きざし(2000年6月)

2000年7月の 変温動物の悲哀 / 2000年5月4月3月2月1月の きざし / 一年前の新雑記二年前の雑記好きな日記とよく行くサイトヨガ的に地上

おもて
最終更新 2000/6/29 1:24

6/28

品性下劣路線の限界

「立ち小便」の意味分析をせよ、という問題を試験に出そうかと一瞬思ったのだけれど、それはやっぱり羽目はずし過ぎだろうと思い直して、やめることにしました。

 

 

ということでメタ問題

「「立ち小便」の意味分析をせよ、という問題を試験に出そうか」と思った言語学上の理由は何でしょう。思ったきっかけはこれなんですが、「きっかけ」と「言語学上の理由」は別だったりする。

 

 

egoisticではないけどegocentricなひとその1

赤ちゃんはかわいい。そのかわいい赤ちゃんに嬉々として振りまわされている周りのひとびともかわいい。

 

 

egoisticではないけどegocentricなひとその2

う〜ん。

 

 

けんきう的日常

何とかという人が書いた某論文に、スウェーデン語に関して私が求めていたまさにその内容の言及があって、「そうそう、この問題を扱うんだったらやっぱりこれに触れなきゃ」と思った。


6/27

どうせわたしはおじさんですよ

28日の夜、ようやく姪の顔を見ることができる模様。

 

 

一瞬焦りましたの

「品性下劣」「厚顔無恥」「鬼畜」の三拍子男は、今年も授業で「人妻」を取り上げたばかりではなく、別の文脈で「不倫」にもちらっと言及したのです。

 

 

非常勤の授業資料をけんきう室サイトにおいた

配布資料を受講登録者全員分作っていないことに対する罪滅ぼしということで、URLは授業中に発表済み。

一般公開の予定はないので、URLはここには書きません。

 

 

ぷれっしゃ〜

例の某件、ダチョウも〜どで逃げていたらメールが追いかけてきた。う〜ん。

お返事はまだ。

 

 

『間テクスト性の戦略』

午後の非常勤先の近くの書店で見つけて購入。途中。

「intertextualityは「読み」の問題で(も)ある!」ということが強調されている。ということは、文学理論に関しては門外漢のぼくが偉そうに知ったかぶりして授業で話していたことが実はそれほどぴんとはずれでもなかったということで。ふむふむ。

 

 

あの書店

小さいんだけど、魅力的な(←けんきう者にとって)本が多いような気がする。大学のそばで商売をやってる書店の努力とか自負みたいなものがあるのかしらん。

 

 

けんきう的日常

「ている」に関して図書館に頼んであった某論文が届いていたので、受け取って読む。多大なる示唆を受ける。その論文で言及されている先行研究のアイデアや、例文から。そうか10年くらい前に読んだあの論文にそんな議論/例があったんだっけって感じで。(とか言ってる私は相変わらず無礼な奴である。その論文自体の分析は…読む前は期待していたんですが。)

そしてその例文は、10年前のぼくにはうまく説明ができなかっただろうと今では思うのだが、今のぼくの枠組みでは何となくきれいに説明できそうな感じだったりする。てゆうかその例文のおかげでミッシングリンクが解決しそうな雰囲気。


6/25

「増えている」

「引きこもりが最近増えている。中には十年以上引きこもっている人もいる。」

この「増えている」、content levelと読むかepistemic levelと読むかでずいぶん解釈が変わってきそうな気がする。言ってる方は多分epistemic levelのつもりなのだろうと思う。

 

 

ぼくちゃん先生

先日の授業のとき、ある男子学生が靴を脱いで、いやそれだけではなくて靴下も脱いで、素足になって脚をでれ〜んと伸ばして坐っていました。別に反抗しているわけでもふてくされているわけでもないようなので、ちょっと遊んでみることにしました。

「なんか小学生のぼくちゃんみたいだね」

すると彼は一言。

「ぼくちゃんに言われたくない」

おい君それはクリシン的には「人身攻撃」と言ってねえ…

という問題ではなくて、それ以前に吹き出してしまった私。どうせぼくは貫禄ない人よん。

てゆうかこの4年坊主、昔はもっとカワイカッタはずだけどなあ。

 

 

もう一つくりしんネタ

このページのアクセスカウンタが増えた後でマイニッキエンジンを見ると、大抵増えたカウンタ分と同じくらいの数の日記が更新されている、ような気がする

共変関係は本当に存在するのだろうか。かりに存在するとして、その背後には因果関係が存在するのだろうか。

調べる方法はない。あったとしても恐らく時間はない。


6/23(金)

約束を破った私その1

大学にファックスで資料を送るといっていた私ですが、実際にはメールで送ってしまいました。

 

