昔みたいに笑わなくなった♪
買い物に行った雑貨屋さんでかかっていました。聞きたくなかったなあ。
ちなみに雑貨屋さんではインストでかかっていたのですが、よりによって歌詞のこの部分を思い出してしまう私。
う〜ん、鬼畜。
あの歌は最初の方の歌詞だけ聞くと純愛礼讃に聞こえなくもないけど、最後まで聞くと実はストレスで壊れそうになっている人のうめきなわけで、で、それが分かってはじめてあのとげとげしい曲調の意味が分かるわけで、だからぼくがこの↑部分を思い出したのはそんなに外れてないと思うわけ。
てゆうかBGMでかける方もかける方だと思いません?
なんて余計な解説をするところがますます鬼畜な私。
とりあえず椎名林檎はどうでもいいです、今のところ。(林檎さんは別に関係ないんだけど、他の日記で言及されていて、自分のマイペースぶりを思い知らされたのさ。)
普通だったら歓迎しませんが、赤ちゃんの写真の場合に限り、許す!
デスクトップ発見! これでパソコンが置けます。
次なる目標は、掃除機がかけられる部屋、深呼吸したくなる部屋。
ファイルを軽くするため、古い部分は消すことにしました。そこで、とりあえず日記猿人とテキスト庵での更新報告を再開することにしました。
いつまで続くかは気分次第なんだけど。
せっかく読みはじめたトマぴょんセロの本を中断したのも、リードの哲学史の訳本が先に(←何より?)出てしまったのも、『現代のエスプリ』の日記コミュニケーション号を読む気になれなかったのも、皿洗いができなかったのも、洗濯ができなかったのも、み〜んなその本のせいです。
りべんじ? そうだねえ、課題図書にでもしてあげようか、高校生対象の。あ〜でも今年からは変わるんだったかなやり方が。まあどっちでもいいや。
ちなみに今日(8/28)洗濯ができなかったのは出勤したためです。
部屋掃除(←まだやってたのか)続報。今度は机の上に、すごいものができつつあります。それは何かと言うと
(しつこいのでこの辺でやめます。)
ノートパソコン置き場。これでいよいよ机についた状態でパソコンを使った作業ができる、ということではありません。
今、ノートパソコンは恒常的に机の上にあります。机の上の、作業をするエリア(書類を書くときにその書類を置いたり、本を読むときにその本を置いたり、するためのエリア)を恒常的に占拠しています。それが今回の掃除でようやく、作業場以外のパソコン用の置き場が確保される見通しとなったのです。つまり、机の上で、パソコンを使わない作業ができるようになりつつあるのです。本を読んだり、書類を書いたり、試験の採点をしたり、論文を読んだり…
何年ぶりだろう。私のけんきう活動が停滞しているのは、ひとつには場所がないからなのです。時間の問題ではなくて、場所なのです。
内緒♪
昔、「認知的不協和の低減」の話を読んで最初に思ったこと。部下が仕事にやりがいを感じられるようにする一つの方法は、給料を高くしないことである。
むか〜し昔、日本の官僚がまだ有能であると言われていた頃、大蔵省か何かの若手の人がこんなことを言っていたのを記憶しています。「給料安いわ徹夜は多いわでとってもしんどいけど、それでもこの仕事をやってられるのは、自分たちが日本を動かしているんだという思いがあるから」。その時はよく分からなかったけど、今になって思えばこれは明らかに不協和低減の一種です。
ただし、責任感のない部下の場合には、「仕事をサボる」という方向の不協和低減に走る可能性もあるかもしれませんが。
7月30日にB'zが福岡ドームでライブをやったんですか。知りませんでした。最悪ですな。いや、知らなかったのが最悪ということではなくて、B'zが大好きというわけでもなくて、ましてや嫌いなわけでもなくて、それから福岡にうらみがあるわけでもなくて、ただ「B'z」と「福岡ドーム」の組み合わせがぼく的には最悪で、それに「7月30日」という微妙な日付が加わるともう最悪すぎて手の打ちようがないのです。
盛り上がったんだろうなあ。
英語の進行形の意味の一番大事なところを多少の歪みは恐れずにあえて思いっきり簡単に言ってしまうと、「終わりが見えている」となる。ということは…
「現在進行形の恋」って、終わりが見えてる恋のことかしらん。
違う? そうですよね。すみませんでした。
「あの日に帰りたい」のような言い方があります。これに対して
時間を戻して過去に戻ったところで、あの頃のアナタはしょせんあの頃のアナタであって今のアナタではないんだから、結局あの頃のアナタと同じ(てゆうかあの頃のアナタそのものの)状況の中であの頃のアナタと同じ(以下同じ)意思決定をしていくわけで、とどのつまり、もう一度(?)同じ人生を繰り返して挙げ句の果てには今のアナタと同じような気持ちになるだけよん♪
と応じるのはあまりにも鬼畜すぎます。そもそも「あの日に帰りたい」という人が考えているのは、そういうことではないだろうし。
