125SD Binoで
、南米アタカマ・ウユニ遠征 2016-17年年末・年始
トラベル望遠鏡
その6
公開:2017年1月13日〜
更新:2018年11月8日
*本機を手放しました
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ボリビア・アタカマ砂漠、高度4540m地点にて(2017年1月1日21:01pm)。
明るい星は、左からシリウス、カノープス、アケルナル。大小マゼラン雲も交え、北半球では絶対拝めない星空。
この後曇ってしまい、銀河中心は見られなかった。
ハワイでの3700mの観望は凄かった。125SD-Binoで見る子持ち銀河は、口径は12.5cmだったというのに、日本で見た大口径ドブより渦巻いていた。オーストラリアの空は、まるで宇宙旅行。みなみじゅうじ座からηカリーナに渡る散開星団の美しさは、息を呑む程。天の川は、眼前に広がる巨大なエッジオン銀河そのものだ。では、その南天をあの高度で見たら、いったいどんな世界が広がるのだろうか? 狙うはアタカマ砂漠、高度5000m。電波望遠鏡のある所だ。しかし、個人で行って夜の観望は、まず不可能。強風も吹き荒れていそうだ。
いつかはアタカマ。そう思い続け、チャンスは2016年の年末にやってきた。でも、現地は夏で夜は短いし、ウユニは雨季。星見の条件は悪いが、楽天晴男なのと、次のチャンスは当分先になりそうだったので、迷わず行く事にした。個人旅行の場合、旅行会社の選定は難しい。南米の会社にメールを送っても、返事が返ってくる事は極めて少ない。こんないいかげんな会社にツアーを頼んでも、お金だけ取られて現地で放り投げられるだろう。30年近く前に、格安航空券を良く購入していた会社は、出張直前に倒産した。当時は、出発当日に成田で航空券を受け取るシステムだったので、ハワイに休暇を過ごそうとした人達は、出発直前にその事実を知らされ、200人近い人達が空港で途方に暮れたらしい。幸い私は出発1週間前に情報をキャッチしチケットを手配し直したので出張へは行けたが、10万円近い損失を受けた。望遠鏡販売店でも輸入車販売店でも、倒産直前まで注文を受けてトンズラするのが定番の手口だ。しかも、会社の名前を替えて、また同じような事をする人も少なくない。
出発半年前から何社かとメールでやりとりをしたが、一番レスポンスが良かったオンリー・ワン・トラベル社に航空券含め、全てお願いしてみた。ただし、航空券:eチケットやホテルのバウチャー等はできるだけ早期に私の手元に届けるよう、念を押した。これがあれば、現地で何かあっても何とかなる。同社とあれこれ相談した結果、アタカマは、5000m越えの電波望遠鏡の所ではなく(というより、個人では行けない)、サンペドロ・デ・アタカマ 2471m。で、月の谷、ミスカンティー湖、ミニケス湖、アタカマ塩湖、タティオ間欠泉を観光し、3夜観望。そこから陸路でボリビアに入り、エディアルド・アバロア国立公園、ラグーナ・ブランカ、ラグーナ・コロラーダ、ラグーナ・ベルデを観光し、ビジャマールへ。夜は高度4525mで観望。そこから、今やCMで引っ張りだこのウユニ塩湖へ。高度3662mでの天空の鏡での観望。帰りはラパス、リマ経由、8泊11日となった。12月27日夜まで働き、翌28日朝出発だ。
いつもは全部自分でやるので旅程は完璧に把握しているのだが、今回は、丸々の依頼なので、現地のどのツアー会社が担当するのか、移動はどうなるのか等々わからない事だらけだった。また、今迄の経験上、現地へ行ってみたら、そんな話聞いていない、手配されていない等々は十分予想されたので、事前に幾度も確認した。が....
機材
当然ながら、125SD Bino一式。アイピースは、Ethos 8mm と Masuyama 32mm。いつもなら、NAV-HW 12.5mm+Eicにするところだけど 、もう少し倍率を上げて観望したかったので、今回はこれ。フィルターは、UHC、Olll、Hβの3種類。
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焦点距離 |
倍率 |
実視界 |
見掛視界 |
アイ・レリーフ |
射出瞳径 |
BORG 125SD |
750mm |
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Masuyama |
32mm |
23 |
3.6° |
85° |
20mm |
5.3mm |
Ethos |
8mm |
94 |
1.1 ° |
100° |
15mm |
1.3 mm |
旅行の準備は、いつも出発の数時間前に一気にやるのだけれど、望遠鏡は、2日前にチェック、調整した。Ethos 8mmでリゲルを見ると、くっきり綺麗に伴星が分離するくせに、ウルトラ・コンパクト、軽量。もうこんな凄い双眼望遠鏡は作れないので、本当に宝物だ。もちろん、CANONの防振双眼鏡も持参。
昼は30℃、夜は数度〜氷点下と気温差が激しいので、夏服、防寒着一式と荷物が膨らんだ。ただし、ウユニで塩まみれになるだろうから、現地で捨てていけるような靴下、ズボンは入れた。
往路
行きの便は、NY経由でチリ・サンチアゴに入り、そこから国内線でカラマに向かった。航空会社はラン航空。初めて乗ったけれど、NYまではJAL共同運航JAL便だったし、思いの外、快適だった。ただし、NYでは、便の都合で、何と乗り継ぎ時間9時間15分! で、最近導入された自動入国手続きマシンが劣悪で、反応しない機械が多数。その都度並び直し、やっと手続きできたと思ったら、印刷されてきた紙には大きな×印が書いてあり、結局人のいる入国審査に並び直し。セキュリティー・チェックでは、乗り継ぎに間に合わない、と20人ほど某国人が割り込んできた。世界の人口の1/4が某国人だから、といって、マナーの悪さが常識化となったら困るなあ。てな訳で、3時間も翻弄され、あとはロビーで寝た。その後、機内でもけっこう寝れたので、行きの空路総工程38時間5分も、意外な程大丈夫だった。それに、機内での映画も大いに時間を短縮してくれた。
