サライ 特集 老舗で味わう 
あの人の愛したライスカレー

 夏目漱石は、スリランカで今日のカレーの原型を食べた



<僕はいつかの人に淀見軒でカレーライスをごちそうになった…>
 文豪・夏目漱石の『三四郎』の一節だ。この作品が朝日新聞に連載されたのは明治41年のことだが、小説の中で三四郎にカレーを食べさせる、それより10年近く前の漱石の日記には、彼自身が食べた実に興味深いカレーの記述が出てくる。
 明治33年、漱石は欧州遊学に旅だったが、途中、彼を乗せた船はセイロン(現スリランカ)のコロンボに寄港する。その折のことだ。
 <六時半旅館二帰リテ晩餐二名物ノ”ライスカレ”ヲ喫シテ帰船ス>
 地元の客引きのひとりに案内されてコロンボの市内を見物したあと、漱石はブリティッシュ・インディア・ホテルで「名物のライスカレ」を食べたというのである。

「西洋料理通」には「ケルリートフヒシュ」のほかに2種類のカレー料理が紹介されている。
 東京でスリランカ料理「トモカ」を経営する丹野冨雄氏がいう。「漱石に限らず、幕末から明治にかけて、欧州に向かった船は必ずセイロンのゴールかコロンボの港に寄った。当然、そこで土地の食べ物を口にする。その代表的料理が漱石の書いている”ライスカレ”なんです」
TOMOCA トモカ店内
 では、そのセイロンの”ライスカレ”とはどんなものだったろうか。
「マリガトニーと呼ばれる、胡椒を煮て作るスープで、そこに魚とかの具を入れる。イギリスがセイロンを占領した時代、南インドからかミール人たちを強制的に連れて来て紅茶園を作らせたわけですが、彼らタミール人たちが伝えた料理なんです。同時に、イギリス本国でもそれがエスニック料理として大流行した。つまり、明治の日本人が西洋料理として積極的に取り入れたカレーは、イギリス風にアレンジされたマリガトニーのことなんですよ」(丹野氏)


始めて紹介されたカレー

『トモカ』で食べられるチキン・マリガトニー。
「コロンボ周辺ではチキンを使うのが一般的。
漱石が食べたのもこれに違いないと思います。
 明治4年、岩倉具視を団長とする欧州使節団の一行も、セイロンに寄って、やはりマリガトニーを味わったらしく、 その印象を随行員のひとり久米邦武はこう書き記している。
<米ヲ土罐ニテ炊キ奨油ヲソソキ、手ニテ攪セテ食フ、西洋ライスカレイノ因テ始マルトコロナリ>
 翌5年には、日本初の本格的な西洋料理の紹介書が2冊出版され、評判を読んだが、その1冊『西洋料理通』には『ケルリートフヒシュ』の名でカレーの製法が載っている。
「ケルリートはカレー、フヒシュは魚、つまり鮭や海老、シャコなどを使う、限りなくマリーガトニーに近い、イギリス風の魚のカレーです。材料の葱は洋葱のリーク、それを炒めるボートルはバター。そこに牛肉の出汁、魚、粉唐辛子、魚醤のアンチョビーソースを一緒に入れて30分煮こむ。後にカレー湖をふりかけ、ライムを絞り塩を加える。これをご飯に混ぜて食べるわけです」(同氏)。
   あの人の愛したライスカレー
  「西洋料理通」が出される10年ほど前、本国イギリスでは『ビートン夫人の料理の本』がベストセラーになっているが、丹野氏に寄れば、そこにも同じ料理がマリガトニー・スープの名で載っているという。
 いってみれば、漱石がセイロンの港町で味わった”ライスカレ”こそ、今日のカレーの原点だったのだ。


(サライ 小学館 1993年第19号掲載)


解題 MADE IN OCCUPIED JAPAN

 サライに掲載されたケルリートフヒシュCurried Fish、これを盛った器に注目してほしい。スリランカのヒッカドゥワ、サーフィンで賑わうサンゴ礁の海辺から縦に長い町を横切り、山に差し掛かるところで店を開く古道具屋で探し出したものだ。皿の裏、糸尻にMADE IN OCCUPIED JAPAN とあるものを探した。百あまりの皿の中に2枚あった。
 OCCUPIED JAPANは先の敗戦のときから日本が再独立を果たすサンフランシスコ平和会議までの足掛け7年間を言う。日本の輸出品は「占領下ジャパン」の名で海外に輸出されていた。漱石の食べた”名物のライスカレ”が盛られた皿はどんなものだったろうか。そう思いをめぐらせたとき、すぐにこの皿が浮かんできた。
 
 カレーはインドから、あるいはスリランカから英国に入ったときムリガタウニイ・スープmurrigatauny soupと呼ばれた。英語辞典にその歴史的な名が今も載っている。語源はタミル語だ。英国には東洋の香りと味を秘めたスープとしてそのレシピが紹介されて、サライの記事にあるような紆余曲折を経て、今日のカレーとなった。
 漱石がコロンボで寄ったホテルは今もコロンボ・フォートのムダラーリ通りにある。英国人好みのタミル人資本家が集まった場所だ。この通りにあるブリティッシュ・インディア・ホテル(B・I・ホテル)で、漱石はカレーを食べた。
 ムリガタウニイはミラグタンニが語源。胡椒の効いたタミル人料理のスープのことで、このスープにご飯を混ぜ入れて汁と共に食べる。四谷のTOMOCAで再現するムリガタウニィ・スープは日本の陶器に盛りたい。明治期、欧州に輸出する商品を積んだ船はコロンボに寄港する。日本の皿はスリランカに寄港したのだ。太平洋戦争の後、輸出を再興した日本が占領下にあったとき、日本から欧州に輸出される皿にはmade in occupied Japan の刻印が記された。
   漱石は「名物のライスカレ」の盛られた皿のことは何も触れていない。「名物のライスカレ」もそれがどんなものだったか、記していない。
 東洋の神秘カレーライスには東洋の皿がふさわしい。サライでTOMOCAが再現した漱石のカレーは日本の輸出用の皿に状況資料から推理したムリガタウニィ・スープを盛った。
 今も店を開いているブリティッシュ・インディア・ホテルが昼のランチに出す料理はタミルの味がする。B・I・ホテルのあるムダリージ通りのムダリージ(ムダラーリ)はタミル語だ。「資本家」を意味する。漱石カレーを求めてゆくと図らずも多民族の国スリランカを強く意識する旅が始まる。


Kindle版

紙の本

Kindle版
南の島のカレーライス キンドル版
廃刊となった南船北馬舎刊の「南の島のカレーライス」をキンドル版で復刊。オリジナル版に加えられなかった「傘どろぼうの無実」をそのまま掲載。これが「南の島のカレーライス」の原点です。キンドル版
南の島のカレーライス オリジナル

旧刊「南の島のカレーライス」をビジュアル化。旧版を執筆するにあたって撮りためた写真と共に最新の情報も加えて更にディープなアジア・エスニックに朝鮮。食にまつわるスリランカの歴史にも朝接近。
南の島のカレーライス オリジナル
キンドル版

オリジナル版がキンドルに登場。全頁カラー。見出しが詳しく織り込まれているのですべてのページに簡単にすばやくアクセスできます。この本はkndle fireなどのカラー表示のできる端末でお読みください。