稲含山から荒船山を望む 船と言うより抹香鯨八風山から荒船山

ある日何となく妙義・荒船のガイドマップを見ていると、次のようなコース設定ができることに気付いた。軽井沢駅から神津牧場の脇を経て荒船山を登り、そのころはまだあった荒船鉱泉や深山鉱泉の側に下る。そこからヤブっぽい峠を越えて妙義山の岳神社に達し、妙義山のお中道巡りをして松井田駅あたりに出れば、碓氷峠の西から南にかけてかなり歩きでのある山旅となる。大島亮吉の世界のようで実に魅力的だ。泊まるところもちょうどよいポイントにあって、しかも風呂つきときている。全体に低山歩きだし紅葉の時期が歩くには一番だろう、というわけで11月に実施することにし、その日を待った。
今はもう新幹線が止まる軽井沢駅だが、かつて信越本線特急で降り立った秋の駅は閑散としていて休日だというのにわびしい感じがした。きっと仏滅か何かで結婚式が少なかったか、ゴルフを始めるには遅すぎ、切り上げるには早すぎる時刻だったのだろう。だがなんと言っても、今朝は例によって寝坊して予定時刻を大幅に過ぎての軽井沢到着だった。予定外の特急使用でも遅れを取り戻せなかったのだから、寝坊の程が知れるというものだ。
当初は駅から八風山登山口まで季節はずれの避暑地を散策しながら別荘地の奧まで歩いていこうと思っていたものの、これから山歩きをする身にとってはかなり遅い時刻なのでそんな余裕は消え失せてしまい、迷わず駅前のタクシーに乗り込んだ。運転手はすぐさま道を間違えもせずに八風山直下の登り口まで連れていってくれたが、だとするとこの山もまだ歩かれていると言うことらしい。

八風山を越え、神津牧場を眺めながら物見山へ向かう道に一歩を踏み出す。ここはかつてハイカーは必ず一度は歩いたという由緒ある道だ。だが今は人影もなく、道連れは足下で聞こえる落ち葉のかさかさいう音だけだった。直下の林道まで車で来てしまったので八風山にはすぐ着いた。眺めはいいのだが、この頃の自分は山の名前がよくわからず、ようやく東方に妙義山らしい山影を認める程度だった。明るい感じの山道を下り、ススキや笹の目立つ矢川峠で一休み。ここから散策路は車道と付いたり離れたりするようになる。暗めの香坂峠を越えると道は車道と交錯し、ここで初めてハイカーに出会う。夫婦連れで物見山から歩いてきたらしい。上りにせよ下りにせよ時間としては遅いので双方とも驚き、互いに黙礼だけしてそのまますれ違う。
左手には先ほどから湧いていたガスの中に神津牧場らしき草地が途切れ途切れに見え始める。だが牛にせよ何にせよ動物の姿は見あたらない。人影さえ見えない。もう冬間近だから放牧はしていないのだろう。大鳥亮吉が描写した風景を少しならず期待していたのでやや気落ちするが、季節はずれに来る方が悪いので仕方がない。でも山道脇に張られている鉄条網はあまり気分がよくないぞ、そんなことを考えながら物見山まででやってくる。それまでの道からほんの気持ちだけの上りで到達する山頂はアンテナが設置されてしまっていて色気がなく、ガスが信州側から押し寄せてきていて眺めもなく、すぐ下る。少なくとも今回は単に登っただけのピークだった。今日はここまでのあいだで荒船山の艫岩の岩壁を見ることを期待していたのだったが、結局こちらを見ることもできなかった。
物見山から山荘あらふねに行く途中にて
そろそろ薄暗くなって来始めたので少々急いで今晩の宿の「山荘あらふね」への道を辿る。山荘付近の林道では夕暮れのガスに紅葉が煙るように浮かんでいて幻想的で嬉しくなってしまう。あいかわらず風がなく、音もない。すっかり気をよくして、静かな興奮状態のまま宿に着く。ここは天然温泉ではないが、二十四時間入れる風呂があって気持ちよくくつろげた。