見た映画は、「永遠の0」。2年前に、かなり話題になったけれど、見るチャンスを逸していた。アラスカ・オーロラの帰路で、V6の岡田さんの演技に感嘆したが、その彼が主演の映画。もう、涙、涙、涙... 戦争を通しての1人の男の生き様と、その彼と織りなす人々の人生を見事に描き切っている。戦争という狂気の中で、人間らしい理性を持ち続けた実在の人物の話を聞く事がある。それも戦争の悲惨さを伝える貴重な手段だ。生の声程説得力のあるものは無い。もし、クリント・イーストウッドがNHKの硫黄島の生存者のインタヴュー番組をちゃんと見ていたら、あんな映画には、ならなかっただろうに。
もう一つ見たのは、韓国映画の「時間離脱者」。タイムスリップなど、時間を編集する物語を知ったのは、40年前に豊田有恒氏のSF小説からだった。今や定番の手法の一つ。ただ、この映画みたいにシャッフルし過ぎたり、同じ顔が過去でも未来でも連発すると、物語について行くのにエネルギーが要る。宝塚を1度だけ観たことがあったが、登場人物が皆同じようないでたちで見分けが出来なくて、ストーリーがわからなくなった。ちなみに過去への時間旅行、光速を超えられないのと同じように、限りなく時間を0に近づけられても、それは超えられないのだと思う。歴史は変えられなくとも、傍観出来るような可能性は、あるのだろうか。今は、タイムスリップが多用されすぎて、もう見る気もしなくなったが、「永遠の0」のように、実際の過去へスポット・ライトを当て、描く方が、実質的なタイムスリップ・ストーリーとして、遙かに説得力がある。
チリ行きの便では、明け方にアークトウールス、木星、スピカが光り輝く(さすが高度1万m、瞬かない!)、満天の星空が見えた。カラマへ向かう便は、西側の窓際の席だったけれど、複雑に侵食された山肌に終始釘付けだった。空路38時間の後は、車で風力発電のプロペラが立ち並ぶ砂漠の舗装道路を突き抜け、アルト・アタカマ・ホテルへ。思いの外、安全運転で、冷えた水をくれたりと、快適な1時間15分のドライヴ。かくして、家を出てから40時間超、しかしながら、これまでに無く短く感じた往路だった。
滞在先のアルト・アタカマは、食事も飲み物も全て含まれているので、サイン無しで、何でもスイスイ。コーヒーだって、直ぐに部屋まで持ってきてきてくれる。また、スタッフが実に気が効いていて、何でもサポートしてくれる。ここは、リゾートの中ででも最高の一つだ。 高度2471m。富士山・新五合目と同じ高度で、勢いよく動くと息切れするが、特に問題無し。
さて、ツアー会社の作成した予定では、到着午後から月の谷への観光、夜はホテルの展望台で天体観測、となっていた。ここ、アタカマの観光は、ホテルが全部やるらしい。 毎日、山ほど観光ツアーが用意されていて、どれだけ観光に出かけても、滞在費に含まれているので、全て無料との事。 空港まで迎えに来てくれたのもホテルの人だった。ホテルのスタッフに明日からの予定の確認をしたら、これから行く月の谷の観光以外、何も予定が入っていない、という。1日には陸路でボリビアに入る予定になっているのに、「どうやって行くの?」等と言われてしまった。予定表のスケジュールを告げたら、「明日のミスカンティー湖、ミニケス湖は、高度4100mなので、今日ここに着いたばかりの貴方達は、行けません」。これって、ここの観光の一番の人気、目玉なんですが〜。で、直ぐにオンリー・ワン・トラベル社に電話したが、繋がらない。携帯の電波は圏外。観光もできず、ここに取り残されるのか??
とりあえず、観光リクエストをホテルに伝えたら、当初の予定の半分も達成出来ない。ホテルのスタッフも動員して緊急連絡先に片っ端から電話して、やっとスタッフに連絡が取れた。現状を説明したら、向こうも「えっ!」て、何もホテルに連絡していなかったの? この予定があったからツアー会社にオーダーしたのに、観光も出来ないんじゃ、わざわざ南米まで来る意味無いじゃん。月の谷への観光の出発時間になったので、オンリー・ワン・トラベル社に責任を持って対応するよう念を押してバンに乗り込んだ。まあ、何とかなるでしょう、と楽観的に構えていたが、正直、観光しながら怒りは時々沸騰していた。この手は、とにかく経験豊富、よくクジを引く。この件、ノット・オンリー・ワン・トラブルでなければいいんですがね。
月の谷 (12月29日午後)
月の谷、と名付けられた不思議な地形。でも、至る所で塩の結晶が析出し、複雑な地層面が露出していて、極めて地球的。地層学者が見たら、驚喜するのではないか。
採掘した洞穴には、岩塩が。
壁の所で耳を澄ますと、カッ、カッと音が聞こえる。一日の温度差が大きく、岩塩が伸び縮みして音が出る、との事。
続いて、死の谷へ、サンセット・ツアー。対側の山々も赤く色づく。美しい風景に言葉は要らない。苦労して来て良かったなあ。
ホテルに戻ったら、オンリー・ワン・トラベル社から連絡が入り、当初の予定通り、ツアーが入った、との事。「何でこうなったの?」の答えは、「ホテルにツアーの予約は流していたが、ホテルがその予約を担当に伝えていなかった。」との事。でも、ホテルからは、何も謝罪が無かった。一言言ってくれればいいのに。これ以上の追求は止め、夕食後は、ホテルの観望台で「星空ツアー」に参加。
左:展望台にて 右:ホテルの部屋を出たところ
40cm手作りドブが置いてあって、一般向け星空解説。私はCANONの防振双眼鏡で一通り空を流して観望。ドブでは、オリオン大星雲やプレアデスを見せていたが、小マゼランの美しいNGC104や、タランチュラをリクエスト。ツアーに参加していた一般の方々は、1〜2秒見ただけで興味無し。もったいないな〜。消化不良、像不良だったので、部屋から少し出た所で双眼望遠鏡を出して見直した。タランチュラを双眼望遠鏡で見ると、やっぱりいい!
