知財高判平成20年5月30日(平成18年(行ケ)第10563号)

1.事案の概要
 Y(被告)は,発明の名称を「感光性熱硬化性樹脂組成物及びソルダーレジストパターン形成方法」とする特許第2133267号(以下「本件特許」という。)の特許権者である。
 X(原告)は,本件特許に係る明細書(ただし,平成9年7月17日付け手続補正書による補正後のもの。以下「本件明細書」という。)における特許請求の範囲第1項及び第22項の発明(以下,特許請求の範囲第1項記載の発明を「本件訂正前発明1」,同第22項記載の発明を「本件訂正前発明2」という。)について,無効審判請求をしたところ,特許庁は本件特許を無効とする旨の審決(以下「前審決」という。)をしたため,Yが同審決の取消しを求める訴え(以下「前訴」という。平成18年(行ケ)第10007号)を提起したところ,Yが訂正審判請求をしたことから,知的財産高等裁判所は前審決を取り消す旨の決定をした。
 そして,特許庁は,現行の特許法134条の3第5項により請求がされたものとみなされたYの請求に係る訂正(以下「本件訂正」という。なお,本件訂正前の特許請求の範囲第22項は,同第18項の削除に伴って同第21項に訂正された。以下,本件訂正後の特許請求の範囲第1項記載の発明を「本件発明1」,同第21項記載の発明を「本件発明2」といい,両者を「本件各発明」という。)を認めた上,無効審判請求は成り立たないとの審決(以下「審決」という。)をした。
 X出訴。
 なお,審決の理由の要旨は,本件訂正前の各発明はいずれも特願昭62-114079号の願書に最初に添付した明細書の明細書(以下「先願明細書」という。)に記載された発明と同一であるとした上で,本件訂正は明細書に記載した事項の範囲内の訂正であり,かつ,特許請求の範囲の減縮又は明りょうでない記載の釈明を目的とするものであって,実質上特許請求の範囲を拡張し又は変更するものでもないとして本件訂正を認めた上,本件各発明は,特開昭61-243869号公報の刊行物に記載された発明(以下「甲第3号証発明」という。)に基づいて,当業者が容易に想到し得たものではないとしたほか,本件明細書の記載によると,本件各発明は未完成発明ではなく,本件明細書の記載に記載不備の違法もないから,本件特許を無効とすることはできないというものである。

2.争点
(1)いわゆる「除くクレーム」による訂正は「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」における訂正であるか。
(2)本件各発明は先願明細書の実施例2に記載された感光性熱硬化性樹脂組成物(以下,「引用発明」という。)と実質同一であるか。
(3)本件発明1は,甲第3号証発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものであるか。
(4)本件発明1は発明が完成されていない部分を含み,全体として発明未完成であるか。
(5)本件訂正明細書の発明の詳細な説明は,特許法36条に定める要件を満たしているか。
(6)本件発明2についての判断に誤りがあるか。

3.判決
 請求棄却。

4.判断
「第5 当裁判所の判断
  1 取消事由1(本件訂正の適否についての判断の誤り)について
    (1)Xは,・・・本件各訂正は,いわゆる「除くクレーム」による訂正であるところ,このような訂正は平成6年法律第116号改正附則6条1項においてなお従前の例によるとされた同法による改正前(以下「平成6年改正前」という。)の特許法134条2項ただし書にいう「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」における訂正ということはできないと主張する。
      また,Xは,本件各訂正後の特許請求の範囲の記載は,登録商標「TEPIC」の記載を含むものであるところ,登録商標の記載によって本件各訂正の内容を技術的に特定することはできないから,本件各訂正が特許請求の範囲の減縮を目的とするものであるということはできないと主張するほか,本件各訂正は,本件訂正前の各発明におけるごく一部の組合せを除外するのみであるから,本件訂正前の各発明と本件各発明は実質的に同一であり,特許請求の範囲を「減縮」するものということはできないとも主張する。
      そこで,これらの主張について,順次検討する。
    (2)「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内」の意義について
      ア 上記規定の沿革及び趣旨並びに解釈