 

約束を破った私その2

その資料はゴゴイチで送るといっていた私ですが、金曜日の午前中は死ぬという運命には結局逆らえませんでした。昨夜から死にまくっていた結果、実際にメールを送ったのは16時20分過ぎでした。

ちなみに、その資料が使われる集まりが始まるのは16時半からだったはず。

 

 

嘘をついていないことを祈る私

非常勤先の学生に「メールは毎日読む」と言ったのは確かだけれど、「毎日返事を書く」とは言っていないよねえと自分に言い訳する私。

読むのは毎日だけど、返事書かけるのは金曜の午後から夕方にずれ込んでしまう私。でもそうすると「図書館にあるあの本を見て」とか「研究室にあるあの雑誌を見て」とか言えなくなってしまって(授業が月曜だから間に合わない)、結局限りなく答えに近いものを教えるしかなくなるのであった。うみゅ〜。

 

 

そろそろそんな時期

春学期の定期試験の監督配置を決める係になっていたので、某ぢょきょ〜ぢゅと一緒に木曜日にすぱっとやってしまいました。ない知恵を絞ってできる限りの配慮はしたつもりですが、それでも「なにこれ?」ってところはあるんでしょうなぁ。

てゆうか「○○さんと本多さん、1限に回されてかわいそう」とか思ってくれる人とか、いないかしらん、担当が○○と本多だって知らない人の中に。

こういうのを決めるとき、自分の周りを自分と仲のいい人と手際のいい人だけで固めちゃうばりばり職権乱用モードのきょ〜む委員も過去にはいたに違いない(←ただの臆測)のだが、うちらは自分で泥をかぶる覚悟でやりましたのん。てゆうか二人揃ってただのお人好し。

(てゆうかこの段落このままだと話がめちゃくちゃ。時限の話と誰と組むかの話って別ぢゃん。「自分に有利にするか不利にするか」というレベルで読んでやってくださいな。2000/6/23 23:43。)

てゆうか(←またかよ)…(以下削除)。


6/20

次の日記名を考える閑人な私

変温動物の悲哀」とか「オエカキイミロンキライ」とか「もっとカリカリ」(←期間限定)とか「ぐったりんぐ」とか「きじゃ〜し〜」とか「メタに走って馬脚をあらわす今日この頃のわたくし」とか「インケンな大学教師の放言」とか「けんきうしてた日記書きの日記」とか。あるいは「日記」とか。

 

 

『スポーツ・イラストレイテッド』をめぐるジンクスと小渕政権の功

今日のくりしんゼミでは(鏡像関係ではあるけれども)同じ構造の話かも、と言ってしまいました。出ている学生の約半分は経済学部の人なので、各自ちゃんと判断してくれることを期待しつつ。

 

 

教育実習報告会

というのがあるらしい。実習に行った学生のほとんどはよく知っている人たちなので、ぼくもこっそり見に行かせてほしいと思ったら、授業と重なっている。うぐぐ。


6/19

ぐったりその1

夜遅く家に帰ったら今日行った某所から20日締め切りの書類が郵便で届いていた。どうしろっつうの?

てゆうか書類の日付が9日なのに消印が17日って、どういうこと?

てゆうか今日受け取れるようにしてくれてもよかったのに。(後知恵バイアス? 違うでしょ。)

 

 

ぐったりその2

某ストレスのもとが消滅したと思って喜んでいたら、その隙間を埋める形で新しいストレスのもとが発生していることに気がついた。

ストレス度はマイナス1プラス1プラスメタ1で、結局プラス1。

 

 

ぐったりその3

例のやつ♪

「相変わらず問題はヒト」。ということはどういうことかというと、「仮に奇跡的にぼくのやりたいようにできたとしても、カラマワリは必至」ってこと。そういう現状認識。

ということで、まことに恐縮なのですが、この前と同じ内容のメールを出すのは時間の問題かと。

 

 

自意識とか

あまりに反応が早かったのでどこか私の読んでない別の日記かもと思ったのでしたが。でもそれ以前に私の方がタイミングがよすぎたかも。初日だったわけだから。偶然なんですが。

ある日たまたま猿人の一覧の新しいところを見たのでした。一覧なんてめったに見ないんだけど、たまたま見た。そしたら見覚えのあるうれしくない文字列が一番上にあって、びっくり。そして私は鬼畜なので…

 

 

鉄火丼ボード

ぼくも見たのですが、そこまでは読み取れませんでした。

 

 

何でも他人のせいにする人

ぐったり。

でも人間、健全な精神生活を送るには根拠のない自信をもつことが必要、って本家くりしん本にも書いてあったような気がする。う〜ん。

 

 

