変温動物の悲哀(2000年9月)

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おもて
最終更新 2000/9/25 23:28
もくじ (〜8/7)

9/1

マーフィーの法則によると

近日中にも昔の非常勤先に関係のある人から連絡があって、その関係の書類が必要になるはずである。

 

 

skeleton in the closet my room

捨てても誰にも文句は言われない。今後、自分の内面的な理由以外にそれが必要となることは決してない。完全に忘れ去ってしまうのも少し恐いのだが、直視する勇気も持てない。見てしまったら、自分が鬼畜であることを生々しく思い知らされてしまうもの。普段はその存在すら忘れているが、たまに何かの拍子に目に触れて戦慄し、すぐにもとあったところに戻すもの。無地の大きな袋とか小さな段ボール箱とかに入っていて、時々袋/箱ごと場所を変えるもの。

今回の大掃除では、そういうものをかなり処分した。今回切り刻んだのは、大体が1990年代半ばに発生したもの。

シュレッダーが大活躍。

 

 

ぐったりその2つづき

増大中。もう少しで極限に達する。それは避けられない。その後は目に触れないようにすることだけはできる。


9/1その2

ドラマにおける妊娠とつわり(8/31)生理の遅れ(9/1)

男性中心の見方というのは否定しませんが、それとは別に…

「かなり鈍い人でも目で見て分かるような何かが起きる」という場合の方が、「何かが起こらない」あるいは「起こっても他の人にはなかなか分からない」というのより、ドラマを作る方としては作りやすいのではないかしらん。とくに、妊娠ということを言葉で説明するのではなく、起こった出来事を通じて見る人に分からせたい、という場合には。

まあ

「他の人にはなかなか分からない」というのはキミが特別に鈍感な鬼畜だからであって、普通の人は分かるものなのだ。

とか、

「他の人にはなかなか分からない」というのはキミが男性だからであって、女性はぴ〜んとくるものなのであって、そういう男性の無神経さに私たち女性は日々苦しめられているのだ。

とか、

女優の演技力の問題があって、「生理の遅れ」ということを見ている人にぴ〜んとこさせるレベルの演技ができる演技力のある女優とそうでない女優がいるのではないか。

とか、

そもそもドラマのストーリーの構成において妊娠という出来事にあのような(どのような?)意味づけを与えること自体が男性中心的なのだ。

とか、そういうコメントもあるかもしれませんが。もっとも最後のコメントは別問題ですが。

と、例によって勝手なことをほざき続ける鬼畜な男性オスの変温動物であるところの私なのであった。

 

 

というわけで昨日は

昔の非常勤関係の書類をばさっと処分したのであった。出席簿とか、成績原簿とか、学年末試験の解答用紙とか、欠席届とか診断書のコピーとか、返しそびれてしまった宿題とか。学生が手書きで書いたものをそのままごみとして捨てるのはちょっと心苦しいものがあるし、個人情報満載の書類もあったりするので、ぜ〜んぶシュレッダー行き。

1クラス50人で英語の授業をやるというすごい大学で、学生に手書きで名前を書いてもらった出席カード。それを切り刻んだわけ。なかには、名前を呼ぶと「う〜い」と酔っ払いのおやぢみたいな声を出して返事をしていた女子学生とか、「この学生は私に気があるのか知らん」という幸福な勘違いをさせてくれた女子学生とか、どうやらクラスのなかで一人孤立してさびしい思いをしていたらしくて挙げ句の果てに留年してしまった女子学生(落としたのはぼくの授業の単位ではないんだけど)とか、子分を何人か従えたボス格の女子学生とか、孤立しがちな留年生同士、互いの寂しさを癒すべく一緒に行動しているうちにどうやらカップルになってしまったらしき女子学生(さっきの人とは別)と男子学生とか、若く見えるけど実はぼくと同じ年の男子学生とか、そういう人がいたりする。

(女子のことばっかり書いているのはですねえ、薬学部だったんで、女子が多かったんですよ。)

その時その時でそれなりに一生懸命やっていたのだろうとは思うわけだけれども、それはあくまでもそれなりにでしかなくて。てゆうかあの頃と今とでは「教える」ということに関する考え方がずいぶん違うし、それに教歴がそんなに長いわけでもないのに授業の仕方が5年間で全然変わってないとしたらそれも嫌だし。

ということであの頃の自分に出会ってしまうと本物の鬼畜を見た気分になるのです。

 

 

土曜日は時計を買いに

パソコンの電源を入れると鬱になることに気がついた。

きれいな机は論文を読むことをアフォードする。せっかくこんなに勉強できるスペースがあるのに、Webなんか見てしまったらものすごくもったいない、と感じるようになった。

今必要なのは、パソコンに頼らなくても時間が分かるシステム。ということで、時計を買いに行くのだ。

 

 

Refererの謎とか

Refererで知りました。

蟲リンクで存在を知って、最初別の方が同じホストの別ディレクトリで書いてるのかと思ったのですが、うろうろしているうちにどうやら同じ方らしいなと。

あと、こちらからはった一回のリンクで、分かる人は分かったかもしれません。

 

 

『国語学』

きました展望号。コメントされた論文についてのぼくの鬼畜な自己評価はこちら

最近では個々の語の多義性についての研究にはほとんど興味がもてなくなってしまった。認知言語学の成果を利用した多義語シソーラス、どなたか作ってみませんか。恐ろしく大変な作業になると思うけど、ちゃんとした人がちゃんとしたプロジェクト組んでちゃんとやれば、面白いものができていろんなことが分かりそうな気がする。これまでの辞書の語義区分や語義記述の問題点とか個々の語の多義性についてのいろんな人のいろいろな研究のつまらなさ/面白さと(in)commensurabilityの評価とかといった学史的な評価づけやら、日本語の語彙体系そのものについての洞察やら、そういったものがぼろぼろと。ただ、そのあたりの面白さが味わえるのは、作業に直接関わった人だけかも、などとも思う。最終的にできあがったものをさら〜っと見るだけでは分からないことがたくさんあるのではないかしらん。そんなこんなで、「多義語シソーラスが作れれば面白いな」と、IPALやりながら感じていた。3年半前の話。

そういえば『分類語彙表』の多義語対応の話があったことを思い出したり。どうなったのかが思い出せないところがぼくらしいところ。


9/2

とけい

子どもの頃は、家中の時計が少しずつ違った時刻を指していて、どれが正しい時刻を指しているのか分からないという状況が許せなくて、どれも正しい時刻を指していないのかもしれないと思うと頭がおかしくなりそうな気がしたものだが、年をとったらそんなのどうでもよくなった。

子どもの頃は、「5時57分」という言い方は「もうすぐ6時」という言い方よりも圧倒的に情報価値が高いと思っていたが、年をとったらそれは逆ではないかと思うようになった。

 

 

にたようなこと

中学の頃だったか、はじめて「有効数字」というものを教わったときはショックだった。あまりにショックで、「これは学校で教わることだから正しいことは正しいんだろうけど、自分にはどうしても受け入れられない。テストとかのための知識として覚えておくことは覚えておくけど、日常生活ではやっぱり小数点以下たくさんの桁を計算して厳密さを追求するのだ」と決意した。

最近は、昔のぼくみたいな人に出会うと疲れるようになった。

 

 

にてひなること

小学校だったか中学校だったかで、大きな数字は4桁ごとに区切って表記するものだと教わった。その後、一般社会では3桁ごとに区切って書いているらしいということを知った。その時は、「日本語的には4桁区切りの方が自然なのにぃ!」と思った。その後、「でもカネの計算のときには、1万円というのは単位としてはでかすぎるのかもしれない。千円あたりが手ごろでいいのかもしれない」とも思った。

学振の頃、何かの拍子に科研費の書類の金額をうっかり4桁区切りで書いて出してしまったところ、下っ端文部官僚(←要するに国立大学の用度掛とかいうところの人)から冗談めかしたクレームがきた(てゆうか、アンタソンナコトモシラナイノ?という感じ)ことがあった。ぼくは、世間では3桁区切りを使うのだとは重々承知していたけれども、相手が文部官僚であるということで、あえて開き直ってみた。「学校では4桁で区切るように教わったんですよ」。

もし、「社会は学校とは違うのだ」という返答が帰ってきたら相手も文部官僚だから、「同じ文部省なのに矛盾してませんか。あなたは文部省の人としてそれでいいと思ってるんですか?」みたいな逆切れモードの悪あがきに走ってやる! とおとなげないぼくは密かに企んでいたのだ。だが、実際にはそもそも「学校で(少なくともぼくらの子どもの頃は)4桁区切りで教えていた」ということを信じてもらえなかったので、ぼくの企みは未発に終わった。しくしく。

 

 

不良債権(9/1)と不良債務

私の諸先輩方は、締め切りを守ると馬鹿をみるということを身をもって教えてくれました。今の私は先輩の教えに忠実に行動してます♪


9/3

プロフィール

こんなかんじ?

 

 

なんかやな予感

ちょっと。

 

 

わーいわーい

マイニッキエンジン。


9/4

研究費

まだ半分以上残って嫌がる。

 

 

華麗なるお絵書き意味論の世界

warpfigure.styがいまいち言うことを聞いてくれない。というか扱い方がいまいち分かってない。

 

 

「死んだらどうなるの」に似た話

「私の父親が、○山○男(仮名)ではなくて○川○彦(仮名)だったら、私はどういう人間になっていただろう」と思ったことはありませんか。

そして同時に、「でもそのときの「私」ってだれ?」と。

 

 

しごと人間

けんきう者という人種は自分のやりたいことを仕事にしてるんだから仕事人間であることを(誇りに思っていると公言するとイヤミと取られるかもしれないけど)恥ずかしがる必要はない、という話ではなくて。

大学関係のいわゆる「雑用」(実は(?)学部運営に関わる(重要な?)仕事)をやっている(といっても大したことは全然やってないので顰蹙を買っているのだけど)自分に酔う、ということがたまにあるのだけれども、これはやっぱり認知的な不協和の低減の一種なのだろうか。

 

 

システムの入れ替えって、大変そうですね。

日記猿人、やや不具合ありかも。


9/5

やっぱり変温動物の悲哀

さむい。

 

 

睡眠リズムが変

ねむい。

 

 

ふと思った

タイトルと著者名以外の書誌情報のない書評が何となく宙ぶらりんに感じられるのは何でなんだろう。

あるいは、「どの出版社から出ているか」「どういうシリーズに入っているか」から受ける漠たる印象って、どういう性格のもので、どれくらい当てになるものなのだろう。

 

 

昨日の日記猿人の話

ベータテストの話ではなくて、普通の猿人の話。「データがずれる」/「設定が勝手に変わって変更できない」というのがぼくもありました。ぼくのときは一行コメント変えてもう一回更新報告したら直った。それから最近一行コメントが平仮名ばかりなのは、漢字にするとなぜか文字化けすることが多いため。

 