        平成6年改正前の特許法17条2項は,「前項本文の規定により明細書又は図面について補正をするときは,願書に最初に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならない。」と規定しているところ,同規定は,平成5年法律第26号による改正において,平成11年法律第160号による改正前の特許協力条約に基づく国際出願等に関する法律11条の「国際予備審査の請求をした出願人は,通商産業省令で定める期間内に限り,当該請求に係る国際出願の出願時における明細書,請求の範囲又は図面に記載した事項の範囲内において,明細書,請求の範囲又は図面について補正をすることができる。」との文言を参考として規定されたものであり,さらに,上記法律11条は特許協力条約34条(2)(b)の「出願人は,国際予備審査報告が作成される前に,所定の方法で及び所定の期間内に,請求の範囲,明細書及び図面について補正をする権利を有する。この補正は,出願時における国際出願の開示の範囲を超えてしてはならない。」との規定を受けたものである。同条項は,出願人のために出願についての補正を許容する一方,出願時に開示された範囲を超える補正を許さないとすることにより,第三者との利害の調整を図る趣旨の規定であると考えられる。
        したがって,平成6年改正前の特許法17条2項も,その趣旨において同様の規定であると理解することができる(同法17条の2第2項が同法17条2項を準用するほか,同法17条の3第2項が「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内においてしなければならない。」と定めるのも同様である。)。
        そして,平成6年改正前の特許法134条2項は,第三者に不測の損害を与えない範囲において,特許権者に明細書又は図面を訂正する機会を与えることにより,発明の保護を図る主要国の制度との調和を図りつつ,無効審判の審理と同時に訂正についても審理を行うことができるようにして審理遅延を回避するとともに,ただし書において,補正と同様に,訂正も「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」しなければならないことを定めたほか,訂正はいったん特許が付与された後に特許が無効となることを回避するために行われることから,このような目的を達するために最小限の範囲と考えられる「特許請求の範囲の減縮」,「誤記の訂正」又は「明りようでない記載の釈明」を目的とするものである場合に限って認められるとしたものである(ただし書部分は,訂正審判請求における訂正について定める平成6年改正前の特許法126条1項ただし書と同様である。)。
        以上によると,平成6年改正前の特許法は,補正について「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」しなければならないと定めることにより,出願当初から発明の開示が十分に行われるようにして,迅速な権利付与を担保し,発明の開示が不十分にしかされていない出願と出願当初から発明の開示が十分にされている出願との間の取扱いの公平性を確保するととともに,出願時に開示された発明の範囲を前提として行動した第三者が不測の不利益を被ることのないようにし,さらに,特許権付与後の段階である訂正の場面においても一貫して同様の要件を定めることによって,出願当初における発明の開示が十分に行われることを担保して,先願主義の原則を実質的に確保しようとしたものであると理解することができる(なお,平成6年回生前の特許法126条2項は,訂正審判請求における訂正について「実質上特許請求の範囲を拡張し,又は変更するものであつてはならない」と規定し,同規定が同法64条4項及び134条5項において準用されていることから,訂正審判請求における訂正のほか,出願公告をすべき旨の決定の謄本の送達があった後の補正及び訂正請求における訂正が第三者に不測の不利益を及ぼすものでないことが担保されているものと解することができる。)。
        このような特許法の趣旨を踏まえると,平成6年改正前の特許法17条2項にいう「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」との文言については,次のように解するべきである。
        すなわち,「明細書又は図面に記載した事項」とは,技術的思想の高度の創作である発明について,特許権による独占を得る前提として,第三者に対して開示されるものであるから,ここでいう「事項」とは明細書又は図面によって開示された発明に関する技術的事項であることが前提となるところ,「明細書又は図面に記載した事項」とは,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項であり,補正が,このようにして導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該補正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
        そして,同法134条2項ただし書における同様の文言についても,同様に解するべきであり,訂正が,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができる。
