立岩立岩

2000年晩秋の西上州行も最終日となった。締めくくりには、麓からの眺めが「これぞ西上州の風景」とされているらしい立岩(たついわ)という岩峰を選んだ。山道にかかるところまで車で行けば周遊コースを採っても2時間強だが、自分はバス停から山村風景を眺めつつじっくりと上がっていくことにする。
朝一番に乗ったバスの運転手さんは、昨日登った大岩・碧岩の帰りのバスと同じ方だった。この人は黒滝山近辺の山の持ち主だそうだ。「このあたりは小さいけれどもいい山が多いでしょう」。椚(くぬぎ)から沢沿いにかすかな踏み跡を頼って小沢岳に登ったというと感心された。あの沢は大水が二度ばかり出てすっかり荒れてしまったそうである。「そういうふうに、道がわかりづらい山も多いんですけどね」。桧沢岳では登り口を見つけられず山道を歩かないまま引き返したパーティーもあったという。
運転手さんは「大物倶楽部」とかいう地元の猟友会にも入っているらしい。この会はシーズン始めに熊を9頭も仕留めたとのことだ。里山の延長と思っていた西上州だが想像以上に山が深そうである。(一方、そんなに殺していいものだろうか、とも思う。もちろん許可されているのだろうけれども。)最近、立岩からやや離れた毛無岩という岩峰付近を歩いていたハイカーが子連れの熊を見かけたとのことで、「尾根が続いていますから立岩の方に来ているかもしれません。念のためときどき音を立てるとかしていって下さい」と注意を受ける。


羽根沢の停留所でバスを下り、山に向かって車道を詰めていく。途中、とある家の脇で凶暴な飼い犬に吠えかかられる。犬に騒がれるのは慣れているのだが、綱で留められていなければまず確実に襲いかかって来たはずのこの犬には強い不快感を覚えた。犬は飼い主の性格を反映するという。かなり敵対的な人なのだろう。
谷間が広がってくると大上の集落が見えてくる。星尾大橋という橋の手前から谷の反対側に高まる支道へと入る。少々大回りにはなるが、この道は「立岩の眺めがよく、再び本道に合流する」とガイドにあるし、まっすぐ行く道は車の往来があってうるさい。本日は山歩きの時間が短く行動に余裕があるので、のんびり静かなところを歩いた方が気が楽である。日陰となっている道を行くと、すぐに本来の道が谷の反対側のかなり下になっていく。広い谷間越しにそびえ立つ立岩が日差しを受けて堂々と明るい。
ここまではよかったのだが、対岸に戻るまで続くと思われた舗装道がいちばん奥まった民家の前で植林に覆われた狭い山道になったのには驚いた。「あれ、いま歩いている道は実はガイドに載っているのとは別のもので、行き止まりになってしまうのだろうか?」などと懸念しつつもさらに行くと、右手下の谷筋で行われている巨大堰堤工事の直上手前でヤブにぶつかる。いよいよ怪しくなったので立ち止まって前方を見ると、工事で崖のヘリにあった道が削り落とされている。しかもその先に見える墓地の向こうには道がないようだ。深い川を隔てて反対側の車道に渡るような橋も見えない。不安が的中した格好である。あきらめて元来た道を戻り、星尾大橋を渡って左岸を歩く。ほんとうに大回りになってしまった....。
しかし引き返した場所のちょうど対岸のあたりまで来ると、堰堤工事で途切れていたように見える場所から先には道形がはっきりと見えるではないか。しかも谷に少しくだって小さな橋でこちら側に渡ってきている。あまりに下にあったので先ほどは見えなかったのだ。つまり正しい道を通っていたのである。さすがに損した気分になり、帰りはあの道を通ってバス停に下ろうと力を込めて自分に誓うのだった。ちょうどそのとき、「乗っていきませんか」と徐行した車の助手席から女性が声をかけてきた。ありがたく思い「お願いします」と答えたのに、なぜかそのまま走り去っていった。


いろいろあったが、登山道入り口のすぐ手前、西上州の三名瀑のひとつとされる線ヶ滝にはバス停から一時間半ほどで着いた。立岩を周回してここに戻ってくるので寄るのは後でもよかったのだが、気分を変えるために先に見物することにして案内の標識に従い谷に下りていく。
線ヶ滝
線ヶ滝
ここもまた昨日訪れた三段の滝に負けないよい滝である。垂直に近いチャートの岩盤の上を細からず太からずの白い流れが一本落ちていく。これは急傾斜のナメ滝なのだ。三方は絶壁に囲まれて、滝壺から落ち口の高さまで円筒形の空間を成しており、その一角にいる自分に向かって水音がサラウンドで響いてくる。山頂を急ぐのか、滝見物客は誰もいない。なんでこんな造形になったのだろうとか考えながら、うるさいとは全然思えない轟音に浸り、飛ぶように下っていく水の紋様を繰り返し目で追いかける。もう少し眺めていたら頭が麻痺して、山に登るのをやめてできるだけ長くここにいようと真剣に考え出したかもしれない。