フィルターをかませると危険な蜘蛛の雰囲気が増す。長旅の疲れも忘れ、南天の空を楽しんだ。リストは、ここを参照。気温は15.5℃で寒くなかった。
ミスカンティー湖、ミニケス湖 (12月30日午前)
右:トイレ休憩で立ち寄ったトコナオ町 Toconao の家
アタカマで最も人気の観光地。ホテルから、約90km南にある。高度4190m。ちょうど、ハワイ島、オニヅカ・センターから山頂に登るのと同じ条件だ。呼吸法、水の補給が高山病予防に重要だ。途中、ソカイレ町 Socaire Town に寄り、素朴な教会を見た。移動の車中から小さな街々を見たけれど、だいたい教会があった。
右:教会の近くに生えていた植物
(現地ガイドに名前を書いてもらったが、ネットで検索できず)。
ミスカンティー湖。銀剣草のような高山植物が群生
湖畔を歩く。高度4200m近いので、ゆっくり目に歩く。水鳥、キツネやビクーニャの群れに遭遇。水ある所に生命あり。
右隣には、ミスケス湖。ミスケス山は、5910m。これを見て、ムラムラと登りたくなる人もいるに違いない。
ミスケス湖の前に陣取ってランチ。昨日は、ホテルの人に、「あそこは4100m超える高所だから。今日着いた貴方達は行けない。」と言われたのに、ワイン、ビール、何でもござれ。「どうぞ〜。」って、どゆこと? 言うまでも無く、高所でアルコールは、相当回るので要注意。
上記、呼吸と水補給とゆっくり目に歩く事で、問題無し。ちなみに、ちょっと歩くだけで、足下はこんな感じ。日に日に何もかもが砂まみれになっていった。
隕石博物館、サンペドロ・デ・アタママ町散策 (12月30日午後)
午後、隕石博物館に向かった。ホテルに「町に行きたい」というと、車で連れて行ってくれ、指定の時間にピックアップしてくれる。これも無料。行く途中に羊の群れが道路を渡っていた。
隕石博物館は、テント・スタイル。全て実物展示で、触れる事もできる。写真・左では小さなかまくらみたいに写っているが、実際は写真・右の大きさ。
その後、街中を散策した。町のシンボルは、サン・ペドロ教会。以前は白塗りだったが、今はこの色。
天井も柵もサボテン製。
街を散策。写真、スケッチの題材の宝庫! 今は絵は描かなくなったけれど、小学校の時は、絵の人だった。素朴な日干しレンガの家々。
この犬、どうやって見ているだろう。街中、のら犬だらけ。飼い犬は、ほとんどでれんと寝ている。ネコがいない(夜、活動する、との事)。
ホテルで観望 (12月30日夜)
ホテルの敷地内、といっても、どこかのリゾートみたいに、雲を照らす位、明るいライトを当てるような愚挙は当然ながらしておらず、ちゃんと減光し、しかも十分に道がわかるよう配慮してある。だから、部屋から出て20秒の所で観望できる。今宵は、敷地内の日時計の所で観望する事にした。
夏なので、21時半から観望開始。まずは、火星と海王星の接近をチェック。本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星(45P)は、岩陰に隠れて見えなかった。南天なので、やっぱりここでしか見れない天体を次々と観望。リストは、ここを参照。やっぱり、ほ座の二重星γは美しいな。
エリダヌス座が天頂なので、これも流した。ただ、経緯台・屈折だと、けっこう見るのがつらい、と贅沢な悩み。
明日は、タティオ間欠泉が5時出発なので早く寝なければならないのに、結局0時過ぎまで観望。2時に目覚めたので、ここは、みなみじゅうじ座〜りゅうこつ座を見ないとおさまりがつかないので、再び観望し(写真右上)、そのまま観光へ出発した。明け方の気温は10.4℃、予想より暖かい。ハワイの観望でもそうだったけれど、ハイテンションになると、毎日2時間睡眠で1週間位はぶっ通してしまう。
タティオ間欠泉群 (12月31日早朝)
ホテルから、北へ約50kmの所にある、間欠泉。高度4500m。ボリビアの国境の所にあり、後日行く、ボリビアのラグナ・コロラダ、ラグナ、ブランカも近い。
出発は、朝5時。日の出ツアーじゃないのに、何でこんな早朝に? 答えは、寒い空気の時、息を吐くと、白く見えるから。早朝の気温は氷点下なので、盛大に温泉の蒸気が見え、昼は地味、との事。そこかしこで温泉が噴き出している。 カードが渡され、観光は危険を伴うが、それに了承しました、とサインさせられる。
火山の創り出す模様の妙。
温泉がある、というので。出発前にホテルの人に聞いてみたら、「朝は氷点下よ。誰も入る人はいないわよ。」、でも一応水着は持って行った。
温泉の供給は、ここから出ていた。
水温30℃。ここまで来たら、当然入るでしょ。チェナでは外気温-10数度の温泉に入っているから、何てことない。高度4500mの温泉で泳いだ。「いい湯だ、な、ははん。」 永さ〜ん、いなくなって寂しいよ〜〜。
朝食。気がつけば、日もこんなに上がっている。駐車場に、キツネが。ホテルに帰る時、Vado Putana 等の湖に立ち寄った。水ある所に命あり。
砂漠地帯だけれど、所々に水=オアシスがある。
小さな町 マチュカ Machuca には、多くの観光客が立ち寄っていた。
プカラ遺跡 (12月31日午後)
夕方のアタカマ塩湖ツアーまで時間があるので、ホテルから歩いて行けるプカラ遺跡に行ってみた。ホテル周囲も、地殻変動の跡がゾロゾロ。プカラ遺跡は、丘の斜面を利用して作られた、プレ・インカ時代のもの。まずは、遺跡の右側を登って行く。
途中で行き止まり。そこで、引き返す。河川工事は、ボリビアから流れてくる貴重な水を蓄えるために行っている、との事。富士山のような、リカンカブール Licancabur 山(標高5916m)と、右側はフリケス Juriques 山(標高5704m)は、どこへ行っても見える。
今度は、遺跡の左側から登って行った。展望台のようなものが見え、たいした事無い、と思ったら、そこは第一展望台で、さらに先があった。この展望台は、ホテルからも見えた(何だろう、と思っていた)。で、その展望台からホテルを臨むと、
第二展望台下、と展望台。ここがゴールかと思いきや、さらに先が...
