相馬山水沢山に続く稜線から相馬山

奇妙な姿の多い榛名外輪山群だが、相馬山は筆頭の位置を占めることだろう。しかも見る方角によって印象がかなり変わる。榛名山北麓を行く吾妻線の車窓左手からだと、山頂部がスコップのような形から徐々に鋭い槍の穂先になっていく。気をつけていないと同じ山だということがわからなくなる。
この山は榛名火口原から西面のルートを往復するのが一般的だ。東面にも登山道があることにはあるが、とくに山頂直下が不安定な足元の道と鎖場が交互に現れるきわめてスリリングな場所で、西面のものと比べると難度において落差が随分と大きく、西から登って東に下ると不慣れな人は事故を起こしかねない。そのためか地元の手によって通行禁止扱いにされており、山頂では東に下る登山道が厳重に塞がれている。
以下は春に水沢山から相馬山を結んで歩いたときの記録の後半で、相馬山に関して言えば東から西へ横断登山したわけだが、これなら大丈夫というつもりはなく、もちろん自慢するわけでもない。(このルートはその後事故が発生したとのことで閉鎖されています。以下は閉鎖前の記録です。)


水沢山山頂での食事休憩ののち、登ってきた水沢観音側とは反対の榛名山群側に下山路をとった。急斜面を下ると地元の防災無線中継所を経て緩やかな下りになり、広い舗装車道を横切る。そこはもう伊香保森林公園で、昔は入会地(いりあいち)だったという。近隣の人々が薪を拾い集めた共有地と言ったところか。
やや進んだところで道は二ツ岳方面に二本別れており、どちらを選んでも相馬山登り口には繋がっているはずだとばかりに右の道に入る。近道は実のところ左の道だったようで、選んだ道は伊香保温泉の上にかつて存在した蒸し湯跡に通じ、そこでは再現された蒸し湯用の建物などを見ることができた。広い谷筋の上部とはいえ平坦地は狭いもので、かつてはここに旅館が三軒もあったというがどうにも信じがたい。もちろん個室などはなく、湯治客はみな雑魚寝していたのだろう。
復元されている蒸し湯跡
復元されている蒸し湯跡
のしかかるような二ツ岳を右手に仰ぎながら階段道をオンマ谷を望む稜線に向かって登る。オンマ谷とは二ツ岳と相馬山とのあいだにある陥没谷で、雑木林が密生し鳥の楽園だとか言われる。まっすぐ行けばこの谷に下るという分岐でやや戻り気味に左手から合流してきた道に入り、すぐに相馬山への登路入り口に着く。「危険個所あり、立入禁止」の看板が地元の箕郷町名で出されている。隣には「雀蜂の巣あり」というこれまた有り難くない看板もある。危険と感じたら引き返そう、いまは春、スズメバチは初秋の産卵期でなければそう危険ではあるまい。まず一匹目が警告しに飛んでくるはずだから、それまでは安全なはずだと考えて進むことにする。
踏み跡はしっかりしたもので最初は何も不安がないが、ややあって少々岩稜っぽいところを進む。ここからは灌木越しとはいえ歩いてきた水沢山の眺めがよい。関東平野をバックになだらかな榛名山の裾野のさなかから鋭く屹立している様は「よくあんなのを越えてきたな」と思わせる高度感がある。
岩稜帯が終わるとオンマ谷を右下に眺めながら崩れやすい斜面に付けられた細い踏み跡を辿る。そこを抜けてようやく草地の中の平坦な小道を歩くようになると、二ツ岳の雄岳と雌岳の両方のピークを正面にする小さな平坦地が右手に現れる。そこには石積みがあって、てっぺんには不道明王の小さな石像が立っている。その背後には谷底から見上げるほどにせり上がる二ツ岳が威圧的で、一帯の空気は否応なく神域化されている。この先、相馬山の山頂まで休むところはなさそうなので、心の中で不道明王に断りをいれ、石積みに腰をかけてお茶休憩とする。二ツ岳の左手、進行方向の頭上には相馬山が尖った頭を間近にもたげているのが見え、今にもこちらに崩れ落ちて来るようだ。どちらを見ても落ち着かないのでできるだけ山を見ないようにして茶を飲む。
不動明王と二ツ岳
不動明王と二ツ岳
山頂直下から水沢山
山頂直下から水沢山
ここから数分もしないうちに最後の登りにかかる。急登の連続で鎖も出てくるが、二番目のが問題で、3メートルの垂直の岩を腕力登りするというものである。下りでなくて登りだからやや危険度は少ないとはいえ、自信のない人はおとなしくここで引き返した方がいいだろう。しかしこういう明らかにそうとわかるところより、鎖場を超えて一安心した状態で歩くところがいちばん危ない。なんと言っても急角度に落ち込む山の斜面に細い踏み跡を拾いながら登っていくので、背後に広がる谷間の眺めに見とれてバランスを崩すとどれだけ転げ落ちていくかわからない。常に木の幹や地上に浮き出た根を掴んだりして三点確保のように上がっていく。不道明王の地点から山頂までは40分ほどだったがかなり緊張した。このルートは榛名山随一の充実した登山路だという評価があるが、これは偽りではなかった。そう、もちろん終始楽しんでいたのである。


