Tony Scott Quartet (MCA RECORDS)

トニー・スコット・クヮルテット


SIDE : ONE
1. カッツ・ミアウ
  KATZ" MEOW (A Canon for Cats) (4:25)
2. アフター・アフター・アワーズ
  AFTER AFTER HOURS (5:22)
3. アイ・ネバー・ニュー
  I NEVER KNEW (4:26)
4. アウェイ・ウイ・ゴー
  AWAY WE GO (6:26)

SIDE : TWO
1. ブルース・フォー・エイヴァ
  BLUES FOR AVA (5:51)
2. イッツ・ユー・オア・ノー・ワン
  IT'S YOU OR NO ONE (2:50)
3. アイ・カバー・ザ・ウォーターフロント
  I COVER THE WATERFRONT (3:26)
4. イエスタデイズ
  YESTERDAYS (2:57)

トニー・スコット(cl)
ディック・カッツ(p)
ミルト・ヒントン(b)(1-1〜4)
フィリー・ジョー・ジョーンズ(ds)(1-1〜4)
アール・メイ(b)(2-1〜4)
パーシー・ヒース(b)(2-4)
オシー・ジョンソン(ds)(2-1〜3)

1953年 2月 5日録音(1-1〜4)
1953年12月22日録音(2-1〜3)
1953年12月29日録音(2-4)


○ニューオリンズの昔からスイング全盛時代を経てモダン・エイジの初期に至るまで、クラリネットという楽器は常に大小様々なジャズ・バンドの中の花形的存在であった。それを考えると昨今のジャズ・クラリネットの凋落ぶりは不思議さを通り越していささか異様な感じさえ与えるものがあるが、クラリネットという楽器は果たしてそんなにまでモダン・ジャズの表現には不向きな代物なのであろうか。かつてシドニー・ベシェが彼個人のために作られた楽器であるかの如くに吹いていたソプラノ・サックスが二十年後のモダン・ジャズの世界に突如蘇えったような椿事が、クラリネットの場合には全く望み得ないことなのであろうか。
 だがそれはそれとして、ビ・バップが全盛を極めた40年代の中期からウエスト・コースト・ジャズの黄金時代にかけて、ジャズの世界はまだまだ幾人かの有力なクラリネットの新人達をはぐくみつつあった。ジャズ誌の人気投票に於いて常勝グッドマンを破ったのはバディ・デフランコであったが、デフランコと相前後して第一線に抬頭したクラリネット奏者の中にもダニー・ポロ、アーロン・サックス、ジョン・ラポータ、スタン・ハッセルガード、サム・モスト、ジミー・ジュフリー、そして本アルバムの主人公たるトニー・スコットといった、新旧なんらかの意味で新しい個性を備えたミュージシャンが大勢混じっていた。これらのクラ奏者達のほとんどが――少なくとも一聴した限りでは――クールな音色とフレージングを追っていたことは彼等が残した幾枚かのレコードによっても明らかだが、その中にあって唯一人、チャーリー・パーカーの影響をモロに受けた形でヴァイタルな吹奏を志した例外的存在がトニー・スコットであった。
トニー・スコットは1921年の6月17日、ニュージャージー州のモリスタウンで生まれた。40年にジュリアード音楽学院を卒業したあと兵役にとられ、45年に除隊してニューヨークへ出た。この当時彼が仕事をした諸々のバンドの中にはバディ・リッチ、ベン・ウェブスター、チャーリー・ヴェンチュラといった一流グループが含まれているが、こうしたレギュラー・バンドのサイドマンとしての仕事のほかに、クラリネットを提げたスコットは夜な夜な52番街のクラブに出没してジャム・セッションの飛び入りメンバーとして腕を磨いた。この頃のスコットがいかなるスタイルで吹いていたかについては、現在わずかに残されたGotham、Heavenといったマイナー・レーベルの数曲に頼るほかないが、当時の彼が未だ本質的にはスイングの枠から抜け切れず、パーカーやベン・ウェブスターの長短所を併せ持った未完のプレイヤーであったのは事実のようだ。そしてそれを裏書きするかの如く、40年代末期のスコットはシンガーの伴奏グループの一員となったり、衰退期に入ったクロード・ソーンヒル楽団に一時参加したりして第一線の話題とは縁遠いままに数年を過ごしている。それだけに彼が53年のダウンビート・クリティックス・ポールでニュースターの首位に選ばれ、同時にブランズウィック・レーベルから秀れた録音を次々に発表するようになった間の舞台裏の推移には並々ならぬ努力の裏付けがあったと思うのだが、ともあれレコードで判断する限りに於いては、53年という時点に於いてトニー・スコットは完全に過去の弱点を払拭し去って居り、あらゆる楽器を含めて当時の最もエクサイティングなアドリブ・プレイヤーの一人にのし上がっていた。
 本アルバムにはそうした、いわばプレイヤーとして頂点にさしかかった頃のブランズウィック原盤の演奏が収められているが、53年の2月から12月に至るまでの間にスコットはフルバンド編成による演奏3曲、四重奏団の編成による演奏15曲を同レーベルのために吹込んで居り、「チェース」の裏面に収録された5曲と併せると、スコット・カルテットの名演はそのほとんどが陽の目を見たことになる。
SIDE : ONE
 
