烏帽子岩から見下ろす三ツ岩岳三ツ岩岳
毎年のように西上州に通っていたころ、南牧村の山間で、大仁田ダムというダムの工事が行われていて、その周辺にある三ツ岩岳や烏帽子岩の登山口がアクセス不可になっていた。工事が終了したら登りに行こうと考えていたら、激烈な台風が来てこの山域の至る処で山道を崩壊させたと聞き、しばらく西上州そのものから足が遠ざかってしまった。
だいぶ時が経った年の晩秋、三ツ岩岳が未踏なのを思い出し、新しめの地図を広げてみればルートが記載されている。ではというわけで、屹立する岩塔の山々とひっそり佇む谷間の集落を眺めに南牧村へと向かった。


12月初旬の土曜日、9時半ばに高崎駅を出る上信電鉄に乗る。先頭車両の運転手席近くに座ったので、田園地帯を抜けると山々が前方の窓に近づいてくる。鹿岳の特徴的な山容が大きくなると下仁田駅は近い。
仁田駅に到着。鹿岳(中央)としれいた山がお出迎え。
下仁田駅に到着。鹿岳(中央)としれいた山がお出迎え。
駅からのバスは残念ながら本数が少なく、乗ったとしても降車停留所から三ツ岩岳への登山口までは車道歩きが長い。なのでタクシーに乗り込み直接登山口を目指す。下仁田市街地を抜けて後部座席の車窓から窺う山々は、師走の冬枯れ色とはいえ雪模様は見当たらない。運転手さんによれば先日初雪が降ったというが、本日の空は快晴で空気は澄み、二度目の降雪がある気配はまるでない。山道を覆ったかもしれない雪も融け、歩行は問題ないだろう。
南牧川沿いの道を雨沢で後にし、車は2002年に完成したダムを目指す。山間の集落をいくつか過ぎて、左右にくねる上り坂を走ると目前に重々しい重力ダムの堤体が見えてくる。このダムは治水・利水を目的としたものだそうで、発電施設がないぶん下流の景観がすっきりしている。
大仁田ダム
大仁田ダム
ダムを間近に見上げる場所にある三ツ岩岳登山口は橋のたもとにあって開放的な場所だった。山道入り口脇には馬頭観音の石碑に並んで小振りのお宮があり、小さいながら常夜燈まで備えている。これが”竜王の里宮”なのだろう。お邪魔しますと手を合わせてから山に入っていく。


砂防ダムの連続する沢沿いを外れ、植林の木々のなかを登る。ときおり幹の合間から高みに雑木の色づきが窺えるが、登路のまわりは概して季節感がない。倒木が倒れ込んできていて使用されてないのだろうと思われる林道に出ると稜線はすぐで、吹き越す風が強い。見渡す林はみな葉が落ちたものばかりだが、おかげでようやく明るい光が視界に溢れた。
登り着く明るい稜線
登り着く明るい稜線
高みへ続く稜線は落ち葉の深い斜面となり、秋の空気に乾かされてか土壌がさらさらで滑りやすく、耳元でうなる風と合わせてひとの不安感をかきたてる。慰めなのは登るにつれて見通せるようになる近隣の山々の姿だった。左手のすぐそこに屹立するのは勧能の大岩だろうか、彼方に岩壁を押し立てる岩塔はなんだろう・・・小さいながらも鋭さを秘めた山々の姿はいかにも西上州のもので、懐かしい眺めに気分は浮き立ってくる。
眺望ばかりではない、行く手に尾根筋を塞ぐように立つ見上げる規模の大岩が出てきても、畏怖感の一方で「これこそ西上州」と喜んでしまう。岩の右手を巻きつつ上に出るのだが、見下ろしてみるとたったいま歩いていた尾根筋が真下だ。行く手に目をやればいよいよ三ツ岩岳の真打ちである岩峰が佇立している。一見しただけでは山頂に至る経路がまるでわからない。ただ足下の踏み跡に導かれて進んでいく。
道を塞ぐかのような大岩(脇から見上げる)
道を塞ぐかのような大岩(脇から見上げる)
巧みに付けられた道筋を巡っていくと岩溝にでくわし、右手の高みを見上げると木の根がまとわりつく岩場にロープの下がる急傾斜が待っていた。いよいよ来たかと取り付いてみると、腕力登りを強いられているわけではないのに以前ほどには平常心ではいられない。トシのせいかなとか思いながら振り返れば、虚空の彼方に先ほどから見えている岩壁の山がますます高い。その右手にはサメのヒレのような頂がさらに高い。思いは彼方の山に移り、あれはいったい何だろうと訝しむうちに傾斜が緩む。
本日の難所
本日の難所
三ツ岩山の岩塔を前景に、正面に立岩、右に経塚山
三ツ岩山の岩塔を前景に、正面に立岩、右に経塚山
ロープが尽きて脚だけで立てるようになって一安心し、改めて振り返り、山座同定のために地図を広げる。サメのヒレに見えるのは荒船山最高点の経塚山、岩壁を押し立てているのは立岩だった。昔なじみの顔を見分けて嬉しくなり、平坦となった踏み跡に足取りも軽くなって三ツ岩岳山頂に出た。