        もっとも,明細書又は図面に記載された事項は,通常,当該明細書又は図面によって開示された技術的思想に関するものであるから,例えば,特許請求の範囲の減縮を目的として,特許請求の範囲に限定を付加する訂正を行う場合において,付加される訂正事項が当該明細書又は図面に明示的に記載されている場合や,その記載から自明である事項である場合には,そのような訂正は,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,「明細書又は図面に記載された範囲内において」するものであるということができるのであり,実務上このような判断手法が妥当する事例が多いものと考えられる。
        ところで,平成6年法律第116号附則8条1項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前(以下「平成6年改正前」という。)の特許法29条の2は,特許出願に係る発明が当該特許出願の日前の他の特許出願であって当該特許出願後に出願公開がされたものの願書に最初に添付した明細書又は図面に記載された発明(以下「先願発明」という。)と同一であるときは,その発明については特許を受けることができない旨定めているところ,同法同条に該当することを理由として,平成5年法律第26号附則2条4項によりなお従前の例によるとされる同法による改正前の特許法123条1項1号に基づいて特許が無効とされることを回避するために,無効審判の被請求人が,特許請求の範囲の記載について,「ただし,・・・を除く。」などの消極的表現(いわゆる「除くクレーム」)によって特許出願に係る発明のうち先願発明と同一である部分を除外する訂正を請求する場合がある。
        このような場合,特許権者は,特許出願時において先願発明の存在を認識していないから,当該特許出願に係る明細書又は図面には先願発明についての具体的な記載が存在しないのが通常であるが,明細書又は図面に具体的に記載されていない事項を訂正事項とする訂正についても,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書が適用されることに変わりはなく,このような訂正も,明細書又は図面の記載によって開示された技術的事項に対し,新たな技術的事項を導入しないものであると認められる限り,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」する訂正であるというべきである。
        以上を前提として,以下において,本件各訂正について検討する。
      イ 本件各訂正について
        (ア)本件明細書(乙第1及び第2号証)には次の記載がある・・・。
          ・・・
        (イ)他方,先願明細書(甲第1号証)の実施例2には次の記載がある。
          ・・・
          上記記載の要素が,以下の@〜Dのとおり,本件訂正前の各発明の各成分に相当することについては,当事者間に争いがなく,本件明細書の特許請求の範囲の記載により特定される本件訂正前発明1の感光性熱硬化性樹脂組成物及び同本件訂正前発明2のソルダーレジストパターン形成方法が,それぞれ引用発明(先願明細書の実施例2に記載された組成物及び塗膜形成の方法の発明)と同一であることについても,当事者間に争いがない。
          ・・・
        (ウ)本件各訂正の内容は,次の@及びAのとおりである。
          @本件訂正1
            特許請求の範囲第1項の「・・・感光性熱硬化性樹脂組成物。」を「・・・感光性熱硬化性樹脂組成物。ただし,(A)『クレゾールノボラック系エポキシ樹脂及びアクリル酸を反応させて得られたエポキシアクリレートに無水フタル酸を反応させて得た反応生成物』と,(B)光重合開始剤に対応する『2−メチルアントラキノン』及び『ジメチルベンジルケタール』と,(C)『ペンタエリスリトールテトラアクリレート』及び『セロソルブアセテート』と,(D)『1分子中に少なくとも2個のエポキシ基を有するエポキシ化合物』である多官能エポキシ樹脂(TEPIC:日産化学(株)製,登録商標)とを含有してなる感光性熱硬化性樹脂組成物を除く。」と訂正する。
          A本件訂正2
            特許請求の範囲第22項の「プリント配線板のソルダーレジストパターンの形成方法。」を「プリント配線板のソルダーレジストパターンの形成方法。ただし,前記感光性熱硬化性樹脂組成物は,(A)『クレゾールノボラック系エポキシ樹脂及びアクリル酸を反応させて得られたエポキシアクリレートに無水フタル酸を反応させて得た反応生成物』と,(B)光重合開始剤に対応する『2−メチルアントラキノン』及び『ジメチルベンジルケタール』と,(C)『ペンタエリスリトールテトラアクリレート』及び『セロソルブアセテート』と,(D)『1分子中に少なくとも2個のエポキシ基を有するエポキシ化合物』である多官能エポキシ樹脂(TEPIC:日産化学(株)製,登録商標)と,(E)『2−エチル−4−メチルイミダゾール』とを含有してなる感光性熱硬化性樹脂組成物を除く。」と訂正する。
            ただし,特許請求の範囲第18項の削除に伴って,特許請求の範囲第22項が新たな特許請求の範囲第21項とされたことについては,上記第2の2において記載したとおりである。