「ぼかし言葉」

って言うと「あいまいなニッポン文化の中の私♪」って感じですが、これが``hedges''となると途端に雰囲気が変わるんですね。

ただし``hedges''には「ぼかし」系のやつと「くっきり」系のやつと両方含まれるんだけど。


6/18

でっかち

イデオロギー的にあらかじめ結論が決まっていてそれに後づけ的に議論を付け足していくというスタイルのひとびとに論理的な観点から疑問を呈すると、それだけで「あんち」の烙印を押されることがあるような気がします。

あるいは、ステレオタイプに対する見方が(メタのレベルで)ステレオタイプと化しているとか。

「などという偏見をばらまくところをみると、しょせん本多氏も理解のない男性の一人に過ぎないようですね」という意見も出てくるかもしれない気もする(めた)。

ということなので、女性のひとびとがあれについてどう思ったのかを知りたい気がする私(って声高に言うとまたメタハラスメントになりかねないのだけれど…むつかし)。

 

 

あしひっぱっちゃった

のかしらん?

だとしたらすみませんでした。

って私の自意識過剰であることを祈ってるのですが。

 

 

東京ラブストーリーの頃

昔(1998-02-21)書いたように、大学新聞の「私の学生時代」欄に「『東京ラブストーリー』の頃」という文章を載せてもらったことがある。 あの文章自体は到底ネットに載せられるものではないので公開はしないのだが、あれをめぐって学内にはある誤解が広まっていたように思う。その誤解を、この場を借りて解いておきたい。

本多はあの文章を、小田和正の『ラブストーリーは突然に』を思い出しながら書いたに違いない、と思っている人がいるらしいのだ。まあ文章のタイトルからしてそう思うのも無理はないのだが、実は違うのであります。

あれを書いてたときに頭の中をぐるぐるしていたのは、実はSMAPの『夜空ノムコウ』であった。こっちの方があの文章の内容にあってると思いませんか?

 

 

全然関係ないけど

月が変わったらまた日記名変えるかもしれません。

 

 

テレビ画面の中の養育者と、日記間のリンクなきコミュニケーション

発達心理学の実験で、こんなのがあったように記憶している。

赤ちゃんに、養育者がこちらを向いて映っているテレビ画面を見せる。画面の中の養育者の声だか表情だか身体だかの変化が、赤ちゃん自身の声とか動きとかと同期しておこる場合には、赤ちゃんはご機嫌になる。そのとき同時に、養育者の様子をビデオにとっておく。そして、そのビデオを同じ状況で別のときに流す。するとその場合、赤ちゃんに見える養育者のあり方は、さっきの場合と全く同じになる(ビデオにとっておいたのを流すだけだから)。でも、今度は養育者のあり方は、赤ちゃん自身のあり方とは同期しない(赤ちゃんがさっきの場合と全く同じように行動するということはありえないから)。すると今度は赤ちゃんは不機嫌になる。

相手の動きがこちらの動きに同期して起こっているのが分かれば、相手と自分の間にコミュニケーションが成立していると感じられる。相手の動きがこちらの動きに同期していなければ、コミュニケーションは成立していないと感じられる。

随伴性の検知? あるいはナイサーのinterpersonal self。

日記と日記の間のリンクなきコミュニケーションは、これに似ている。


6/17

某同僚が

「TOEICは「実用英語」をうたっているけど、実は文法が出来なければ手も足も出ない」と言っていたのだが、ここに出ている問題に限って言えばそれはどうやら当たってるっぽいです。

 

 

ささやかな善意

去年だったかしら、ある日、近所のネイティブスピーカーの英語教員の研究室の居場所表示が「食事」になっていたのを「帰宅」にしてあげたのは私です。

実は前の日から気づいていて、でも「ほっときゃいいや」とか思ってそのときは直さなかったのだけれども、でもこの日は出講日でもないのに学生が待っていたりしたの。

 

 

ファイル占い

だから誕生日だけで占うのは駄目だって前からいってるぢゃん。

ちなみに私は「ジップさんタイプ」だそうです。例の「完璧主義で八方美人」って奴。

向いている仕事の中に「巨大迷路デザイナー(まだ居る?)」と「ちょっといい加減な翻訳家」が混ざっている。前者はいつか学校の文化祭でやった、確かに。後者は当たってるかも。でも「完璧主義者」でありながら「ちょっといい加減」ってのは、つまり自分のことが分かってないお馬鹿さんってことだな。ぐったり。

だから(?)占いなんて嫌なのさ。

 

 

マイニッキエンジンに異変?