 

wrapfigure.sty

あ、どうもありがとうございます。


9/6

最近見つけた気になるおもしろい日本語

「彼のアイコラ」。「彼」はアイドルではないらしい。

だからって、「こういう言い方をしてはいけません」と言いたいわけではありません。「下駄箱」とか「筆箱」とかに近いことが起こっているということ。

 

 

「日記廃人」

にするんだったら振りローマ字は``High Gene''か``Hygiene''がいいと思うのだけれども、でもそもそも「日記廃人」は嫌だったりする。なんか鏡を見せられてるみたいで。

アイドルではないらしい方とのやりとりの詳細はよく分からないけど、「下らぬことは改善せず」ということで改名賛成。

でもぼくはいい名称が思い付きません。

 

 

あまり関係ないけど

こちらの名称、けっこう微妙だったと分かったり。

 

 

2チャンネルの猿人改名の話

誰かが「(もし)…だったら」と書いたことを別の人が「やっぱり…だったな」と伝える。しかも、「…」の部分は真理条件的には同じなんだろうけど表現は違う。「(もし)…だったら」と書いた元の方にとっては迷惑千万だけれども、でも「引用」とか「噂」とかの観点からみると面白いかも。書き言葉でもこういうことになるんだから、話し言葉ではもっと… あ、でも話し言葉の場合は引用者が匿名になりにくいからもう少し慎重になるのかな? よくわからん。

あと、第三者の悪口を言い連ねるのはコミュニティの一体感を高めるのに効果があるのは分かるんだけど、でもこの場合のコミュニティってどういうコミュニティなんだろうかと思ったり。「名無しさん@1周年」同士のコミュニケーションってのも。

 

 

睡眠リズムがあいかわらず変

土曜日までには何とか…できるかしら。

 

 

解けない知恵の輪

自転車のタイヤのチューブを交換したいのだけれども、工具が見つからない。もしかして、おやじの車のトランクに入ってたかしら。でもあれってもう大分ナンバーだし。しくしく。

 

 

開通断念

部屋の入り口から机まで、何もまたがず、何も踏まずに来れるようにするのはどうやら不可能っぽい。


9/7

猿化け

そうか和風サイトの上の更新報告ページを経由しないで、ローカルに置いたhtmlファイルの中のフォームから強引にデータを送りつけてるのがいけないのか。 また人のせいにしてしまっていた。

でもパスワードとかいちいち入力するのめんどくさいなあ。

 

 

大人になってからの習い事

人はなぜ習い事をするのだろう。

 

 

やっぱり目指せ開通

今日は燃えないごみをまとめました。明朝収集。

部屋の入り口から机までの経路は、無理矢理作ろうと思えば作れなくもない状態。

 

 

りいち分散ねこぶんに

日付が8日になったばかりの時分、この間シュレッドした書類の別年度分が無傷のまま机のわきに転がっていたことが判明。日曜の夜にでも切り刻みますか。

同じ時分、燃えないごみを出しに行ってほっと一息ついていると、意味不明のACアダプターと当然捨てるべきCD-ROM発見。CDはもう一回ごみ捨て場行って出したごみの袋を現場で開いて中に入れてまた縛るだけでいいのだけれども、積み重ねた論文の陰で眠っていたACアダプターは捨てていいんだろうか。しばらく使ってないような気配だし、メーカーから考えておそらくは2年前にお逝きになったプリンタのものである可能性が高い…ということでCDと同じ運命。

つまり古くなった書類やいらないCDや使い道のないACアダプタなどゴミが部屋の中の一ヵ所にまとまってなくて、あちこちに分散しているのであった。

 

 

ど〜ゆ〜部屋に住んでるの?

こういう部屋に住んでるんです。事実上寝ることとパソコン動かすこと以外の行動ができなかった部屋が、今、生き返ろうとしてるんです。この掃除が一月前にできてれば良かったんだけど、あ、でもそれは無理。

ほんとは2月にやる予定だったんだけど、あの時は…

 

 

やる気ない面白くない意味ない

さあて何のことでしょう。 やおい じゃありません。

 

 

今月分の過去日記お探しの方へ

こちら。なにげに不定期更新中。


9/8

猿化け対策

ローカルの更新報告用htmlファイルの漢字コードをeucにしてみました。うまくいくかしらん。

 

 

けっか

formのsubmitボタンのvalueのところに漢字があるのが問題になるわけだけれども、猿人とテキスト庵はうまく行った模様。でもUltra Rankingはだめっぽい。別ファイルにするか?

gooのメールはvalueがカタカナなためか、ログインできました。

 

 

簡単なこと

更新報告関係とアクセス解析関係を分ければいいんだ。

 

 

両方必修にする予定の

私たちの運命や如何に。パソコンと読み書きと。

英語もつ人は読み書きはやらなくて良さそうな気配だが、パソコンは回ってきそうな気配が濃厚。嫌や。

 

 

やおい ってなに?

むか〜し昔の学部の頃、関わっていた塾に来ていた中学2年生の女子2人組がアニメ好きなひとびとで、いつも勉強しないでその関連の話をしていた。実は高校のときの同級生にもそういう人がいたので、女子中学生たちの口から飛び出す言葉の意味も何となく想像がつかなくもないかもねという状態であったのだが、一つだけどうしても分からないのがあった。やたら頻繁に出てくるのに全然分からなかった。それが「やおい」。

あるとき彼女らに「やおい ってなに?」と聞いたところ、返ってきた答えが

まなし ちなし みなし

であった。なにそれ。

言葉の由来も知りたくなくはなかったけど、でも。「やまがない」「おちがない」「意味がない」の三つの条件を満たすものであればなんでも「やおい」と呼ぶのか(つまり「どうしようもない駄作」みたいな意味なのか)とも思ったのだが、彼女らのふだんの会話から判断するとどうやらその解釈は正しくなさそうだった。で、どういうものを「やおい」というのかと聞いたところ、彼女たちは何となく言葉を濁して… 教えてくれたんだかくれなかったんだか、それすら覚えていない。女子中学生の口からは言いづらいようなものなのかしらん。

まあ、「やおい」の意味が分からなくてもあやしい認知科学者としての学究生活を送っていく上で大した支障はないだろうという楽観主義的な見方をぼくはしているので、別にどうでもいいといえばどうでもいいんだけど。

 

 

赤ん坊がむやみやたらと手足をばたばたさせているのをみて思う。

これだこれ。この活発だけど使い道のない無制約な動き。


9/9

女子高生向け多人数用けーたい(9/8)

この方が喜びそう。

 

 

あなたのスクリプトに合うのはどちら?

学会に行った。駅まで歩いたら暑くてとけそうになった。最初の電車は良かったが、乗り換えたあとの電車はクーラーがきき過ぎで、寒くてトイレに行きたくなった。それで途中下車して用を足した。降りた駅から大学まで、なぜか道に迷った。それでも遅刻せずについた。「絶対走ってはいけない」と思いながら行ったのだが、それでもつく頃には汗だくになっていた。前を歩いていた女性は全然あつそうじゃなかった。追いついてみると知り合いだったので、汗を拭き拭き挨拶した。我ながら、あまり格好のいいものではないと思った。部屋に入ると、クーラーがききすぎて、今度は寒くなったが、必死の思いで堪えた。話が終わって移動する頃には汗も乾き、気温も下がっていたので、快適だった。その後は普通に過ごしたが、帰りの電車で寝過ごして、タクシー代1860円也を払った。

学会に行った。途中でトイレに行ったり道に迷ったりしたが、それでも遅刻せずに着いた。受付で最近とある事情でお世話になった先輩に会ったので、お礼を述べた。最初の全体会は指導教官の話で、よくもまああんなにいろいろと読めるものだと思った。その後のワークショップでは発表する予定になっていたが、ほかの人の発表が長引いたりしたので時間がなくて、ぼくの発表は削られることになった。でも実は何を話していいのか分からなかったので、本当は嬉しかった。懇親会では指導教官に最近とある事情で迷惑をおかけしたことをおわびした。またワークショップの責任者に、ほかの人の発表についてのコメントを述べたりした。今まで話したことがなかった人とも話した。二次会では出版社の人と話した。ちょっと飲みすぎて帰りの電車で乗り過ごして、最後はタクシー代1860円也を払った。

明日は二日目。今日よりもっと早起きしなくちゃいけない。


9/10

学会二日目。

午前中個人発表、午後シンポジウム。予定通り(?)遅刻。一人目の発表は聞けませんでした。

昨日より一つ手前の駅でトイレに駆け込む。昨日よりつらかった。

以下順不同に。

とある論争。去年ここでこんな謎めいたコメントだけ書いて結局メールは書かなかった件、書いておけばよかったと思った。

とある話。レオ様(というのは純粋に受け狙いの書き方であって、「様」をつけているからといって心酔しているわけではない)の二分法が効いてくることに対する注意が必要。一方のタイプの言語は半自動的にハンディを背負うことになりかねないが、それでいいのか。「それでもいいのだ」という結論に落ち着く可能性もあるが、ともかく一度明示的な検討が必要。

とある話。昼休みに発表者に会ったので、発表内容と関係がありそうななさそうな、でも少なくとも別の現象であることは明らかなとある現象についての自説を開陳するという大顰蹙な行為に走ってしまった。だって、昼休みなんだもん♪

「とある」ばっかりで何についてのコメントか分からないかもしれないけれども、それはわざとなのである。

複数の発表で積極的に質問していたとあるお方。堂々たる外しっぷりは昔とちっとも変わっていないようでした。最初の(←この「最初」はぼくの知る限りでの最初ということ)発表の方は困惑しながらも誠実に答えていらした。素晴らしい。後の方はさらっと流された。正解。あの質問の方、なかなか意欲的な方ではあるんだけど、ちょっとなあ。外すんだったら昼休みまで待ちませんか、ぼくみたいに♪ てゆうか外れてるってことが分かってないのが問題なんだが。

合間にひつじ書房で本を買った。領収書をくださいといったら、ちゃんと名前を間違わずに書いてくださった。編集の仕事をやっておられる方はへたな言語学者よりも日本語に対する姿勢がしっかりしているということかしら。

今日は昨日よりも早起きしたにもかかわらず、会場では一睡もせず。(話聞きながらほかのこと考えてた時間はあったけど。)帰りも一睡もせず、余計な出費もなし。


9/11

立派すぎる名前

外国人に自己紹介するとき、「彼の下の名前は``Enlightenment''という意味なんだ」などと横から余計な注釈を加えてくれる人がたまに怨念。めちゃ嫌やわん。

 

 

わ〜お

学会、こっちだけでなくこっちも重なってたんだ。

 

 

反逆者

しっぽの動きが気になってテキストに集中できないのは、撹乱作戦が見事に成功しているということなのか、それとも反逆のポイントがずれているということなのか、それともぼくの知覚機構が変なのか。

最後の可能性がまじで捨てられないというところが悲しい。

 

 