それでは、「あの日に帰りたい」とはどういうことでしょう。この表現の意味はどう捉えればいいのでしょう。分析してみましょう。
発見(***)。
以下の要領で、エドワード・サイデンステッカー氏(←まじ)の公開講演会が開かれます。
日時:10月5日(木)午後1時30分〜3時
会場:駿河台大学 第2講義棟 7401教室
テーマ:Eメールとソローと漱石
講演対象者:学内の教職員・学生 他大学の教職員・学生 近隣の市民
(主催:駿河台大学教養文化研究所)
要するに、この時間に飯能まで来られるおひまな方であればどなたでも歓迎ということのようです。それからお金ですが、送られてきた書類には明記されてませんが、教養文化研究所で予算をとってるので、無料だと思います。
大学の公式ページにこの情報がないのはご愛敬♪ということで。
引き続き部屋の掃除をしていたら、(ぼくにとっては)この上なく素晴らしいものが見つかった。それは何かと言うと
足の踏み場。すべてはここから始まるのだ♪
これ。健全健全。
昨日はNHKの復讐ドラマ見そびれた!
見ました。はまります。赤っ恥青っ恥なんて見てる場合じゃありません。
あの未来何ちゃら、切ないです。かわいいです。昔のぼくもちょうどあんな感じでした。というのはプールで顔を水につけられない男の子のことですが。
んで次の未来日記。これも切ないです。
ところで、相手だけに与えられた指示の内容を後になって教えられるというのは、あやしい認知科学者たるわたし的には、どう捉えたらいいんだろう。
あと、(これは書いてなかったけど実は予想してたんだけど←本当)シナリオも、最初から最後までカチッと全部決まっているわけではなくて、「次にどういう行動をとらせるか」ってのは当事者の様子を見ながら(いくつかの選択肢の中から?)決めていくんですね。
与えられた指示がそのときの当事者の相手に対する気持ちに合ってる(合わせてある)場合とずれている(ずらしてある)場合とがある。ずれた指示が与えられた場合に、そのずれの存在を知らせることによってずれから生じたゆがみ(?)を補正するというのが「相手だけに与えられた指示の内容を後になって教えられる」ということの(一つの)役割。完全に歪みを補正してもとに戻るには当事者が大変な努力をしなければならないわけで、いっしょに困難を乗り越えた2人は…♪ それから…う〜分からない。
来週も見よう。
こちらを読んでいなければ説明図の「3」というのはすなわち「1」でもあるのだということに永久に気がつかなかったかもしれないお馬鹿な私。なんだかぐったり。
「自分を登録してくれたのは誰だろう、この人かな? それともこの人かな?」なんて感じで手当たり次第に登録しちゃう人がそのうちきっとたくさん現れて、そのうち本命同士ではないのに両想いになっちゃう、てのもきっと出てくるのね。
なんか現実感あるかも。
部屋の掃除をしていたらTomaselloの本が出てきた。読もう。
今日は久しぶりにヨガをやった。
if I were youと「死んだらどうなるの」という二つの表現にはつながりが感じられると、以前書いたことがある。
そのとき書いたように、「死んだらどうなるの」という疑問は 生前も死後も変わらず存在する<何かを感じる主体/経験者としての私> を想定することによってはじめて成立する。
if I were youという表現は、私というものが、<あなたになれる部分>と<あなたになりきれない部分>の二つからなっていると想定することによって成立する。(Lakoffがそれぞれをなんと呼んでいたかは忘れました。)後者の部分は、私が私であろうと私があなたであろうと関係なく私であり続ける部分であり、それは同時に<何かを感じる主体/経験者としての私>でもある。
以下省略。
今日メールで送られてきた姪の写真はしっかりカメラ目線です。ずっと前にもらった写真はどこ見てるんだかよく分からなかったのですが。ちゃんと見れるようになったのかしらん。
赤ちゃんがまっすぐこっちを見ている写真というのは、とってもかわいいです。
ある方の、「MMX133MHz・128Mb・2Gb」のノートパソコンが「化石レベル」と呼ばれてしまうという事実と、私の自宅のノートパソコンのスペックはそれよりちょびっとだけ悪い(CPUのクロックは多分同じ。RAMは32MB(!)。HDは1.?GB)という事実から、どのような結論が導かれるでしょう。
答え:「私にコンピューター教育を任せてはいけない」。
「ただ単に、自分はやりたくないってだけでしょ♪」などと突っ込んではいけません。
あるいは究極の選択。
ある人は夏でもあまり汗をかかないのだそうです。そのため、暑いとだんだん頭が痛くなってくるのだそうです。
なんかあぶなそう。でもそれでも羨ましい、と思わず叫びたくなるこんなちょっと支離滅裂な変温動物な私なのでした。
その人と私と、どちらが正しい真性変温動物で、どちらが邪道な仮性変温動物でしょう。
そんな馬鹿なこと考えてる暇があったら…!
