幕岩直下から富士浅間山富士浅間山

富士浅間山(ふじせんげんやま)は西上州の南牧川に山脚を浸すほど生活空間に隣接しながら、すぐそこに山を見上げるタクシー会社の運転手さんにして「このあたりの山はたいがい登ったけど、あれはまだだな」と言わせるくらいの不遇の山である。登路の中途に興味を惹かれるほどの岩稜があるわけでもなく、山頂にしても周辺には眺めのよい岩峰が多いのにここだけ見晴らしがなく、山の名が表すとおり浅間信仰の名残らしき祠が鎮座するとはいえ、富士を望めなくなった今となってはかつての賑わいもないらしい。月形山という美しい別名もひとを多く惹きつける理由には足らないようで、登山口から山頂までの道のりは短いものの、雑木林がひっそりと広がる山中には寂しいまでの山深さが漂っているのだった。


宿泊先の民宿で聞いた限りではいろいろなコースがあるらしいが、今回辿ったのは底瀬の集落から登るものだ。六車のバス停から底瀬の集会所まで歩き、奥にある民家の脇を通って黒滝山への登路に入り、途中から分かれて焼山峠をめざし、そこから稜線を山頂に向かうものである。紅葉の季節を迎えて周囲の山々は橙色に染まり、登山口周辺では家々の軒先に干し柿や大根が下がり、縁側の下には蒟蒻芋が天日干しされていた。
黒滝山への道から分かれてしばらくは葱畑などもあり、銀杏の木も植えられた山道は迷いようがないのだが、杉林のなかを行くようになると道のりが徐々に怪しくなってくる。山道を歩き出して十五分も経っていない頃、小さな木橋を渡って左手の支沢に入り込んだところで、道形が消えてしまった。じつはこの橋を渡った時点で道を間違え作業道に入り込んでいたのだが、そうとは気づかず、しばらくうろうろしたあげく尾根筋を辿れば何とかなるとばかり、木橋をわたった先にある尾根筋を上がっていくことにした。
どこかで焼山峠に向かう道筋が現れるかと期待しながら上がっていったのだが、先ほど辿っていた沢筋は右手遥かに低くなり、焼山峠らしきたわみにもなかなか近づかない。植林帯を抜けると末端に大きな一枚岩を張り出した尾根が出てきたのでこれに取り付く。不安感をかかえつつさらに強引に進んでいくと、尾根はただの急斜面と化し、その上に大岩壁が見えてくる。右手には峠に続く稜線が見えているが、峠はかなり下で、かつ遠くになっている。
観音岩下方の岩峰と岩壁
観音岩下方にある岩峰と岩壁(の端)
登山口を出発してからすでに相当の時間が経っており、もう富士浅間山はあきらめ、できればこのまま観音岩に出て黒滝山から下ろう、そう思いつつ崩れやすく踏み跡もない斜面を、立木に捕まったり、キックステップで足場を作ったり、両手両足を使って苦労しつつ登っていく。稜線まで出てみると、見えていた大岩壁はさらに向こう側まで続いており、観音岩にはまず登れそうにもない。焼山峠に下ろうにも、途中に岩場があって下れるかどうかまったくわからない。まるで反対側の山に登って行き止まりになった格好である。
道迷い中でも見るべきものはある
道迷い中でも見るべきものはある
いま登ってきたところは下りたくないものだ、と思っていたが、どうやらそうもいかないらしい。滑って落ち葉混じりの土砂に半身を埋めたり、よくわからないまま来た往路をこれまた間違えたりしつつ、なんとか下って本来の山道に出た。その道を五分も下ると、道を間違えたところに着いた。作業道に比べて本来の山道は草に覆われ、注意していないと気づかない。恨めしげにこの分岐を眺めて、底瀬の集落に戻り、そのまま本日の宿まで歩いていった。初日はこれで終わった。
道間違い地点
道間違い地点
(左奥の橋を渡るのではなく、右手前、上に向かう草地の踏み跡を辿るのが正しい。2002年秋。)


