黒滝山観音岩からの鹿岳鹿岳

初めて鹿岳(かなだけ)を見たときは、聞いてはいたもののやはりその奇妙な姿形にびっくりしたものだった。それ以来、西上州に出向くたびに登りたいと思っていたものだが、稜線部は難儀するとガイドに書かれていたせいもあってなかなか足が向かず、ようやく四回目の西上州行で行く気になった。


遠くからでもこの山の二つの岩峰は鹿の頭のコブのように見えて識別は容易だ。いわば手前のが一ノ岳、やや後ろ、山の中央部から突き出してるのが二ノ岳で、最高点は後者にある。この二峰の鞍部に出て、両方のピークを往復して下山というのがよくガイドされているが、今回は木々岩峠側に登路を取って最高点の二ノ岳の裏手に上がり、二ノ岳を越えて一ノ岳との鞍部に出て後者を往復し、そのまま一ノ岳の基部を回り込んで稜線伝いの南東にある四ツ又山まで縦走するというコースとした。前夜に相宿となった方からこのルートとしたほうが面白いと言われたのを受けた結果である。
このルートだが、とくに稜線に出るまでの登りが楽しい。登山口は普通の山道だが登るにつれて斜度はどんどん強まり、稜線直下になると巧妙に付けられた踏み跡を探しながら木々に掴まりつつ登るようになる。赤テープが随所にあって迷うことはないが、急な斜面にルートはうねうねとくねる。しかも足元は不安定だし振り返れば驚くほどの傾斜だ。気を抜けば簡単に転がり落ちるだろう。手がかりとなる木々を探し、足の置き場に神経を使いながらも、ほどよい刺激に頭はいよいよ醒めてきて、心身ともに山と一体化していく。夢中になって登るうち、ようやく落ち葉が散り敷かれた小さなコブの上に出て一息つける。あたりは静かできれいな雑木林のなかだ。
ここからニノ岳を裏から登るというのも興味深かった。ゆるやかなアップダウンの稜線を歩いていくと、突如として眼前に現れるのが視界いっぱいに広がった二ノ岳の岩壁である。ただでさえ威嚇的な岩肌がこちら側からだと日影になっていて余計に不気味だ。こんなところどうやって登るんだ、と思わせられる光景だが、ここもまたルートは巧妙についていて、鞍部から懸命に登るうちにいつしか山頂に着いているのだった。
二ノ岳の下りから一ノ岳
二ノ岳の下りから一ノ岳
ニノ岳の下りから下仁田方面を望む
下仁田の街並みを見下ろす 
(手前の山は”しれいた山”)
このコースだが、あえて欠点を言えば進行方向が終始逆光であることだろう。山頂から見下ろす一ノ岳の岩峰がすっかり真っ黒になってしまっている。だが周囲の展望はそんなことを補って余りある見晴らしだ。隣の四ツ又山があんなに低く見える。下仁田の町もすぐ近くだ。昨日登った桧沢岳小沢岳と並んで見える。闊達な気分だが、なにせ頂上は狭い。しかも座ると草木が邪魔して空しか見えなくなる。そろそろ一ノ岳に向かったほうがよさそうだ。
山頂からはほんとうに下界に飛び込んで行くような下りだ。翼があったらそのまま滑空を始めて南牧川の上を旋回できることだろう。そこからすぐのニノ岳の表側の岩場は、梯子とロープが設置されていないとどうなることかと思える場所だ。空を見上げるどころか岩場にへばりつくようにして下りなければならない。最初の足を踏み出すときには文字通り身のすくむ思いがしたくらいで、ここを下らざるを得ないのが当コースの二番目の欠点と言えば言えるかもしれない。逆コースにして登るだけに済ますこともできるが、その場合は稜線から木々岩峠登山口までの急降下が待っている。いずれにしてもこの山は簡単にはいかない。あとから思えばそれがまた楽しいのだが、歩いている最中は顔が相当にひきつっていたことだろう。
顕著な岩峰の一ノ岳もほぼ垂直の側面で、遠目から見ると二ノ岳以上に登り方がよくわからないのだが、こちらもまたうまい具合に登路がつけられていて、予想以上に楽にてっぺんに着く。やや広い山頂で湯を沸かし、コーヒーを飲みつつゆっくりと西上州の山々を眺め渡した。不思議と人の訪れも少なく、気持ちよい山頂のひとときを過ごした。
鞍部に戻り、四ツ又山への縦走路に入る。ここから先は鹿岳核心部の岩峰を上下するのに比べれば気楽な道で、踏み跡が途絶えるということもなく、なにぶんにも鹿岳を越えた後なので達成感もあり、楽しく歩くことができた。
四ツ又山から鹿岳
マメガタ峠から四ツ又山へ登る途中で鹿岳を振り返る
四ツ又山のピークの一つで昼御飯を食べ、下って大天狗という四つ辻の鞍部から南方に山を下りた。出た先は「山の小さな美術館」の近くで、今朝同宿のひとに車で送ってもらった場所の近くだ。まだ夕方までだいぶ時間があるし、ここから民宿のある雨沢まで歩いて帰ることにしよう。昨年も同じように歩いたので道筋は心配ない。


