、その一人ウエイン・ショーターは、61年の1月にジャズ・メッセンジャーズの一員として来日し、そのユニークなフレージングによって、未だマイルスの新作の核心に触れ得ずにいたわが国ジャズ・ジャーナリスト達の関心をとらえた(従ってショーターがのちにマイルス・コンボの一員となったのは、きわめて自然な結びつきであったと言えよう)。
 一方ジョン・コルトレーンもまた、リーダー、マイルスから得た啓示を基として前人未踏のコルトレーン・ジャズの世界を築き上げたが、それについては改めてここで詳述する必要はあるまい。ただ「カインド・オブ・ブルー」の録音が、彼コルトレーンにとってもまた、記憶さるべき飛躍への第一歩となったことを指摘しておけばよいであろう。

 マイルスはこのセッションに臨んで、既成のレパートリーは一切採り上げず、サイドメンが初めて手にするシンプルなスケッチだけをたずさえてスタジオに現われた。当然、録音は息ずまるような緊張と熱気の裡に進行し、しかもことごとくがファースト・テイクで終わるという異例の結末を見た。グループ・インプロヴィゼーションというものの難しさを考えた場合、これは正に想像を超えた快挙と言うべき出来事であったが、裏返してみればこの当時のマイルス・デイビス・セクステットがいかに桁はずれの実力を備えていたかということであって、このグループがMJQのような絶えざる練磨を前提とした集団ではなかっただけに、なおのこと現実を上廻る凄味を我々は感ずるのである。
 録音データは次の通りであるが、「Freddie Freeloader」の一曲だけウィントン・ケリーが起用されているあたり、いかにも心憎い配慮だと言わねばなるまい。

Freddie Freeloader (-1)
So What
Blue In Green

       Miles Davis (tp)
       Julian Cannonball Adderley (as)
       John Coltrane (ts)
       Wynton Kelly (p, -1 only)
       Bill Evans (p)
       Paul Chambers (b)
       Jimmy Cobb (ds)
           NYC, March 2, 1959

Flamenco Sketches
All Blues

       Same Personnel
           NYC, April 22, 1959

 では次にレコードに収録された順に、各曲についての短かいコメントを記しておきたい。
<So What>
 マイルスの口ぐせをそのままタイトルにしたと言われるこの曲は、彼自身によってくり返し録音されているが、これがオリジナルの演奏である。ピアノとベースによる印象的なフリー・リズムのイントロに引き続いて、二つのスケールによって書かれたテーマが現われる。まず初めに16小節、続いて別のスケールによる8小節を、最後に元のスケールに戻って8小節と、計32小節から成り立って居り、マイルスの書いた代表的なモード曲の一つに挙げられている。
<Freddie Freeloader>
 12小節で書かれたシンプルなブルース・ナンバー。どちらかと言えば保守的な素材であるだけに、ウィントン・ケリーの起用は当を得たものとなっている。マイルス自身もここでは中庸のテンポに乗って、見事なハーモニック・ヴァリエーションを聞かせる。
<Blue In Green>
 4小節のイントロに続く10小節循環形式のテーマとアドリブで、ビル・エバンスものちにトリオを率いて吹込んで居り、共同作曲者としても名を連ねている。
<All Blues>
 一頃「Flamenco Sketches」と取り違えられていた曲だが、64年2月に行なわれたフィルハーモニック・ホールに於けるコンサートでもこれと同曲が演奏されて居り、そのタイトルも「All Blues」となっている。8分の6拍子で書かれている。
<Flamenco Sketches>
 五つの異なったスケールを設定し、各ソロイストは意のままの長さで吹き続け、次のスケールに移って行くというやり方を採っている。瞑想的なムードで貫かれた演奏で、誰一人としてソロの方向を失なっていないのは、彼等の力量よりして当然とは申せ、やはり感嘆に価するもの。ビル・エバンスのソロが特に印象に残る。

 この録音が終わったあと、マイルスの一党は再びスタンダード・ナンバーを混えた手慣れたレパートリーに戻って、専らライブ・レコーディングを中心に新作を発表して来たが、やがて64年にウエイン・ショーターを迎えてからは、斬新なオリジナル曲に取組む機会が目立って多くなった。この点については本アルバムの範畷をそれると思うのでここでは省略したいが、<常に歩き続ける人>と言われるマイルス・デイビスにして、なお「カインド・オブ・ブルー」を凌駕するほどの傑作はその後の作品系列中に見当らないことを思うと、何度目かにあたる本アルバムの再発売は、依然として重要な意義を失なっていないものと断言出来る。

(粟村政昭)


(註) メンバー紹介の個所の原文は
       Wynton Kelly (P, -1 only)
       Bill Evans (p) p
となっている。これは、おそらく、大文字の「P」を小文字の「p」に変更という校正段階での指示がそのまま残ったために生じた誤植。ゆえに上記では訂正しておいた。
 また途中の段落での「且つて」は「かつて」の、最後の段落で「範畷」とあるのは、「範疇」の誤植だろうが、訂正はしていない。


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