Joe Bushkin / Piano after Midnight
(CBS Sony SONO50447 ―Dig Seriesによる1972年の再発
現在はアメリカのCollectables から「Piano Moods/After Hours」の表題で、2in1 のCDとして出ています。)

 筆者は1972年の時点に於いてさえ、なお日本のジャズには良い点をつける気にならない頑迷なジャズ・ファンだが、ジョー・ブシュキンとバック・クレイトンが共演したこのアルバムを聞き直してみて、益々自己の意見を堅持する決心を固めた。まあこの種の個人的な御趣味論を開陳するのはいさヽか差し障りも多過ぎるし遠慮するが、ともあれジョー・ブシュキン、バック・クレイトンといったヴェテラン中のヴェテラン二人がさり気なく組んでマイ・ペースの演奏をやり、しかもそこに第一級の問題作にもヒケを取らないぐらいの緊張と寛ぎが漂っているとしたら、日米の同じ様な立場にあるミュージシャンを比較して、彼我の実力の開きにやヽ悄然たらざるを得ない。尤も悄然となるべきは筆者ではなく他の人々であるかもしれないが、いずれにしたって”軽く演っただけで”こんな気分のいいレコードを作られてしまったのではどうしようもないといった感じだ。この一枚はこれまでに発売されて来たディグ・シリーズの諸傑作の中では比較的軽量級のアルバムであるには違いないが、真の意味でのイージー・リスニング・ジャズとしていつまでもジャズ・ファンに愛され続ける小品であろうと確信している。

 では初めに本アルバムに収められた三つのセッションの録音データを御紹介しておきたい。盤面の配列はクロノロジカルにはなっていないが、これは演奏内容を考慮して原LPのまヽでよいと判断したヽめである。

 Here In My Arms (A-4)
 Pennies From Heaven (A-5)
 Every Day Is Christmas (B-4)
 The Lady Is A Tramp (B-5)
   Joe Bushkin (Piano)
   Sid Weiss (Bass)
   Morey Feld (Drums)
       NYC. July 27. 1950

 If I Had You (A-1)
 They Can't Take That Away From Me (A-2)
 California, Here I Come (A-6)
 Dinah (B-1)
   Joe Bushkin (Piano)
   Buck Clayton (Trumpet)
   Eddie Safranski (Bass)
   Jo Jones (Drums)
       NYC. July 31. 1951

 At Sundown (A-3)
 O'l Man River (B-2)
 Once In A While (B-3)
 High Cotton (B-6)
   Same personnel as before
       NYC. August 7. 1951

 ジョー・ブシュキンというピアニストは、いわゆるビッグ・ネームではないけれども、少しでもジャズを聞きかじったことのある人ならば必らず一度はそのプレイを耳にしたことがある――といったクラスの中堅ヴェテラン・ミュージシャンの一人である。
 ジャズ・ピアノの父と言われたアール・ハインズの影響は白人黒人を問わずスイング時代の無数のピアニストの間に浸透して行ったが、そのハインズからジェス・ステイシーに一本の線を引き、そのまた下流に――というよりはハインズとステイシーの両方から線を引いたあたりに位置するのが、このジョー・ブシュキンとメル・パウエルの二人ではなかったろうか。ブシュキンとパウエルの双方が共にディキシー系のバンドで活躍した前歴を持っているのも興味深いが、考えてみるとスイング・イーラには、こうしたタイプのピアニストは彼等の他にもまだ随分大勢いたのである。いわゆる”時勢に遅れをとったミュージシャン”というのが目立ち始めたのは、矢張りビーバップの発生を見てからのことであった様だ。 