写真で見ての通り、人に影がありません。つまり、真上に太陽があります。真っ昼間に登山はきつい! 水もあっという間に無くなっていきます。
ここが、山頂。ゴ〜ル! ここでも複雑な地形が。で、途中、UFO基地発見。
ちょっと遺跡を見て、それから街に行こう、と思っていたが、どうしてどうして、けっこうハードな2時間だった。ホテルに戻ったら、“New Year's toast at 0:00” “burn the rap doll”と黒板に書いてあった。聞けば、ご当地の伝統で、人形をこしらえ、願いを書いた紙をこの人形にいれ、カウントダウンとともに燃やすんだとか。何だか凄そうだ。
アタカマ塩湖 (12月31日夕方)
世界第二位の大きさの塩湖、塩原。第一位は、言うまでも無くウユニ。行く時に、アルマ望遠鏡の基地(通常の見学ツアーは、山頂ではなく、ここ。半年前から希望を出す)が見えた。写真の白く見える線状の所。
トコナオという町に立ち寄り、飼っているリャマ、教会と塔を見学。建物は、相変わらず、どれも魅力的。
写真、左上:公衆トイレのカラーリングも凄い。
サボテンの木が多用されているが、サボテンは1年で1cmしか伸びない。1mなら100年。何気ない木材でも、貴重!
アタカマ塩湖、といっても、砂を交えた塩原。塩の結晶は、舐めれば、ミネラル豊かな塩味。雪道を歩いているような錯覚。歩き進むと、塩湖が見えてくる。
塩湖の境目は、興味深い。
チャクサ湖にはフラミンゴが。世界で5種類いるうちの3種が、ここに生息している、との事。
とにかく、いつも塩湖の藻を食べている。小さい海老(写真右上)も食べるらしい。塩分取り過ぎにはならないよう、うまく摂取できるようになっているのだろう。
水ある所に生命あり。
ホテル前の岩山は、エアーズロックのように、今日は一段と赤く染まった。
焼かれる人形は、ご覧のようにスタンバイ。皆、仮装して集まりだしてきた。ホテルの受付もマスク着用。燃やす前の集合写真。皆、ノリがいい。23時59分55秒、4、3、2、1、着火! 燃えないぞ、と誰かがガソリンをかけたら、一気に燃え上がった。
人が燃えているみたいで、複雑な心境。今年の悪運、いやな事を、彼が被って燃えて無くなり、来年の願いに...
ロビーで、シャンパン・パーティー。「40時間かけて来たんだって?」
と、幾人から声を掛けられた。NYから来たご婦人に、「今度のおたくの入国手続きマシン、参ったよ〜。」
と言ったら、「あらあ、ごめんあそっぁせ〜」って、皆、酔っ払って、ベロベロ。
観望 (1月1日深夜)
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明日1日は朝8時にボリビアに出発するので、パーティが終わったら荷物をまとめなければならかったのだが、もったいないので、1時半から南天を観望した。SkySafariのCalは、カノープスとみなみじゅうじ座のガクラックス、南天ならでは。2時40分に切り上げて、荷造りをした。気温は、6.4℃。冷えてきた。
アタカマ観望総括。もちろん南天を楽しんだのだが、実は、オーストラリアより、見えなかった。季節が違うので比較はできないのだが、今回は、高度2400mのアドヴァンテージ、クリアな空とはいかなかった。季節の違いだけでなく、もしかすると昼間の砂ぼこりが、関与しているのかもしれない。 *左の写真では、オリオン座が北半球と同じように写っているが、これは広角レンズ14mmで撮ったためで、オリオン座は天頂を越えているので、あのように撮れている次第。 |
ボリビアへ出発 (1月1日朝)
出発前の早朝、ホテル内を散歩。部屋にはバルコニーがあって、昼寝したかったな。ここから外にも出れる。敷地は広く、池やプライヴェート・プール、リャマ、鉱石博物館(屋外)など、いろいろ。
部屋の外のライトは下向きになっているだけでなく、さらにソフトに覆いがかけられている。道のライトは砂利の下。光の漏れは最小限。日本のリゾートも、こういった所を見習ってほしいものだ。昨夜、燃えてしまった彼の残骸(写真右上)。
さあ、ホテルを後にし、出国手続きをした。現地ガイドがいると、めちゃめちゃスムーズ。
リカンカブール山、フリケス山 が近くなってくる。国境超えは、フリケス山の麓から。今度は、入国手続き。ボリビア国旗もたなびく。
国境は、浅い溝と小石。あっけなく、両国をまたげる。予定表では、ボリビアの現地ガイドが迎えに来る事になっていたが、探しても、そんな人は来ていないという。ん〜、少し待つが、状況は変わらず。携帯の電波は立たない。現地ガイドの携帯の電波も立たない。ネットなんぞ、繋がる訳がない。え〜、またあ?? 最悪の場合、再びチリへ戻り、ボリビアの現地ガイドとやらとコンタクトを取らねばならない。何でこうスムーズに行かないかねえ。仕方ない、とりあえず1時間ほど待ってみるか...
トイレを探して、とある小屋に近づいたら、おじさんが、「トイレ? ここには無いよ。あそこに天然のがあるよ〜」と笑っている。写真の、すこし小高くなった砂利の向こう。行ってみたら、用を足した上にちり紙が載せてあって、その上に小石が重しのように置いてあった。つまり野○ソ。しゃがめば、体がきれいに隠れる必要最小限の壁、2列だった。女性もためらわず、壁の向こうに消えていくのを目撃した。
砂漠を走る車は、ほとんどランクル。絶大な信頼と人気があるらしい。
車に戻ってぼお〜っとしていたら(何たって寝てない)、誰かが窓をノックしてきた。しかも、途中から日本語。??
聞けば、予定していた英語ガイドの都合が悪くなり、日本語ガイドの彼が急遽手配され、駆けつけてきた、との事。彼の名は、ホセ照屋さん。8歳の時、日本に来て、25歳まで育った、との事。3年前から父の国、ボリビアに戻り、今は観光ガイドをしている、という。いや〜、良かった。これで無事、旅が続けられる。相当数の車が留まっていたが、彼は片っ端からノックして我々を探していたらしい。いや〜、綱渡りは、もう勘弁!