この日記で、「♪」はどういう時に使われているでしょう。
実はあまり考えずに使っているのですが、「考えずにやっている」からといってまったく出鱈目な分布を示すということにはならないわけで。
ひまでひまでしょうがない人は考えてみましょう。
「変なおじさん」の格好をしているときに撮られた写真を不意に目にしてしまったときの志村けんさんって、どんな気持ちになるのだろう。
メールに「変温動物の悲哀の益々の発展をお祈りしております」なんて書かれていたり、他の人の日記に「変温動物の悲哀(旧きざし)」とか書かれていたりすると、ふざけたタイトルでいい加減な内容の文章を書き散らしていることに後ろめたさを覚えてしまう、そんな今日この頃の私なのでした。
下條氏の『サブリミナルマインド』は研究室に置きっぱなしだ。今週中か来週中に一度出勤しなくちゃいけないから、そのときにもって帰ろうかしら。
「禁煙なんて簡単だぜ。その証拠に俺なんてもう、今までに50回は禁煙してるぜ」みたいなこと言った昔の偉い人は誰だったかしら。(Shaw?)ま、そんな感じ。
たまに使う「目指せ隔日更新!」という言い回しは、「やめるのがつらかったら、せめて暴言だけでも本数だけでも減らしましょうね」という感覚に近い。
ということで、ある日突然このページの更新が長期にわたって止まったら、「今度こそうまく行ってるんだな」と思って応援してくださいませ♪
生後二ヶ月の姪は、近所のおぢさんがあやすと笑顔を見せるようになったらしい。このまま成長して大きくなってしまったら、ぼくがおむつを替えてあげたことや、抱っこしてあげたことや、返事もしてくれないのに話しかけてあげたことや、でもやがて返事をするようになった
(というか姪が「えん」と声を出したときにその直後に「うん」といってあげたら、それに答えるかのようなタイミングで「えん」と言い、それに答えるように「うん」と言ったらまた…、ということがあった。偶然なのか随伴性の知覚ができていたのかは実は分からない。)
ことや、スヌーピーリモコンで自在に顔の向きを変えて遊んであげたことや
(スヌーピーのぬいぐるみを見せるとそれを見るのです、で、動かすと目で追うのです、で、ゆっくりと長く動かすと、目だけではなく顔の向きも変えるのです。ちなみに「遊んで」いたのは姪ではなくてぼくの方♪)
そんなこともみ〜んな忘れて(←てゆうかそもそも覚えてない)、ぼくのことなんかただのおじさんとしか思わなくなるに違いない。
だってただのおじさんじゃん、なんて実も蓋もないことは言わないでくださいね。
ちなみに、自分の子どもは欲しくないです。子育てはしんどいとか、そういう問題ではなくて、別のとある事情により。
腐れ縁?
ごめんなさい。ただの語呂合わせです。
未来日記の話なんですが。
たとえば台湾で出会った2人が日本で再会したときに男の人の方が女の人に別れを告げるというあの話だと、「彼が彼女に別れを告げる」という指示はいつ誰に与えられるんでしたっけ。
ブロードキャスターのときの様子だと彼女の方は別れを告げられるということは知らなかったっぽいんだけれども、彼の方はいつ指示を与えられたんだろう。台湾にいるときからすでに男の方は知ってた、ってことはないですよね。じゃあいつ?