そうだそうだメール

今から書きます。発送は明日になると思います(8分では書けない)。

それからメールの内容とは関係ないことで、このまえ言い忘れたこと。「主」は「あるじ」と読むような気もする。

と、なぜか日記ねたで終わる本日の悲哀。


9/12

そいえば昨日思った。

Chafeはえらい。

横にばあ〜って線ひいて右端に矢印かなんかつけて左の方が過去右の方が未来真ん中辺が現在、ってゆう図で時制を理解しようとするのは前も書いたように隠れ客観主義に基づく極悪非道なお絵書き意味論の典型で、しかし愚劣なわりに当然視されて広く支持されている(らしい)という点でいわゆる古典的なカテゴリー観にも匹敵するものである(そこまで言うのだ)と私は思うのだが、学会会場で買った本をちらっと見た限りでは、Chafeはそれには引っかかってないようです。てゆうか引っかかってないどころか明示的に批判している。

1994年の本、そのうち読もう。けんきう室にあったかしらん。

 

 

似顔絵捜査官

一般人のわけわかんない言語的な描写をもとに見たことのない人の顔を書くスキルって、どういうものなんだろう。あと、共同想起の問題としても面白いかも。

 

 

ウィンドウズCUI化・脱マウス化計画

これ導入。ぼくの感じとしてはDOS版FD+MIEL+VZ+LaTeX+lhaで作業していた時代が一番頭がよかったような気がするので、入れてみたら、なんか懐かしいを越えて古色蒼然たる雰囲気になってしまった。ちょっと後ろ向き。

でも悪くないかも。

 

 

続くかどうか分からない連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その1:前史その1

小学校5年生のとき、近所の大学生に英語を習いはじめる。その人はのちに中学の英語教員になった。


9/13

「主体的立場」と「観察者的立場」((c) 時枝誠記/三浦つとむ)と図地分化

やっぱ消します。2000/9/14 0:34

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その2:前史その2

中学2年生のとき、小学生のとき英語を教わった近所の大学生の後輩に当たる人が中学での英語の担当になる。その人に、3年生のときも教わる。

中学3年生のとき、賢い国語教師に当たる。その人の出身高校に、のちにぼくも紛れ込むことになる。

中学2年生までは将来を嘱望された理科系少年であった。愛読雑誌は電波新聞社発行の『ラジオの製作』。秋葉原のパーツ屋さんに行くこともあった。のちにラネカーの本でrule/list fallacyという話を読んだときに最初に思い出したのは、「茶っ黒ダイは10キロオーム」だった。って言っても誰も分かってくれないかもしれないけど。

 

 

連載企画についての自注

何でいきなり自分探しなんてかっこ悪いことを始めてしまったんでしょうね。


9/14

そして今度は論文の整理

をしました。部屋の掃除の延長…ではなくて、とある論文の抜き刷りを捜していたのです。捜しているうちに、いつのまにか整理モードに突入していました。

超整理法は採用しない主義なので(てゆうか昔採用して「こりゃ駄目だ」と思った)、カテゴリー分けします。といってもずっと前に整理した分はほとんどさわる必要がないので、ここ何年かの間に執筆の際に参照したり新たに入手したりものだけを主に整理すればいいのです。それでも結構な量だけど。でもわりあい順調に進んで、でもいい加減くたくたになった頃に「終わった!」と思ったら次の瞬間未整理の箱を一つ発見。ひととおり中身を確認したあと、大きく「未整理」と書いて今度こそほんとに終了♪

部屋の床の、物置になっていない部分の面積は確実に増えました。

それからそれから、とある方の同一の論文の抜き刷りが3つ見つかった(自分で取ったコピーもいれると4つ)というのは秘密にしておきたいです。自分で取ったコピーは自分で取ったものだ(当たり前だ)からまあいいんだけど、抜き刷りってのは、ご本人から直接いただくものです。つまり同じものを3回いただいたということです。失礼な鬼畜です。まあ抜き刷りってのはたまりがち(著者自身の部屋に、ってことですが)なものなので、消化に協力したということでいいことにしていただけますか?

んで、肝心の捜していた論文の抜き刷りは見つかったかというと、それが見つからないのです。実は自分の論文なんですけどね。

やっぱあれはもともとこの部屋にはなくて、研究室までいかないと駄目なのかなあ。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その3:前史その3

中学3年生の夏。東大文学部中退の(自称?)小説家志望の塾教師に出会い、高校生に混じって英語を教わりはじめる。高校3年の終わりまで3年半習いつづける。その人は今は某県で自分で塾を経営しているはず。頭脳明晰な人。

同じ頃、小説を書きはじめたクラスメートに触発されて、ぼくも書きはじめる。間もなく、彼の方がぼくよりもはるかに文才があることを悟る。これは何とかしなければと思い、旧仮名と旧字舊假名と舊字で文章を書きはじめる。どういう思考回路をしていたんだかよく分からないが、とにかくそんなある種一発逆転ねらい的な奇行に出る。テキストは福田恆存の『私の國語教室』。周りから(ますます)変な奴だと思われるようになったが、構わず。

この年の年賀状は教師宛てのものも含めてすべて旧字旧仮名で書いた。高校入試の解答は、世を忍ぶ仮の姿として現代かなづかいと新字で書いた。あくまでも世を忍ぶ仮の姿としてである。世渡りのために周囲と自分を偽るくせはこの頃すでについていたらしい。そのわりには当時も今もものすごい世渡り下手なのだが。

あのえれくとろにくす少年は本当にどこにいってしまったんだろう。

卒業文集で、「25歳で発狂して30歳で狂死する」(←今では差別用語?)と予言した。それからいくと、今は死後の世界か。でもまだ死んだ気はしてない。ということはゾンビか。せめて余生くらいにしておいて欲しい。


9/15

開通

論文ボックスの配置をちょっと変えたら、部屋の入り口から奥の机まで何も踏まず、またがず来れる経路が開通。でも寝るときにまた移動しなきゃいけないんだけど。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その4:高校時代

高校に入る。迷わず文芸部に入る。文才がないことを認めることができず、なんとなく本気で小説家になるつもりでいたらしい。ある時部室で昔の機関誌を見ていて中学3年生のときに教わった賢い国語教師の名前を見つける。なぜか「やっぱりそうか」と思う。

そこで暮らしているうちに、自分は創作向きでないとあらためて悟る。英語の成績は悪くなかったので、翻訳家に志望を変更する。

文芸部の顧問から、「お前はサラリーマンになっても絶対出世できないから、学者になれ!」と言われる。「翻訳をやりたい」と言ったらそれもいいみたいな返事だったかな。

外語大を受けるか東大を受けるか迷った挙げ句東大一本で受験し、順当に不合格。浪人生活へ。

 

 

赤ん坊

また遊んでもらいました。隣に寝転んであやしているとこっちが眠りそうになってしまう。


9/16

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その5:浪人中その1

お茶の水にある某予備校に紛れ込む。「何でブンサン(おもに文学部と教育学部にいくコース)なんて受けたの?」という周囲のお馬鹿にして答えがいのない質問の相手をするのに疲れたので、

(結局は「やりたいことがあって、それができそうな環境があるから、そこを目指す」ということなんだけど、それに対して「偉くなりたいと思わないの?」なんて返された日にゃ〜。うんざり。)

(*):当時は翻訳をやるには文学部か外国語学部に行くべきだと信じ込んでいた。

模擬試験とかでは世を忍ぶ仮の姿として「ブンイチ(法学部にいくコース)志望」と書いていた。「何でブンイチに変えたの?」と聞いてくる人がいたかどうかは覚えてないけど、いなかったんじゃないかなあ。

相変わらず翻訳家志望。某シェイクスピア学者の書いた翻訳マニュアル本を読んでいたら、

変形文法(←昔はこう言っていた)というのが翻訳の役に立つ。深層構造というレベルまで落としてそこで日本語訳を考えると、自然な日本語になる

というようなことが書いてあった。

また、当時やっていた通信添削のある号の国語の教材

(てゆうか国語はとってなかったんだけど、その会社のやつは自分のやってない科目の問題と解答解説が見られるシステムになっていた。)

を見ていたら、記号論関係の文章が教材になっていて、出題者の解説には

20世紀は記号の時代。変形文法なんて記号ばかりだ!

みたいなことが書いてあった。「記号」というものに対する知識が何にもない人間がこれを読んだときにごく当たり前に陥るであろう誤解に、ぼくもはまりました:

変形文法というのは記号論の一翼を担うものに違いない!」。

じつに罪作りな解説である。どうせどっかの院生あたりがバイトで作ったシロモノだったんでしょう。

そんなこんなでさっそくとある変形文法の入門書を読む。ところがこれが、

killはCAUSE TO BECOME NOT ALIVEから派生されるのだ

という路線の本でした。「生成意味論」というやつ。これは先のシェイクスピア学者氏の発想に通じる路線ではあったんだけれども、でも実は「通じる」というレベルを越えてもっとずっと先に逝っちゃったレベルのものでもあった。度肝を抜かれました。とにもかくにも読み終わったときの感想は、

まるでジグソーパズルだ」。

そのココロは「対象の構造を反映しない恣意的(←日常語としての意味)な分割」。

あと変形文法が記号論と関係しているらしいということで念のため池上嘉彦氏の『記号論への招待』も買って目を通したけど、当然のことながら変形文法との関係は分からないまま。

こうして書いてみると、思わず笑いたくなるような迷走ぶりである。これだから独学はあぶない。

 

 

買うべし

わりとよく引かれる本だと思う、これ

 

 

見つけたにゃりにん

うめちゃん

 

 

「東国東郡」って読める?

「ひがし○○○○ぐん」と読みます。


9/17

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その6:浪人中その2

実は変形文法の入門書を読んだ直後に、「変形文法論者よ、本書に反駁せよ」という挑発的な宣伝文句を掲げていた本を見つけ、さっそく買って読んでいた。それが宮下真二(1947〜1982)という英語学者の『英語文法批判』という本で、時枝誠記の言語過程説に三浦つとむが手を加えたものを受け継いで英語に適用しようとした研究。わけ分からない部分も多かったが、CAUSE TO BECOME NOT ALIVEの変形文法の本よりははるかに面白かった。それはただ単にあのむやみに独善的で気負いの目立つpolemic/provocative/militantな文体にひかれただけではないと思う。これがのちにその関連の本を読み漁るきっかけとなる。

この人が自ら命を絶たずに今も生きていたら、今の認知言語学の状況をどんな気持ちで見ていただろうかと思うことがある。

翻訳の本も読んでたけど。

 

 

番外編

何となく本名で書くことに疲れて、でもこれまでのしがらみをまったく断ち切って新しいキャラクターを立ち上げる気力もないので、名前だけ変えました。

「いかにして」とあまり関係ない話なので飛ばしたけれども、高校は公立の男子校。「実質4年制」と言われていた。最初の三年間を高校で過ごし、最後の一年間は予備校で過ごす、という意味で。

 

 

夏休み気分、吹っ飛ぶ。

学生からメールがきました。速攻でお返事。あと一週間したら授業開始なのだ。

 

 

秋のきょ〜ぢゅ会

出てほしくない類いの議題が出そうな予感。出るという具体的な根拠があるわけではないけれども、状況的には出てもおかしくはない。もし出たら、とりあえずなすすべもなく嘆くことになるのでしょう。

ちなみに、反対方向の議題が出るのは確実。


9/18

新宿の紀伊国屋のTOEIC対策本コーナーを捜したのだが、うめちゃん氏の本はなかった。見つかったら速攻で買って、「ほれほれ」と本人に見せびらかして息の根を止めてあげるつもりだったのに。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その7:学部前半

家族の期待まで裏切って、文学部進学コースに入学。相変わらず翻訳家志望。だがクラス名簿の将来の夢のところには「宮下真二の後継者?」などとはてなマーク付きで書いてたりする。定まらないやつ。

結局、宮下真二路線で本を読む。三浦つとむ、時枝誠記、その他。一言で言うと「言語過程説」系と「三浦つとむ」(!?)系の本。前者の関連の本は時代遅れ、そして後者の関連の本は、時代遅れに加えてアングラな臭いがぷんぷん立ち込めていた。どういうふうにアングラなのかは、分かる人は分かるでしょう。分からない人は気にしないで。

フランス語圏現代思想がらみの本に全く近づこうとしなかったのは、良かったのか悪かったのか。きっと悪かったんだろう。

翻訳家? う〜ん、その選択肢も捨ててはいません(というレベルの話になってしまった)。

中学のクラス会でいろんな人をびっくりさせる。あの理系少年はどこに行ってしまったの?