たまに「一覧」にして黄色いところを押してみると面白い発見をすることがあります。「そういえば今期はドラマ見る余裕ないなあ」と思ったり、「え、何このタイトル?」と思ったり。ちなみにこの二つは別件です。

前者に関しては復活希望。


6/15

教育実習その1

某学生の授業を見に行った夜見夜ぢょきょ〜ぢゅ(仮名)がその学生の授業を絶賛していました。

 

 

教育実習その2

別の某学生の授業を見に行った別野きょ〜ぢゅ(仮名)がその学生の授業を絶賛していました。

 

 

「××はおかしい」と黒板に書いて「このような<××はおかしい>という議論は変だ」って口頭で言うと、

「××はおかしい」とか「××は変だ」とか言ってるように誤解されるということを発見。う〜む。

 

 

とことんIPAL風

某仕事にまつわるぼくの動き方、何もかもがIPALのときと同じだということに気がついた。おそるべしIPALプロジェクトの影響力、ということではなくって、結局どこに行ってもぼくはぼくってこと。

そしてこれはある意味、学部のとき、第二外国語でドイツ語をはじめて勉強したときの状況にも似ていたりするのであった。

 

 

ささやかないたずら

すでにネームプレートも外されている退職教員の研究室の居場所表示を「食事」にして喜んでいる大馬鹿者は私です。


6/14

そいえば昨日

授業中、黒板に字を書きながらそのまま振り返りもせずに「うるさ〜い!」と叫んでいました。

飛行機が我慢できないお年頃♪

 

 

今日の講義科目

前半は宿題の解説、後半は英語進行形の多義構造の話。「こんなふうに一見ばらばらな意味がbe+〜ingという同じ形式で表せるのはなぜでしょう」と聞いたら、直観的だけど本質的に正しい(とぼくには思われる)ことを言った学生がいた。じつに素晴らしい。

それから、親御さんが九州出身という学生がいるので、シヨル形式について聞いてきてもらうことにする。

この授業、学生同士のディスカッションが盛り上がって演習科目並のにぎやかさ。ただし、盛り上がりは局所的。議論しているひとびとの隣で寝てる人もいるし。

全員が話し出したら収拾がつかなくなるのでそれも困るが(っていうのは雪だるま論法ってやつであって、実際にそうなることはまずない)、他の学生たちも、議論に参加せずともいいから、ディスカッションに参加しているひとびとの話から何か学びとってほしい。なにより、ディスカッションしているひとびとはものを考えることを楽しんでいるのだということを感じ取ってほしい。

たまに勘違いして関係ないお話を始める人がいるので、それは制止する、ってのは前にも書いた通り。あの人たちだけ制止しないであなたたちは制止するのは別にひいきしているわけではないのです。

 

 

気になる学生

すわり位置とか、ぼくに対する態度の変化とか、ちょっと気になる人がいる。その人に何か問題があるというわけではないのだけれど。いろいろ気を遣ってるのね、って感じ。


6/13

いちにちそればっか

11時過ぎ出勤。小テストのコピーをして、ついでに昨夜作った某資料をコピーして、関係者のメールボックスに入れる。その後研究室へ。先ほどの某資料、なとりきょ〜ぢゅ(仮名)には直接渡したほうがいいので、研究室に行ってみるが、留守。ドアの下から中に差し込んでおく。

早めの昼食。食堂に行くとなとりきょ〜ぢゅがいたので、一緒に食べながらその某資料の内容を説明しておく。口頭だけで説明したため、自分でもそれと分かるくらい要領の悪い説明になってしまった。恐縮。

数時間後、休み時間に研究室にきた佐倉城ぢょきょ〜ぢゅ(仮名)にもその資料を渡す。二人してちょっと悩む。いったん別れたが、次の授業が同じ建物なので、エレベーターに乗るところから一緒。さっきの続きで某資料に関連することを話しあいながら教室に向かう。

帰りのバスで、ふたたびなとりきょ〜ぢゅと一緒になる。当然のように某資料に関連した話を続ける。同じ電車に乗って、乗換駅までその関連の話を続ける。

という具合に、今日は某資料に振り回された一日であった。自分が作った資料に振り回される、お馬鹿なわたくし。

合間に授業などやったりとか。3コマ。

 

 

書く能力と…

3年生対象の「比較文化演習1」の志願票には、志望理由を書くところがある。志願票自体は履修許可の印鑑を押した後教務課に渡してしまうので残っていないのだが、ぼくは教務課に返すまえに志望理由のところだけコピーしてとっておくことにしている。

そしてそれぞれの学生の学習状況がはっきりしてきた頃にそれを見直してみると…

「ほ〜ら思った通りだ!」という感じで、存分に後知恵バイアスの効果を楽しむことが出来ます。ってそういう問題じゃないか。


6/12

小テストつくりながら思う。

次回辺りから形式も内容も変えようとか。

 

 