あの企画の面白さは、当事者の頭の中にプランがない状態で行為が積み重ねられていき、行為が積み重ねられていく中でそれぞれの行為を引き起こす意図が事後的に構築・知覚され(←因果関係が変? 気にしない気にしない)、その意図を産み出す感情が事後的に構築・知覚される(←因果関係が変? 気にしない気にしない)というところにあるのではないかしら。
それはシナリオを全部最初に読んでそこに指示されている行為を一つ一つ実行に移していくというプラン先行型の行動とは多分違う。「演じる」とか「なりきる」とか「マニュアル世代の何ちゃら」とか「計画を細かく立てて行動する」とかとは性格がずいぶん違う、ような気がする。
「指示待ち」は結構いい線をいってるのかもしれないけど、「当事者が自分の次の行動を自分では決めない」ということに最初からネガティブな意味付けをしている言い方なので、企画の面白さをつぶす見方かもしれないと思う。もっとはっきり言うとステレオタイプにはまったおやぢが若いひとびとに対してちょっぴり偉そうにしてみたくなって、自己欺瞞的な知ったかぶりを振り回しちゃったという感じ。てゆうかそういう役どころをそれこそあの人の場合演じていた、ということなのかもしれないけれども。
ブロードキャスターをビデオに撮ったわけではなくてうろ覚えで書いてるので実際どうだったかは全く自信なし。
今度元の番組を見てみようかしらん。
あの橋の上で未来日記ごっこをやってたカップルの場合は両方の頭の中にあらかじめプランがあったわけで、だからあれはかなり似て非なることをやってたのではないかという気がする。遊園地の未来日記ごっこも。
中年の夫婦も仲良くキスかなんかしてたけど、「この紙にやれって書いてあるから仕方なくやってるんだ」という言い訳が用意されているおかげで照れずに済むのですね、きっと。
遊園地のビックリハウスで経験できるvisual kinesisを思い出してしまった私。ビックリハウスが<移動+位置の知覚>に関わっているとすると、未来日記は<行為+意図の知覚>かしらん?
ぼくは猫は社会的参照をする生き物なのではないかと大した根拠もなくにらんでいる
(この前書いたかくれんぼ猫がやってたかどうかは覚えていない。)
のですが、猫には共同注意の能力はないようです。学部1年の頃、あるクラスメートが「猫は指差しをすると指してる先にあるものではなくて指の先端を見るんだ」と言っていました。その頃は「なんか変なことに気がつく人だな」くらいにしか思わなかったのですが、今になって思えばものすごい重要な観察をしていたわけなのでした。
生後もうすぐ二ヵ月の姪に対する周りの人の語りかけには、「〜だねえ」という共感表明型の言い方が多い。「〜だよ」という未知情報伝達型の言い方は少ない。これって、うちだけのことなのかしら。
赤ちゃんが何かを要求してぎゃんぎゃん泣いているときに、「そうなの、そうなの」と言ったりしている。「そ」ってのは、「あなたの気持ちは分かってますよ」ってメッセージを出すときに使えるってわけ。ほんとに分かってるかどうかは別だったりするんだけど。
非常勤先の論述問題の採点がようやく終わった。採点基準は作ってあるんだけどそれども121枚見る間には当然細かい部分のぶれが生じるわけで、しょうがないからもう一度全部読み直すという絶望感あふれる作業をしました。ただ、デジタルなぶれなので、ならすのはそれほど難しくはない。ので、読み直したおかげでぶれはずいぶん小さくなったはず。
大論述問題というのは採点が大変なので後期は問題形式を変えたいと思うのだけれども、どういう形にしようかしらん。
今度は20数名。つけながら、顔が思い浮かぶ。ほとんど授業に出て来てなくて試験だけ受けにきたひとびとの顔まで思い浮かんじゃう。だってそのひとびとって、去年英語の授業にいた2年生とか、3年前に英語の授業にいた4年生とか、そういう人たちなわけで。相も変わらずめちゃ濃密♪
ちなみにこの授業は宿題重視なので、試験の比重はそんなに大きくないです。つうことは、授業に出て来てなかった人は要覚悟♪
ぼくは実は微妙に反対で、これはやっぱり「母親語」と訳した方が実はジェンダーバイアスが少なくて、しかもとある別の面からもいいかもしれないのではないかしらねえという気が漠然としなくもないぜ! とかねてより思っているのですが、詳しい議論はそのうちに。
最近ようやく、(元)SPEEDの4人の顔がちゃんと区別できるようになりました。
で、「留守電」ってな〜に?
留守のときに受信してくれるもの? でも自宅据え置きの電話ならまだしも、ケータイの場合、「留守」ってな〜に?
電話に出れないときに受信してくれるもの? でも「電話に出れない」と「留守」は同じじゃないよ。
で、元に戻るけど、ケータイって「留守電」あんの? 誰も「留守電」なんて言ってない? 違う名前になってる? あ、そうですか、はいはい。
「Lコーナーを買いにきました」
この「を」ってなにもの?