周囲遮るもののない展望。正面には改めて立岩と経塚山、経塚山に連なるスカイラインの左手には兜岩山、すぐ脇には大ローソクの岩峰が窺える。しかしなにより目立つのはすぐそこで絶壁を見せて鋭く突き立つ大岩だ。西上州の”官女”である碧岩は背後に隠れて見えないが、それがあまり残念に思えないほど存在感は抜きん出ている。
尖塔の大岩、後ろに控えるククリ岩
尖塔の大岩、後ろに控えるククリ岩。
この大岩や、彼方の立岩、経塚山、毛無岩に目を奪われて、この三ツ岩岳と相対する大屋山にしばらく気づかなかった。大きめの頂上部西側すべてを岩壁が取り囲んでいる。残る三方は土壌の斜面だが、きっと地中深くに岩壁が隠されているに違いない。だとすれば、悠久の時ののち、風化の進んだ大屋山は立岩以上の規模を持つビュートとして現れていることだろう。

大屋山(中央)。遠景の小さく尖ったピークは毛無岩。
経塚山の右手に続く稜線の先には毛無岩を含むピークが並ぶ。小さなサメのヒレがそれだ。さらに右手に目をやれば、間違いようのない鹿岳と、やはり間違いようのない四ツ又山が並んでいる。鹿岳の彼方には妙義山が凶悪な稜線を連ね、そのさらに彼方には裏妙義が赤岩と烏帽子岩の二大岩塔を突き立てている。この距離からでも判別できる大きさには驚く。
視線を西上州に戻すと、鹿岳の手前には長々と山腹に連なる岩壁の帯が目に入る。黒滝山の鎧である幕岩だ。隣の富士浅間山に登ろうとしてまるで反対側のこの山腹を登ってしまったことがあったが、岩壁帯が延々と連なっているので岩場の真下に突き当たって左右どちらに向かおうと、クライミングでもしない限り高度を稼げなかったことがはっきりとわかる。
妙義山(左奥)、黒滝山(その手前)、鹿岳(右奥)、中央に幕岩。
妙義山(左奥)、黒滝山(その手前)、鹿岳(右奥)、中央に幕岩。
幕岩に相対するのがその冨士浅間山、山頂まで木々に覆われていてこの山域にあっては地味な山だが、よく見ると幕岩ほどではないにせよ同じように岩壁帯をまとっている。山頂から不用意に南牧川へと下山してくると進退窮まりかねない。
南牧川を越えて再び高まる山塊で目立つのは虚空に岩の頂をせり出す小沢岳、その背後に高い稲含山だ。背後の山に埋もれてすぐには気づかないが、小沢岳の右手前には無骨な姿の桧沢岳が三段階に高まる岩の頭を重ねている。さらに視線を巡らせば逆光に黒い稜線がすぐそこに見える。タクシーで遡ってきた大荷田川の谷を隔てて伸びるもので、正面に明日登る予定の烏帽子岩が突き出している。
稲含山(奥)、小沢岳(左)、桧沢岳(右)。
稲含山(奥)、小沢岳(左)、桧沢岳(右)。
ぐるっと回って再び大岩や立岩を正面にする。遠くばかりを見ていた視線を近場に巡らすと、三ツ岩岳という名の通り複数ある岩峰の一つが間近に見下ろされ、その屹立する岩のてっぺんをよく見ると、小振りながら仏像が鎮座している。クライミング技術がないと垂直の壁は上れない。空身でも難しいのに。いったい誰がどのようにしてあの像を担ぎ上げ据え付けたのか。常ならぬ困難を突破する信仰の力の証左がここにも。
こんな調子で狭い山頂に腰も下ろさず周囲を眺め、二度か三度か見回して、ようやく座って休憩することにした。久しぶりの好展望の山頂で熱いコーヒーを淹れて飲む。ちょうどこのときはひとの訪れがなく、広々として静かな空間を堪能することができた。カップを手に立ち上がって再び山々を眺め直し、撤収を済ませてザックを背負い直してからも同じことをした。思いは遠くへ、過去へと飛ぶ。妙義山と鹿岳の間の奥にピークを連ねる山がある。たぶんあれは榛名山だろう。鹿岳の上に高いのが相馬山に違いない。オンマ谷南方稜線から達する登路は立ち入り禁止になったらしいが、あれは山深さを感じるよいコースだった・・・
ダメだいつまでたっても山頂から立ち去れない。大気がもっと澄んでいたらさらに遠方の山々も見えたことだろう。そして出発はもっと遅くなっていたに違いない。