リンクの有無とコミュニケーションへの意志の有無

リンクをはってる場合にはつねにリンク先とコミュニケーションする意志があるかときかれたら、ぼくだったらそれは違うでしょうと答えると思う。

リンクをはることがリンク先とのコミュニケーションへの意思表明として機能するには、リンク先の人がそのリンクの存在に気がつくということが前提となる。そしてリンクの存在に気がつくには2通りの場合がある。

一つは、相手が自分のサイトを定期的に読んでいるということを自分が知っている(ということを相手が知っていると自分が知っている…よく分からない)場合。だが実はこの場合、リンクをはろうがはるまいがコミュニケーションは成立しうる。だから、コミュニケーションへの意志があったとしてもわざわざリンクをはる必要はない。ということは、リンクをはったときには、コミュニケーションへの意思表明以外の機能を持たせている可能性があるということになる。

相手がリンクの存在に気づくもう一つの場合は、相手がアクセス解析をやってる(ということを自分が知っている)場合。その場合は、「相手が自分のサイトを読んでいる(ことを自分が知っている(ことを相手が知っていることを自分が知っている?))こと」は成立する必要はない。そしてそれが成立しない場合には、アクセス解析をするサイトに(相手がアクセス解析をしているということを知ったうえで)リンクをはることは、自分の記述の存在を相手に知らしめようとすることになる。すなわち、リンクをはることがコミュニケーションへの意思表明として機能することになる。だがその場合でも、リンクがリンク先とのコミュニケーションへの意思表明とは違った機能を持つ可能性もある。

リンクの有無をリンク先とのコミュニケーションへの意志の有無と相関させて考える発想の背後には、リンクの機能としてphaticなものだけを想定する考え方がある。だが、リンクの機能はそれだけではない。つまり、リンクにはreferentialな機能もある。自分のサイトを読みにくる第三者に対して、リンク先の記述の存在を教える機能。これが、さっきから言っている「コミュニケーションへの意思表明以外の機能」というやつ。まえ書いたようにいわゆる「リンク集」の中のリンクにはphaticな機能を持たせたものが多いように思うが(私のリンク集はその例外になることを想定して作っている)、いわゆる「文中リンク」にはreferentialな機能を持たせたものが多いと思う。「文中リンクは嫌!」という人がたまに見受けられるが、それはリンクの機能をphaticなものに限定したいという発想とつながっていると思う。

そして、普段お互いに読み合っているわけでもなさそうであり、なおかつアクセス解析もしていないっぽいサイトへの文中リンクは、phaticな機能ではなく、純粋にreferentialな機能だけを持つように意図されたリンクであると言える。その場合、リンクは「有」だがコミュニケーションへの意志は「無」である可能性がある。(このパラグラフ2000/6/14 1:59)

それから、リンクをはってないからコミュニケーションへの意志がない、とも言えない。それは例のintertextualityってやつ。パロディだの本歌取りだのはいちいち「○○を下敷きにしてます」とは書いてないはず。書いていないことを読み取るのが読者に期待されたスキルなわけで、ていうかいちいち「○○を…」と書いたらかえって読者を馬鹿にしているととられかねない。そしてintertextualityに関しては、解説書には「対話」という言葉が出てきたように思う。「対話」というのはコミュニケーションの一形態である。

んなかんじ。


6/11

基本はウザゲ! という考え方

本が出た模様。買わねば。

 

 

午後の非常勤

受講者名簿が届く。というか登録者名簿だな、実際は。例によって実際に出ている人々よりも明らかにずっと多い。これだけの人数分のハンドアウトを作っていたら死ぬので、これまでと同じく、実際に出ている人数で作る。登録者全員分の教材を用意できないのはある意味無責任だが、やむをえない。

去年は打検士の話なんかしたんだっけ。今年はしなかった。どうしようか。

 

 

変温動物の悲哀

って、去年も書いたっけ。6/15と、6/18と二つあるけど、今の状況に近いのは後者

 

 

ロンドンブーツの下品な番組

見てしまった。ナンパで付き合い出した彼女は別の男のナンパにも引っかかりやすいのではないかという猜疑心に取り付かれた彼氏が、わざとデートをドタキャンする。そこにナンパの達人(?)の男がやってきて彼女に誘いをかける。彼女が誘いに負けてタツジンの部屋についてきちゃったらアウト、って企画。

んでもって今日は彼女がタツジンと飲みに行くところまではいったんだけど、途中からうまくあしらって最後は駅かなんかでバイバイしちゃった。つまり彼女はタツジンにひっかからなかったってわけ。