「次の進行形の用法を、A〜Dのうちから選びましょう」という問題に対して見事に「D」という正解を書いておきながら、そのそばに書かなくていい日本語訳が書いてあって、それが間違っていたとしたというような場合、どうしたらいいのだろう。
というようなことを突然自覚的に悩み出したのが数年前のある日、宿題チェックをしながらのことであった。そのとき決めたこと:「脚はあっても蛇は蛇。脚がなくても蛇は蛇」。
要求されていない余計なこととであるとはいえ、他の人よりも一生懸命やった挙げ句に他の人より低い点数になってしまうのはよくないだろうということで、余分なところに書いた間違いは、加点も減点もせず。
ま、この例の場合は「どうしようか知らん」とすぐに自覚できるのだけれども、論述問題の場合は採点基準をはっきりさせておかないとこういうところで思わず減点したくなってしまったりするのであった。
猫というのは賢い生き物です。以前、近所を徘徊していた某猫に、定期的に遊んでもらっていたことがありました。
ある日ある時家の前の道に一匹の猫が坐っていたので、しゃがみこんで腕を広げて「にゃ〜」といったら、何とすごいことにこちらに寄ってきました。人に飼われていたらしく、とっても人懐こい猫さんでした。それ以後、その子は定期的にうちに遊びに来るようになりました。ぼくは決して餌をやらなかったので、その子は食べ物目当てではなく、遊ぶのが目当てで来ていたのです。素晴らしい頭の良さです。
その子と、かくれんぼなどをしました。ぼくが隠れると、猫さんが捜すのです。つまり、猫さんはobject permanenceというものをちゃんと理解していたのです。猫さんがうちにきたとき、ぼくが外にいないと、にゃ〜にゃ〜大声で鳴いてぼくを呼びました。object permanenceの理解を支える記憶力も相当なものだったわけです。適当な時間がすぎて、ぼくが用事があったり飽きたりして部屋に入るときには、「ばいば〜い」と手を振るとちゃんと理解できていたようで、最初の一回を除いて決して部屋の中に入ってこようとはしませんでした。猫にはやっぱり心の理論があるのか、それとも心の理論がなくてもそのようなことは理解できるのか、いずれにしてもあの子は私の意図を理解できていたのでした。心の理論の有無は別として、やっぱり素晴らしい頭の良さだったのです。
その頃ぼくは修士論文を書き途中だったので、やがてせっぱ詰まって猫どころではなくなってしまいました。すると猫さんの方も、「呼んでも出てこない」ということを理解したのか、うちに来なくなりました。とっても頭のよい子でした。
先日犬の置物に話し掛けていた猫さんはその猫ではありません。先日の子は、ぼくのことを警戒しているようでした。う〜ん、ぼくは人には害があるかもしれないけど猫には無害なただの変温動物なのに。
あるいは、Theories of Mind。
庭の片隅においてある小さな犬の置物に向かって、どこかの猫が一生懸命話しかけていました。
さくじょ♪
都合により自動返信はやめました。
とある事情により延期していた前期試験の採点、ようやく今日から始めました。
非常勤は何と恐ろしいことに去年と同じ形式の論述問題(去年より少し問題を減らしたけど、メインの問題は基本的に同じ)。脳みそがぎゅっとよじれて縦じわが寄ってます。そのうち鼻からしぼり汁が出てきそうです。鼻水と間違えられて「汚い」とか思われたら嫌です。
私は一回も出てないんだけど、でもなぜか毎年案内だけは来る某集まりが発展的解消だかなんだかして、学会になるみたいです。
あのメールは…
コンピューター教育って他人事じゃないんだよなあ。ぐったり(←いろんな意味で)。
終わったはずの好きやんプロジェクトからなぜか抜け出せずにいる私。でぃ〜ぷなひとびとに読んでもらうことを考えたら「モノとコトの認知言語学」といういちばん面白い路線を突っ走るべきなのだけれども、あの雑誌の推定講読者層を考えたら、もうちょっとつまらなく一般的にしてあげた方がいいのかな〜、という気になった私。悩んでいる間にふと気がつくと、別バージョンが発生していました。せっかく発生してくれたものを採用しない法はない。ということで、「モノとコトの認知言語学」はボツ。ボツなので、堂々とここで公開しちゃおう。
だけれども、ボツ版の公開は採用版を発送してから。
とにかく今度こそこの仕事はおしまい。今度こそ次の仕事に行かなければならないけるのだ。
がかかってきた。前もかけてきたことがある、ちょっと勘違い系のあの人だと思う。今回はどうやら何か資料を送りつけたいらしかった。ぼくは別に興味がなかったので「いいです」と答える。するとその人は、勝ち誇ったような口調で「じゃあお送りしていいんですね?」ときました。勘違いぶりは健在のようです。そういう内容のことをそういう口調で言ったら印象を悪くするだけだということが分かってないのね。
「いいです」とか「結構です」とかが危ない言い回しだということはぼくも重々承知の上で言ったのである。契約するとか何とかという話だったら注意しなければならないのだけれども、資料を送ってくるだけだったらどう解釈されても構わないので、「いいです」と言ったわけなのだ。ちなみに資料を受け取ることとそれを読むことは別問題で、電話の印象が悪かったから、読まずに捨てる可能性も高い。郵送料等はあちらもちだし♪
