大桑原付近から四ツ又山四ツ又山

高さは1,000メートルにも満たないこの山は、険しい里山、という感じだった。晩秋の山は空気が澄んでいた。
行ってみると、南北に並んだ四つあるピークのそれぞれに神仏の像が建っていた。どれが何という名を持つのかわからないので、ただ「神仏」としか私には言えないが、麓から見ても顕著な頂を並べた山だから、そのピークの一つ一つに御利益をもたらす存在を据えたくなった気持ちはわかるような気がする。神仏がいらっしゃる場所を見たければ、山を見上げればよいわけだ。四人の神仏は並んで周囲を睥睨し、敵意あるものを撃退してくれるようにも期待されたに違いない。実際、最高峰のピークの像は剣を携えていたのだから、的外れな推測でもないだろう。

ところで道祖神は集落の入り口に置かれることが多く、その主目的は悪意ある存在が集落内に入ることを防ぐためだったとのことで、有名な双体道祖神にしても、「この集落の人たちはみなこんなに仲がいいんだよ、だから入ってきても意味ないよ」と悪の存在に対して告げているということらしい。四ツ又山の登り口にも、この双対道祖神があったように記憶している。山上の武装した神仏も、この意味では道祖神に近い意味を持っているような気がする。


西上州の山を何日かかけて歩こうという計画のもと、友人たちとともに下仁田駅前の常磐館に宿泊し、よく晴れた日曜の朝、私の連れを含む一行は上信電鉄下仁田駅8:35発の町営マイクロバスに乗り込み、四ツ又山登山口を目指した。車内はかなりきれいだ。休日の朝の下りのせいか、客は我々六名とあと二人くらい。頻繁に車が行き来する車道を南西に15分ほどで登山口のある小沢橋バス停に着く。そこから橋を渡り、つきあたりを右に折れる。左側の道は四ツ又山を一周して戻ってくるときに通ることになる。

山に向かう車道を上がっていって集落を抜けると山道となり、植林帯を越えると、登山道のわきに打ち捨てられた畑のあとがいくつも見られるようになる。登り側でも下り側でも見られたので、この山の麓はかなり開墾を進めようとしたものらしい。いずれも南側斜面の沢筋で、条件はそれほど悪くなかったからと思える。石組みで斜面の土流れを防止しているのだが、その上の平地や緩斜面は、今ではただの荒れ地になっていたり、灌木が生えているだけになっている。植林を抜けたところではヤブっぽい感じの道になるが、このあたりで野生化した「茶」の木が見られると、静岡出身の同行者が教えてくれる。なるほど、よく見てみると常緑樹のように見えた低木は、椿とかとは少し違う。かつての努力のあとがこんな形で残っているのには驚く。人々の無念さと自然の無関心さを合わせて見るようだ。
左手に対岸の山々が紅葉に染まって輝いているのが梢越しに眺められるところになると、砂礫の崩れやすい斜面を行くようになり、足場がやや悪くなる。山頂近くになると、ざらざらの急斜面の登りになってここもちょっと滑りやすい。小さな尾根上に出ると、ヤブ越しには鹿岳(かなだけ)の奇怪な山容が、彼方には浅間山の真っ白な山体が初めて望まれた。先頭メンバーははぁはぁ言っていて、休みたがっていたのは明白だが、すぐ頭上に頂上が見えるので、ひとこと「あそこまで行こう」と皆を促す。同じ眺めは見られるだろうし、後ろから団体が迫って来ていて、山頂を占領されるのが癪だったというのもある。「あ、はいはい」と皆歩き出す。そこから10分ほどで着いた山頂は、狭いものの眺めはよかった。

先ほどとは違って遮るもののない視野の中、かなり遠方に奧の院の風情で浅間山が白い姿を浮かべている。その左手前間近に見える鹿岳は、いかつい番兵が立っているかのようだ。丸い岩峰を稜線に二つ突き出した異様な山容で、今回は登らないが、そのうち必ず行ってみたいと思う。反対側に目を転じれば、下仁田の町が見下ろされ、その右手上方には前日に登ったばかりの稲含山がかなり高く見える。500メートル近い差があるのだから当然か。