んで何が言いたいのかっつ〜と、彼氏の方、彼女がその男についていかなかったことで喜んでいたようだけど、そんなに無邪気に喜んでいていいの? ってこと。ああいう形で試された、ってことを彼女が知ったら思いっきり傷ついて、逆に彼氏に対して不信感を持つと思うんだけど。放送されちゃったからには彼女自身は見なくても何らかの形で彼女の耳に入るでしょう。

全部やらせだったらまあいいんだけどね。

それに、ああいう番組を「下品」と言いつつ見るぼくもぼくだけどね。


6/10

学生が作っている休講情報のページ

がある。URLは内緒。

んでもってそれがどのように運営されてきたかというと、誰かが教務課前の休講掲示板までとことこやって来てメモを取って、それをホームページに載せる、ってやり方なのだけれども、問題はその「誰か」が一人の人に固定しているってこと。つまり、一人の人間の善意に大勢がたかるという構造になっているわけです。しかもその誰かさんがとってもいい人らしくて、休んだりうっかり忘れたりしてメモができなかったりすると、そのたびに「ごめんね〜」という感じのおわびをBBSに書き込んだりするわけです。けなげ。ぼくだったら絶対やだ。「みんなの役に立ってるぼくってなんて偉いの♪」と思うことで多少なりとも不協和は低減されるだろうが、でも解消はされないだろうと思う。って脱線。

んで、他の学生がそれに対してどういう反応をするかというと、「ご苦労様」とか「大変ですね」とか「頑張れ」とか書いている。「そんなこと書くくらいだったらお前が手伝え」とか言いたくなるけど教員がBBSに書き込んだりメール書いたりしたらやはり学生としては嬉しくないだろうから、ただひたすら黙ってみているわけです。

ところが最近の書き込みでついに、「みんなで分担してやろう」という声が出てきた。6/10朝の書き込み。

今のところまだこの書き込みには何も反応がない模様ですが、これからどう展開していくのか、彼らの知らないところからじっくり見させてもらおうなどと企んでいる私。なんていぢわるなきょ〜いんなんでしょ。てゆうか、学生が自主的に協力態勢を作り上げていくところをアタタカイ目で見守ってるって言ってやってちょ〜だいな。

 

 

教室割

うちの大学も、非常勤先も、だけでなくて多分どこも、大変みたいです。でもそういう部分の大変さって学生には見えないから、曜日時限が変わると切れちゃう人が出るのも仕方ないなという気がします。そして担当教員がその不満のターゲットになるのも、まあ学生から見える範囲を考えれば、仕方ないかなとも。

ただ、書かれている通り、学生だけでなく教員もTAもみんな被害者なわけで、被害者同士で争うのはあまり生産的ではないし、発生してしまったことにいつまでも腹を立ててるのではなくて、今後どうするかを考えよう、ってのは正解だと思います。

でも特別に授業をするってのはすごいな。

 

 

けんきう関連

とりあえず紀要論文の校正だけで手いっぱいだったりします。校正が大変ということではなくて、がっこの方面で気になることがあるの。

とゆうことで、今日までに企画を立てなければならなかった某プロジェクト…

う〜。

 

 

無言電話

昨夜の就寝時刻は2時をかなりすぎていたと思う。まあぼくとしてはありふれたことなのだが…

なんと朝5時半過ぎに自室の電話で起こされてしまった。鳴るはずのない、発信専用の電話。番号は誰にも教えてないから、かかってくるとしたら電話会社の宣伝か、悪戯電話ないし間違い電話。朝5時半過ぎってことは電話会社ということはありえないから、悪戯電話ないし間違い電話だろう。そのうちきれるだろうから放っておこう。

ってこれがなかなか切れない。25回鳴らしてもまだ切れそうにないので、いったん出てみた。無言で出てみた。「誰がかけてるんだかしらんが、ぼくと知ってて、用があってかけてるんだったら「もしもし」くらい言うだろう」と思いながら耳を澄ますぼく。だが向こうも沈黙したまま。そして10秒くらい経って、切れた。というか向こうが切った。

その後、誰からも電話無し。家の番号公開の電話も鳴らず。熟睡中をたたき起こされたぼくはその後しばらく寝付かれず耳鳴りに悩まされる。

激怒。


6/9

もんしろちょうつぶし2000/6/9 2:7

88876でした。12ひき潰すのはやっぱり気が引けるのでやめます。

 

 

「働きながら子どもを育てられる…」

「子どもを育てながら働ける…」だったかな。忘れた。某政党のテレビコマーシャル。

あのコマーシャルって、語ってるのは女性なのですな。子どもを育てながら働いている母親という設定。あの語りを男性にやらせたら面白かったかも。子どもを育てながら働いている父親、ないしは働きながら子どもを育てる父親、という設定で。