というようなことまでその瞬間に考えたわけではないのだが、いずれにしても、「じゃあお送りしていいんですね?」には何か答えなければならない。で、どう答えたかと言うと…
「ええどちらでもいいです」
無関心は一番残酷な仕打ち♪ というつもりでこう答えたのだけれども、全然ひるんだ様子はありませんでした。「どちらでもいい」でへこたれてしまったら営業は勤まらないと思うけど、全然何も感じないのは鈍すぎないかしら。さすがは筋金入りの勘違い系だけある。
ちなみにこの人の場合、話の途中で自分の名前を何回も繰り返したのは逆効果だったかも。「印象の悪い○○さん」として頭の中に刷り込まれてしまいました。
な〜んて、今日もまたとってもインケンな私なのでした。こういうのを目くそ鼻くそというのね。これで耳くそが揃ったら立派な三すくみ♪
以下ほぼ同文。
最近ドラマが非常に見づらい状況(←詳細略)なのだけれども、三谷幸喜作品だけはがんばって見ています。
というのは言うまでもなくこの本(え、こっち? そ〜ともゆう、確かに)の書評なのですが、それを今さっき終わらせました。
書評のサブタイトルは「モノとコトの認知言語学」。「モノとコトって…?」? そう、スルとナルとか、そういう流れに持ちこんでいます。これはおそらくは著者の意図と微妙にずれているんだけど、あえて確信犯的につなげてみました。
いつどこに出るかは内緒♪ おもてにもまだ書いてません。
見なかったことにはできないのが、複数件(といっても2件)。お返事書きます書きます。でもその前に眠らせて。今2000/8/12 5:6。
4/1〜8/7。項目を
の5種に、ちょっといい加減に分類してあります。
を狙い撃ちするのが好きなあなたに喜んでいただきたくて、ちょっと多めにつけてみました。きゃはは。
てゆうかもともとわけわかめな発言が多いってことだよなあ。テキスト庵内さんの言う通り。
未整理だった去年の分もようやく目次を付けました。こちらは分類はしてません。
「こんなこと書いてたんだ。すっかり忘れてたなあ」というのがいっぱいありました。たとえば好きやんプロジェクトの関係者である魔法使わないサディーちゃん(失礼な仮名)と同じようなことを言ってるのがこれ。大学の授業の(相互)参観に関しては こんなこと や こんなこと を書いていたらしい。
私はUniversity of Connecticutとでかでかと書かれたTシャツ着てうろうろしてます。ドラさんという言語学者(実名、ただし前略かつ後略)の弟子にもらったの。
このハワードさんという人は業界的には超有名人なんだけど、でも私の立場ではこのラズニックさんのいる大学のTシャツを着てるのがばれるとあまり喜ばれないかもしれないの。そんな、微妙なTシャツ。
最近ようやく聞かなくなった気がするんだけど、「ナウい」というのは変な言葉だったと思う。どう変かっつうと、この言葉を使いはじめた世代のひとびと(つまり(当時の)若者たち)は1年かそこらでこの言葉を使わなくなってしまったと思うのだけれども、でもこの言葉はその後10数年にわたって、「すでに年食っちゃってるひとびとが若者に迎合する(と使ってた当人たちは思っていなかったかもしれないけれど)ときに使う言葉」として生き延びた。
ような気がする。
ってなことって、とっくに誰か書いていそうな気もする。
と思ったらひっでぇ夕立。
てことでいつもの教訓:でぶ症の治療には余計なことを考えずに家でゆっくり静養するのが一番♪
alias 好きやねにんプロジェクト。のろのろと進行中。
このページのメンテのためのメールアドレスはallotherm@mail.goo.ne.jpということにしてください。
頂いたメールには必ずご返信いたします、自動で(←いみなし?)。
書いてる変温動物の名前も合わせてAllothermに変更。
つまり「変」「温」どうぶつ。ちなみに、私の造語ではありません。
妹が昔アルバイトしてた会社に、昼食は毎日カップラーメンという をぢさん がいた。2〜3年後、妹がふたたびその会社をおとづれたとき、その をぢさん はすでに故人となられていた。
先日、事務局でお仕事をしていたら、いつのまにか昼食時になった。某若い人々は食堂に行く(時間的♪)余裕もなかったのか、仕事場の隅のテーブルで(ぼくらがいたところのすぐ傍)でサンドイッチだのカップラーメンだのを食べはじめた。カップラーメン氏に をぢさん の話をしようかと思ったが、余計なお世話と思われそうだったのでやめた。
コレステロールが気になるある人が、「これからは卵を控えるようにする」と宣言したところ、ご家族が「全然食べないのもよくないんだよ」と言って、一日に2個も3個も食べさせようとするんだそうだ。
これを聞いた鬼畜な私は「歪んだ愛情?」とか「なにげに殺人鬼?」とか思わず口にしそうになったのだが、本当のところはそうではなかったようだ。その人が「コレステロールが高い」と診断されてしまったため、一家の食生活を管理していると自任しているそのご家族さんがidentitiy crisisに陥ってしまい、自分の自尊心の傷を癒すような行動に走ってしまった、というのが実情らしかった。