        (エ)上記(イ)のとおり,本件訂正前発明1の感光性熱硬化性樹脂組成物及び本件訂正前発明2のソルダーレジストパターン形成方法が,それぞれ引用発明(先願明細書の実施例2に記載された組成物及び塗膜形成の方法の発明)と同一であることについては当事者間に争いがないところ,上記(ア)のとおり本件訂正前発明1及び2の各成分に多種の物質又は製品が該当し得ることが認められる。
          そうすると,本件明細書の特許請求の範囲の記載及び上記(イ)の先願明細書の実施例2の記載によると,本件各訂正は,本件訂正前の各発明から先願発明と同一の部分を除外するために,除外の対象となる部分である引用発明の内容を,本件訂正前発明1及び2の成分(A)〜(D)及び同(A)〜(E)ごとに分説し,各成分に該当し得る物質又は製品の一部を,同実施例2の特定の物質又は製品の記載を引用しながら特定し,消極的表現(いわゆる「除くクレーム」)によって除外するものであるということができる。
      ウ 本件へのあてはめ
        上記アのとおり,訂正が,当業者によって,明細書又は図面のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであるときは,当該訂正は,「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものということができるというべきところ,上記イによると,本件各訂正による訂正後の発明についても,成分(A)〜(D)及び同(A)〜(E)の組合せのうち,引用発明の内容となっている特定の組合せを除いたすべての組合せに係る構成において,使用する希釈剤に難溶性で微粒状のエポキシ樹脂を熱硬化性成分として用いたことを最大の特徴とし,このようなエポキシ樹脂の粒子を感光性プレポリマーが包み込む状態となるため,感光性プレポリマーの溶解性を低下させず,エポキシ樹脂と硬化剤との反応性も低いので現像性を低下させず,露光部も現像液に侵されにくくなるとともに組成物の保存寿命も長くなるという効果を奏するものと認められ,引用発明の内容となっている特定の組合せを除外することによって,本件明細書に記載された本件訂正前の各発明に関する技術的事項に何らかの変更を生じさせているものとはいえないから,本件各訂正が本件明細書に開示された技術的事項に新たな技術的事項を付加したものでないことは明らかであり,本件各訂正は,当業者によって,本件明細書のすべての記載を総合することにより導かれる技術的事項との関係において,新たな技術的事項を導入しないものであることが明らかであるということができる。
        したがって,本件各訂正は,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書にいう「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものであると認められる。
      エ 審査基準について
        Xは,「除くクレーム」に関する審査基準の記載は特許法に適合するものではないと主張し,仮に審査基準が,「除くクレーム」について,特許法の例外を定めたものであるとすると,例外については厳格に運用される必要があるところ,審決は「除くクレーム」が例外として許容されるための要件を認定していない旨主張する。
        そこで,これらの点についても,以下において検討する。
        審査基準(特許法180条の2に基づく意見書添付の参考資料2)の「第V部明細書又は図面の補正」,「第T節新規事項」,「3.基本的な考え方」の項には,次のように記載されている。
          「(1)『当初明細書等に記載した事項』の範囲を超える内容を含む補正(新規事項を含む補正)は,許されない。
           (2)『当初明細書等に記載した事項』とは,『当初明細書等に明示的に記載された事項』だけではなく,明示的な記載がなくても,『当初明細書等から自明な事項』も含む。
           (3)補正された事項が,『当初明細書等の記載から自明な事項』といえるためには,当初明細書等に記載がなくても,これに接した当業者であれば,出願時の技術常識に照らして,その意味であることが明らかであって,その事項がそこに記載されているのと同然であると理解する事項でなければならない(・・・)。
           (4)周知・慣用技術についても,その技術自体が周知・慣用技術であるということだけでは,これを追加する補正は許されず,補正ができるのは,当初明細書等の記載から自明な事項といえる場合,すなわち,当初明細書等に接した当業者が,その事項がそこに記載されているのと同然であると理解する場合に限られる。
           (5)当業者からみて,当初明細書等の複数の記載(例えば,発明が解決しようとする課題についての記載と発明の具体例の記載,明細書の記載と図面の記載)から自明な事項といえる場合もある。・・・」