何が言いたいかというと、あのコマーシャル、作った側の意図としては「女性に配慮している」ということをアピールしたかったということなのだろうけど、でも受け取り方によっては、「結局性別による役割分担を前提としてるじゃん」ということになる、ってこと。

でも男性に語らせてたら、分かってくれそうな女性の割合を考えると、女性に対するアピール効果は…(以下問題発言になる見込みにつき、略。)

 

 

ぎちょうのししつ

こういう素晴らしい反面教師のおかげで、次世代の人間は「ど〜ゆ〜議事運営のし方がよくて、ど〜ゆ〜のが駄目か」を学ぶことができるのです。

でも副議長代理見習い氏(←副議長にはなりたくないらしい)はぐったりしてました(←ってまるでヒトゴト)。

 

 

某1年生

わりとよく質問にくるのだが、教科書の先の方をどんどん自分で勉強しているらしく、ずっと先のところを聞きにくる。

実に素晴らしい。


6/6

そんな感じの、論文

手打ち蕎麦を5時間くらい煮込んだ後、たっぷり油を引いた鉄板で焼いて、最後はこってり味のとんこつスープに入れていただきます。一つの麺で「蕎麦」と「ヤキソバ」と「とんこつラーメン」の3つの味が同時に楽しめる意欲的な一品。ありとあらゆるテクニックを駆使して素材の持ち味をさりげなく隠したところがポイント。

って、すんげえイヤミ。でも味音痴の私はヤキソバまで付き合いました。さすがにとんこつはもう結構。

蕎麦だから適度にゆでてたのをおいしいつゆにつけていただけるのであれば大変結構なのですが、5時間も煮込んじゃうなんてちょっと無謀。あと、蕎麦を鉄板でヤキソバ風にってのは根本的に無理がある。

作った本人は他の人の料理よりもおいしいと思ってるらしいから困る。ところどころ手付きも怪しい。てゆうかなべからお湯がふきこぼれてガスの火が消えそうになってるのにも気づいていない。

そんな感じの、論文。とっても疲れる論文。(←これは寺村の言う「内の関係の短絡」。こういうのは「転移修飾」とは言いたくないな。)

 

 

その他

いろいろ腹立てたり疲れたり混乱したりため息ついたりしていました。鬱ではないけど。

無能を自覚しているためにいろいろなことから逃げ出してしまう私にできる数少ないオシゴトは、無能を自覚できないためにひたすらに暴走を続けるあの人を正面衝突で停止させることくらいかもしれません。その日は迫っている。

なにげにセ〜ジ的な今日このごろかも。まぢで向いてないんだけどな。

 

 

それから

TOEFLの成績とパソコンと。教職課程に大事なのは、どっち?

私はまたかと思いましたよ。


6/5

そして今日も。

あのときき〜みわぁ、馬かだぁったぁ。

きょうは某メールに激怒したのであった。

 

 

「任意で引っ張る」

「任意同行」って言葉は、法律の素人がみると、「一緒に行ってあげてもいいわよん」って雰囲気なのですが、「引っ張る」には全然別の雰囲気が漂ってるので、これってなにげにoxymoronぢゃん、とか思ったわけです。ホンネとタテマエ? それとも「任意同行」の解釈がそもそも違う?

「任意で引っ張る」的な発想は捜査のための心構えのひとつとして積極的に認められるべきものなのか、それとも必要悪的なものなのか。警察の人権感覚の高さの現れなのか、それとも欠如の現れなのか。

十分に証拠が揃っていて逮捕状もとってあるんだけど、いきなり公衆の面前で逮捕だと気の毒だからいちおう「任意」にするのか。つまり、人権感覚の高さの現れなのか。それとも、証拠不十分で逮捕状が取れない段階だから、とりあえず「任意」でつれてきて事情聴取(というタテマエの取り調べ)で供述を引き出して、その供述をもとに逮捕状を取って正式に逮捕、というやり方をするのか。つまり、人権感覚の欠如の現れなのか。

後者だとすると冤罪のもとかも。


6/4

努力主義と成果主義と教育的配慮その1

(努力して)よい結果が出たときには、結果に対する好子で対応する。努力したけど結果が思わしくなかった場合には、努力に対する好子で対応する。そうすると人は努力を続ける。当初結果が思わしくなかった場合でも、努力を続ければ、やがては良い結果が出るようになる、かもしれない。

努力したけど結果が思わしくなかったときに、結果に対する嫌子で対応すると、努力することにストレスを感じるようになる。

(努力の時点では(定義上?)結果は出ていない。つまり、悪い結果が出る可能性を排除できない。つまり、嫌子が与えられる可能性が排除できない。そこからストレスが生じる。)

それではその場合、努力しなければどうなるか。あるいは、行動しなければどうなるか。行動しなければ、結果が出ない。良い結果も悪い結果も出ない。つまり、好子も与えられないが、嫌子が与えられることも回避できる。こうして人は無気力になっていく。

だが、実際には、努力しなければ、今度は努力しないことに対してほぼ確実に嫌子が飛んでくる。努力しても嫌子が与えられる可能性があり、努力しなければほぼ確実に嫌子が与えられる。ある種魔女裁判的な逃げ道無しの八方塞の状況。てゆうかぐったり。

 

 

努力主義と成果主義と教育的配慮その2

努力せずによい結果が出たときに、結果に対する好子で対応すると、人は努力をしなくなるのだろうか。努力せずによい結果が出たときに、努力をしなかったことに対する嫌子で対応したら?

