稲含山から見下ろす小沢岳小沢岳

二泊三日で計画した西上州の山歩きも最終日となってしまった。今日は予定通り小沢岳を登る。山から下って再び下仁田駅に戻ってくるので、駅近くにある連泊した常盤館に荷物を置かせてもらう。登山口へは昨日四ツ又山に行くために乗ったのと同じバスで行く。駅に行くともう既に来ている。運転手さんが「今日は高い山は雪だよ」と教えてくれる。間の悪いことに、軽アイゼンはもう使わないだろうと思って宿に置いてきてしまった。町を出たバスの車窓からは、なるほど、すぐそのあたりから雪が樹林に降り積もっているのが見える。「高い」というのは標高700メートル以上がみな当てはまるようだ。つまりこのあたり全部の山が冠雪対象というわけだ。


昨日は小沢橋というところで下車したが、本日はその先の磐戸橋というところで下りる。磐戸橋からはいくつかの集落を抜けて長い林道を上がっていく。バス停近くでは、オオカミの絵を描いたお札を軒先に貼っている家もあった。よくは確かめられなかったが、奥多摩の御岳神社で出しているお札と同じようだった。火災盗難除けに実効があるというものである。
山の中に入ると、四ツ又山で見たのと同様に山の斜面に石で流れ止めをして畑にしている。こちらはまだ十分活用されている畑が多い。いつこのような開墾作業をしたのかはわからないが、いずれにせよ手作業だろうから足場の悪い斜面ではたいへんだったろうと思う。林道はいつのまにか山道になり、沢筋に沿って登っていく。椚峠というところまで行って、そこから尾根筋に乗って山頂に向かうというコースである。最初はいわゆる普通の登山道で、あまり印象に残らなかった。
だが、暗い植林帯を抜け、開けた伐採跡地を正面にしたところから山歩きの様相が変わってきた。明瞭な道筋に導かれてその伐採跡地を登り出したのだが、実はそれはただの作業道だったのである。道は伐採跡地の終了とともに消えてしまい、先頭メンバーがその先の道を探したが見つからない。地形を地図と照らし合わせてみると、二俣の右の沢を行くべきところを左の沢に入り込んでしまったらしい。しかし沢が二俣になっているところは歩いてきた道からは見えず、間違えて登った伐採地の斜面から谷を振り返ってみて初めて、すぐそこに支尾根が張り出してきていることから察せられるのだった。ともあれ、道に迷ったときのセオリー通り、二俣に出会う前まで戻ることにする。
道を間違えて出た伐採跡地
道を間違えて出た伐採跡地
本来のルートは、とてもこの先が登山道とは思えない分岐から続いていた。伐採地手前の短い植林帯を戻り、沢を渡ったところで振り返るとヤブの中に消えていくようにみえるやや薄い道があった。おそるおそる進んでみると、二俣に分かれている右の沢に沿っていくことがわかる。まず最初の難問はクリアした。これもグループでいったたまものである。一人で行ったらこれだけで山行を諦めて山を下っていたかもしれない。


だが、ちょっと歩いただけで再び踏み跡は消えてしまう。今回の答えは、「沢を渡り返せ」というものだった。流れは小さくなっており、伝っていく岩もあるのだが、問題は斜面の高みからどうやって沢に下りて渡り返すかである。踏み跡もないので、楽に下りられそうなところを適当に選んで下りる。斜面にさえも落ち葉が踝を越える厚さで積もっており、こういう道を歩き慣れていないメンバーはおっかなびっくりで足を出す。枯れ枝はそこここに伸び、沢のそばには浮き石もたくさんある。山を登っているというよりは裏山を探検しているような気分だ。
この敷き詰められた落ち葉のせいで道がわからなくなったことが何度となくあった。両神山の八丁尾根を歩いて八丁峠から坂本に下ったときも沢筋の道がわからなくて難渋したが、今回は特に沢を渡り返すところで道がわからなくなっていたようだ。その都度前進を停止し、何人かが前方及び左右に探索にでかけて道を探すというのを繰り返す。これはこれで結構楽しい。急な斜面は意外とふかふかの土で覆われていてかなり軟弱だったりと、歩いて初めてわかる発見もある。
今はこんな状態の道でも、かつてはそれなりの往来があったことは、行程もかなり進んだところで小さな社が現れたことでもわかる。道はわかりにくいものの急ではないので、踏み跡さえしっかりしていれば短時間で峠に出られるはずだ。だが、この社ができた当時、この道がどの集落同士を主として結んでいたのかは、地図を眺めてもよくわからない。
椚より椚峠(小沢峠)に上がる沢筋にて
椚より椚峠(小沢峠)に上がる沢筋にて


椚峠の直下は急な斜面で、ここでもまた道がわからなくなる。上に上がりさえすればいいんだとばかりに皆して適当に登っていくと、椚峠まで延びている林道に出た。さんざん苦労して車の来られるところに出るというのは山を歩いているとよくある話だが、今回もそうだったことになる。だが車は一台もない。下りでわかったのだが、いちばん高いところにある集落からこの峠までの林道の途中は、深さ50センチはあろうかという亀裂が道のまんなかに入っていて四輪駆動でも危険な状態だったのだ。峠にはいま登ってきたばかりの下り道の入り口を示す標識があったが、どこから下り始めればいいのかこの標識ではわからないというのが皆の一致した意見だった。
峠から少し山頂側に進むと、伐採されて見晴らしのよくなった地点に出る。もう昼過ぎで、日が射してきてだいぶ経っていたので、朝方は木々の上にうっすらと積もっていた雪もほとんど融けていた。ここで昼食後、コブを二つ三つ越え、植林帯の急登を経てしばらくすると山頂だった。ここまで来ると今まで見えなかった荒船山の平頂が現れ、下仁田の町が見下ろされるようになる。その手前には昨日登った四ツ又山鹿岳の手前に目立たなくわだかまっている。振り返ると一昨日登った稲含山が高い。周囲の展望に気を取られていて最初は気がつかなかったが、山頂には山には珍しく大日如来の像が鎮座していた。こんな大物を置いた山頂というのもなかなかないだろう。帰路は林道を七久保方面に下り、桑元からの車道を合わせるところで坊主渕というバス停に着く。そこには公衆電話があり、バス待ちが長いのでタクシーを呼んで下仁田に出た。
1998/11/23

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