        以上の記載は補正に関するものであるが,同記載に係る基準は,願書に(最初に)添付した明細書等に「記載した事項の範囲内において」との文言の解釈に関するものであるから,平成6年改正前の特許法17条2項(なお,審査基準の上記記載は,現行特許法17条の2第3項についての記載であるが,同条項は,平成6年改正前の特許法17条2項がその後の改正を経たものであり,「記載した事項の範囲内において」との文言の解釈において変更はない。)に適合するとともに,同法134条2項ただし書における同様の文言の解釈にも適合するものであることを要する。
        上記「基本的な考え方」(1)において「『当初明細書等に記載した事項』の範囲を超える内容を含む補正」は許されないとしているのは,補正が新規の技術的事項を導入するものでないことを要する旨を記載したものと理解することができるところ,明細書等の記載に特定の技術的事項に係る記載を追加する場合のみならず,特定の技術的事項に係る記載を除外する場合にも同様に妥当するものというべきである。
        そして,同(2)〜(5)は明細書等に記載された技術的事項を認定する際に留意すべき点を記載したものであり,明示的な記載の有無にかかわらず,当業者によって明細書等に記載された情報を総合して導かれる事項は「記載した事項」ということができることを示していると理解することができる。
        そうすると,これら「基本的な考え方」の個別の記載は,いずれも上記アにおいて説示した「明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」との文言の解釈とも整合的に理解することができるものである。
        さらに,審査基準は,上記記載部分に続く「4.特許請求の範囲の補正」の「4.2 各論」の項において,「補正が許される例」として「発明特定事項の一部を限定する補正」の2つの例(「請求項の『記録又は再生装置』という記載を『ディスク記録又は再生装置』とする補正」,「請求項の『ワーク』という記載を『矩形ワーク』とする補正」)を挙げており,一定の技術的事項(「ディスク形式以外の記録又は再生装置」,「矩形以外のワーク」)を除外する補正を許容するものとしているが,これらの例のように特定の技術的事項に係る記載を追加する補正において,明細書等に補正事項そのものが記載されている場合には,特段の事情のない限り,このような補正が新規な技術的事項を導入しないものであると認めることができる。
        他方,審査基準の「第V部明細書又は図面の補正」,「第T節新規事項」,「4.特許請求の範囲の補正」,「4.2 各論」,「(4)除くクレーム」の項には,次のような記載がある。
          「『除くクレーム』とは,請求項に係る発明に包含される一部の事項のみを当該請求項に記載した事項から除外することを明示した請求項をいう。
           補正前の請求項に記載した事項の記載表現を残したままで,補正により当初明細書等に記載した事項を除外する『除くクレーム』は,除外した後の『除くクレーム』が当初明細書等に記載した事項の範囲内のものである場合には,許される。
           なお,次の(i),(ii)の『除くクレーム』とする補正は,例外的に,当初明細書等に記載した事項の範囲内でするものと取扱う。
           (i)請求項に係る発明が,先行技術と重なるために新規性等(第29条第1項第3号,第29条の2又は第39条)を失う恐れがある場合に,補正前の請求項に記載した事項の記載表現を残したままで,当該重なりのみを除く補正。
           (ii)・・・
           (説明)
           上記(i)における『除くクレーム』とは,補正前の請求項に記載した事項の記載表現を残したままで,特許法第29条第1項第3号,第29条の2又は第39条に係る先行技術として頒布刊行物又は先願の明細書等に記載された事項(記載されたに等しい事項を含む)のみを当該請求項に記載した事項から除外することを明示した請求項をいう。
           (注1)『除くクレーム』とすることにより特許を受けることができるのは,先行技術と技術的思想としては顕著に異なり本来進歩性を有する発明であるが,たまたま先行技術と重複するような場合である。そうでない場合は,『除くクレーム』とすることによって進歩性欠如の拒絶の理由が解消されることはほとんどないと考えられる。
           (注2)『除く』部分が請求項に係る発明の大きな部分を占めたり,多数にわたる場合には,一の請求項から一の発明が明確に把握できないことがあるので,留意が必要である。
           ・・・
           このような取扱いとする理由は,以下の通りである。
           @たまたま先行技術と重複するために新規性等を欠くこととなる発明について,このような補正を認めないとすると,発明の適正な保護が図れない。そして,このような場合,先行技術として記載された事項を当初の請求項に記載した事項から除外しても,これにより第三者が不測の不利益を受けることにもならない。
           ・・・