某所で夜中の2時過ぎまで酒を飲んで始発で家に帰って、出勤していく親と入れ違いに布団に入るということを繰り返していたこととか、人を好きになったこととか、「これまで異性に対して恋愛感情をもったことがない。「好き」という気持ちがどういうものか分からない」という人に出会ってびっくりしたこととかは、「いかにして」とはあまり関係ない。あ、でも、中学3年生の夏に出会った東大文学部中退の(自称?)小説家志望の塾教師は人を引き付ける魅力のある人で、夜中の二次まで一緒に飲むひとびとの中心にいた。その人にはいろいろ相談したりとかしていたかも。

私にMandana氏の本名を教えてくれた人(←すごい紹介の仕方だが、こういう状況なので、許して)とは、まだ出会っていない。

だんだん、かきづらいょ〜に近づいてきた。突然止めるかもしれませんが、その時はあしからずご容赦ください。まあ、「あんなもん書いてる暇があったら…」という声がぼくに向けられているように聞こえたのは空耳か自意識過剰に違いないんだけれども♪


9/19

んなもん書いてる暇があったらん

あらあらあらあら某ご本家が。

 

 

んなもん読みに行ってる暇があったらん…

見に行く私もわ・た・し♪

日記ではなくて掲示板ですが。

 

 

4倍返し

とある方に論文をお送りしたら、4倍になってかえってきた。「手に入りにくい」という理由で読んでいなかったものも入っていて。

う〜ん、不肖の弟子。

 

 

ところで

サディーちゃんプロジェクトはこちら。下書きの公開はやめます(←いつものパターン)。

 

 

公開講座

10月21日は私の番なのである。エコロジカルセルフの話をしても仕方ないので、テクスト論なのである。読んでもらう文章の量が多いので参加者にはあらかじめ資料を郵送して目を通しておいてもらいたいと担当の部局に打診したら、「当日飛び入りでの参加も認めているからそれはちょっと」という返事なのである。ということできっと時間が足りなくなるのである。非常勤で端折らずに話すと2週か3週かかる話なのである。無謀。

どこをどう縮めようか。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その8:学部後半

思うところあって、続けることにする。同じものを違うところから違う人が見ると、全然違って見えるという話。

音声学と比較言語学が必修!?」という学科は避けた。昔時枝がいた学科はやたら地味そうだったし、当時スタッフは2人しかいなくて授業内容をみた感じではどちらも時枝っぽい理論的な授業ではなさそうだったし、ということで第二志望に回した。結局進んだのは第一志望の英文。

ぼくがとった「英語学概論(長谷川きんすけ欣佑先生担当)」の授業のノートのコピーを名前も顔も全然知らない人が持っているのを発見。1、2年のときにしょっちゅうそういう目にあっていた同級生がいて、「でもそれはみんなから評価されてるってことなんだからいいじゃない」なんてぼくは言っていたのだけれども、いざ自分がその立場になってみると心の底から喜べる話でもないと思った。「概論」は必修で文学の人もとらなければいけない科目だったのだが、英文全体の中で英語学を専門にする人は学部生では1割程度だったと思うわけで、残りの人にとっては「わけわからん」という感じだったのかも。

でもあれはとってもいい授業だったと、ぼくはあの頃も思ったし、今も思っている。長谷川先生の理論は「英語の事実をきちんと捉える」ということに主眼があったので

(「記述的妥当性を置き去りにした説明的妥当性なんてだめ」という発想。)

ちゃんと聞いてると自分の英語力もアップする、という感じだった。信じてくれる人がいるかどうか分からないけれども、ぼくが英語の文体感覚を身につけたのは長谷川先生の統語理論の授業だった、

(プラス福地肇氏の『談話の構造』)

と自分では今でも思っている。

学部の英語学演習は教職の必修科目だったのでこれにも文学の人が流れ込んできて異様な雰囲気になっていた。descriptionを「描写」と訳したり(言語学では「記述」と言います)とか、読んでたテキストの著者のことを「作者」と言ったりとかするひとびと。ぼくも文学の授業では恥をかいていたに違いない。

でも生成文法というのは時枝/三浦/宮下とはぜんぜん違うんだよなあ。

あと、ぼくが志望もしないことに決めた学科の国広先生が駒場に出張講義に出かけていらしたのを追っかけて受講したりとか。でもその学科の「言語学概論」はとらなかった。あくまでもマイペース。

卒論は何食わぬ顔で文副詞のシンタクス。「自分で一生懸命考えました」という意味でのオリジナリティはあったかもしれないけど、「新しいことを言いました」はなし。自分で考えた(つもりの)概念が実はc-commandという名前で一般的に採用されていた、と知ったのは後になってから。「ほかの人の研究をたくさん勉強しました」もあまりなし。

この頃、三浦つとむからの流れで、板倉聖宣および仮説実験授業および『たのしい授業』関連の本を読みはじめる。「科学的認識は社会的認識である」というような話とか、『模倣と創造』とか『かわりだねの科学者たち』とか…。


9/20

またまた

学生からメール。このまえの別の学生あてのお返事をコピーあんどペーストしてちょっとだけ変えて返信。同じ用件なのよん。

なんだかなあ。

 

 

実は

秋学期から開かれる就職対策講座の時間が、ぼく(ら)の3年生の演習の時間を直撃することになっているのん。「それはひどい」という声が会議でも出たのだけれども、講座というのは何種類もあって、その全てをだれも授業のない曜日に回すことはできないの。んでもってうちの学部の学生に合った講座がぼくらの演習の曜日に来てしまったわけ。就職難の時代に対応して開かれる大学主催の就職対策講座だから、「そんなの出ずに授業に来い!」とは言えないのん。講座をほかの日にしたらその曜日に授業がある教員に被害がいくだけなので、誰かが割を食わなければいけないのは変わらないのん。で、今年はぼくたちなのん。てゆうかその日程は時間割編成とは連動してないから、来年以降もぼくの曜日に来る可能性がゼロとは言えないのん。ふんぎゅ。

そういう状況なので、その講座に行きたいという学生には「授業よりそっちを優先していいよ♪」と言うの。その代わり、通信教育よろしく課題を出して、それを各自でやってもらうことにするの。学生ごとのレベルに合った指導ができるのはいいんだけど、授業がさびしくなるの。授業に残る人も多分いるだろうけど、その人たちはどういう気持ちで残るのかな、とか思ったりもするの。先のことをちゃんと考えているのかにゃ〜、って。

メールをくれた人のほかに、研究室に手紙を残して連絡してくる人もいそうな気がする。それが分かるのは今度出勤したとき。

なんだかなあ。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その9:修士課程

さて今回は、ぼくが修士課程にいた頃の英文研究室の雰囲気について書こう。

長谷川先生の授業では、GB理論関係の文献ばかり読んでいたように思う。先生は1970年代の途中からチョムスキーの理論に距離を置くようになり、標準理論を元にした独自の理論を構築されていた。が、学生には御自身の理論を押し付けることは決してなさらず、それどころか「メインストリームの理論は駄目駄目だけれども、でもそれも知っておくべきだ」という方針だったので、大学院の授業ではほとんどGBの文献ばかり読んでいたわけだ。そして長谷川先生についていた学生は大部分がGBの枠組みで修論を書いて、何の問題もなく博士課程に進学したり就職したりしていた。ごくまれにHPSGなんてのをやる人も現れたりしたが。対象とする言語も、「英文科」の論文として辛うじて通る範囲であれば、英語メインでなくても許された。「日本語の分析が主で英語は一章だけ」という人もいた。ドイツ語を対象としていた学生も(なぜか)いて、その人は修論のときに「さすがにドイツ語は「英文科」としてはつらいから古英語にしたら」といわれて唸っていたが、センスのある人だったので何とか古英語をこなしたようだった。

池上先生(週一回だけ本郷にいらしていた)の授業はもちろん認知意味論。ぼくが入った頃はレイコフのWomen, Fire, and Dangerous Thingsを中心に読んでいたかしら。あと関連論文とか。

ほかに英語史の先生が週一回だけ本郷にいらしていた。

ぼくが認知意味論(←実は意味についての見方が言語過程説に非常に近いのだ)をやると公式に宣言した(←詳細は略す)前後には、池上先生の授業に出ている学生のコミュニティというものは存在しなかった。一方、長谷川先生の授業に出ている人々は(ぼくらの時代にはまとめ役になる人がいてくれたこともあって)和気藹々とした雰囲気だった。ぼくは長谷川先生の授業にも全部出ていた

(学部のときに出て単位を取ったのは繰り返しになって意味がないので出なかったが、院の授業はすべて)

ので、生成文法の人と一緒に行動することが多かった。

池上先生系の学生のコミュニティができたのは何年か後の話で、それにはほかの学科の学生の貢献が大であった。

学生が長谷川・池上両先生の指導を受けられるのは、おもに授業を通じてであった。つまり悪く言えば「ほったらかし」の指導。そこで、学生たちは生成文法の人を中心に毎週勉強会を開いていた。かっこ良く言えば「自主ゼミ」である。参加していた学生たちの間の暗黙の共通理解は「自助努力」と「相互扶助」。先生はお忙しいだろうから呼ばないという、完全に学生だけの集まりで、どこかの偉い誰やらさんが書いた論文を輪読したり、各自の研究を発表しあってコメントしあったり、というようなもの。ただ自助努力と相互扶助というのはあくまでも暗黙の了解だったので、ふだん全然出てこないのになぜか突然「自分も発表しなければ」と思いこんでしまう人が現れたりもしたが。ぼくもその会に(授業の関係で出られない年もあったが)参加して、自分の研究を発表したり、

