Onnette Coleman / The Shape Of Jazz To Come (Atlantic)
(ワーナー・パイオニア P-7510A Jazz-Forever Excellentシリーズによる、1976年の再発)
このシリーズは、アメリカで原盤をカッティングして日本でプレスするという企画で、音が悪いので知られていたアトランティック盤としては驚くほど音が良く、オリジナル・レーベルとオリジナル・ジャケットを使用、更にリーダー・アルバムのディスコグラフィ付き、という非常に良心的なシリーズだった。


 「ジャズ、来るべきもの」という暗示的な、しかしいさゝか俗悪なタイトルの下にこのオーネット・コールマンの路標的名作がわが国に紹介されてから、はや十年以上の月日が過ぎ去ってしまった。そしてこの「一昔」という歳月が、かつてのジャズ界の異端児をしてサッチモ小父さんのバック・コーラスに名を連ねる「有名人」の一人にまで変貌させてしまったのである。
 あるいはコールマン自身の経済的な環境には今も昔も大した違いはないかも知れない。また彼の率いるグループの演奏が――革新的な要素を失ったか否かは別として――全面的にコマーシャリズムと妥協してしまった訳でも決してないだろう。しかしコールマン自身、あるいは我々ジャズ・ファンの感情がどうであれ、今やオーネット・コールマンと彼の音楽はジャズの世界に於いては「知悉」の存在となり、レコード会社の思惑如何によってはある程度まで確実に収益を見込めるだけの「売物」となったのである。十年前このアルバムに対して浴びせられた賛否両論の激しい渦を知る者にとっては、今日の新装再登場に寄せる感懐にはまた一入のものがあるのではないだろうか。

 オーネット・コールマン・クヮルテットが初めてその全貎をレコードに記録したといえるこのアルバムの録音は、1959年の5月22日、ハリウッドに於いて行なわれた。一部ディスコグラフィにニューヨーク市とあるのは誤りである。
 パーソネルは衆知の如く、ドン・チェリー、オーネット・コールマン、チャーリー・ヘイドン、ビリー・ヒギンズというクヮルテットだが、当時は未だ「期待出来る新人」程度の存在でしかなかったドン・チェリーやチャーリー・ヘイドンが、近年ジャズ・ファンを驚嘆させる様な大作を次々に発表している事実を考えると、このオリジナル・クヮルテットがいかに鬱勃たる進取の気性を内蔵していたかが想像出来ると思う。
 この日吹込まれた演奏は本LPに収録された6曲以外にもまだ存在する模様だが、そのうちの一曲「Just For You」は日本既発売のオムニバス盤「即興詩人の芸術」の中に加えられて市場に出ている。

 先に本アルバムが「オーネット・コールマン・クヮルテットの全貌を記録した最初のもの」であると記したが、このアトランティックに於ける第一作の吹込みが実現する一年余り前に、コールマンは彼としては初めてのリーダー・アルバムをコンテンポラリーに録音している(58年2月10日)。そのレコーディングについて語るためには、生地Taxas州Fort Worthに始まる悲惨な下積みの何年間かについて述べねばならない訳だが――――、

