すべての道はカバーに通ず |
〜 Kabah |
大抵のツアーでは、ウシュマルとセットでカバーも観光コースに組み入れられる。どちらもメリダとカンペチェを繋ぐ主要な街道沿いに位置する上、距離的にも近いからだ。年代的にもほぼ同時期で、一説には姉妹都市ではなかったかと言われる。 しかし、巨大さが印象深いウシュマルに比べ、カバーは拍子抜けするほど素朴でちんまりとしている。遺跡というよりは公園といった趣で、バスケットランチを持ってピクニックにでも来るのが似合いそうだ。 ここの見どころは何をおいても雨の神チャックの装飾だ。なまはげを思わせるギョロ目と耳元まで裂けた大きな口。その真ん中から脚のように突き出して垂れ下がる鼻。世にも面妖な顔が、建物の壁面を埋め尽くすように次から次へと並んでいる。あまりに立体的なので、どれもこれも今にも壁から飛び出してくるかのように見える。 何をどう考えたらこんな異様な形を思いつくのだろう。古代文明において神を擬人化した肖像はいろいろあるが、そのほとんどは美しさや調和といった、いわばプラスの価値を指向している。しかし、これは明らかに「ヘンテコであること」を目指している。いや、もしかしたら当事者たちは別のイメージを見ていたのかもしれないが、結果的に出来上がったのはトンデモ系としか言えない造形だ。バラエティ番組でときどきやる「こんな○○は嫌だ」ではないが、仮に自分が信者だったとして、こんな神様は嫌だ。オンリーワンだからといって、必ずしも素晴らしいわけではないということか。 ひと通り見て回り、これで終わりかと思っていたら、街道を挟んだ反対側の空地に連れて行かれた。観光バス用の青空駐車場かと思ったが、芝生が綺麗に整備されていて、どうやらここも遺跡の敷地らしい。 「向こうに門があるのが見えますか。古代の凱旋門です」 ガイドが指差す先に、マヤ独特のV字アーチを持つ石造りの門があった。高さは二階建ての家くらいだろうか。確かにパリの本家に似ていなくもない。 「今、私たちが渡ってきた道は、当然マヤの時代にはありません。では、昔の人々はどこを歩いていたか。あの門の向こうに道が伸びているのがわかりますか」 低木のジャングルの間を縫うように、門の先に空間が続いている。獣道に毛が生えた程度だが、下草が刈られ、普段から充分に人の手が入っていることが見て取れる。遺跡の整備に伴って作られた遊歩道かと思っていたが、これが古代の道なのか。綺麗すぎて今ひとつ実感が湧かない。 「マヤの都市はそれぞれ孤立していたイメージがありますが、実はこうした道でつながっていました。交易や戦争などもこうした道を通して行われたと考えられています。特にカバーは一大拠点だったらしく、チチェンイツァやウシュマルをはじめ、主だった都市にはすべて道が通じていたようです」 ローマ帝国繁栄の理由としてよく語られるひとつに道路網の整備がある。しかし、滔々と流れる大河もなければ農地に適した平野も乏しいユカタンの地では、その重要性はローマを遥かに凌いでいたことだろう。教科書的にはすべて農耕・牧畜モデルで説明される古代文明だが、このマヤのケースは交易立国という選択肢もありえたことを示している。 文明のあり方が独特だったから特異な造形が生まれたのか。いや、いくらなんでもそれは考え過ぎだろう。ものを売り買いしようとして来た店にチャックがいたら、やっぱり怖い。 |
Back ← |
→ Next |
驚異のメキシコ |
(C)1999 K.Chiba & N.Yanata All Rights Reserved |