本格的に英語を学びはじめてからまだ半年も経っていないこの時期の中学一年生って、英語に対してどういう思い入れを持っているんだろう。 彼が「HELP」という言葉にどのような思いを込めたのかぼくには分からないけど、英語を毎日当たり前のように使っているあの人とか、とっくの昔に諦めてしまったあの人とかに、そう簡単に分かったようなことは言ってほしくないし、ましてや死んだ後まで「あっさりしている」とか「生きることへの執念の無さを感じる」なんて説教されたくないよね。
と、某猿人系かつテキスト庵系日記(8/2)(リンク集には入ってません。念のため。)を見て思いました。
ぼく自身は「死にたい」という人が現れたら「じゃあ死ねば」と言いかねない鬼畜で冷血な変温動物なのですが
(なんてジョークにしてしまっていい話なのだろうか?)
今の仕事はやはりそれでは駄目なので、でも誰かが悩んでいるときにぼくが首を突っ込むと間違いなく状況が悪化する
(「素人が深入りしてはいけない」というはそもそも鉄則なのだけれども、それ以前になにしろぼくは鬼畜なので)
ので、危ない気配を感じたらしかるべきところに紹介するようにしています。
どんかんだから気配も感じないままのことが実際には多いんだろうけど。
学校の校長さんが「いじめがあった」とか「なかった」とか言ってるのを聞いて思うことは、女性に対する男性の言動を別の人(とくに男性)が評して(あるいは男性に対する女性の言動を別の人(とくに女性)が評して)「あれはセクハラだ」とか「セクハラじゃない」とか言ってるのを聞いて思うことと、ちょっと似ている。
された人(に近い人)が決めることなのにね、ということ。ただし学校の校長さんの場合にはいじめがあったかどうか他の生徒に聞いたりするだろうから、セクハラの場合と完全に同じではないとは思うけど。
その女性の言動が、他の女性から支持されていない場合でも、セクハラというか、性差別になるのかしらん?
作ってもその外側に危ないもん置いたら意味ないの。
H愛人。
「廃人」の変換ミスです、って言っても誰も信じてくれないだろうなあ。だって嘘だもん。
ねたです。品性下劣路線です。ごめんなさい。
先行けんきうに対する言及がないのは、なぜ?
既存のリストをサーベイした上で、それとは違うこのリストの特徴をぱ〜んと打ち出した方が、存在意義が明確になって人も集まりやすいと思うのだけれども。
って、けんきうの心構えといっしょじゃん。
ところで、けんきう系サブ猿人ライト構想って、消えちゃったまんまなのかしらん。誰かのおまじないで復活しないかなあ。
先週の金曜日、事務局で自分の仕事をほっぽりだして人の仕事のお手伝いをする振りをしてちょっかいを出していた時の私の発言。
ジョークではなくて本気だったということはちゃんと伝わっていたみたいです。うむむ。
隔日更新でした。
昨日「リンクを切りました」と書いた某出版社のサイトに用事があって今日行ってみたら、すっかり模様替えされていて、新刊情報も新しくなっていました。ちょうど切り替え時と重なってしまったみたい。げほげほ。
過去日記、補足するかもしれません。う〜ん。
冬になったらとっても「冷血」になるに違いない。ということは今は「熱血」なのか。う〜ん、どう考えてもそれは違うと思う。
ウルトラランキングのアクセス解析によると、このページへの8月2日のアクセスは全41件。そのうちリンク経由でのアクセスは9件で、それらは全てリンク集から。そのリンク集はけんきう系の常連リンクと、更新日時取得サイト。
ということは、この41件ってのは全部常連の方なわけですね。てゆうか、常連だけで41件あったわけですね、きっと。ありがたいやら、こわいやら。っていまさらこわがる振りをしても手後れなんですが。
このページを見てる方の中にはうちの大学の専任の人とか非常勤の人とか非常勤の人の関係者とかいたりするんですよね。ぼや〜っと書いてることの行間が分かっちゃう人もいるってことですよね。ぐったり。学生はいるのかどうか、よく分かりません。大学内のページにリンクはってるから、アクセス解析してれば事務局の人はこのページの存在に気づくはず。そういえばいつか阿留ぢょきょ〜ぢゅがこのページは「公然の秘密」だとか言っていた。ぐったり。
で、今はテキスト庵にも日記猿人にも更新報告をしていないのですが、「更新されてないと翌日まで待てなくて一日に2回くらいアクセスしてしまう」という方はこちらからいらっしゃるとよろしいかもしれません。今年の7月5日くらいに登録されたみたいです。今のところ利用者は推定3名。どなたなのかは分かりません。あの方かしらん? という方はいらっしゃるけど、確認はできません。
んで、この項のまとめなんですが、更新頻度を下げようと思ってたりします。とりあえずは、「目指せ隔日更新!」ってところかしら。
似てるかも。
どちらもHAS-BEEN的な捉え方で、というのはつまり「これからもっと暑くなるかもしれない」とか「これからもっとかわいくなるかもしれない」とかいうことを積極的に排除はしてないが、てゆうかそもそも考慮してない、という点で。
「今年いちばんの暑さ」と「この夏いちばんの暑さ」ではどちらがよく使われるのだろう。そして、「この冬いちばんの寒さ」と「今年いちばんの寒さ」では?