それにしてもこのへんの山は浸食が激しく岩峰がそそりたつような山が多い。岩登りをさせられるわけではないが、山そのものが平地からいきなり立ち上がっているような感じで、眺めはいいのだが、上り下りが急だということでもある。下りも鹿岳との鞍部まではかなり急だった。山に来慣れていない人には、土がざらざらの斜面を下るのはかなり怖いものだったらしく、「そんな歩き方では危ないぞ」とパニックになっている人に言っても逆効果なだけのようだ。こうして私と連れはその日山を下りて喧嘩をすることになった。
四ツ又山から鹿岳 右奧は浅間山方面
四ツ又山山頂より鹿岳


登る途中、犬を何匹も連れたハンターの一団と出会った。この山域にこの季節と言ったら狩猟シーズン真っ最中らしい。何を撃つのか、と同行者が聞いたら「人は撃たないよ」とひねった答えしか返ってこなかった。だからかどうか、頂上の方からハンターが下りてきて新たに合流すると、そのハンターが連れてきたダックスフンドのような一匹の犬だけが他の犬のいじめの標的になってしまった。いじめられている一匹といじめている五、六匹とがかたまりになって山の斜面を吠えながら転がり落ちていき、飼い主がこら!こら!と呼びかけても犬たちは狂気に取り付かれたかのように斜面を駆け下りて行く。いじめられている犬はおそらく斜面を上がっては来れないだろうな、犬は序列の動物だから、追い出されたら群に復帰するのは難しいだろう、と思いつつ山道を先に進んだ。あまり楽しい考察とは言えない。

それから数時間後、山頂を踏んで山を下りてくると、前方から犬が一匹、虚ろな目をしてこちらに歩いてくるのに出会った。よく見ると、午前中に出会った、いじめられて谷底に追い落とされた猟犬らしい。「おいおまえ、どうした」などと声をかけてみても、こちらを見ようともしない。ただわき目もふらず、疲れた足取りで山道を登っていった。「あいつ、どうなっちゃうのかな」「野良犬になるんじゃないか」などと言いながら、とぼとぼと歩いていく犬を見送る。山道は車道になり、集落をいくつか通り過ぎながら小沢橋のバス停を目指して歩いていくと、向こうから昼前に会ったハンターたちを乗せた車がやってくる。徐行して、「犬見なかったかいー」。我々は口々に「下ってくる道で見たよ」。「そう、ありがとー」と言って走り去った。少し安心した。


四ツ又山は山頂直下の上り下りを除けばそれほどたいへんな山ではない。急登と急下降に音を上げた連れもそれほど歩き疲れた風情ではなかった。まだ歩き足らないとさえ言うので、小沢橋のバス停から下仁田に戻るバスに乗らず、これ以上車道など歩きたくないという仲間と離れて、私と二人でバスの走らない静かな南牧川左岸を下仁田まで歩くことにした。

とある家の軒先で、いきなり「どの山に登ってきたのかね」と痩せた赤ら顔のおじさんに聞かれた。四ツ又山を登ってきた、と言うと、狩のもんはおったかね、と。いましたよ、犬をたくさん連れて。そうだろう、あんたらの(着ているような地味な色合いの)服ではいかん、そういう(連れが背負っているザックのような)派手なものでないと。目立たせて間違って撃たれないように、でしょ?そうだ、派手なのでないといかん。じゃ、私たちはこのへんで。派手なのでないといかんぞ、派手なのでないと。わかりました、次は派手なのを着てきます。

道のへりには蔓植物で、朱色のアケビほどの大きさの実が生っているものがあった。「なんだろう、これは」「食べられるのかな」紫色に熟したような実もある。「ああ、これはアケビだよ,生っているのは始めてみた」「ほんとう?とれないかな」で、ステッキでその紫色のやつを引きつけて手に取ってみる。おかしい、アケビなら口を開いているはずなのに開いていないし、いやに軽い。ちょっと力を込めたら、いきなり、ばりっ!とその実が生卵の殻のように割れてしまう。「うぎゃあ!」と驚いて連れにその手を擦りつける。中味は空だった。アケビではなかった。いったいあれは何の実だったのか。帰ってきて調べてみたら、少なくともアケビとはかなり違うものだった。だが何だったのか、まだ調べがついていない。

途中から行き止まりになるのを恐れて右岸のバス通りに沿って下仁田まで着いたが、車がかなり通って落ち着かない。中にはコンニャク芋を満載して通るトラックも何台かあった。左岸は下仁田まで歩けるようなので、次に歩くときはそちらを歩こうと思う。
1998/11/22

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