           (具体的事例)
           (i)の例:補正前の特許請求の範囲が『陽イオンとしてNaイオンを含有する無機塩を主成分とする鉄板洗浄剤』と記載されている場合において,先行技術に『陰イオンとしてCO3イオンを含有する無機塩を主成分とする鉄板洗浄剤』の発明が記載されたものがあり,その具体例として,陽イオンをNaイオンとした例が開示されているときに,特許請求の範囲から先行技術に記載された事項を除外する目的で,特許請求の範囲を『陽イオンとしてNaイオンを含有する無機塩(ただし,陰イオンがCO3イオンの場合を除く)・・・』とする補正は,許される。
           ・・・」
        審査基準の上記記載は,「除くクレーム」とする補正について,「例外的に」明細書等に記載した事項の範囲内においてする補正と取り扱うことができる場合について説明されたものであるが,「例外的」とする趣旨は,上記「基本的な考え方」に示された考え方との関係において「例外的」なものと位置付けられるというものであると認められる。
        しかしながら,上記アにおいて説示したところに照らすと,「除くクレーム」とする補正が本来認められないものであることを前提とするこのような考え方は適切ではない。すなわち,「除くクレーム」とする補正のように補正事項が消極的な記載となっている場合においても,補正事項が明細書等に記載された事項であるときは,積極的な記載を補正事項とする場合と同様に,特段の事情のない限り,新たな技術的事項を導入するものではないということができるが,逆に,補正事項自体が明細書等に記載されていないからといって,当該補正によって新たな技術的事項が導入されることになるという性質のものではない。
        したがって,「除くクレーム」とする補正についても,当該補正が明細書等に「記載した事項の範囲内において」するものということができるかどうかについては,最終的に,上記アにおいて説示したところに照らし,明細書等に記載された技術的事項との関係において,補正が新たな技術的事項を導入しないものであるかどうかを基準として判断すべきことになるのであり,「例外的」な取扱いを想定する余地はないから,審査基準における「『除くクレーム』とする補正」に関する記載は,上記の限度において特許法の解釈に適合しないものであり,これと同趣旨を述べるXの主張は相当である。
        もっとも,審査基準は,特許出願が特許法の規定する特許要件に適合しているか否かの特許庁の判断の公平性,合理性を担保するのに資する目的で作成された判断基準であり,審査基準において特許法自体の例外を定める趣旨でないことは明らかであるから,Xの主張のうち,審査基準の上記記載が特許法の例外を明示的に定める趣旨であるとの理解を前提とする部分は,そもそも相当ではない。また,上記「(説明)」の「(注1)」において「先行技術と技術的思想としては顕著に異なり本来進歩性を有する発明であるが,たまたま先行技術と重複するような場合」とされているのは,「除くクレーム」とすることにより「特許を受けることができる場合」であり,「除くクレーム」とする補正が認められるための要件について記載されたものではないから,Xの主張のうち,審査基準の上記記載が,「除くクレーム」とする補正が例外として認められるための要件であるとの理解を前提とする部分もまた相当ではない。
    (3)特許請求の範囲の記載における商標の使用と「特許請求の範囲の減縮」について
      ア 平成6年改正前の特許法134条2項ただし書は,訂正は「特許請求の範囲の減縮」,「誤記の訂正」又は「明りようでない記載の釈明」を目的とする場合に限って許容される旨を定めているところ,訂正が「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものということができるためには,訂正前後の特許請求の範囲の広狭を論じる前提として,訂正前後の特許請求の範囲の記載がそれぞれ技術的に明確であることが必要であるということができる。
        そして,本件訂正後の特許請求の範囲の記載には「TEPIC」という登録商標が使用されていることから,本件訂正後の特許請求の範囲の記載によって特定される本件各発明の内容が技術的に明確であるということができるかどうかが問題となる。
      イ 本件各訂正には,「(D)『1分子中に少なくとも2個のエポキシ基を有するエポキシ化合物』である多官能エポキシ樹脂(TEPIC:日産化学(株)製,登録商標)」との記載部分が含まれるが,上記(2)イのとおり,本件各訂正は,先願発明と同一であるとして特許が無効とされることを回避するために,先願発明と同一の部分を除外することを内容とする訂正であるから,本件各訂正における「TEPIC」は,先願明細書の実施例2に記載された「TEPIC」を指すものであると認められる。
        そうすると,本件各訂正における「TEPIC」は,先願明細書に基づく特許出願時において「TEPIC」の登録商標によって特定されるすべての製品を含むものであるということができるから,その限度において,「TEPIC」との登録商標によって特定された物が技術的に明確でないということはできない。