エドゥアルド・アバロア国立公園自然保護区 (1月1日)
エ ドゥアルド・アバロア国立公園に入るには、手続きが必要だ。
ラグナ・ブランカ
ラグナ=(小さな)湖、ブランカ=白、どこかの望遠鏡の名前と一緒。今日は、ラグナ巡り。どのラグナにもフラミンゴが生息。自然保護区なので、近くには行けない。
ラグナ・ベルデ
ベルデ=みどり。コバルト・ブルーの湖面がきれい。時間によって、色の鮮やかさが随分違うらしい。テカポと同じだ。
石を積み重ねているのを良く見かけたが(写真右上)、願かけらしい。ずっと4000m越なので、空が近い(気温は低い)。
Aguas Termales de Polques
お昼は、ここ。目の前には、温泉。4駆キャラバン隊が走ると、竜巻みないな砂煙が立つ。
Aguas Termales de Polques
高度4900mにある間欠泉。他の間欠泉より硫黄の臭いが一段と強い。
写真右上のは人口のもの(しょぼい)。失敗作、との事。
「道」ではなく、限りなく広い所を皆それぞれに走る。
ラグナ・コロラーダ
今度は赤色。
こりゃあ、双眼望遠鏡で見るしかないでしょう!
像は蜃気楼のようにメラメラだったけど、そりゃあ双眼望遠鏡の真骨頂。ガイドのホセさんもドライバーのクリストさんも、初体験 「ゥワーォ!!」
もう、彼らとは家族のように親しくなっていて、旅行が最高に楽しい。
Arbol de Piedra
風化により削られた奇石群。
雹が降ってきた。
ヴァレー・デ・ロカ
ガイドのホセさんが、この奇石の所でビスカチャという野ウサギを発見! 彼は、好きな所で好きなだけ止まって好きなだけ時間を割いてくれる。こんな素晴らしガイドはなかなかいない。
バナナをあげたら、手を使って食べ出した。不思議な苔のようなものも生えている。ヒゲが長い。
砂漠のホテルを目ざし、さらに進む、進む!
アタカマ・タイカホテル
山が見えてきた。この麓にあるのが、今晩泊まるタイカ TYCA ホテル。まさに砂漠の中に1軒だけ。高度4525m、ここに来て星を見たかった!
日没の時、若干砂嵐気味。すぐに晴れた。家内は、頭痛が、と訴えている。スーツケース、鞄は何もしなくとも、砂だらけ。このホテルは、20時以降、消灯となる。ドライヤーなど、電気を食うものは使えない。20時以降は、お湯もストップ。明け方には暖房も止まるので、朝は寒い。夕飯後、ホセ/クリストさんに頼んで、ホテルの灯りが見えなくなるまで、砂漠の中に車を出してもらった。
月齢2.8の月が、まだ沈まないので、砂漠では相当明るい。ここは、双眼望遠鏡で、ホセ/クリストさんに見てもらった。望遠鏡で月を見たことが無いらしい。 「ゥワーォ!!」 さらに、双眼望遠鏡の左側には、Masuyama 32mm、右側にはEthos 8mmを装着し、低倍と中高倍の像を交互に見てもらった。さらに、「ゥワーォ!!」 「チーズみたい」が彼らの感想。海王星を教えたが、今一?だったみたい。本田・ムルコス・パイドゥシャーコヴァー彗星(45P)は、 流石に尾を引いて見える。雲が所々に出て、星空を遮る。
高度4540m地点にて(2017年1月1日21:01pm)。
明るい星は、左からシリウス、カノープス、アケルナル。大小マゼラン雲も交え、北半球では絶対拝めない星空。
22時、気温1.5℃。家内は疲労と高山病気味で、車で寝ている。ガイドのホセさんは、「好きなだけ見て下さい。かまいません。」と涙が出るような嬉しい事を言ってくれるが、彼らは、前の仕事が朝3時まで。そこからぶっ通しで我々のツアーの担当になったので、流石に車で寝てしまっていた。メジャー天体を流して見たが、残念な事に4500mのアドヴァンテージは感じられない。砂埃の影響? 季節的なもの? 低酸素? 記念写真。写真のクオリティは良くないけど、やはりここでの星見が長年の願望だったのでご勘弁を。
ηカリーナは見てもらいたくて、ホセ/クリストさんに声を掛けたら、途端に曇って見えなくなった。という訳で一旦引き上げて、私はホテルの前で観望する事とした。 銀河中心が上がってくる前なので、残念! ホテルに帰ってみたら、もの凄いLEDライトが照っていて、観望どころではない。しかも晴れは部分的。あまりに長い1月1日。ここは大人しく寝よう。0時就寝。1時目覚め、空をチェック。再び寝て5時起床。
ホテルには酸素完備。無料だ、というので試したら、ほとんど酸素が出てくこなくて、効果が確かめられなかった。さあて、さてさて、いざ、ウユニに向けて出発。
ラグナ巡り (1月2日午前)
チリとボリビアに国境はあっても地理環境的には国境は無い。ウユニへ向かう途中のラグナ巡りに向かった。家内は、頭痛、体調不良で高山病気味。ダイアモクスを服用しているようだが、効果は今一の模様。ホテルを出発し、車に用意してあった酸素を吸入。みるみる手先の指がピンク色になり、効果絶大! 地球を13cmの球体とすると、この砂漠の高度4500mは、厚みわずか0.045mm。10倍して地球を1.3mの大きさにしても、0.45mmの厚みしかない。人の住める環境なんて、本当に限られている。
ガイドのホセさんは、動物を見つけるのが名人だ。車を停めて、好きなだけ見させてくれる。
昔は、パリダカ。今はダカール・ラリーでボリビアを走り抜ける。まもなく開催されるらしい(もう、競技車両は運び込まれたらしい)。