(認知意味論の話を生成文法中心のひとびとにしたのである)

人の話にぼくなりにコメントしたりしていた。それからテクスト言語学の人や英語史の人も発表していたりした。実は言語学科の院生が一人顔を出していた時期もあった。

今「ほったらかし」と書いたが、長谷川先生は学生の単位レポートや修論は非常に熱心に読まれる人であった。先に書いたようにぼくは認知意味論の人になった後も長谷川先生の授業に出続け、そして授業内容とあまり関係のない内容のレポート

(もっとも生成文法の人の関心と接点が少しはあるようにと心がけてはいたが)

を年度末の単位レポートとして出していたわけだが、4月に入って新学期が始まった頃に研究室(共同の院生室)の辺りをうろうろしていると「ちょっと」と先生の部屋に呼ばれてコメントをつけてくださるのであった。もちろんコメントをいただいたのはぼくだけではなくて、英語史が専門の学生が単位を揃えるためだけに出した、書いた本人もあまり気に入っているわけではないらしいレポートにコメントを付けたりとかもなさっていた。もちろん生成文法プロパーの学生にも。それから学生の出した修論は、生成文法以外のもの(認知意味論とか♪)でも非常に丁寧に読まれていて、ある時などある人(←隠す必要ないんだけど)の「内容節をとる名詞について」というようなタイトル(←もとは英語)の修論の内容をすらすらと私に説明なさって、「あれは非常に面白かった」とおっしゃっていた。(のちにその修論をぼくも読ませていただいた。)

長谷川先生の授業のうち、学部と共通のものは年によってはレポートではなくて試験になったりもした(つまり勝手なことばかり書いてるわけには行かない状況)が、それでも単位はもらっていた。

理論言語学の大学院の授業には、「研究対象や理論についての知識を提供する」という役割と、「論文の読み方、研究の仕方を教える」という役割とがある。他学科の某先生の授業は「論文の読み方」に力点があり、一方池上先生の授業では「知識を提供する」ことに力点があり、長谷川先生の授業はその中間、という印象をぼくは受けた。ただし長谷川先生は「読み方、研究の仕方」について「ああすべきだ」「こうしなさい」と明示的あるいはメタ的におっしゃる方ではなく、教室ではただただ御自身が人の論文と対峙するその姿を見せる、というスタイルだったので、学生の中には「知識を提供する」という面しか見ていない人もいたかもしれない。

池上先生は週に一度しか授業にいらっしゃらなかったので、毎週の授業が終わったあとには指導を求める学生が列を成していた。

何だか長谷川先生メインの話になってしまったが、本郷の英文科に正式に籍のある英語学の教員はその当時は長谷川先生しかいらっしゃらなかったので、研究室の雰囲気を書くと自然とそうなるのである。

そういう自由な雰囲気の中で、学生たちは勝手にたのしく勉強して勝手に育っていったわけだ。


9/21

何となく

3つのことがやりたくなった今日このごろ。あれとこれとそれ。

(↑ソースを見ても分かりません。 きっと一年もしないうちに何のことだか分からなくなっちゃうんだ。)

でもどれも猛烈な営業活動が必要。う〜ん。

 

 

あちゃ〜

またやっちゃった。とあるお馬鹿なこと。とほほ。

 

 

連載企画:私はいかにして鬼畜な認知言語学者となったか。その10:1992年

なんなくとか博士課程に進学。は〜。

長谷川先生周辺の雰囲気は前と変わらず。ぼく自身は授業には相変わらず出続けるが、世間がGBからミニマリストに移行しつつあるのをみて、細かいところまでフォローする努力はしなくなる。

池上先生の授業のテーマは「使役」だったか。

1992年は国語学の演習にも出たんだったか。

実は前年に修論書いてる途中でワープロが壊れて、この際だからとパソコンを購入。NECのPC9801-NS/E。場所を取らないノート型。CPUは386系16MHz。ほかの人が16ビットマシンを使っていた時代に、これは32ビット♪ メモリーはコンベンショナル640kb+プロテクトメモリ1Mb、合計で約1.6MB。ハードディスクはサードパーティ製の40MB。のちに120MBかなにかに替えたんだったっけ。OSはMS-DOSを自分でインストールしなければいけない時代。これを1994年まで使う。当初は一太郎Ver 3を使っていた。

1992年の2月。それまでやってた家庭教師のバイトが消滅して収入源がなくなったので、同級生の紹介で情報処理振興事業協会(IPA: 通産省管轄の特別認可法人とかいうやつ)の「計算機用日本語基本名詞辞書」のプロジェクトに紛れ込む。ここで「UNIX」と「大量の日本語書き言葉生データ」と「日本語学の文献へのアクセス」と「自宅から片道2時間の通勤時間(ただしIPAは大学からは30分)」に出会う。あ、もちろん人にも出会いました。

UNIXへは、職場にあった16ビットのDOSパソコンからtelnetで接続して作業、という環境。教えられていないことを次から次へと相談もせずに試してトラブル大魔王となる。電子メールを使いはじめる。ただし、自宅のパソコンをつなげるためのルートはなかったので、メールを使えたのは職場にいるときのみ。

仕事の傍ら、日本語に関して自分の興味から「もしかして?」と思ったことに関してもデータを集めるようになる。Windowsもない16ビットシングルタスクのDOSパソコンの時代、「仕事の傍ら」とはどういうことかというと、ただ単に空いてる別のDOSマシンからtelnetしていた、ということ。勤務時間後は、職場にあった文献を好きなだけコピー。go.jpなところなので、コピー代を負担してくださったのは納税者であらせられる国民のみな様♪ でも「仕事のため」と「自分の興味」の境界線が引けない職種だから、問題なし、と言い切る私はやっぱり鬼畜。片道2時間の通勤時間は、コピーした文献読んだり思索したりぼ〜っとしたり眠ったり。この職場、英語学の勉強には全然役に立たなかったが、日本語学の勉強をするにはいい環境だったと思う。

認知言語学っていうけどいったい認知って?」と思いはじめたのがこの頃だったんじゃないかしらん。IPAへの行き帰りの電車の中で東大出版会の認知科学選書とか心理学の本とかを読む。認知言語学との関係はよく分からなかったが、それぞれに面白いことは面白い。日本で出ていた「認知心理学」だか「認知科学」だかの概説書で「言語」の章を開くと解説されてるのはチョムスキーとミラーだったりする。ぐったり。あの当時認知言語学なんてものにうつつを抜かしていたのは認知言語学者だけだったのかしらん。鳥居修晃氏の『視覚の心理学』に紹介されていた結城錦一氏の「形と動き」が面白そうだったのでさっそく図書館でコピーして読み、「これだ!」と思ったのもこの年だったか。

結城氏のあの論文に出会わなかったらぼくのその後の研究はまったく別のものになっていたはずである。それくらい大きなインパクトだった。

1992年の秋頃、アスキーからパソコン用の日本語TeXが出たのをきっかけに、TeXユーザーとなる。言語学用のマクロ(lingmacros.sty/ theapa.styほか)を人にもらって使う。べんりべんり。てゆうか単に便利なだけではなく、論文の書き方が根本から変わった。思いついたことを書き連ねてあとから構成を整えるのではなく、最初から全体の構成を考えて書くようになりました。\section{}とか\subsection{}とかあるし、\inputでファイルを節ごとに分割できるし、ということで。

TeXはその後(翌年?)Cマガジンで紹介されたEastWind版に乗りかえることになる。

言葉について思索するためにパソコンを大いに活用。毎日少なくとも一つずつ、日によっては二つか三つ、言葉について考えたことを新しいメモに残す。それと並行して、前に書いた古いメモを見ながら考えたことを書き足す。この作業は、以前どこかに書いたMIELが使える環境だったからできたこと。この当時がいちばん活発だった。何百件も考えていれば中には論文になるネタがいくつか紛れ込んできたりもする。

1992年度末、IPAでとった日本語データをもとに書いた日本語についての論文を、池上先生の英語学の授業の単位レポートとして提出。1997年(遅すぎ?)の「目を輝かせる」云々の紀要論文はこれがもとになっている。日本語研究の論文で英語学の授業の単位を取ろうとする私は、でも、実は全然鬼畜ではない。実は長谷川先生だけではなく、英語学というところは全般的にそういうところ。


9/22

現在

gooのメールは使えないようなのでクレームは自動的に却下♪、どうしても何かいいてえという方はこちらへ。

 

 

授業準備

午前中の非常勤先の学生はすでに授業の準備を始めている。手帳に書き写した開講日が一週違ってないか、あとで確認せねば。ぼくがすっぽかしたらしゃれになりません♪

 

 

ぎぇえ

コンピュータ認識度


全般:20 CG:5 PG:13 通信:16 知振:41 13点 3級

貴方の認識度は  13 点で   3 級です(400点満点、最高12級)

あなたがパソコンを始めて半年以内であれば、問題無いレベルです。
もしも、それ以上の経験をお持ちなら、ちょっと知識不足でしょうか。
ホ−ムペ−ジを眺めたり、電子メ−ルのやり取りぐらいにしか
パソコンを使っていない証拠です。もう少し勉強しましょう。
折角高い買い物をしたのですから、様々な事に挑戦する事をお勧めします。

パソコンを使えますか?と聞かれたら「 触るだけなら 」とお答下さい。

多くの方が”パソコンを使えるか?”と聞かれて返事に困ると思います。
何故かと言いますと、一概に”使える”と言っても、分野が広すぎて、
知ってる分野と知らない分野に分れ、ある程度総合知識をお持ちの方のみ
”パソコンを使える”と言えるからです。単に、今使ってるソフトを操作できる
だけで”パソコンを使える”と勘違いしているでしょう。総合的な知識が
あってこそ、胸を張って言えると考えます。 って、事でどうでしょか?(^^;

私パソコン歴9年なんですが…。

あ、でもこの結果を見せたらコンピュータ教育から外してもらえるかも。でも誰に見せればいいの?