ごちゃごちゃになってしまった。新規に入れたいところが他にもあるのですが、「もしかしたら迷惑かも」と思っていれてない、ってところもあります。
一年前の新刊情報を「先取り」として出している某出版社へのリンクは切りました。
あるいは、余計なお世話。
「先日(8/1)おっしゃっていた件ですが、早速ですがあなたの退職金の額は…」。でもそういう人はこういうのを突きつけられたら、「やっぱりこの会社は俺のことを全然分かろうとしない」とか言い出すのかしら。
ただ、「死んでやる」発言は、結構ほんとに死んでしまうことがあるみたいなんできちんと対処した方がいいと聞いたことがあります。「「死んでやる」という奴に限って実際には死なないんだ」というのも一つのステレオタイプなのかもしれない。
眠りながら夢を見る私。夢の中でもその本を読み続ける私。そして、その夢を見ながら「あ、またねちったよ。なんだ夢の中でもこの本読んでるぢゃん」と、眠ったまま密かにぼやいているメタな私を発見するさらにメタな私。
「無言の帰宅」なのでありました。一人暮らしの人が黙ったまま家に帰っても「無言の帰宅」とは言わないとか、家庭内離婚状態の人が黙ったまま家に帰っても「無言の帰宅」とは言わないとか、そういうこと。
こちらで紹介されている「ふ〜あ〜ゆ〜」ねた、一部では小話としてではなく事実として流されていて、びっくり。
学部ホームページの案内役をここで占ってみました。
占いの結果
占いをした日時:2000年7月31日 22時49分56秒カバラ誕生数(自分の本当の性格と現世での使命を解読する)
- ◆あなたの誕生日
- 1997 年 4 月 1 日生まれ 3 歳
- ◆あなたの誕生数
- 4 (宇宙の法則を操る管理者)
- ◆長所
- 勤勉、持久力、合理的、理論的、現実的、知識欲、思慮深い、独立心
- ◆短所
- 独断的、孤独、冷淡、強情、疑い深い、傲慢、形式主義、陰気、打算
- ◆備考
- 向上心があり、努力家だ。
カバラ姓名数(他人に与える印象を知り隠れた才能を発掘する)
- ◆あなたの名前
- NEKONO SHUNPEI
- 552757 3565851 (数値化)
- ◆あなたの姓名数
- 1
- ◆あなたの印象
- 男性的でたくましい。リーダーの才能がある。哲学、物理学などに向く。
あなたの2つの願望
- ◆外面的願望(子音数 6)
- 美しくありたい、平和でありたい、恋をしたい、所有したい
- ◆内面的願望(母音数 4)
- 確実でありたい、安定したい、自己を厳しく鍛えたい
簡易性格判断
- ◆名前の最初の子音
- S(リーダーの才能がある。野心家で創造性豊か)
- ◆名前の最初の母音
- U(柔和でやさしい。粘り強い忍耐力がある)
性格や能力の傾向
- ◆右脳型(直観的)か左脳型(論理的)か
- 4 : 9 -- 左脳型
- ◆行動型か思索型か
- 9 : 4 -- 行動型
- ◆熱中型か分散型か
- 3 : 10 -- かなりの分散型
カバラ日霊数(自分のライフ・サイクルをつかむ)
◆あなたの今日の日霊数 5 ◆今日の運勢 変化の激しい日だ。ハプニングも起こる。
学問するにはぴったりですね。さすがです。