これは道とは呼べないだろう。google mapでは、どのような表示になっているのだろう。
イエローナイフのアイスロードは、ちゃんと表記されている。
高山病予防には、とにかく水を補給する事。トイレは自然のものしか無いので、膀胱が鍛えられた。
ラグナ・オンダ Laguna Onda トップ・バッターは、ラグナ・オンダ。
ラグナ・チャルコタ Laguna Charcota
転がっている石を見れば、ここがかつて海底であった事がわかる。
ラグナ・エディオンダ Laguna Hedionda
ここは圧巻! 美しい。見ていて時が経つのを忘れる。湖畔にホテルがあった。
睡眠。
足が全部赤いのがジェームズ・フラミンゴ、足が全部黄色いのがアンデス・フラミンゴ、足が白いのはチリ・フラミンゴ。
茶色のフラミンゴ。これは、まだ十分食べて赤く染まっていない赤ちゃんフラミンゴ。
ガイドのホセさんは、いろいろ見つけて教えてくれる。
アロタ村 Villa Halota で昼食 (1月2日昼)
昼食は、アロタ村の食堂、という事で向かった。リャマはかわいいな。途中、奇石の所はかなり道が悪く、思いっきり低速にしないと横転しそうになる。以前は、ここで強盗、おいはぎが出没していたそうな。屋根上にガソリンを積んでいるのだが、これが狙われるらしい。
素朴なアロタ村。メイン・ストリートは、やたらと広く、道の真ん中には、平らな岩をあしらったモニュメントが建っている。
食堂。野菜と卵焼きで、ガイドのホセさんは「手抜きでひどい!」会社にクレームを出す、と怒っていた。壁のコンセント、配線がむき出しで新鮮。調理免許の額には、“High Quality Clock”と書かれていて? どうやら時計のフレームに入れたらしくて笑ってしまった。
ウユニへ向かう途中。やはり興味深い断層面が多数。相当凄い地殻変動があったのだろう。かつては海底だったのに、いまや海抜3000数百m。ヒマラヤだって、海の下だった時があった。地球は動いている。
私の旅行記を読んでいる方にはお馴染みの“世界の電柱”シリーズ
ウユニ近くでは、竜巻が所々で発生していた。 やはり雨期。あそこは、雨。
塩原。塩のホテル:ルナサラダは、塩原の中にある(写真・右)
ホテル到着
素敵なロビー。館内もいい。
食堂・左、部屋・右。壁も椅子もベッドも全て塩のブロックで出来ている。家内は壁を舐めたらしょっぱい、と言っていた。
後日、皆が壁を舐めている写真を撮っている、と聞いた。壁には万人のよだれが染み込んでいる?
目の前には、塩原が広がっている。
ウユニ塩湖でサンセット (1月2日夕)
ウユニ塩原は、何と東京都5個分の大きさ。いまや電池に欠かせないリチウムの産地としても有名だ。表面を削って採取している。この塩原に雨が降ると、鏡の世界になる。といっても塩原全部がそうなる訳では無く、水の溜まった所を探し、観光客は、そこに集まる。 長靴は、どのツアーでも貸してくれるので、日本から持って行く必要は無い。
今日は、ここに集中した。
雪道を走っているとしか思えない足下。塩は地層面を形成。色の濃い所と薄い所を併せて1年、との事。
全周鏡面とはいかなかったが、とりあえず目標の一つは達成。見れればラッキーと思っていた程度だったが、まさか明日、ドラマが訪れるとは予想もしていなかった。
ホセ/クリストさんは、軽食を用意してくれた。夕日を見ながらピクニック。
向こうは、雨。こりゃあ、明日、もしかすると、もしかするかも! 雨上がりの快晴は、絶好のチャンスなのだ。運次第。
去ったのは、我々が最後だった。というか、皆、あの美しい本当の最後のサンセットの前に帰ってしまった。団体ツアーは損?
写真右上は、ホテルの灯。夕食では、ボリビアのビールで乾杯!
ウユニ塩湖でサンライズ (1月3日朝)
今日は、朝5時出発のサンライズ・ツアー。毎日ハードだが充実。
4時半には外に出て双眼鏡で天の川を流していた。
鏡の塩湖での日の出。ホセ/クリスト・コンビは既に情報を入れていて、凄く良い状態の所はけっこう離れているので、日の出は昨夜の所が良い、という。GPSを使って、ピンポイントで昨夜の場所に到達した。ここで大事なのは、一番乗りする事だ。
すぐに続々と車が来て、ヘッドライトで写真なんか撮れない。写真は、時間勝負。ISO25600で撮りまくるしかない。大マゼランの反射を撮りたくていろいろtryしたが、これは無理だった。空だけも撮ってみた。
あっという間に車が集まりだした。ヘッドライトが眩しい。消灯のチャンスを狙って撮影。薄明だ。
ここでは、ちょっとジャンプしただけでも、物凄く飛躍したように写る。次女のは、こちら。
日の出を見て、全ての車が去った。その後、真珠母雲のような彩雲が現れた! これを見ないなんて、もったいな〜〜い!
日の出ツアーの参加者は、日本人のみ。西洋人は、全く興味が無いらしい。そう言えば、アタカマ砂漠の中を自転車で走っている西洋人を見かけた。ゼーゼーいいながらペダルをこいでいる。彼ら、彼女らにとって、興味があるのは、自然の征服。日本人は、自然との共生。
近くにサッカー・ボールがあった。ホセさん、クリストさんとボールを蹴る。とたんに彼らは満面の笑顔になった。17年前、仕事でアルゼンチンに行った時、ブエノスアイレスの空き地という空き地にサッカーのゴールが置いてあって、皆ボールを蹴っていた。さすが本場、と写真を撮っていたら、「何やってんだよ、来いよ!
