オーパーツ〜Palenque
 
オーパーツ
〜 Palenque
 

   遊歩道の周囲は熱帯の植物がふんだんに生い茂り、鬱蒼として暗い。夕暮れでもないのにホエザルの野太い鳴き声があちらこちらから聞こえてきて、遺跡というよりジャングル探検に向かうかのような気分にさせられる。
「高地マヤの至宝」と言えば聞こえは良いが、つまるところ山奥なのだ。外国人観光客が泊まれる街からアプローチしようとすると、優に一日仕事となる。そのため、ここパレンケをコースに組み込んでいるツアーはあまり多くない。しかし、考古学的な興味からは是が非でも行っておきたい遺跡のひとつだ。何しろ、文字通り「世界を驚かせる」ものが、かつてここから発見されたのだ。
「オーパーツ」という言葉をご存知だろうか。英語では「Out of place artifacts」、つまり「場違いな工芸品」という意味の略語で、本来その場所や時代に存在するはずのない人工物を指す。現代の技術水準をもってしても制作困難と思われたり、そもそも制作方法が不明であったりする古代の遺物が見つかった時に、こう呼ばれることが多い。
 パレンケの本格的な発掘が行われたのは20世紀半ばだが、その際にピラミッド状の神殿の地下から王のミイラが発見された。これだけでも凄いが、さらに調査隊を驚かせたのは、王の顔面に翡翠でできた仮面が被せられていたことだった。
 マヤは文明の発展段階では新石器時代に該当し、金属器の類は一切持っていない。日本でいえば縄文時代や弥生時代になる。そんな原始的な人々が宝石である翡翠を、しかも指輪や首飾りといった小物ではなく、大きな仮面にまで加工していたのだ。
 切断し、研磨し、貼り合わせる。しかし、使える道具は石や木だけ。ダイヤモンドなどと比べれば硬くないとはいえ、ナイフも紙やすりもない中でどうやって仕上げたのだろうか。容易に想像がつかない。
 経済的な側面も見逃せない。近隣にたくさん産出する場所があったのだろうが、王の副葬品になるくらいだから、古代でもそれなりの価値が認められていた鉱物に違いない。そんな材料を大量に使用するには、よほどの財政的な裏付けがなければならない。
 知れば知るほど疑問が湧いてくる。しかし、何より最大の謎は「なぜ盗掘を免れたのか」ではないかと思う。たとえばエジプトでは、豪華な副葬品はもちろんミイラまでもが墓泥棒たちの餌食になっている。残っていたのはそれこそツタンカーメンくらいなもので、ギザのピラミッドも発見されたときには中はもぬけの殻だった。
 また、幸運にして盗難を避けられたとしても掠奪がある。可能性としては、むしろこちらの方が高いかもしれない。都市国家が群雄割拠し、絶対的な統一権力が成立しなかったマヤでは、都市同士の戦争が頻繁にあったはずだ。このような場合、歴史の常として勝者は敗者の持ち物を根こそぎ奪っていく。宝飾品の類など、それこそ真っ先に狙われる。それなのに、ほぼ手つかずの状態で王の墓室が残されていたのはどういうわけなのか。
 「山奥で人目につかなかったから」という仮説はおそらく成り立たない。農耕する土地に乏しく、交易に活路を見出すしかなかったマヤの各都市が、互いの存在を知らなかったとは思えないからだ。
 そう考えてくると、翡翠の仮面どころか、パレンケ自体が壮大なオーパーツであるように思えてきた。そもそも、この都市は誰が、どのようにして築いたのか。宇宙人起源説があるというが、少なくともそう主張したい気持ちはよく理解できる。
 

   
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驚異のメキシコ
 

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