土壁のマリア〜Santa Elena
 
土壁のマリア
〜 Santa Elena
 

   今日は時間に余裕があるので「マヤ人の一般家庭訪問」なるプログラムもスケジュールに組み込まれている。外国人のツアーに自宅を公開するわけだから、その時点で既に一般家庭とは言い難いが、地元の人々がどんな暮らしをしているのか、雰囲気は掴めるだろう。
 街道を逸れ未舗装の道に入る。こんなところに大型バスで乗りつけるのは申し訳ない気がしなくもないが、やはり好奇心の方が先に立つ。やがて民族文化村のような一角が現れた。
 マヤの暮らしは現代でも基本的に自給自足だ。家は土で壁を造り茅で屋根を葺く。軒先で鶏を飼い、周囲の畑で主食のトウモロコシや野菜類を栽培する。エネルギー源は薪で、電化製品は旧型のテレビくらい。外から続く地面がそのまま床になっていて、雨が降ったらどうなるのか、他人事ながら心配になる。
 家の中は思いのほか快適だ。土壁が外部の暑さを遮断する一方で、茅葺き屋根は風通しがよく湿気が内に籠らない。なるほど、熱帯雨林気候に上手く適応している。部屋は機能別にいくつかに分かれているが、おそらくひとつひとつを隣接して別々に建て、後から壁をぶち抜いて繋げたものと思われる。
 案内されている途中、祭壇だけが置かれた部屋があった。広さは四畳半くらいだろうか。白い布を被せた小さなテーブルの上に、聖母マリアの置物やロウソク、花輪などが飾られている。それら自体は粗末なものだが、部屋の中に他に何もないため存在感が際立っていて、無言のうちに信仰の篤さを伝えてくる。
 この地におけるキリスト教は征服者スペインが持ち込んだ。もともと外来のものであり、その導入過程も世界史的に見てかなり暴力的な経緯を辿っている。少なくとも、現地の人々が自発的に受け入れたとは認めにくい。いわば「敵性宗教」だ。それなのになぜ、こんなに根付いているのか。チャックやククルカンなど、マヤ古来の神に関するアイコンが何かしらあってもよいと思うのだが、不思議なことにひとつもない。
 疑問はもうひとつある。マリアの像や絵画はあるがイエスのそれが見当たらない。しかも描かれたマリアの背後には光輪が射しているのだ。これがキリスト教的にどう解釈されるのか、残念ながら専門的な知識を持ち合わせていないが、素人目には「イエスではなくマリアが神、もしくは救世主」であることを示しているように見える。
 ヨーロッパではもともとギリシャ由来の女神信仰があったところにキリスト教が伝来したため、それらが融合して「聖母」の概念が生まれたが、マヤにも女神がいたとは寡聞にして知らない。また、信仰の対象はあくまで聖「母子」であって、本来神である子供の方が抜け落ちるのはやはりおかしい。してみると、これはキリスト教というよりマリア教とでも言うべき独自のものだということになる。
 一方、言語は依然としてマヤ語が話されているという。つまり、この土地に生きる人々は生活様式は古代文明以来の伝統を連綿と受け継ぎながら、宗教だけを丸ごと別のものにすげ替えてしまったのだ。いわば「魂を売った」ことになる。
 祭壇室の中で思わず立ち尽くしてしまう。彼らは今、何を民族のアイデンティティとしているのだろう。「マヤ人であること」の存在証明は何によってなされるのだろう。
 終戦を境に鬼畜米英がギブミーチョコレートになった日本人でさえ、ご先祖様を偲ぶ精神構造自体は変わらなかった。では、マヤ人にとってのご先祖様を象徴する何かを、マリアが体現しているのか。見たところは何の変哲もない聖母なのだが。
 

   
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驚異のメキシコ
 

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