一緒にやろうぜ。」と声を掛けられた。とってもやりたかったが、鞄をその辺に置いたら無くなる事必至だったので、なくなく諦めた。ボール一つで世界中、誰とでも仲良くなれるのがサッカー、しかし、暴動、戦争にまで発展するのもサッカー。
コルチャニ村 (1月3日午前)
マーケットでお土産の買い出し。写真・下のフェイスマスクは、塩湖での塩採取の際の日焼け防止として実用品らしい。星見防寒具としてもいいかも。塩の工場見学。
塩湖の塩を集めて熱し、細かくしてヨードを加え、製品とする。ヨードを加えるのは、海が遠くて海産物から取れなくて不足するため。燃料はトラの木。
袋に入れて火で封をして完成。見学チップ $1、塩を買っても $1。
インカワシ島 (1月3日昼)
塩湖の塩は結晶化し、さらに六角形のサークルを形成する。1時間以上走って行くと、小高い島が見えてきた。かつてスペインの迫害から逃れたインカ人達が隠れた島らしい。近づいてきたら、何やら突起が多数見える。何とサボテンだった。
正面には、車が多数。ここから山に登る。たかだか100mの高さだが、そもそも標高3600mなので、登れず引き返す人もけっこういるとか。
巨大なサボテンが群生。7mのもあるらしい。サボテンは、1年で1cmしか伸びない。どれも樹齢数百年だ。
まるで海岸。
頂上。 先がやたらと分かれたサボテン。100年後は、どんな姿になっているのだろう。
ピクニック・ランチ。ドライバーのクリストさんのお姉さんが作ってくれた。今回の旅行の全ての料理の中で、一番うまかった!
パスタとキヌアと野菜と肉はリャマと鳥。胃が落ち着くところに収まった、という感じで味がしっくり来た。3回おかわりした。
ガイドのホセさんが、トリック写真を撮ってくれた。
天空の中に浮く! そしてサンセット (1月3日 午後〜夜)
今朝の日の出は、近場だったが、ホセ/クリストの最強コンビは、凄く良いポイントの情報をゲットしていて、そこに向かってくれた。そこは...
見渡すかぎり、完全な鏡面! 天空に浮いている感じだ。CMで使われているのはCG合成だけど、現物は、やっぱり凄い。遠くに車が2台。我々合わせて3台しかここに来ていない。
同じような写真だけど、面白いので掲載。
空に浮いている感覚、飽きる事無く、山のように写真を撮った。塩湖は、結晶が虹色に輝き、美しい。
ガイドのホセさんが動画を撮ってくれた。
紫外線が、上からも下からも強烈に差し込むので、コルチャニ村で買ったフェイスマスク着用。車の傷みは早いだろうなあ。
夕方近くなってくると、水が蒸発して無くなってきて、さらに風で水が流されて行くので、徐々に水平線に白い境界線が現れてくる。
完全な鏡面を見るのは、なかなか難しいようだ。優秀なガイド/ドライバーに当たって、本当に幸運だった。
陽が傾いてきて、影が長くなってきた。
二つの太陽は、やがて一つになり、消えていった。
かめはめ、はー!
月も交えて(本当は、もっと大きくすると見栄えする写真)。
そのまま星空だった良かったのだが、雷雨。
塩湖に反射する稲妻撮ったぞ!(ちょっと自慢)
電気抵抗は低いので、近くに立っていたら、けっこう危険なはずだ。
ラパスへ (1月4日 朝)
朝、起きたらきれいな朝焼けだった。朝8時の便でラパスに向かわなければならない。1日の国境越えから、ずっと旅してきたホセ/クリストさんともお別れだ。もう家族みたいに親しくなっているから、本当に残炎だ。私は運が良く、ハワイ島では中根さん、イエローナイフでは大塚さんという最強のガイドと出会ったが、 ホセ/クリストさんも同じ最高のガイドだった。生涯決して忘れない素敵な思い出の数々を本当にありがとう!!
ラパスへ向かうアマゾナス航空の便は小さい機種なので、預け荷物に制限がある、という情報があった。おまけにeチケット、ワード文書で送られてきた。これって編集自由なんだけど... オマケに出発48時間前位にならないと、本当に予約できているかどうかわからない。再び「便が予約されていない」、とか、「望遠鏡は積めない。ここへ置いていけ。」とか言われるのではないか、とビクビクしていたが、ホセさんがちゃんと交渉してくれて、全く問題無くラパスに飛べた。
飛行機の窓から塩原が見えた。道路から塩原には、放射状に轍が広がっていた。 |
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ラパス市内観光 (1月4日)
世界一高地:4082mにある空港。いきなりここに来たら、ちょっと苦しいと思う。ロビーからゲートに向かう坂道で、筋骨隆々の若者達が、歩けなくなってぼーっと立ちすくんでいた。我々は高地に1週間いたので、へっちゃらですたすたと追い越した。ティワナク遺跡を観光した後(写真省略)、空港のある所からロープウエイで市内へ降りた。これが、凄い! 一気に1000m近く降りていくのだ、という。地下鉄のように各駅が設置されていて、住民の足となっている。あの高低差を車で行き来するのは大変だろう。
空港近くの街は、2階部分以上は、ほとんどが建築途中だったのが印象的だった。1階増える度に税金がかかるらしくて、完成したものは、かつてのパチンコ屋かラブホテルみたいな装飾になっていた。
その後、月の谷へ。月面そっくりなので、その名がついた、との事だけれど、こういった浸食は極めて地球的で、月のどこで見れるのか、私は知らない。
続いて、ラパス市内の中心、ムリリョ広場へ向かった。カテドラル、国会議事堂、大統領官邸が立ち並ぶ。図書館なども見学。広場の光景を少し。
ワンボックス・カーはミニバスになっていて、10数人乗っている。普通のバスは40数年前のもの。時々、坂道でブレーキが効かなくなる、と聞いた。
薬局通り。
何を売っているのだろう、と思ったら.... 勿論これだけではなく、いろいろあったけれど、笑ってしまった。
その後、お土産さがし。
夕食は、フォルクローレの演奏と踊りを見せるレストランに行ったが、演奏が下手な上にPAの音量がでか過ぎて、拷問だった。観光客相手、とはいえ、残念。皆、ショーの途中で出ていって、我々も最後の2人を残して後にした。
リマ市内観光、そして帰路 (1月5日〜)
帰路は、リマ、NY経由。せっかくリマ経由なら、3時間空港で過ごすより、半日滞在・市内観光の道を選んだ。海抜0m、空気が濃い。
ここで驚いたのは、ペルーとチリが仲が悪い、という事実。隣国同士の仲が悪い、というのは良く聞くが、ボリビアとチリの仲が悪いのは目撃していた。どうやらチリ人は、ボリビア人、ペルー人を相当下に見て軽蔑しているようで、それに対するボリビア、ペルー人の反発は、驚く程だった。ほとんど吐き捨てるような嫌悪感むき出しだった。日韓関係は、体制維持のために反日感情を利用する韓国政府、マスコミの幼稚な戦略に翻弄されているが、韓流でオバサマ達は膨大な消費、行列を作るし、若者も何万人も会場に足を運ぶ。両国間の結婚だって普通だが、対チリの場合、結婚も希で、また決してうまくいかないそうだ。地球上でこれなのに、地球外生命が来て平和的に接せられるのだろうか?
