漱石のコロンボ日記 1900年10月1日(月)
 British India Hotel にて名物の「ライス」カレを喫す
 
12時頃,コロンボ着。黒奴夥多船中に入り込み来り口々に客を引く。頗る煩わし。中に,日本の舊遊者の名詞または推挙状様のものを出して案内せんと云う者ニ,三人あり。その一人に誘われて上陸、British India Hotel という処に至る。結構大ならず中流以下の旅館なり。
 馬車を駆って仏の寺を見る。砂利塔あり、塔上に鏤めたるはmoonstone なりという。旧跡と言えども年々手を入るるがため毫も見るに足るものなし。且つ構造も頗る粗末なり。路上の土人花を車中に投じて銭を乞う。且つ,Japan,Japan と叫んで銭を求む甚だ煩わし。仏の寺内尤も烈し。一少女銭は入らぬから是非この花を取れと強乞して己まず不得己之を取れば後よりすぐに金をくれと逼る。亡国の民は下等な者なり。
 「バナナ」「ココー」の木に熟せる様を見る。頗る見事なり。道路の整える樹木の青々たる芝原の見事なる固より日本の比にあらず。
 六時半、旅館に帰りて晩餐に
名物の「ライス」カレを喫して帰船す。案内の印度人頗る接待に勤めたりといえども後にて書きつけを見るに随分非常の高価なり。案内料は10 Rubies にて馬車は2台にて20 Rubies なり。馬車賃の如きは明らかに規則違反なり。然れども,不知案内の旅客なれば言うがままに銭を与え、且つ推挙状まで書きてやるは馬鹿げたるのみならず、且つ後来日本より遊覧の人に対して甚だ気の毒の至り我等この馬鹿げたることと気の毒なことをしたる一行なり。