ちなみに「知振」というのは「知ったかぶり」のことらしい。知ったかぶりして答えて間違ったところは減点なんだって。でもこれ、「知ったかぶり」というよりは「知ってるつもり」だよなあ。ぼくがよく使う「自己欺瞞的な知ったかぶり」って言葉はこれを指すのです。その点数がでかいってのはいやだなあ。

 

 

べろ出し

姪に対してattention gatheringして(←知ったかぶり)こっちを向いているときに「べー」と言いながら舌を出すと、姪も口を動かしてべろを出そうとする。思いっきり下に伸ばしたべろを「え〜」と言いながらにょ〜んと動かすと、今度はにっこりする。ちょっとぐずりかけてるときにやると、機嫌がよくなる。

はたから見たら、「汚れのない無垢な赤ちゃんにあかんべ〜などという邪悪なことを教え込もうとしている鬼畜なおぢさん」なのである、私は。

 

 

連載企画:私はいかにして器用貧乏で鬼畜な認知言語学者となったか。その11:1993年

どうやら音声学を避けたのは良くなかったらしい♪(←唐突。しかも一日ずれてる。)

博士課程2年目。この年から某大学非常勤講師(英語)。IPAも続いていた。

相変わらず「満期退学して就職♪ 就職できるまでは在学期間延長♪(←オーバードクターの文系バージョン)」という心づもりで過ごす毎日。「来年(から)は就職活動で忙しくなるから、こんな風に呑気にしてられるのも今年が最後♪」という感じで本当に呑気に暮らしていた。

月刊『言語』に佐々木正人氏の「認知科学の新しい動向<エコロジカル・アプローチへの招待>」が連載された年。あの連載がなかったら博論はまったく別のものになっていたに違いない。著者が『からだ:認識の原点』の著者であったのと、「認知科学」「新しい動向」という言葉にひかれたのとがきっかけで読みはじめた。実際読んでみると難しい部分がかなりあったが、それでも毎月読んでいた。理解できた(つもりになれた)ところは面白かった。途中で紹介された「エコロジカルセルフ」の話があとで博論に特につながってくるわけだが、一回読んだだけで言語の問題とのつながりが見えたかどうかは今では定かではない。

(一度で見抜けるほど賢かったとは思えないんだけれども、二回も三回も読み返すほど熱心な読者でもなかったのだ。)

それからこの連載の何回目かにトマセロの動詞島仮説の紹介があったのだが、当時それに注目した言語学者はどれくらいいたのだろうか。ぼくはもちろんまったく価値が分からず、注目しなかった。周りの人も、何も言ってなかったような気がする。っていうのは「自分が注目できないのものについてのコメントは忘れてしまう」ということに過ぎなかったのかもしれないのだけど。今では「構文」とか基本はウザゲ! という考え方 usage-based modelとかの関係で注目されているのかしらん。

池上先生の授業のテーマは文法化。この頃には、駒場に新設された言語情報科学専攻の学生とか本郷の他学科の学生とか正体不明の方とかが押し寄せて、部屋がいっぱいになる。この頃には学生同士の交流も盛んになっていた。

IPAでは、なぜか、「外の関係」の連体修飾についての記述を担当することになる。

長谷川先生の授業も、前年までと同じように出続ける。

be going toを扱った修論の内容をまとめたものがドイツのDuisburg大学のLinguistic Agencyから査読つき(♪)のプレプリントとして配布される。周りの人から「ちゃんとした雑誌にも出せば」と言われたが、それはいまだに実現していない。修論を書いたのと、「文法化」論が世界を席巻しはじめたのがほぼ同じ時期だったのだが、ぼくの修論は文法化の発想を半分支持して半分批判するという位置づけになるものだったので、その辺の関係をどうしようかと悩んでいるうちに時機を失してやる気もなくしてしまったのであった。

認知言語学のmini conferenceが慶応で開かれて、そこでbe going toの話を発表した。この発表は前も後もいろいろとあって大変だった。 参加者は先日の認知言語学会大会の3分の1か4分の1か、それくらい。

適当な間隔をあけて置いた二つの電球を適当なペースで交互に点滅させると、二つの点の間を一つの光の玉が連続的に移動して行ったり来たりするように見える。これを「仮視運動(Φ現象)」という。ぼくはこれについて、「仮視運動(Φ現象)は、知覚者の視線の移動によって引き起こされるものである」というテーゼを勝手にぶちたて、それをもとにいくつかの言語現象(英語)を分析した論文を書いて、学内誌に発表してしまった。実はこのテーゼは誤りだということがはるか昔にヴントとヴェルトハイマーの論争で明らかになっていたのだが、ぼくはそんな論争のことなんか知らなかったのだ。さすがは独学と迷走を繰り返すあやしい認知科学者だけある。

(ぼくが言ったことはヴントの考えに近かったわけだが、ヴェルトハイマーはそれをあっさりと反証してしまっていたのだ。そのことを知ったのは翌1994年。)

結城錦一氏の「形と動き」にはしっかり言及していたりする。ギブソンの``Active Touch''はまだ。佐々木先生の連載では紹介されていたはずだけど…

この論文を読んだとある方の「これはぜひ国際誌に出しなさい」という声に押されて投稿するも、撃沈。最近この論文を読みたいとおっしゃる奇特な方が現れたので、「考えが変わっている」というコメントつきでお送りしましたが、できればいっしょにお送りした最新(?)の論文の方を中心に見てください。

この学内誌論文、「subjectificationに関して、1993年の時点で(←もとをたどれば1991年の修論の時点で、なんだけど)ああいうことを言ってたって、今から思うとすごいでしょ♪」みたいなところもなくはないんだけれども、それも今となってはね(←ぼやき入ってます)。

年度末、IPAでの自分の担当部分に関わることを理論化したものを池上先生の英語学の授業の単位レポートとして提出。連体修飾をつくる「という」の多義の問題を書けばいやでも文法化と接点ができてしまうのである。んなわけで、この年も日本語研究の論文。

ぼくの日本語についての研究には、どれをとっても何らかの形でIPAが関わっている。もちろん関わっているのはIPAだけではないけど。

池上先生は3月末で定年退官。パーティで何か渡す役をやらされたような気がする。


9/23

連載企画:私はいかにして器用貧乏で鬼畜な認知言語学者となったか。その12:1994年

この連載は明日で終わる。

佐々木正人著『アフォーダンス』が刊行された年。

博士課程3年目。ただし4年目の人もいたから実質的には最上級生ではない。引き続き某大学非常勤講師(英語)。引き続きIPA。それに加えてこの年は学振DC1年目。

学振はどこかに所属がないと駄目だから、今年就職できなかったらもう一年くらいここに籍を置いとこうかなあ」などと思っていた。ところがある時、「今年度課程博士論文を書いたらいいんじゃない、いや何がなんでも絶対書け」という話がぼくを含めて必要な在学期間を満たしていた数名を直撃。阿留氏(仮名)は喜んだ。別野氏(仮名)は戸惑った。そしてぼくは流された。

新たな指導教官=論文審査の主査は山中桂一先生。駒場での池上先生の同僚。「池上先生に教わったこと路線を継続」ということですんなりご了解をいただく。山中先生は当時駒場の言語情報科学専攻の主任のお仕事で超多忙だったはずで、ぼくらの面倒なんか見ている暇はなかったはずなのである。長谷川先生の授業は非常勤やら↓やらで出られず。

佐々木正人氏の授業に闖入。夏休みにあの結城錦一氏を招いて講演をしてもらうというので、ぼくも参加。題目は「心理学の過去、現在、未来」だったか。始まりが遅れたのは4階まで階段を上ってくるのに時間がかかったから♪ 最初は結城先生の、ゲシュタルト心理学周辺の歴史の話。途中で「ちょっと休憩したら」ということになって、その場にいた学生が自己紹介をかねて自分の研究について一言ずつ話す、ということになる。それをおとなしく黙って聞いていれば結城先生としてもいい休憩になったはずなのだが、一人一人の言うことに対していちいち丁寧にコメントをおつけになるので、実は全然休憩にならない。そのことに気づいたある人が「自己紹介はここでおしまい」と、半分ほどの人が喋ったところで切った。その切られたところがちょうど「次はぼく♪」というところだったので、ちょっと残念だった。その後話の続きがあったかどうかは実は覚えていない。結城先生は当時90歳を超えていらしたわけで、すごい人だと思った。結城氏が1997年になくなられていたことを知ったのはごく最近のこと。

それはそうと、バックグラウンドが怪しいままいきなり他学部の大学院の授業になだれ込むのは無理があります。

エドワード・リードの本にヴントとヴェルトハイマーの論争が紹介されていて、「仮視運動(Φ現象)は、知覚者の視線の移動によって引き起こされるものである」は大馬鹿な間違いであるということを知った。

ナイサーの``Five Kinds of Self Knowledge''は佐々木先生に貸していただいてコピーしたのだった。

Niftyに加入。WTERM愛用者となった。心理学フォーラムでちはる先生の書き込みを見たことがある。内容は覚えていませんが、超整理法のお話をしてらしたかも。「アフォーダンスであほざんす」というおやぢギャグをぶちかましていた別の方が今どうしているかは知らない。大学の計算機センターのtanseiのアカウントもとった。自宅のDOSマシンをどうやってあそこにつないでいたのか今となっては思い出せない。WTERM?

IPAの名詞辞書の仕事は中盤。この頃には自分の担当部分を一人でやる態勢になっていた。形の上では皆で分担して作った素原稿を「校閲」するという作業だったが、人の書いたものはほとんど使い物にならない(まあそういうものだ)ので、すべての語についてデータとりの段階からやり直して新たに書き下ろしていた。前年度末に池上先生の授業で出した「という」についての単位レポートをまとめたものを関東日本語談話会という研究会で発表。それがもとになったのが1996年の紀要論文。てゆうか相変わらず遅すぎ。

IPAではパソコンからのtelnetだけではなくてワークステーション(共用)を使ったりもしていたような気がする。

(なのにコンピュータ認識度はあのざま。)

パソコンとはいろいろ勝手が違うので、最初は戸惑った。パソコンはいつのまにか(?)Windowsマシンになっていて、気兼ねなくマルチタスク。

一つの窓でデータとり、次の窓ではgrep使ったプログラムでデータのごみ取り、そして次の窓でNemacs開いてデータの編集。タスク別に窓を開いておくと2語とか3語流れ作業で続けて処理できるというのがメリットとしてあるが、それとは別に、コマンド打ち込むときに考えなくていいから楽なのだ。それから次の窓でメールチェックその他雑用、次の窓で自分の勉強のためのデータとり、という感じだったか。

佐々木先生の紹介で、『現代思想』に論文を書いた。冒頭に「コミュニケーションなんてくそ食らえ」みたいに書いてあるのと最後に「生態学的意味論」なんてわけの分からないことが書いてあることは忘れてください。前者に関して言えば、この当時はまだ正高信男氏がすごい人だということが分かっていなかったのである。後者に関して言えば、あそこで述べた内容自体は今も同じ考えだけれども、「生態学的意味論」って名前はちょっと。それ以外は今でも基本的に変わっていないと思う。内容は心理学風に言えば、運動に伴う見えの変化と自己知覚(エコロジカルセルフ)の話。言語学的に言えば、ゼロ代名詞(と一人称代名詞)の話。あるいは視点論。

博論書きの途中、DOSのTeXのあまりの遅さに堪えかねてWindows 3.1マシンに乗りかえる。国内ローカル仕様のNECは古いような気がしてIBMデスクトップ機。確かにTeXは速くなったが、それまで使っていたソフトがほとんど使えなくなったので、論文書きのための環境をゼロから再構築する羽目となる。差し引き大きなマイナス。言語学メモが作れなくなったのは、博論書きだけのせいではなかった。

秋の英語学会でワークショップをやる。準備段階では責任者とのやりとりに電子メールを多用。暴言吐きまくり。そのうちの一つが、前に書いたこれ。思えばあの頃は威勢がよかった。ぼくの発表の内容は、『現代思想』に書いたこと+この年に学内誌に書いたことぷらすアルファまいなすベータという感じだったかしらん。