地球外生命が大挙して訪れて、いきなりここに住むぞ、といったら、トランプが活躍するのだろうか。
さて、体力があるのか、いつも強烈な日程を難なくこなして何でも無かったのだが、ここに来て風邪気味。腹痛、下痢もあり、観光に身が入らない。とは言うものの、一応観光して空港へ。NYではお決まりの“振り回し”で奔走され、日本へ向かった。NYは深夜便だったが、早々に太陽が出て、アラスカ上空でオーロラを見る事はできず、また、以前、バイロイト音楽祭(ドイツ)から帰ってくる時にロシア上空で見た木星の大赤斑みたいな夜光雲も無理だった。
家に帰ってきてトランクを開けようとしたら、鍵が破壊されているのに気づいた。 アメリカだ。TSA対応のリモワなのに、ちょっと開かないからって、鍵の入れ方を変えず、いきなり破壊なんて、ちょっと酷すぎやしないか。オレの国のキーで開かないトランクなんて持ってくるんじゃねえ、といわんばかりの仕業。もう一つのトランクにも割れていた。カード付帯の旅行保険が無かったら、えらい事になっていた。今年の皆既日食遠征では要注意だ。
125SD-BinoのEMSユニットは、今回の遠征(車の震動等)で光軸もずれてしまい、アメリカでは荷物を乱暴に扱われ。目幅調整の所のネジも外れてガタが生じてしまっていたので、目幅調節機構を省いて目幅64mm固定にしてもらった。EMSの矢印は手前に一直線で光軸がバッチリ合うようになった。つまり、鏡筒の固定の光軸は全く狂っていなかった、という事。いままでの数多い遠征をこなした上での事なので、これは凄い。
いつもだけど、長旅も終わってみればあっという間。思い浮かべれば、何という貴重な体験。でも、幻のような... お世話になった、オンリー・ワン・トラベル社、そして特にボリビアのガイド:ホセ照屋さん、ドライバーのクリストさんに感謝!
どうもありがとうございました。
情報
南米は遠い。でも、ウユニ、ボリビアは人気の観光地なので、団体ツアーは沢山出ている。団体旅行の場合、ツアー会社から必要な情報は得られると思うが、一応紹介。
1. 日本の冬は南米の夏。でも私の行った所は氷点下の所もあったので、防寒具は一式必要。
2. 暖房ベストは重宝した。
3. 使い捨てカイロは、ロッテのホカロンが優秀。イオンのトップバリューはダメ。
最近のコンビニは自社製のお菓子等を入れ従来品を駆逐しているが、迷惑千万。お気に入りが買えなくて困っている。
4. 高山病予防は、急激な運動・動作を避ける、水をしっかり補給する、息を吐く時に付加をかける、この3つ。
ボリビアでは、コカ茶が有効、とどこでも飲める。コカの葉も入れて増強できる。
コカの葉は、コカインの原料。ボリビア国外に持ち出すとえらい事になる。
5. ウユニでは塩まみれになるので、捨てても良いようなズボン、靴下持参。
6. ウユニで三脚を使う場合には、足にビニール防水処置。
7. 乾期でも絶対ウユニで鏡面を見せる、という業者があるそうだが、塩湖を削って水を撒いているらしい。
8. 観光地:アタカマ、ウユニの治安は良い。
ラパス、リマは問題多く要注意。ガイドブック等に良く目を通す事。
ガイドのホセさんは、住んでいるサンタクルズで、3年間で強盗8回、携帯10回取られて買い直した、との事。
街中でカメラ、携帯は鞄の中に入れ、使う時だけ出して即しまう。
車の中でも鞄は足下に隠す。赤信号で車が止まる時は窓ガラスを割って物が取られる事があるので要注意。
昨年、携帯を取られた日本人が犯人を追いかけ射殺された。
9. ボリビア、チリ、ペルーでは、トイレットペーパーを流してはならない。横のゴミ箱に捨てるのがルール。
ホテルでも空港でもすぐに詰まるので、次に使う人が大変。
ティワナク遺跡のレストランで見たトイレ。中で大小分かれていて、水では無くおがくずで流す。
10. このsiteに掲載した写真は、EOS 5D IV、EF 14mm F2.8 II、EF 24-70mm F4 IS、EF
70-200mm F4 IS、
Extender EF 1.4×III。フィルターは、LEE
No.3(露出時間がかけられたので、もっと浅いソフト・フィルターが良かった)、
Leica Q(デジカメ史上、近年希に見る傑作デジカメ)、SONY RX-100 IV、iPhone。
ウユニのトリック写真はiPhoneが便利。
初心者は、風景写真に何でもPLフィルターを付けて撮りがちだが、これはNG。
11. アメリカでは、トランクが壊される可能性あり。2017年皆既日食の時、各空港で荷物が多くチェックされるので、
トランクが壊されるだけでなく、ロスト・バゲージになる可能性あり。
*また気付いたら追加します。
本機を手放しました (2018年11月8日)
12.5cmAPO双眼望遠鏡で本体重量10.4sという傑作。ずっと手元に置いておきたかったが、トラベル望遠鏡はRD-400DXになり、13cm双眼望遠鏡は標準原器もあることから、遂に手放すこととなった。本機とハワイやオーストラリア、南米を旅し、思い出は数え切れない。次のオーナーの元で、再び素敵な空を体験することだろう。
本当に沢山の素晴らしい思い出をありがとう!!
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その2 笠井/Hofheim-Instruments 社RD-300DX
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その3 BORG 125SD Bino へ
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その4 「BORG 125SD Binoでテカポ遠征」
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その5 「BORG 125SD Binoで
西オーストラリア遠征」
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