 ジョー・ブシュキン 1916年の11月7日、ニューヨーク市に生まれた。
 ベニー・グットマンの兄アーヴィング・グッドマンのバンドに加わって弾いたのがプロ入り最初の仕事だったと言われているが、35年にThe Famous Doorのインターミッション・ピアニストとなり、次いで同クラブでバニー・ベリガン・アンド・ヒズ・ボーイズに加わったあたりから次第にジャズ・ファンの注目を集める存在となった。
 36年の夏頃からエディ・コンドン・グループと共演する機会が多くなったが、37年の暮にジョー・マーサラに起用された時にはピアノと共にトランペットも手にしていたと言う。尤もブシュキンはその後も空軍バンドや64年のタウン・ホール・コンサートなどでトランペットを吹いているから、彼自身としては殊更奇異とするほどの両刀ぶりではないのかも知れない。
 38年の4月から翌年の8月まで、バニー・ベリガン楽団に参加。次いでマグシー・スパニアの歴史的なラグタイム・バンドの一員として数ヶ月を過ごしたが、このバンドがビクターに残した極め付きの名演十六曲のうち、計十二曲にブシュキンのセンシティブなピアノ・ワークを聞くことができる。
 40年の初めにトミー・ドーシー楽団に迎えられたが、42年の1月からは前記の空軍バンドに在ってトランペットを吹いたり、リーダーとなったり、”Winged Victory”ショウのミュージカル・ディレクターを務めたりして活躍。それ以後はファンの話題を攫う様な第一線の仕事からは縁遠くなったが、その中では49年の10月から50年の5月まで上演されたブロードウエイの"The Rate Race"で演奏者並びに演技者として名を連ねた経歴が異彩を放っている。
 53年に数ヶ月間ルイ・アームストロング・オール・スターズに籍を置いた以外、五十年代六十年代の大半は自身のコンボを率いて各地のクラブに出ていたが、近頃はハワイやロンドンに居を移して、その消息を耳にする機会も次第になくなってしまった様だ。
 レコードは前記の諸バンドに加わってのものヽ他、40年の5月にコモドアに入れたピアノ・ソロ四曲が好評を博したが、これは今日可成り入手困難となっている。五十年代の中期以降はキャピトル・レーベルあたりを中心に、専らイージー・リスニング風の可もなく不可もない演奏を沢山吹き込んでいるが、これは現実の音楽活動の内容をそのまヽ反映したものと見做せるかも知れない。
 ブシュキンは50年の11月からニューヨークのThe Embersというクラブにカルテットで出演していたが、これが非常な好評で、契約は次第に延長されて異例の長期出演となった。このアルバムが録音されたのは時期的に見て丁度その頃にあたる訳だが、クラブでの好調さを物語るかの様に、一聴サラリと演じていながら底に筋金入りのジャズ屋魂をのぞかせているあたり、名人バック・クレイトンのいつに変らぬいぶし銀のような音色の魅力と共に流石だと言うほかない演奏に仕上がっている。 

 本アルバムの大半を占めるカルテットのセッションでは、上記バック・クレイトンと共にエディ・サフランスキー、ジョー・ジョーンズの両ヴェテランが巧みにブシュキンのピアノをサポートしているが、彼等三人のバックグラウンドについては、こと改めて紹介の筆を執る必要もないかも知れない。
 バック・クレイトンは1911年11月12日生まれの大ベテランだこのLPが吹き込まれた頃に丁度四十歳という願ってもない円熟期にあった。彼は36年から43年までをカウント・ベイシー楽団のスター・ソロイストとして過ごし、兵役期間の終わった後はJATPグループの一員として欧米各地をサーキットして過ごしていた。このセッションが行われたあと二、三年して有名な”バック・クレイトン・ジャム・セッション”シリーズが企画され、中間派ジャズの一方の旗印として再び彼の名がクローズ・アップされて来たが、この間の事情についてはディグ・シリーズ中に組み入れられた日本編集の傑作譜を通じて既にファン諸氏も十二分に御承知のところであろう。
 ベースのサフランスキーは1918年12月25日の生まれで、37年にプロ入りし、スタン・ケントン(45〜48年)、チャーリー・バーネット(48〜49年)に於ける活躍で知られた素晴らしいテクニシャン。ケントン時代に彼自身の名を冠した「サフランスキー」というペース・コンチェルトがあったが、後に有能なスタジオ・ミュージシャンとなった彼の融通性は、ここでも何の違和感も抱かせない過不足なき協調ぶりとなって現われている。
 ジョー・ジョーンズも御存知カウント・ベイシー楽団以来の高名な名ドラマーで、1911年10月7日の生まれ。ベイシー楽団、JATPと、バック・クレイトンと似た様な道を辿ったあと、折からのベイシー・リズム復活の機運に乗って数多くの中間派セッションに要として迎えられた。スイング時代を通じて最良のドラマーの一人に数えられて居り、その独特のハイ・ハット奏法は無数の後進達によって模倣され称賛された。ブシュキンのコンボにもレギュラーで加わった経験を持っている。
 トリオのセッションで顔を合わせているシド・ワイスモーレイ・フェルドの二人もこの種の演奏には絶好のパートナーと言えるだろう。

 レコードはバック・クレイトンの加わった八曲を軸として、トリオの小品がテェンジ・オブ・ベースの役割を果たしつヽ廻転して行くが、全編とりたてヽ注釈を付すべき特異な演奏もなく、クレイトンとブシュキンの緩急自在の息の合わせ方がすべてを支配しているといったムードで万事が進行する。尤もそういうことになると、では一体何のために規定の枚数一杯まで禿筆をふるってジャケット裏を埋めねばならないか――ということになってしまうが、「音楽聞くのに余計な解説など要らないよ」と言わんばかりのLPが筆者に廻ってきたあたりは、こりゃまた近来の不幸とでもいうべき魔の配剤でありましたね。


→粟村政昭
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