A面の4曲はかつて"Music After Midnight"というタイトルの下に発売されていた10吋LPの内容をそのまま片面に転写したものである。
 録音場所がジャズ・ファンお馴染みのバップの聖地ミントンズ・プレイハウスとなっているのはまことに興味深いが、この当時スコットはいわゆるGigとして短期間このクラブに出演して居り、この録音が行われて間もなく、彼はデューク・エリントン楽団に単身参加するためにグループを解散している。
 アレンジは恐らくはディック・カッツが担当したものと思われるが、さり気ない構成のうちにスコットのクラリネットが十二分に生かされている。
 "Katz' Meow"はタイトル通りディック・カッツのオリジナル。副題に(A Cannon For Cats)とあり、ミルト・ヒントンの提示した主題をクラとピアノが受けるというカノン形式の合奏の後、ソロ・コーラスに入る。
 "After After Hours"はスコットのオリジナル。バックのかすかなざわめきが、ミディアム・スローのこの演奏に絶好の雰囲気を与えている。ヒントンのベースも誠に強力だ。
 "I Never Knew"は古いスタンダード・ナンバー。後半クラとドラムの4小節チェンジが2コーラス続いてハイライトを形成する。
 "Away We Go"もスコットのオリジナル。速いテンポに乗ったスコットの快演が聞きもので、四者の渾然一体となったラスト・コーラスも凄い。
●SIDE : TWO
 こちらは"Tony Scott Quartet"と題された10吋LPから「チェース」の裏面にピック・アップされた3曲を除いた全曲を収録している。
 "Blues For Ava"はスコットの自作で、この頃のスコットが技術的にも全く完成されていたことを示す素晴らしい演奏である。40年代のスコットはアイディアについて行くだけのテクニックがなく、それがしばしばスクィークの形で現われて興を殺いだが、そうした過去の欠陥はもはや完全に霧散し去っている。
 "It's You Or No One"は映画「洋上のロマンス」の主題曲で、快適なスインガーに仕上がっている。
 "I Cover The Waterfront"はお馴染のジョニー・グリーン作のバラードだが、ピアノのイントロに次いでノン・ビートのクラリネット・ソロとなり、やがて緩やかなリズムが入って瞑想的なムードを盛り上げて終っている。
 "Yesterdays"も高名なジェローム・カーンのバラードだが、ここでは初めの半コーラスをリズムレスで扱って、次いでテンポを早めてクラ→ピアノ→クラの順でソロをリレーしている。モダン派のバラード演奏というのはとかく単調で味気ないものに流れ勝ちだが、ベン・ウェブスターを敬愛するスコットは、さすがに自信を持ってこれら2曲のスタンダード・ナンバーに取組んでおり、その姿勢が無言の裡に聞き手の心を掌握してしまう。イエプセンのディスコグラフィーでは4曲共、アール・メイのベースとしているが、ここでは原盤ジャケットの通り、パーシー・ヒースの記載に従う。
 ブランズウィックに於けるこれら一連のすばらしいレコーディングを終えたあと、翌54年の暮よりスコットはRCAレーベルに転じて、なお何枚かの傑出したアルバムを創ったが、ハード・バップの全盛期に入ってからは、前記の如くクラリネット自体が斜陽の楽器となり、バリトン・サックスを併用してのスコットの努力も空しく、時代はいつしかこの有能なミュージシャンを半隠遁の生活に追いやってしまった。スコットは一時期わが国にも仮の住居を求めたことがあったが、今ではその事実すらも若いジャズ・ファンの記憶の底から消え去りつつあるに相違ない。
○サイドメンについての紹介が遅れてしまったが、ピアノのディック・カッツは今も第一線にあり、近年はリー・コニッツの数少ない実演の機会に良きパートナーとして協力している。J&Kやオスカー・ペティフォードとも仕事をした有能なピアニストである。
 ベースの三人のうち最長老のミルト・ヒントンも今なお元気で活躍しているが、リズムマンとしての彼が第一級の腕前の持主であることはこのアルバムを聞かれたすべてのジャズ・ファンが賛同されるところであろう。30年代の後半にキャブ・キャロウェイ楽団に在って名を挙げた彼が、トニー・スコットやバディ・デフランコといったモダニストたちと共演して少しも異和感を抱かせなかったという事実は誠に偉大である。パーシー・ヒースアール・メイについては特に紹介の要もあるまいが、この録音が行なわれた当時、前者はMJQ、後者はビリー・テイラー・トリオの一員であった。
 ドラムのフィリー・ジョー・ジョーンズオシー・ジョンソンについても贅言を要すまいが、フィリー・ジョーがクリティックス・ポールのニュー・スター第一位に選ばれたのが57年であったことを考えると、このアルバムに聞く好演が改めて立派なものに思えて来るではないか。

                    [解説:粟村政昭]
(1972年筆)

註 "Yesterdays"の曲目解説中にある「自信を持って」の原文は「自作を以て」、最後のドラムの解説中「57年であった」の原文は「57年であた」。その他の表記の揺れは原文のままで、敢えて統一していない。


→粟村政昭
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