翌朝は宿から物見岩の下を通って熊倉峰との鞍部まで車道を歩く。別荘地の中の車道歩きで車も通るものだからしばらく忍耐を必要としたが、次々に出てくる別荘がよく見ると結構面白くて気が紛れる。とある有名漫画家の奇抜な別荘もあって、まじまじと眺めながら歩いていく。しかしこんな目立つところにあったら当の本人は来てもくつろげないのではないか、などと余計な心配をしていると、熊倉峰への登り口に着く。
熊倉峰は地図にはルートが載っていないが道ははっきりついていた。小さな山だが、朝から一汗かかされる。後ろから地元の人だという山歩きの人が一名、慣れた足で追いつき、こんな山を歩くなんて地元のものでもないのに好きだねぇ、みたいなことを言いながら追い越していく。全くその通りであって、嫌いだったら歩いていない。さっさと追い抜かれてしまってちょっと気を悪くしていたのでひとりで内心ぶつぶつ言っていると、急な下りをひと歩きですぐ荒船山との鞍部の内山峠に出た。車道を渡るが車はほとんどない。でも駐車しているのは何台かある。
小憩後に登り出す。噂に聞いていた山道のガードレールも出てきてわかってはいたもののやはり興ざめだ。ワンピッチでたどり着いた山頂台地は灌木と笹の平地で、低山のせいか苗場山のような山上の平原は広がっていないが、疎林の中に色づく木々が散策気分を盛り上げてくれるので不満はない。さっそく艫岩の岩壁に向かう。だが昨日からの靄は今日も取れず、眺めはほとんどなし。はるか下の車道からエンジン音が聞こえてくるだけだった。ドライブしている人たちの中にも荒船山の岩壁が見えなくてがっかりしている人がいるだろうな、などと思いつつ最高点の京塚山に向かう。ここからの眺めは葉が落ちたとは言え木々が邪魔してあまりよくない。それでも当時は名を特定できなかった岩峰がいくつか見える。山頂直下の分岐点で昼食のレトルトカレーを暖め、千切ったフランスパンを浸して食べていると「おいしそうー」と言いながら女性ばかりの団体が通り過ぎていった。
荒船山の山上台地風景
山頂からは予定通り相沢側に下りたが、下山途中でも艫岩は見えず、かなり急な下りが続く途中で振り返っても、ガスにぼんやりと滲む紅葉の木々だけが見上げる視界の中に浮かんでいるのだった。この日泊まった深山鉱泉では受付を求めると「物語山でも登りに来たのかい」とか言われた。ここも今ではなくなってしまった。当時すでに休業中だった荒船鉱泉も同様だ。代わりと言っては何だが何年か前に日帰り入浴施設ができたそうである。深山鉱泉の真向かいに下仁田ネギを売っていた土産屋があって、夕食前にここを冷やかしてお茶をいただいたりしたが、まだあるのだろうか。「今年は雨が多くて下仁田ネギも細いんだよ」と店の人は言っていた。人と人とが接し会うような宿や店が減っていく昨今だ。
夕方5時には日が暮れ、宿に戻った。夕食の鱒の塩焼きがつくりたてでおいしかった。


翌日は妙義への道を辿ったが、途中の峠越えはまるで歩かれていないヤブ道だったので諦めて車に乗ってしまい、軽井沢から松井田まで歩いてつなぐ計画は頓挫してしまった。妙義山のお中道巡りをして妙義神社に下り着いたときはすでに日が暮れようとしており、照明のない車道を延々と歩いて松井田駅に近づく頃には、黒々とした妙義のシルエットが夜空に浮かぶばかりだった。

1991/11/2-4

参考メモ:
大島亮吉(1899-1928) 岩と雪に情熱を燃やしながら西行、芭蕉らの日本的漂泊にも憧れた近代登山家。前穂高北尾根で墜死、享年28歳。
中公文庫の大島亮吉『山−随想−』に、「荒船と神津牧場付近」と題した随筆があります。
活力に溢れた筆致で大正の頃のこの辺りの景色と風物が描写されています。

2005/10/22追記:
中公文庫版は入手しにくいようです。かわりに平凡社ライブラリーから『[新編]山 紀行と随想』が出ています。
「荒船と神津牧場付近」は所収されていますので、こちらをどうぞ。

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