 オーネット・コールマンが十四歳の時、初めて手にした楽器はアルト・サックスであったが、オーネットの一家は彼自身の言葉で言えばpoorよりも尚貧しいpo' familyであったゝめに勿論独習によらねば吹くことは出来なかった。彼はピアノの教則本を買ってサックスのCを文中のAに見立てゝ練習したというが、やがて二年後には「仕事が多いから」という理由でテナーに持ち換えている。無論「仕事」とは言ってもその殆どはリズム・アンド・ブルース風のもので、床に転ったり様々なオーヴァー・アクションをつけながら吹きまくる幼稚なものであったらしい。しかしそれでもまだ仕事にありつけている期間は幸運だったと言うべきで、安月給とクビと人種偏見に悩まされながらドサ廻りを繰り返してたジャズマンとしての彼の前半生は、後年の栄光あって初めて口に出来る種類の苦い体験の連続であった。Clarence SamuelsのR&Bバンドに加わってニューオリンズに流れていったある夜、コールマンは暴漢に襲われて何本かの歯とテナー・サックスを失なったが、それ以後彼の楽器は再びアルトに戻り、のち「Ornette On Tenor」というアルバムによってジャズ・ファンを驚かせるまで、彼はこのより大きなサックスを手にすることは殆どなかった。これをその時の心の痛手によるとするのはいささかセンチメンタルな想像に過ぎず、現実は「新品のセルマーに手が出ず、より安いプラスチック製のアルトを求めた」風の経済的な事情によるものであったことは明らかだが、我々ジャズ・ファンとしてはむしろその種の詮索よりも、「On Tenor」が録音された61年3月の時点に於いてさえ、未だ彼がテナーを吹いたという経歴が知られていなかった点を重視すべきであろう。本アルバムやそれに続く「Change Of The Century」が捲き起こした賛否両論の激しい嵐も、当時はまだまだ「破壊された伝統」というショッキングな出来事に集中していたゝめであろうか。
 いさゝか話が先に走り過ぎたが、こうしてフォート・ワースを中心に苦斗の音楽生活を続けている間にも、コールマンは前後二度にわたってロスへの進出を企てゝいる。即ち一度目は「余暇にセッションに参加しては楽士仲間から白眼視されたハウス・ボーイ」として、二度目は「勤務時間中に密かに音楽書を読みふけっていたエレヴェーター係」としてである。しかしこの二度目の、54年のロス定着によって、コールマンはトランペッターのDon Cherry、ベーシストのDon Payneという少なくとも二人の、彼の音楽に対する良き理解者を見出すことに成功した。そして58年の初めには、ペインのアパートで彼らの演奏を聞いたRed Mitchellの紹介によって、コンテンポラリー・レーベルのオーナーのオーナー、Lester Koenig氏の下を訪れるという幸運を掴んでいる。
 コールマンのリーダーとしての初吹込みは全9曲が彼自身のオリジナルという非常に恵まれた条件の下で行なわれた。しかしDon Cherry (tp)、Walter Norris (p)、Don Payne (b)、Billy Higgins (ds) という楽器編成上の制約のためか、それともコールマン自身の楽想が未分化であったヽめか、このアルバムは「耳慣れないサウンド」であるという以上の印象はファンに与えなかった様だ。
 同様にコンテンポラリーから出た二枚目のアルバムも、コールマン〜ドン・チェリーのフロント・ラインに対するレッド・ミッチェル〜パーシー・ヒース〜シェリー・マンといった既成のリズム隊の組み合わせが上手くいかず、ここでもまた「聞き易い前衛ジャズ」風の収穫しか挙げることは出来なかった。上記の如くレッド・ミッチェルはコールマンに対する良き助言者であり、パーシー・ヒースもまたジョン・ルイスと共にコールマン一党の理解者であったが、実際にレコードを聞いてみるとこの二人ヴェテラン・ベーシスト達が二人ながらにコールマンの音楽に背を向けて演奏している様に聞こえる。安っぽく言うならば、そこにある種の断絶が厳として在る訳で、いずれにしてもこうした常識的な楽器編成や伝統的な音楽理念を規格外のコンセプションにぶつけたところにコンテンポラリーの二作が不完全燃焼に終わった最大の原因があった。
 しかしこうしたニュー・タレント売出しにまつわるお定まりの安全策に足をとられたにも拘らず、この間にジョン・ルイスという願ってもない強力な支持者を得たことはコールマンにとって有形無形の幸運をもたらした。ルイスは59年の夏にイタリアのジャズ雑誌のインタヴューに答えてカリフォルニアで聞いた二人の若者たち――オーネット・コールマンとドン・チェリーのことを紹介し、「彼らは私が未だかつて聞いたこともない様なやり方で演奏している」と称讃。同時にアトランティック・レベルのNesuhi Ertegan氏に推薦して西海岸で二枚のアルバムを吹込ませ、同年11月のニューヨーク、ファイヴ・スポットへの進出を(経済的に)可能ならしめたのである。
 その一枚目が申すまでもなく「The Shape Of Jazz To Come」と題されたこのレコードであった訳だが、この日のセッションに於いてコールマンは初めて彼自身のクヮルテットを率いて余すところなく縦横に楽想を披瀝し、パーカー以来の最大のセンセーションとしてジャズ界を驚倒させた。
 コールマンの音楽をめぐって当然ジャズ界には様々な議論が湧き起こった。その殆どは今日まで繰返し語られ記載されて来たから、こゝでまたまた蒸し返すには及ばぬかも知れぬが、たヾ一つ、誰もが判った様でそのじつ誰もが納得し切れずに終っている疑問は、コールマンには果たして生まれながらに「あの音」しかなかったのか、それともリズム・アンド・ブルース畑に於ける「うめき、軋り、泣き、笑っている」様な音階(無論これは好意的に聞き分けたとしての話)の中から一歩々々自身のスタイルを築き上げて来たのか――という点である。コールマン以降に現われた数多くの前衛派の新人達には少なくとも楽器を手にした時点に於いてオーネット・コールマンという一つの教則本があった。しかしコールマンは前人未踏の荒野の中から突然「来るべきジャズ」のなにかを掴んで姿を現わした。例えその道程を詮議するだけの資料に恵まれないとしても、我々ジャズ・ファンとしては今後とも何らかの価値ある分析を必要とする命題ではないだろうか。
 本アルバムに収められた計6曲の演奏中、最も話題となり且つ成功したと目されているトラックは「Lonely Woman」である。そして「Lonely Woman」「Peace」「Congeniality」「Eventually」といった曲名に暗示されている如く、ハーモニーの支配から脱出せんとするコールマンは、テーマの和音の中からアドリブを描き出すのではなく、曲名曲調によって設定されたムードの中に演奏の動機を求める――といった立場ですべての行為を推し進めている。こゝには65年にカムバックした時のあの美しい音色、調和と確信に満ちた完成された前衛ジャズ(”完成された前衛”などという言葉があるとしての話だが)の素晴らしさはないにしても、Whitney Balliet氏をして「It is hard to think of ayn jazz musician, alive or dead, who has ever exhibited as much naked emotion as Coleman」と語らしめた最も率直な形の自己表現が、いさゝかの生硬さと自己陶酔を含めて提示されている。

 完全な名盤ならぬ名盤としてジャズ史に残るべき不朽の問題作である。


→粟村政昭
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