落ち着いた気分で車道に戻る。すぐに山道となり、まずは植林のなかを進み、道を二本分けてゆるやかに登っていく。前後には歩いている人がちらほらといる。この調子ならまず熊は出てこないだろう。ジグザグ登りをこなして雑木林となるあたりから見上げると、東と西と二つある立岩の岩峰がこちらを尊大に見下ろしている。ふたたび植林を抜けて山腹をトラバースするようになるとガレの鎖場が出てくる。とはいえ鎖は使う必要はない。登り切ると右手の岩壁に狭い足場が切ってあって斜上している。ここには真新しい鎖がついており、足元が不安なので活用する。登り着くと東と西の立岩の鞍部でベンチがあり、静かな雰囲気だ。そこからコブを越えて岩峰に囲まれた中に入り込み、小尾根に乗ってしばらくで眺めのよい西立岩山頂となる。無線で交信している人など、何人かのハイカーがいる。今回の西上州は3日目にしてようやく山頂で人に会う。
今日も好天で眺めがいい。昨日の碧岩で見た山々を再び目にするが、距離が縮まったものは当然大きく見える。なかでも目の前にある荒船山の行塚山はよく目立つ。そこから尾根続きの兜岩山の向こうには、浅間連峰がこれまた近い。この二日間霞んでばかりいた佐久の最高峰である御座山(おぐらやま)も遠くにありながら明瞭だ。そして何より驚くのは、八ヶ岳連峰が蓼科山から赤岳まで横一列になっているのを眺められることである。立岩は隠れた八ヶ岳展望台だったのだ。これを正面に湯を沸かして茶を入れ、昼食とする。
行塚山(右)
行塚山(右)
食事をしたのち、無線をしている人と少し話をした。山の知人に「単独行をするなら無線免許をとったほうがいい」と言われて準備したのが、いまでは頂上から他の山のてっぺんにいる同好の士と通信しあうのが楽しみになったと言われる。最近では免許を取るのも簡単になったとのことだが、やはり携帯電話に押されて取得者は伸び悩んでいるらしい。しかし交信しあった相手と葉書大のカードを交換しあったり、まったく面識のないひとと通信で話をしたりと、携帯電話では味わえない楽しみも多いと見受けられた。なお、無線でも谷間にはいると通信できなくなるそうだ。


下山は威怒牟畿(いぬむき)不動を周遊する路を採る。西立岩山頂から少し先に進むと、今度は反対側の眺めがよい。昨日一昨日で登った大屋山大岩・碧岩がすぐそこにある。鹿岳は見えず四ツ又山は前の山に隠されて頭を出しているだけだが、稲含山小沢岳のスカイラインは明瞭にわかる。彼方には両神山の稜線も浮かんでいる。
山頂直下は急坂で、すべらないように気をつけて下る。ちょっとした鎖場の登りでコブを越え、急だが歩きやすい斜面を過ぎて荒船山へと続く稜線沿いの道を左に逸れて、谷筋の植林のなかをテンポよく歩いていく。
樹林の右手がやや明るくなってくると、そこが威怒牟畿不動を祀る場所だった。本尊が麓の寺に移されて主無しとなったせいか、質素な社は見捨てられたかのようである。だがその背後の天然の伽藍は素晴らしく、4段くらいの岩の地層が神々しいほどの自然の段幕を成しており、先人がこの中心に尊崇の対象を置いたのも頷ける。ここはやや遠目から仰ぎ見るのが畏敬の念を表すにふさわしかろう。
威怒牟畿不動
威怒牟畿不動
不動からはゆるやかになった道を飛ばして線ヶ滝の近くに出る。あとは車道を下るのみ。途中、行きに引き返した右岸の道を経由し、バス停までもどる。


バスが来るまで少々時間があったので、すぐそばの小学校らしき建物の校庭に入ってみる。門のそばにひどく立派で新しい記念碑があり、最初に「開校記念碑」と読んでしまったそれは、「閉校記念碑」なのだった。かつては数百人の子供達が通ったこの学校もしまいには生徒数が数十人になってしまい、他の学校に統合されてしまったらしい。西上州に滞在した三日間、あちこちで会った帰宅途中の小中学生らは、はにかみつつも必ず「こんにちは」と挨拶してくれた。みな元気に素直に育ってほしい。将来、自分たちの故郷にはすてきな山と川がある、と思えるように。
2000/11/25

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