国旗はためく下に〜Zocalo, Ciudad de Mexico
 
国旗はためく下に
〜 Zocalo, Ciudad de Mexico
 

   凛とした涼風に思わず背筋が伸びる。熱帯のユカタン半島とは違い、標高が2000mを超えるメキシコシティでは、朝は東京並みか、それ以下に気温が下がることも珍しくない。まだ9月だというのに、長袖のシャツはおろか、上着すら必要なくらいだ。
 しかし、この空気感は単に気温だけが理由ではないだろう。
 下手なグラウンドなど足元にも及ばない、ほぼ正方形をした200m四方にも及ぶ広大な石畳の広場。その東西南北を取り囲む、これも石造りの歴史的建造物の数々。
 スペインの植民都市はどこでも、教会と行政庁舎を備えたソカロと呼ばれる中央広場からその建設が始まっているが、ここメキシコシティも同様だ。ただ、他の都市と違い、この街は当時、既に古都だった。アステカの都テノチティトランだ。その神殿があったまさに同じ場所に、スペイン人は征服の礎石を置いたのだ。
 広場の真ん中には電信柱をも上回る高さのポールが立てられ、見たこともないほど巨大な国旗が悠然と風になびいていた。それはまるで、歴史の一切合財を超克し、自らの手で勝ち取った独立とその誇りを声高に主張しているかのようだ。 この事実が意味するところは重い。なぜなら、古代文明から植民地時代を経て現代に至るまで、歴史のあらゆるステージにおいて、この場所こそがメキシコという国の中心であるということだからだ。
「こっちの方が『三文化広場』の名にふさわしい気がする」
「そうねえ。見た目も威厳あるもんねえ」
「見た目だけじゃないよ。北には教会、東には大統領官邸、南には連邦区庁舎、で、地面の下には古代文明の神殿だもん。この国を代表するものすべてが集まってる感じだよ」
 どの国にも大なり小なりそのアイデンティティを象徴する聖地があるが、これほどまでに包括的な意味合いを持つ場所もまた珍しい。外国人である僕でさえ、この場所に立ち、この国がこれまで歩んできた道のりを思い起こすにつれ、じわじわと感動が湧いてくる。
 ところで、広場は車が進入禁止なので、周囲の建物との間には周回道路が設けられているのだが、同じ石畳が舗装に使われているため境界がよくわからない。広場だと思って歩いていると、いつの間にか車道に出ていたりする。かといって、仕切りとしてガードレールなどを設けてしまっては、景観的にいかにも無粋だ。ときどき立っているレトロな街灯が一応の目印になっているが、その程度が限界だろう。
 また、大統領の演説やコンサートなども行われるそうだが、いったい何人収容できるのか想像もつかない。少なくとも万のオーダーではないだろう。十万か。あるいはそれ以上か。そんなことを考えながら、隅から隅まで、ゆっくりと踏みしめるように歩き回る。
「今気づいたけど、ゴミが全然落ちていないんだね」
「本当だ。ラテン系らしくない」
 その理由はすぐに判明した。昨日空港で見た人々と同じオレンジの制服を着た清掃員たちが、広場の一角でかいがいしく働いていたのだ。「聖地には塵ひとつ落ちていてはならない」とばかりに、休む間もなく黙々と動き続ける。
「インド人ならぬ日本人もビックリ」
 勤勉か否かは国民性に由来するとばかり思っていたが、ひょっとするとモチベーションの問題なのかもしれない。そう、メキシコ人だって、やればできるんだよ。
 

   
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驚異のメキシコ
 

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