努力せず、当然のように結果が思わしくなかったら?

はい、行為分析本、読みます。実は以前書いてからまだ読んでないのです。


6/3

さぶじぇくてぃふぃけいしょん

夢を見ました。

Langackerが書いたギブソニアンの知覚システム論とsubjectificationとの関連についての論文が、ある論文集に入っている。倫理学の某きょ〜ぢゅがその論文集を持っていて、私に見せてくれた。私は「これは抜刷を持っているからコピーはしなくていいや」と思ってコピーはせず。また、そのきょ〜ぢゅがsubjectificationがらみの論文をいくつか貸して下さいというので、私が持ってるものを貸す。
翌日、そのきょ〜ぢゅが論文を返してくれた。Langackerの例の論文にもう一度目を通したくなったので抜刷を捜すが、どこにも見あたらない。今更「やっぱりコピーしたいのでもう一度あの本貸して下さい」とお願いするのも気が引けるので何回も捜すが、やはり見つからない。「抜刷なんてもともと無かったのかなあ」と思い不安になり、そのうち「あれ、ゆ

めだったのか?」と思ったときには目が覚めていた。次の瞬間、「がっかり」。

ちなみに、「Langackerが書いたギブソニアンの知覚システム論とsubjectificationとの関連についての論文」などというものは実在しないはず。あったら真っ先に読むんだけど。

でもなんで倫理学のあの きょ〜ぢゅ なのだろう。木曜日、かなり長いこと一緒に過ごしたから?

 

 

紀要論文の二校

印刷所から届いた。

誠実さが感じられる素晴らしい編集。

 

 

なにげにおくしもろん

警察の方々って、「任意で引っ張る」っていう言い方、本当に使っていらっしゃるの?

 

 

カオ

現代文化学部のホームページに、学内のさるお方からクレームがついたという話を聞きました。どういうクレームかというと

他学部の教員紹介はどこも写真入りなのに、現代文化だけ写真がないのはどうしてなのでしょうか。率直に言って見劣りがするのですが。

という内容のもの。

現代文化の教員紹介が写真無しになったいきさつはまあいいとして、実は他学部のページも全員の写真が入っているわけではありません。載ってる人と載っていない人がいる。ただ他学部の場合は一人1ファイルという形になっているので、それが目立たないようになっている。んでもって、現代文化は全員を1つのファイルにまとめてる(そのいきさつもここでは省略)ので、他学部と完全に同じようにした場合、載せてる人と載せてない人とが発生してむらが目立ちそうです。全員載せるか、一人も載せないか、はたまた全員まとめて1ファイルという形式をやめるか。ま、そんなことはいいとして。

とにかく学長の要望通りに現代文化の教員紹介にも写真が入るとなると、私のカオも公開されることになるのでしょう。

このページの読者の中には私のカオをご存知の方とそうでない方とがいらっしゃいます。ご存じない方は、それぞれの想像力で私のカオを想像したりしなかったりしながらこのページをお読みなわけです。そして、このページ(および公式ページ)だけから作られた私のカオについてのイメージは、実際の私のカオと、どれくらい一致するのでしょうか。

やっぱカオ知られるの嫌やわん。

それにしても、教員紹介に顔写真を埋め込む作業って、いったいどなたがなさるんでしょうか。カオ写真ファイルは事務局のしかるべき部局にあって、その部局の人は今回のことを知っているので、いざとなれば話は早い。そしてファイルを教員紹介に埋め込む作業自体はちょこちょことタグをくっつけるだけだから、大した作業ではない。全然大した作業ではないんだけれども、現時点でその作業ができる人はうちの学部にそんなにたくさんはいないような気がする。何人かいそうではあるけど。

私は嫌よん。自分のカオ公開したくないんだから。てゆうか公開しない方が大学の営業上もいいと思ってるわけで。だから「本多さんやってよ」と名指しされるまでは知らん振りするのだ。

学生にやってもらうというのも一つの手だ。学生にお願いすれば、私のワガママも自動的に無効化されるのである。


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