大岩手前から碧岩大岩・碧岩

2000年11月の西上州行きはまず大屋山に登るものと決めていた。他にめぼしいのはないかと地図を眺めれば、近くに大岩(おおいわ)・碧岩(みどりいわ)という小さな山があるのが目に入る。ルートは破線表示され、簡単なところではなさそうだ。たまたま出たばかりの『岳人』#641(2000年11月号)に”岩塔の山”が特集されており、そこでは碧岩が2級の岩登りで下りにはロープが必要だとある。これだけ聞くとけっこう不安になったが、2級はデシマルグレードだと5.3くらいのようで、丹沢の広沢寺でロープ無しで登ったことがあるレベルだからなんとかなるとも思える。この「行けそうな行けなさそうな」というのが人の心をくすぐり、今回の山行対象に加えてみた。雨沢という集落に二泊三日の予定なので、時間のある二日目に行くものとしよう。


初日、宿で夕飯を食べて自室に引っ込み、翌日のプランを再考する。大岩と碧岩はコースタイムだと5時間弱とあり、朝早く出れば昼には下れる。そのままタクシーを呼んで黒滝山桧沢岳に行ってみようか、と皮算用を弾いてみる。一番バスは8時台なので、朝は宿からタクシーで登山口に行くことにしよう。出発は7時ごろでいいだろう。
今朝は霜がたくさん下りてますね、と運転手さんは言う。最近いちばんの冷え込みだったらしい。山道の入り口である「三段の滝入り口」で車は停まり、川縁の道は一部崩れているのでいったん流れのそばに下りてください、との注意を受けて歩き出す。左手すぐに沢の流入を見る。ここから上流を目指す。三段の滝までは遊歩道であるとガイドなどにはあるが、どうしてどうして、桟橋はところどころ流されているし、対岸に渡るところでは道を見失って行きすぎたりと、散歩気分で歩けるところではない。しかも日が射さない谷底は道に積もった落ち葉が濡れたままで滑りやすく、慎重に足を運ばなければならない。厳冬期は凍結してかなりたいへんなはずだ。
「遊歩道」としてはけっこう歩いたな、と思える頃、目の前に5メートルほどの滝が現れる。これが三段の滝の下部か、まさかね、と思っていると右手の斜面を斜めに上がるようにロープが張ってある。道が崩れているようだ。登り始めて何気なくその小さな滝の彼方、冬枯れした谷の奧を見ると、そこに三段の滝があった。しばし不安定な足場のまま立ちすくんで眺める。
三段の滝
三段の滝
滝のそばは小広く開けてベンチがある。見上げる滝の見事さに感心しつつも、肝心の大岩・碧岩に続く登山道がここからどのように続いていくのかわからないのに気が焦る。腰を下ろして地図を広げ、滝の左岸、ここから見れば滝の右側を巻くことを確かめる。今は右岸にいるのでとにかく沢を渡る。すると赤テープが目に入り、一安心。そこからは踏み跡は明瞭だったが、あいかわらず濡れた岩場や崩れやすい山腹の道を絡んだりで気が抜けない。左手にはすぐそこに優美な三段の滝の上部が見える。足を踏み外すと、立木にひっかかって止まればいいものの、そうでなければ滝壷のなかに直行である。


落ち口を見るようになると山道は平坦になるが、両側に岩峰が迫り、圧迫感はなくならない。左手に沢が小さな滝となって流入しているのを眺めると、大岩・碧岩の文字が書かれた標識が初めて現れる。振り返って仰ぎ見れば、頂上に寸足らずの鋏のような岩を生やした岩峰が視界を遮っている。おそらくこれが「チョキ」と呼ばれるものだろう、名前そのものである。
三段の滝の上にて
三段の滝の上にて
背後の岩峰がおそらく「チョキ
標識にしたがって進み、岩が積み重なる中にルートを拾って登る。あいかわらず谷底は暗いが、山の上の方は日があたっており、だいぶ暖かそうに見える。なんでこんなに荒れた感じのところをひとりで登っているんだろう、と勝手なことを思いつつ上がっていくと、二番目の標識が現れる。左手の沢にはいっていくと、左に高まる斜面に赤テープを見る。ここからの斜面の登りは木々につかまっての腕力登りで、足元は崩れやすく依然としてまったく気が抜けない。尾根に乗ると、急峻な谷を隔てた向こう側に全身これ岩の碧岩が白っぽい巨体を日にさらしている。見下ろせばチョキを見上げたあたりの場所がすぐ下に見える。