実はぼくはこのときの英語学会も会場校の院生だったのだ。学会前日、ほかのみんなが会場設営に忙殺されているとき、ぼくはワークショップの面々と打ち合わせをしていた。鬼畜。1日目は自分のワークショップがあったので参加者として参加。2日目は働きました。

英語学会2日目のシンポジウムで宮下真二に言及された方がいたが、その悲惨な最期のことはご存じなかった様子。

就職は決まらず。

12月、博論提出。3月、学位を取得したのは喜んだ彼と流された私。修了。タイトルは Linguistic Manifestations of Spatial Perception 。日本語タイトルも必要ということで、前から順番に訳して「言語にあらわれた空間知覚」とする。一部を除いてギブソニアンっぽい内容。だが、「アフォーダンス」という言葉は出していません。ぼくの論文でこの語が初めて出るのは1997年の「主体移動表現」云々の紀要論文なのであった。マイペースマイペース。

カラ元気ばりばりの波乱の一年であった。

トマセロトマセロと読みもせずに騒ぎ出したのはこの年だったか翌年だったか。まえ書いた、動詞島仮説が構文文法とかusage-based modelとかにつながるというのは(c)西村義樹さんだったかしらん(違ってたらすみません)。joint attentionはどうなるの、と書いた時点で去年出た本を途中までしか読んでいないことがばれる。

それにしても長い。


9/24

連載企画:私はいかにして器用貧乏で鬼畜な認知言語学者となったか。その13:1995年

この連載は今日で終わる。

某大学非常勤講師。それに加えて別の大学の非常勤も。IPA。学振2年目(PD)。

書き忘れていた。この年と前の年と、科研費の事務処理のために駒場に入り浸る。ついでに(?)、授業に出させていただく。あと、山中先生が本郷でやっていた授業にも出た。あと、佐々木先生の授業にも出たが、この年は途中でドロップアウトしたような気がする。

「認識の社会的構成」とかいうものに興味を持ちはじめ、前年の『現代思想』論文で「コミュニケーションくそ食らえ」みたいに書いたことをいきなり後悔しはじめる。この時持ちはじめた関心がその後のいろいろな偶然の出会いと重なって、一つのけんきうすなわち(?)研究らしきものにまとまったのが、「文構築の相互行為性と文法化」。これの論文バージョンは不良債権化してしまって、出るのは早くても2001年。世紀を越えるけんきう♪

学振PDに再応募して採用される。 が、 就職が決まったので 辞退。

IPAの名詞辞書の仕事は佳境。この頃、阿留さんと別野さん(←ともに仮名。別に実名でもいいんだけどね)という若くて頭もいい人が、制度上は「臨時」の立場でありながら現場の作業の実質的な中心になった。この2人のおかげで(自分の担当以外も含めて)仕事全般が知的なものに思えるようになった。 夏頃から多義構造の研究が始まった。ぼくは途中から参加。

夏頃、「最近「アフォーダンス」ということがよく言われるようになって、うちの雑誌でも前そういう連載があったのだけれども、言語とのつながりがいまいち分からなくてぴんとこないという声がある。その辺りについて書いていただけませんか」という連載依頼がとある雑誌(ばればれ?)からあるが、すぱっと断る。そんなに書ける材料があるわけではなかったのです、あの頃は。

私が断ったことでアフォーダンス企画が潰れたかというと、そうはならなくて、結局とある方が連載をなさった。これがいろいろな意味ですごかった。

学内誌に短い論文。

そして秋が過ぎて冬が過ぎて春が来て勤めはじめた。仕事は増えて、収入は減った(←学振PDは良かった)。

おしまい。

 

 

おまけ:今に至るまでの私のおべんきょ

赤字(何か見づらいかも)はこれまでに何らかの形で公開・発表してきたもの。

修論が「アスペクト」(be going to)。終わった話のはずだったのだが、最近突発的に復活して、宇和島方言。でも不評。

アスペクトといえばテンスであるが、これが…

修論からの流れで「subjectification」(→1993年の論文)。でもこれはのちに生態心理学の流れに吸収される。

IPAの担当部分からの流れで「名詞修飾」「「という」」。そこからの流れで「接続助詞としての用法(接続助詞化)」。

IPAの共同研究として「多義性」。最近これに注目してくれる人が現れたのだが、自分としてはすでに終わった話。

IPAの研究の完全なおまけとして、「「目を輝かせる」型の使役表現」。

生態心理学および佐々木先生がらみで、「見えと自己知覚」「アフォーダンス(中間構文、そしてある意味subjectification)」。少しずつ広がって来た。ソムリエの言葉は資料を頂いたっきりだ。擬態語は何もしてない。形容詞の多義についてはとある方が書かれるようだ。生態心理学っぽくなるかどうかは分からないが。認識の社会的構成および相互行為としての言語行為ということで「文構築の相互行為性と文法化(「から」の終助詞化)」。これは今は西阪氏っぽい雰囲気になっているが、ちょっとひねればもっと生態心理学っぽくなる。

自分の担当授業のためのお勉強として批評理論(のつまみ食い)。噂と口承文芸はなぜかここ。これら全てがとある経路により生態心理学からの流れにつながりそうな気配。

そして英語教育も。とにかく授業していかなきゃいけないし、それとの関連で何か考えたいとも思うし。

ということで、この状況を一言でまとめると

収拾がつかない。

すでに自分の中で完全に終わってるものもあるのだが、もっとびしびし絞っていかなければなるまいのう。

 

 

最後に。

博論の口述試験のときに、長谷川先生に次のように言われたのであった。

いろいろ手を広げるのもいいけど、これだけは誰にも負けないというのを何か一つ見つけなさい。

ぎく。


9/25

にちじょ〜

授業開始。やっぱり今日は午前中はなし。早目に行こうと思ってたのだが、やっぱり油断して寝坊して到着は開始40分前。十分早い? まあ、途中で書店に寄っていくつもりだったのをあっさり諦めたから。

前期試験の解説? そんなものしません。だってまだこれから受ける人がいるから。7月初めから入院したのだから、仕方ないでしょう。前期末にたくさんプリントを配ってあったので今日の分の準備はなし♪ ただ、一枚抜けていた分があったので、それだけコピーして配りました。今日の話はテクストの解釈における背景知識の役割。今日配ったのはくりしん本のスキーマのところ。出典明記だけど勝手にコピーして配っちゃいました。でかでかとマンガが載っているので、取りにきた学生の中に「!?」という反応を示した人がいた。

明日は火曜日だから授業は午後から♪ ということで、夜はふらふら。ところが帰って思い出した。明日だけは、火曜だけど朝から行かなくちゃいけないの。学生と対決しなきゃいけないのかしらん。は〜。

ということで、なんということもない日常雑記。

 

 

は〜

とある本を見て、ちょっとぐったり。まあ、いいですけどね。は〜。

 

 

疲れる人

人とディスカッションしてて、その場で思い付いた自分の意見を言いながら、その言ってる最中にその言っていることの問題点に気づいて先に進めなくなっちゃったり、あるいは最初に言いかけたことを最後まで言いきらないうちにその問題点の指摘を始めてしまったり(つまり、まじで話しはじめたことが途中で実はボケであったことに気づき、そのボケが終わらないうちに自己ツッコミに突入してしまったり)。

う〜、思いっきり人を疲れさせるタイプだわん。それが、わ・た・し。


9/32

ふにふに

とりあえずリンクだけ。

いつだったか、「大学教員沈殿の法則」という文章を書こうと思って、でもなんかあまりに恐ろしいのでやめたのであった。

なんで恐ろしいの? とか聞かないでくださいね。

 

 

日記やめます。

10月になったら♪


9/33

ああ、何かがっかり

とある件。

ま、後のことは何とかなるでしょう。

 

 

こんなの要らない

非常勤先でくれた教職員名簿。

ぼくの場合、これが必要になることはまずないでしょう。つまり、なくても困らない。そして、非常勤も含めた全教職員の中に、悪用しない人が誰もいない、っていう想定は、ナイーブに過ぎるのではないかと思ったりもする。

うちの大学もよそのことは言えないのだけれども。

 

 

彼岸過ぎまでても

歩けば私は汗をかく。

 

 

明日こそ

午前中はなし♪

午後は3コマあるけど。

 

 

バスには乗り遅れるな、流行にはおくれるな。

一昨日だったか、はじめておはロックというものを聞きました♪

てゆうかどういう生活してたんだ私。


9/34

来週の火曜は休みではないのだ。

世間では10月10日で体育の日だけどこの日記では9月40日でただの平日だから♪ ということではなくて、体育の日はずれることになって、世間で言う10月10日(この日記で言う9月40日)は休みではなくなって、かわりに9日が休みになったのであった。ですよね。

昨日の午前中の非常勤で日文研究室にきていたほかの非常勤の先生から「来週9日は休み」と聞くまで、当然来週も授業があるものと思い込んでいた私は、とっても馬鹿です。しかも、「9日は休み」と言われてからその理由が分かるまで30時間近くかかったというおまけ付き。

 

 

ところで

この日記に関して「やめるんですか?」というお問い合わせを複数(2だって複数だ)いただいているのですが、「どうしていつまでも9月なんですか?」というお問い合わせを頂かないのはなぜなのでしょう。

まあ、10月に入ったら確実にやめます。でも、10月に入るのがいつなのか、よく分かりません。今日はまだ9月34日だし。

ある日突然10月何日になるのか、それとも11月マイナス何日とかになる(今年は10月には入らない)のか、それも分かっていない。

ってただの狼少年やん。我ながらぐったり。

 

 

White Berry

その方、お子さんがいらっしゃるのではないかしらん。お父さんという類いのひとびとは、子どもに付き合わされてわけの分からないものをいろいろ見させられたりするし、子どもが興味を持つものについての知識がないと馬鹿にされたりするし、ということで結構大変なのではないかしらん。

ちなみに私の父親は昔、「松田聖子と中森明菜が区別できない」「誰を見ても「お、松田聖子だ!」と言う」ということで妹から馬鹿にされておりました♪ 50にもなろうかというおじさんだった頃の話。


9/37

そうか月曜は休みなんだ

このまえここに書いたばかりではないか。すっかり忘れて、「準備準備」とか思ってたぼく。

でもほんとは、早めに準備した方がいいのだが。

 

 

晩節

とある件。

腕組みして居眠りする方、途中で帰ってしまわれた方、所在無げにめがねケースをもてあそぶ方。そして後ろのほうからそんな、私なんぞよりず〜っと上の立場の方たちの振舞いを観察して、「きゃはは」とか思っていた鬼畜な私♪

すごい人なのだということを(何となく)分かっているひとびとにしてこのありさまなわけなので、そうでないひとびとの感想がどのようなものだったか、ちょっと興味があります。