何重にも張られた通行禁止のロープをくぐって飛び出した相馬山の頂は石像や霊神碑や社でごったがえしていた。それはいいのだが建築資材などがあちこちに放置されているのはとても見苦しい。ちょっと下ったところにあるベンチで本日最後のお茶をいれ緊張をほぐしていく。灌木越しに逆光の榛名富士が望める。火口原を走る車の音が時折聞こえるくらいで、大観光地榛名も夕暮れ近くとなって静かになったようだ。
相馬山山頂にて
相馬山山頂にて
山頂から榛名湖側への下りは余計な鉄バシゴや階段や真新しい霊神碑などがあって、水沢山からの登山路に比べて明るいものの不自然な感じがつきまとう。ヤセオネ峠への分岐を見送って西走する『関東ふれあいの道』に入っても、長い長い丸太道が続いたりしてその感じは消えなかったが、磨墨岩(するすいわ)のあたりの防火帯を行くころになると眺めもよく人工物もあまりめだたなくなって、気分良く歩けるようになった。だが夕方5時頃ともなると低い雲が関東平野側から流れてきて相馬山を覆い、外輪山の全てに加えて中央火口丘の榛名富士まで隠してしまい、20分足らずのうちに見えるのは湖面だけという状態になってしまった。寂しさがあたりに充満し始める。
登山道を流れるようになったガスを不安げな気持ちで眺めながらも、もう少しだけ、もう少し歩こう、と追われるように山道を歩き続けた。天目山手前の峠でもう時間切れだろうと思って湖畔沿いの車道に下り、停留所に着いてみると終バスまであと20分くらいだった。今日が平日だったからよかったものの土日であればすでになくなっていた時刻で、ぎりぎりまで歩いていたのはちょっと無謀だったようだ。
稜線から夕暮れの榛名湖を透かし見る
稜線から夕暮れの榛名湖を透かし見る  
空にはもう星が見え始めている。すぐ脇が湖水のため見晴らしはいいのだが、人の姿はほとんど見あたらなかった。土産物屋や宿泊施設が榛名湖越しに遠く近く見えるというのに、自動販売機の明かりだけがいくつも寂しげに輝いているだけである。店から人が出てきたとしても、シャッターを下ろしてすぐ車に乗り込み、所在無しの登山者などお構いなしに山を下っていってしまう。月曜日の夕方というのはこんなものなのだろう。春だというのにまだ寒い山上で暖かい缶入り飲料を飲みながら、どんどん暗くなる湖面を眺めつつ、バスを待つしかなかった。
1999/4/21

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