翌日、本来であれば荒船山から黒滝山に続く稜線上にある毛無岩を訪れる予定だったのを、天気もよくなかったので取りやめ、再び富士浅間山をめざすことにした。昨日同様に底瀬集落からの道を辿り、仕事道に引き込まれた場所も間違えずに通過した。
この沢沿いの道だが、進むほどに文字通りの踏み跡となり、少しばかり高みにつけられた場所などではうっかりしていると簡単に足下が崩れて踏み外してしまいもする。沢の流れはほとんどないが、ぬかるんで滑りやすい場所も多く、胸の高さほどの岩場を越えるのにも気を遣う。ときおり顔を上げて間近な対岸を眺めれば、日のあまり差し込まない谷筋でも秋の彩りは鮮やかだが、繰り返し現れる岩場の眺めと足下の不安定さが、昨日の道間違いを思い起こさせてどこか凄絶でよそよそしく感じさせるのだった。
沢筋の紅葉
沢筋から見上げれば岩壁に紅葉
左手の観音岩方面から何度か支流の涸沢が合わさってくるが、赤布・赤テープは直進を指示しているのでこれに従う。しばらくしてその左手の斜面に岩屋のように被さる巨大な岩が現れ、その先にやや広めの支沢が現れる。ここで初めて本沢から離れ、支沢の左岸を歩く。両側の斜面は植林だが、木々の根元に目をやれば、屋敷の土台のような石組みがあちこちに築かれている。何段にも重なっている様は古代遺跡のようだ。かつてはここでもコンニャクが栽培されていたということだろうか。
本沢から離れる目印の大岩
この岩が左手に見えたら本沢を離れる
沢が尽き、斜面状になったなかの踏み跡を追っていくと峠に着く。塩沢の集落へと乗り越していく反対側はヤブが被さっており、底瀬からの道のり以上に歩きにくそうだ。観音岩側に続く稜線を見上げてみると、大岩がところどころに出ているが、登っていけないことはなさそうである。とはいえ大岩壁のところから先へはクライミング技術と装備がなければ進めないのは昨日探索済みで、いつかここを上がってみたいとはまるで思えないのだった。
観音岩方面の多層岩壁の一つ
この岩壁の左上方に大岩壁がある
(下ってきてこの岩壁の末端に出たら....)
富士浅間山への稜線へは進入禁止のフィールドサインのように倒木が折り重なっている。これを乗り越え、すぐに稜線を外し、幅が狭く崩れやすい山腹の踏み跡をたどっていく。梢越しに広い谷間の彼方を見上げれば、紅葉のなかから観音岩の中腹に広がる大岩壁が冷徹にこちらを見下ろし、その右下にはさらなる岩壁が山体を取り巻いているのが目に入る。幾層にも岩壁で武装した要塞のような山だ。安易に下るのは危険だとよくわかる。昨日は往路を戻って正解だった。


富士浅間山の塩沢側に向いた斜面は植林帯がかなりの高度まで広がっている。これを抜けて稜線に戻ると雑木林のなかで、色づく梢越しに秋の空間が広がっていく。ここからがまた赤テープ類を追い、ややもすると見失いかねない踏み跡をたどって山頂をめざす道中となるが、登りは高度をかせげばよいだけだから道を外す不安はない。里の音が南牧川のあたりから切れ切れに聞こえてくるが、山の静謐さを引き立てるだけだ。
落ち葉の散り敷かれた急傾斜の道筋をしばしで、石造りの祠が二つ建つばかりの、木々に囲まれた山頂に着いた。登山口から二時間とかかっていないが、昨日の午後に登ろうとして果たせなかったことを考えれば二日かかったわけで、お祝いに派手な眺望の一つもほしいところである。しかし滅多にひとの訪れもないだろう山頂空間にいること自体がご褒美というものだ。湯を沸かして飲み物をつくり、静けさに浸った。
山を下る前に、山頂標識から下がっていた富士浅間山の登山案内のコピーを読んでみた。登路として底瀬から辿るものをガイドしているところをみると、やはりこの道がいちばん歩きやすいのだろう。観音岩中腹に見える大岩壁は幕岩という名らしい。往路を戻るつもりなので、焼山峠のうえでその名を呼びつつ改めて眺めることにしよう。自分にとってはただの岩壁ではない、前進を阻まれた岩壁なのだから。
富士浅間山頂
富士浅間山頂
2002/11/16、17

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