途中に織り交ぜられたジョークはそこそこ受けていたみたいだけれども、でもジョークが受けることと話が評価されることは全然別だということも確認してしまった。

司会の方は偉かったわん。

終わった後、別の場所で、「行きたかったんだけどぉ…」という人にたいして、「適切さ」(?)を重んじる態度で一生懸命説明していた私なのだが、そこにやって来ためがねケースのお方の一言で、私の努力は水泡に帰しましたのん。何もそこまではっきり言わなくても。

昔、引退間際頃の落合博満に対して若手のピッチャーが全然畏怖の気持ちを感じていないらしいということを嘆く文章を玉木正之というスポーツライターが書いていたのを思い出しました。今回の場合、嘆くべきなのかどうか、実は迷っていたりもするのですが。

 

 

木曜日の会議

議事は順調に進んで、所要時間4時間弱で終了。おまけに宿題も出された。今日出されなかったが、後になって確実に出る宿題もあるので、その準備も必要。うにゃ〜。

 

 

教員間の噂

あの学生はこういうことで迷っているからぜひ背中を押してあげよう、という話をとあるぢょきょ〜ぢゅから聞いたので、その日さっそくその学生に会ったときに話しをしてみたら、「全然考えていません!」。次の日にまた会ったので聞いてみたら、「説明会には行きません!」。

決めるのはあくまでも学生本人だけど、でもその学生がそういう決断をしてくれると教員としても嬉しいということがあったりもするわけで。ということで、噂というものにはやっぱり、知らず知らずのうちに願望が紛れ込んでしまうものということなのしらん。

 

 

ご指名

講義科目。相変わらず一部の学生が積極的に参加していて(それ自体は悪くないんだけど)、ほかの人は暇そうにしている(のはよくない)ので、テキストの例文について全員に順番に指名して考えてもらうことにした。んで、授業に来ている学生の数も少ないし(てゆうか登録数も少ないので、出席率が悪いわけではない)、顔と名前が一致している人が多いので、名簿順に当てるのではなく、坐っている席順に当てることにした。

ところがところが、「顔と名前が一致している人が多い」ということは「全員の顔と名前が一致している」ということを意味するわけではなくて、さらに言えば「最初に当たるべき位置にいる人の顔と名前が一致している」ということを意味するわけでもなかったりする。う〜ん。

当然のことながら学生はいくつかの仲良しグループに分かれていて、誰と誰がグループを構成しているかは、ぼくにも分かる。そして、端っこの方に坐っているあのひとびとがどのグループかということも分かる。でも、誰が誰かが…

ということで…

●◎さんか◎○さんか○●さんでしょ?
学生1はい、そうです。
●◎さんですか?
学生1いえ。
◎○さんですか?
学生1いえ。
○●さん?
学生1はい。
……………………
次、●◎さんですか?
学生2いえ。
じゃあ◎○さん。
学生2はい。
……………………

漫才やってる暇、ないんですけどぉ。


9/38

作ってみよう

複雑系生態心理学

 

 

何で「ceramic」が「陶磁器」なんだ!

と、高校生の頃のぼくはまじで悩んでいた。といっても別に、記号表現と記号内容の結びつきの恣意性に突然気づいてしまったからではない。

ぼくが「セラミック」という言葉を最初に覚えたのは、「セラミックコンデンサ」という合成語の一部としてだったのだ。「セラミック」と聞けば即座にあの、二本足の小さくて丸くて薄っぺらな電子部品を思い浮かべるようになっていたぼくにとって、「ceramic」に「陶磁器」という訳が当てられているのは何かの間違いにしか思えなかった。だって「ピコファラッド(pF)」とかの世界ですよ。「---| |---」の世界ですよ。略して「セラコン」の世界ですよ。「ケミコン」と並んでコンデンサーの世界を二分するものだったんですよ。それがこともあろうにお茶碗と同じだなんて。

まあ、絶縁体か何かとして使われた非金属部分がceramicだったということなのでしょうね。いずれにしても私は、「ceramic/セラミック」という語の、あまり一般的でない意味を最初に習得して、一般的な意味を習得するのに抵抗感を覚えてしまったわけだ。ふにゅ〜。

 

 

それにしても

「言葉の(唯一)正しい用法は、自分が最初に覚えた用法である」という見方を無自覚に持ち続けて、いつまで経ってもそれを相対化できない人にであうと、疲れますのん。


9/39

「意味記憶」と「エピソード記憶」

というのは対になるものと理解していた私なのですが、とある心理学辞典をひいてみたところ、書いてあることが見事にすれ違っている。

別の人が書いているから仕方ないのかな。でもなんで別の人が書くようにしたのかな。「意味記憶」の項と「エピソード記憶」の項は同じレベルの二つの項目という位置づけではなくて、役割分担が意図されているのかな。でもそれはうまく行っていると言えるのかな。

 

 

すでに死語。

これも「2000年問題」かしらん。

私の9月がいつ終わるか教えてくれる10月10日が体育の日ではなくなったことに対応してくれているWin 95で使えるカレンダーソフトがほしい。余計な機能がついてない、ただひたすらカレンダー一筋でまっしぐら、って奴。

つうかこれから捜します。

 

 

男だって困るのよん。

やっぱりさくじょの刑。2000/9/40 2:40


9/40

火曜日の食生活

火曜日は授業が午後からなので、ちょっと遅く起きます。そして朝食。

大抵2限の途中に大学に着きます。食堂が混む前に昼食を済ませたいので、ちょっと早めに昼食をとります。昼休みに突入する直前くらいに食べ終わるように。てゆうかそれってさっき朝飯食ったばかりだ。なので、少な目に。

そして午後は3コマ授業があります。13:20から18:10まで。

そして今日は16時過ぎに空腹感が襲ってきました。ぐ〜。英語の授業の真っ最中だ。

そのあとも何となくいろいろあって、結局夕食は大学最寄り駅近くのラーメン屋さんで20時頃。

ガンバレワカゾ〜!? の世界かもしれない。

 

 

コンビニのコピー機

カラーコピーなんてできなくていいからさ、もっと速く印刷してくれないかなあ。

と思う私は画像情報の扱い方を知らないただの英語教師。

てゆうか自宅にコピー機買った方がいいんだけど。

 

 

は〜

ため息です。


9/43

ぷんぷん♪

この書き方だと、ちょっとかわいく見えちゃったりしません?

 

 

倒れてられない金曜日

てゆうか秋学期は木曜日が授業なしになったから

(でも毎週出勤しなくちゃいけないの。しくしく。)

金曜日はそんなにひどく死んではいないのだけれども。

本日は会議資料づくり。口頭で説明するのが苦手なのと、考えてもらう際にあらかじめある程度の情報公開をしておいた方がいいかもと思って、割といつも先に資料つくって流しておく人なんです私。いつもそれでうまくいくとは限らないんだけど。

short notice多謝。もっと早く手をつけておかなければならなかったのですが。でもほかの用件もあってうちら毎週集まってるじゃないですか。がんばってるのよん。成果は別として。

 

 

倒れてられない金曜日その2

別の会議の通知。こちらはメール書き。

short notice多謝。でもこちらは事案自体発生したのが昨日だし。

 

 

てな感じで。

仕事のための準備を二つもやると、それだけでもうたくさん仕事をした気になって満足感に浸ってしまう無能な私。

 

 

ということで今度の木曜日は

会議が4つあって、うち2つは私が招集者。無能な人間変温動物に仕事を集めるとろくなことが起こらないと、私はあえて大きな文字で警鐘を鳴らしておきたい。

 

 

でもまだ残っている今週末のお仕事

公開講座の資料づくり。

とある文書の改訂。コピーして朱を入れるだけですむところと、全面改訂が必要なところと。こっち締めきりいつでしたっけ?

あと学生の宿題チェックと授業の準備。

何か順序が変?

 

 

とあることで思い出してしまった

公衆便所の小便器の埋まり方。

なんで思い出したかは内緒♪


9/43その2

う、説明不足でした。

とある、ネットとは関係ない原因で、私の腹の中でどす黒い怒りが渦巻いているのだけれども、その私自身の怒りがまたどうしようもなく下らないものなので、それに対してメタな怒りが渦巻いている、という状況。そのあたりの全てのことを「ぷんぷん♪」という一言に強引にかわいく押し込んで思いっきり握りつぶして、「お願いだから消えてくれ!」と祈る、という壮大なプロジェクトなのです。

という感じでどんなに言葉を連ねても説明不足は変わらないのであった。

 

 

なわけで

日記を読んでることはばれてしまった。でもちゃんと仕事してますのよん。新しいカリキュラム表と古い履修ガイドを机の上に並べて、必修第一外国語とコース別必修第一外国語と必修第二外国語と選択必修外国語と自由選択外国語の解説の見直し。このあたりの細かいことを完全に近い形で記憶している英語教員が学部の中でも私だけというのは、とっても危険な状況だと思うんですけどぉ、って誰に向かって駄々をこねてるんだか。


9/44

あどみんななげき

教務関係の雑用仕事というのは、自分の考えたいところだけに熱中してあとは知りませんではいけませんのよ。

ということで今日は、外国人留学生のための外国語科目の解説の見直しなど。第一外国語は日本語、英語は第二外国語になるか何でもないものになるか。日本語教える教員はうちの学部の所属ではなくて、しかもぼくの認識ではその人の本業は中国文学だったりする。英語教員であるぼくにとっては、いまいちぴんと来ない仕事。

けんきうとも授業とも英語ともドラマとも日記とも関係ないところで、滞りなく時は過ぎてゆく。

 

 

そして最後に

基幹科目の解説。おもに言語・文学関係。そう文学関係も私。げほげほ。旧バージョンの使いまわしはできそうにない気配。ますますげほげほ。

 

 

ねこ

ふと外に出ると、遊んでいたねこ2匹がおびえた態度で逃げていった。いつになったら分かるんだ。俺はてめえらに危害を与える人間ぢゃねえ! ただの変温動物だ!一喝してやろうかと思ったが、逆効果なので最初の一語を発する前にすでにいなくなってしまっていたので、やめた。

 

 

音の中に情報がある。

無題。


9/45

卒論指導を横目に

今年度は私は卒論には関わっていない。だからとってもよゆ〜である。

たとえば隣の隣の某ぢょきょ〜ぢゅなどは、担当している学生を一人一人研究室に呼んで個人指導し、最後の学生の指導が終わるのが19時半、なんてことを定期的にやっている。その時私は何をしているかというと、オフィスアワーなので自室周辺にいなければならないということもあって、そのぢょきょ〜ぢゅの面談の順番待ちで私のけんきう室前にたむろしている学生たちと

(エレベーター前に学生が教員を待っていられるちょっと広い椅子つきのスペースがあるのだが、そこは私の部屋の真ん前でもあるのだ。)

よゆ〜でお喋りにふけっているのである。ほっほっほ。な〜んて鬼畜なんでしょ、私ったら。

来年以降は私も担当する予定。

 

 

JAVA?

ネットスケープのキャッシュディレクトリにexeファイルが紛れ込んでいるのを見るととっても不愉快な気持ちになるのだけれども、これはJAVAをオフにすれば防げるのかしらん。


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