下りは往路を戻らず、竜王の奥宮を経由する最短コースを採った。山腹斜面を下り出しても木々の合間に白い岩塔が窺え、山頂部の荒々しさの記憶が払拭されない。見下ろしているうちはそうでもなくても、脇をまわって基部から見上げるようになると荘厳なものとなる。そんな巨岩の一つが竜王の奥宮で、色づいた木々に囲まれた岩は中腹が膨らみ、上部はせり出している。足下に立てば畏敬の念が湧いてくるが、クライミングする人たちは別の感興も抱くことだろう。

竜王の奥宮
そこから先は植林のなかの急坂で、かなり気疲れする斜度だった。下っている最中は早く終わらないかなと思い続けていたが、じっさいには半時くらいなものだったようだ。登りに採った道筋に合流すると登山口はすぐだった。

足首が痛くなる急斜面
この日は南牧村に泊まる予定であり、大仁田ダムから車道を下った先の雨沢に宿がある。下り一方で、ダムからだと歩いて2時間というところだろう。今は夕方の4時、暗くはなるかもしれないが道は一本、迷うことはない。まだ元気は残っていたので車は呼ばず自分の脚に頼ることにした。
雨沢までの行程の半ばあたりにある集落にさしかかって初めて車が走って行くのを見た。夕闇の気配が漂う時刻、見回せば駐まっている車はあるものの、家の窓にはまだ明かりが点らない。無住の家もあることだろうが、山間の集落はみな照明をつけるのが遅いのかもしれない。
夕暮れの烏帽子岩
夕暮れの烏帽子岩
集落を抜けて振り返ってみると、谷間の空に台形の小さな峰がシルエットとなっている。烏帽子岩だった。外に出ている人影は見当たらない。傍らを流れる川の水音は変わらないものの、水面はだいぶ暗くなってきている。車道が回り込んでいく高台には墓石の群れがひっそりと賑やかだった。


雨沢の集落に着くころにはすっかり日が暮れていた。バスが通る車道に出て、まだ開いていた食料品店で明日の食料を調達した。宿は対岸にあるが、久しぶりだし暗くもあるしで、どこを歩けば渡るべき橋に行き着くのか、すぐには思い出せない。探るように車道を辿ると、ときおりライトをつけた車が通る。エンジン音が遠ざかれば、後には間の開いた夜間照明と山間の静けさばかりが残るのだった。
2018/12/01

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