稲含山 小沢岳より稲含山

この山は西上州の山々の展望台である、と山のガイドにあるそうだが、この季節の展望は対象が西上州の山に限らず推奨ものだった。山頂からは北から西にかけて谷川岳、妙義山、鼻曲山、浅間山、荒船山、佐久の御座山などを彼方に望み、西側の足下を見れば南牧川沿いの低い山並みが襞をなす。反対側の南側を見れば、赤久縄山(あかぐなやま)が大きく左右に広がり、奧にはドーム状の西御荷鉾山(にしみかぼやま)がそそり立っていた。関越自動車道の花園IC前後からだったか、関越自動車道でこのあたりを通ると天気のよい日は形のよい独立峰のような山が見えて、何という山だろうと思っていたが、西御荷鉾だったのかと、ようやく積年の疑問が解ける。


眺めは文句無しだが、道がちょっと....。上州電鉄の上州富岡駅から梅ノ木入という集落までタクシーで入り、それから長い林道を歩き出したのだが、甘楽町の土木予算が潤沢なのか、未舗装とはいえ林道が恐ろしく立派である。途中、見晴らしのよい公園まで造ってあり、その手前には駐車場としか思えない広場もあって、車でそこに上がってくることを前提にしているとしか思えず、その遥か下に駐車場のある登山口があるのがどうにも理解しがたい。

山頂周辺も、手摺りにフェンスに真新しい鎖と至れり尽くせりである。岩場にステップを切って階段のようにした上、膝あたりの高さに鎖を取り付けているところもあった。屋上屋を重ねるとも思えるし、実際そんな低い位置にある鎖なんて持てないし、だいいち足に絡みそうでかえって危ない。聞けば、この山で小学生の団体登山だったかなにかをしたときに子供が実際に岩場から落ちてしまったらしい。登山者からの伝聞なので正誤のほどはわからないが、それにしても過剰反応気味と思えた。

山頂を挟んで直下に大きめの神社の社殿が二つある山も珍しいのではないか。社殿が建っているのも、それが複数あるのも別に珍しくないが、里にある規模の社殿が梅ノ木入側にも下仁田側にもあるというのには驚いた。低山とはいえ標高が1,300メートル以上ある山である。よほどこの山は周辺の人々から尊崇された山らしい。

下りは梅ノ木入側ではなく下仁田側に下る。林道終点からほんの少しの距離で旧道の山道に入ったが、沢沿いの明るい道で気分がよい。堆積岩だろうか、赤や紫や緑の天然石がごろごろしていたが、山道には珍しくちょっとカラフルな印象が残った。この道はふたたび林道に合わさるが、稲含山への標識は林道を通るよう示している。宿で合流したメンバーによれば、夏はマムシが出るため地元ではこちらを通らないようにさせているらしいとのことだった。

登り側とは違って、こちらは落ち着いた山村風景が展開していて、車道を歩いていてもそれほど神経がささくれることもない。だが山村がいつまでも続くわけでもなく、やはり単調にはなるし夜の闇も迫ってきたしで、下仁田の町まで歩き通すのは諦めて、途中の下仁田温泉で公衆電話からタクシーを呼び、下仁田駅近くにある宿の常盤館に向かった。


本日から二泊するこの宿はあまり考えずに選んだのだが、玄関に入ると帳場を模した受付があり、洋風の木枠をはめこんだ窓のある洗面台を脇に見て半間しかない廊下を歩けば、足下は合板などではない本物の木張りの床で、廊下同様にぎしぎし言う木の階段を上がると、居間と寝室とに分かれた部屋に通される。ここまででもう及第点だった。食事は宿泊費に対してはちょうどいい質と量だったと思う。
夕暮れに散歩した下仁田の町は大きな建物が少なくて、昔の町のたたずまいそのもの。たぶん戦災を受けていないのだろう。四方を山に囲まれてはいるが、みな低いので圧迫感はない。迷路のように入り組んだ路地があるかと思えば、両手をいっぱいにひろげた広さしかない商店街もある。そこにはちょっと入ってみたくなる町の食堂やレストランが軒を連ね、奧には日本酒のよさを宣伝することに生き甲斐を感じているような主人のいる酒屋があって、地酒をどんどん試飲させてくれたのだった。
1998/11/21

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