車道を道なりに進むと南牧川をまたぐ小沢橋だが、そこまで下らずに上流方向である右側に分かれていく立派な道路に入る。こちら側は川向こうと違って車の通りが少なく、歩く分には快適な道だ。しばらくすると右手に学校が見えてきて、その近くに駄菓子屋のような店がある。なかに入って清涼飲料水を求め、ついつい一年前も来た旨口にすると、応対に出てこられたおばさんに覚えていたことを喜ばれた。鹿岳に登ってきたことを告げると、「かなたけさんに登ってきたんですか、それは疲れたでしょう、お茶でも飲んでいかれれば」と言って下さった。出際の挨拶に「覚えていたら、ぜひまた来て下さい。でもこちらがそのとき生きているかどうか....」と言われる。「なにをおっしゃる!きっとまたお会いしますよ」。
川の両側にある道のうち交通量の少ないほうを歩いていっているのだが、山が迫ってくると道筋が途絶え、どうしても騒がしいほうの通りに出ざるを得なくなる。磐田橋のあたりはそちらを歩き、その先で川を渡り返して静かなほうに戻ったのだが、右手に幼稚園を見たところでT字路にぶつかり、どう続いているのかわからない山側に延びる道をたどるか、またまた川を渡って落ち着かないバス通りに出させられるかにみえた。もういちど排気ガスにまみれて歩くのかと思うとやはり残念で、道のなかほどに立ち止まって思案していると、「こんにちはー」という声が降ってくる。いったいどこから?と見回すと、すぐ目の前のお宅の二階から若い女性が笑顔でこちらを見下ろしている。干していた布団を取り込もうとしているところだった。
「こんにちは!あのーちょっとおたずねしますが、ここから民宿のある雨沢まで行くのは、やはり川向こうの通りにでないとだめなんでしょうか」「いえ、山道ですけど、川のこちら側を歩いていけますよ」「それは、この舗装道を行って山を越えて行くということですか?」「いえ、すぐそこから細い道が川縁に沿って続いているんですよ。そこの石垣の手前から入って行くんですね。幅は少ししかないんですが山を歩かれるひとなら大丈夫だと思います」「それは助かります。川向こうに出るしかないのかと思っていました」「それだとすごく大回りになりますよ。こちら側だとすぐです。道ははっきりしてますから大丈夫ですよ」。....というわけで貴重な情報をいただき、お礼を言ってその場を去った。もうすこし話をしていたかったのだが、なにせ大声で話をしているから近所中に内容が筒抜けで余計なことを言うと迷惑になりかねない。じっさい、すぐそばで冬野菜を洗いながら聞き耳を立てているおばさんがいたりしたのだった。...というか、その近さではいやでも耳にはいる会話だったのだが。
教えられた道に入ってみると、川縁を遥かに見下ろすような急斜面を行ったり畑のなかのあぜ道を通ったりと面白いところだった。彼女はさすがに最近は通らないだろうけど、子供のころなどは隣の集落などに遊びに行くときなどここを歩いたのだろう。まだ踏み跡がしっかりしているということは、今でも使われているらしい。ひょっとしたら重宝されているくらいなのかもしれない。これは地図には載っていない道で、ちょっとした発見だった。少しばかり西上州の懐に入り込ませてもらったような、嬉しい気分で歩いていった。
下山口近くにて
大天狗からの下り、大久保集落近くにて
2001/11/24

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