そこに山があるからだ〜Teotihuacan
 
そこに山があるからだ
〜 Teotihuacan
 

   断言してもよいが、太陽のピラミッドの巨大さは写真ではわからない。僕のカメラは最も広角で28mmなのだが、この画角では、どこまで引いても全貌を収めることができない。巷に溢れている画像も麓が切れているものがほとんどだ。
 何より、この「圧」は目の前に立ってみなければ感じることができない。月のピラミッドと同じく表面が大きな石で覆われているのだが、こちらはむしろ「土の塊」という印象で、よりずっしりと密度が詰まった感じがする。傾斜角のせいか麓からは頂上が見えず、それがまた途方のなさに拍車をかける。
 しかし、頂上まで階段が整備されているので、女性や高齢者でもさほど苦労することなく登ることができる。そう思っていた。実際に登ってみるまでは。
 最初は余裕だった。階段の段差は神社の石段よりは高いものの、しっかりと膝を上げればなんということはない。上半身を使う必要がないので、月のピラミッドに登った後では楽勝に思える。
 ピラミッド全体は四角錐ではなく複数の基壇が重なっている形なので、最初の階段を登り切ると、展望台のような踊り場に出る。振り返ると、既に結構な高さだ。月のピラミッドで言えば中腹くらいか。
 次の基壇を見上げると、階段の切れた先が一面の空になっている。行く手に何があるかは登ってみるまでわからないというわけだ。好奇心をくすぐられる造りは、この建造物が宗教施設だったことと無縁ではないだろう。天に向かう者を誘う道なのだ。
 階段には手すりが設置されており、多くの人はそれにつかまりながら登っていく。傾斜がそこそこあるので、なるほどこれは助かる。ところどころに錆が浮き、ガタついて心許ない代物ではあるのだが。
 しかし、徐々に息が切れてくる。太腿も上がらなくなってきた。土嚢を背負ったかのようにからだが重い。二番目の基壇に出たところで、いったん小休止を取ることにした。
「どうする? 頂上まで行く?」
 妻が気弱な提案をしてきた。だいぶ登ってきたつもりだが、せいぜい五合目がいいところだろう。さらに同じ距離を登るとなると、降りるのと合わせて今までの三倍は時間がかかる計算になる。どうしよう。この辺りで自分を許してやってもいいかもしれない。だが。
「いや、俺は行く」
 ここで待っているという妻を残し、僕は再び登坂の途に就いた。
 黙々と足元だけを見つめ、一心不乱に前に進む。余計なことは考えない。これは登山だ。理由などない。そこに山があるから登るのだ。とはいえ、階段はいつ尽きるともなく続いている。道のりは思った以上に険しい。やめておけばよかったという思いが何度も頭をよぎるが、ここで降りたら今まで費やした時間がさらに無駄になる。もう引っ込みがつかない。
 やっとのことで頂上に辿り着いた時には、純粋な達成感だけがあった。やったぞ、という思いがしみじみと心を満たしていく。
 気がつくと妻が隣にいた。待っているのも退屈なので追いかけてきたと言う。平らな台座に並んで腰を下ろすと、僕たちは改めて下界を見下ろした。吹き抜ける風が頬に心地良い。なんて清々しい眺めなのだろう。こんな気分に浸れるなんて、いつ以来か思い出せない。
 太陽のピラミッドも征服した。覇王になる日はそう遠くないかもしれない。
 

   
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