尾根の上も急なことには変わりない。ようやく碧岩と大岩をつなぐ稜線に出て一息つく。この時点ですでにコースタイムをかなり超過している。焦って事故を起こしてはならないので、午後にもう一山、という贅沢な予定はあきらめることにした。しばらく呆然と雑木林を眺めて、さて、体力と腕力があるうちに難しい方に登ったほうがよかろうと、まずは碧岩に向かう。ちょっと行くと岩が出てくるが、最初はなんということはない。問題はそのさき、行く手を塞ぐように立つ5メートルほどの壁である。しかし右手に予想外のロープが下がっていて、想像よりはるかに楽だった。ただ最初の足がかりが小さく、クライミングで言うつま先立ちの感覚が役に立つ。そうは言いながらほとんど力まかせで岩場を登ると、あとはたいしたこともなく山頂に着く。
山頂はわりと細長い。さすがに気が抜けたのか、標識の立つ場所より手前の南面のみ開けた場所で荷を下ろし、よく登ってきたものだ、と感心しつつお茶をいれて長いことくつろいでいたものである。ほんとうの山頂(もしくは標識が立っていて山頂と見なされている場所)は頂稜の突端で、三方が大きく開けて素晴らしい眺望である。鹿岳四又山から昨日登った大屋山、その左の毛無岩、荒船山の最高点である行塚山、兜岩山にローソク岩、立岩(たついわ)、くくり岩、彼方には浅間山や佐久の茂来山(もらいさん)まで見える。四ツ又山と南牧川を隔てて対峙するのは稲含山小沢岳、その背後には稜線越しに両神山も顔を出している。足元に目をやれば勧能や熊倉の集落が日を受けて暖かそうだ。
行塚山、立岩、毛無岩
大屋山(左)、鹿岳、四又山
大屋山、鹿岳、四又山
荒船山の行塚山(左端)、立岩(正面)、毛無岩(右端)

だいぶ休んだことだし、次は大岩だとばかりに下りにかかったが、これがけっこう大変である。往路を戻るのだが、あの5メートルの壁はたしかにロープがなければ危険だ。落ちても立木にひっかかるだろうから命は助かるだろうが、動けなくなる恐れは十分にある。2年前に碧岩で転落事故がありヘリまで出動したと朝のタクシーで聞いたが、きっとここでのことだろう。ロープはその後での設置と思える。
上がってきた尾根を右手に見送って大岩へ。本日初めての心安らぐ樹林の中の平坦な道を歩く。だがそれも束の間、幅広のごつごつとした岩に行く手を塞がれる。これは左を巻けばよいと帰りにわかったのだが、大したこともなさそうだったしこれを越えていくのが正しいルートと思いこみもしたので乗り越えて進む。その先には左右が切れ落ちた岩場などもあったが、風さえなければ足元は大丈夫だ。もちろん歩きながらの余所見は禁物である。碧岩はアクセントとなる危険個所が一ヶ所でその前後は大したことはないのに対し、大岩は危険度はそれほどでもない場所が比較的長く続く。単独行なので緊張感がなくなることはない。
左手はすでに深い谷を覗き込むようになっており、その向こうに碧岩が鋭く立ち上がっている。このあたりから見ると確かに西上州のマッターホルンと呼ばれるのも頷ける。岩場を登り切ると山頂の一角で、標識の立つ最高点らしき場所は木々に囲まれて眺めはなく、少々戻って見晴らしのよいところで碧岩を見下ろしながら昼にする。よくあれに登ったなぁ、と思う。しかしまだ山行は半分しか終わっていない。無事に下り着いて初めて安堵しなくては。
南側の稜線から眺めた碧岩
南側の稜線から眺めた碧岩
大岩からは登ってきた尾根道を下りず、「こちらの方が早い」とされている笹の中の道を下った。このルートは踏み跡はしっかりついているものの滑りやすいことこのうえない。両側の木の幹や枝やササにつかまっていないと数メートルは転がっていきそうだ。大岩・碧岩は登るには面白い山だが、下山が問題だ。「なんというところだ」と内心文句を言い続けて二番目の標識のところに下り着く。それから慎重に三段の滝を巻く道をたどり、沢沿いの遊歩道を登りと同様に迷いつつ戻っていった。


「三段の滝入り口」に戻ってようやく緊張から解き放たれた。舗装された車道が実に安心感を与えてくれる。バスが来るまで時間があったので、川縁に下りて湯を沸かし茶を入れて待った。車内では運転手さんと乗客のおばさんたちがにぎやかに話をしている。鹿や猪が出てねぇ、畑のものが食われちゃってねぇ。自分は窓からそっと川縁の紅葉を見る。ここのモミジはきれいな色になったね、との声も聞こえる。たしかにきれいだ。
まだ昼の2時だったので宿のそばを通り過ぎて小沢橋というところまで行き、「山の小さな美術館」まで歩いてこれを見学した。「山」の美術館ではなく「山にある」美術館だそうで、地元の風景を題材にした絵や地元の方の作品を集めたところである。それから南牧川に沿った道を遡り、宿のある雨沢まで歩いて帰った。日暮れ時に川の上流を見ると、大岩と碧岩が黒々と天を刺していた。
雨沢集落付近から夕暮れの大岩と碧岩
夕暮れの大岩と碧岩
2000/11/24

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