        なお,一般に,登録商標による物の特定が必ずしも技術的に明確であるということはできず,本件各訂正における「TEPIC」が,具体的にどの「TEPIC」を指すものであるかについても,本件訂正後の本件特許に係る明細書の記載のみから明らかであるということはできないところ,上記明細書の記載に接した第三者が特許請求の範囲に記載された発明の内容を理解するためには,本件各訂正に係る「TEPIC」が先願明細書の実施例2に記載された「TEPIC」であることが,明細書中に明示されることが本来望ましい。本件においてこのような明示を行うためには,本件明細書の発明の詳細な説明の記載を訂正して,先願明細書の実施例2に記載された発明を除外するために特許請求の範囲の記載が訂正された旨を明示することが必要となる。そして,このような訂正は,特許請求の範囲の記載の訂正に伴って,発明の詳細な説明の記載について,明りょうでない記載の釈明を目的として行うものであるということができるところ,上記(2)アにおいて説示したところに照らすと,新たな技術的事項を導入しないものであると認められ,実質上特許請求の範囲を拡張又は変更するものでもないということができる。しかしながら,前記の審査基準に依拠する特許庁の従来からの実務において,このような訂正が「明細書又は図面に記載された事項の範囲内において」するものではないとされていたことから,特許権者であるYはあえてこのような訂正を請求せず,特許請求の範囲の記載の訂正において「TEPIC」とのみ記載して除外部分を特定したものと考えられる。そして,上記のとおり,本件各訂正における「TEPIC」は,先願明細書の実施例2に記載された「TEPIC」を指すものと認められることからすると,上記のとおり本来望ましい方法によらなかったことを理由として,本件訂正が不適法であるとまでいうことはできない。
      ウ また,平成2年通商産業省令第41号による改正前の特許法施行規則24条は,明細書の様式に関し,「願書に添附すべき明細書は,様式第十六により作成しなければならない。」と定めており,様式16は,明細書の記載の様式について,「登録商標は,当該登録商標を使用しなければ当該物を表示することができない場合に限り使用し,この場合は,登録商標である旨を記載する。」としているところ,その趣旨は,商標登録制度においては,登録商標とこれによって特定される物の性状や組成の対応関係が担保されておらず,登録商標による物の特定は必ずしも一義的に明確であるとはいえないことから,一般に,明細書の記載における登録商標の使用について,極めて例外的な場合に限定して許容されるものと位置づけることにあるということができる。
        本件各訂正の内容は,上記(2)イのとおり,本件訂正前の各発明から引用発明と同一の部分を除外するために,除外の対象となる部分である引用発明の内容を,本件訂正前発明1及び2の成分であって,これらのいずれについても多種の物質又は製品が該当し得るところの成分(A)〜(D)及び同(A)〜(E)ごとに分説し,先願明細書の実施例2の特定の物質又は製品の記載を引用しながら,消極的な表現形式(いわゆる「除くクレーム」の形式)によって特定しているものであり,引用発明と同一の部分を過不足なく除外するためには,このような方法によるほかないと考えられることから,本件各訂正において,引用発明を特定する要素となっている「TEPIC」との商標の記載を使用して除外部分を表示したことが,上記規則24条に反するものということはできない。
      エ 以上によると,本件各訂正において登録商標が使用されたことによって,その内容が不明確になったということはできない。
        なお,Xは,本件各訂正は,本件訂正前の各発明におけるごく一部の組合せを除外するのみであるから,本件訂正前の各発明と本件各発明は実質的に同一であり,特許請求の範囲を「減縮」するものということはできない旨主張するが,その趣旨は,本件各訂正によって除外される部分は無視することができる程度に限定されたものであるから,本件各訂正前の各発明と本件各発明は実質的に同一である旨の主張であると理解することができる(訂正によって除外される部分が限定されていたとしても,当該訂正が特許請求の範囲の減縮を目的とするものであると認められることに変わりはない。)ところ,この主張は取消事由2の主張と同一であるから,その当否については下記2において判断する。
    (4)上記(2)及び(3)のとおり,本件各訂正は,平成6年改正前の特許法134条2項ただし書にいう「願書に添付した明細書又は図面に記載した事項の範囲内において」するものであり,かつ,「特許請求の範囲の減縮」を目的とするものであると認められるから,本件訂正を認めた審決の判断に誤りはなく,取消事由1は理由がない。
      したがって,本件発明の要旨は,本件各発明として特定されるとおりのものであると認められる。
  2 取消事由2(本件各発明と引用発明の同一性についての判断の誤り)について
    (1)Xは,本件各訂正は本件訂正前の各発明から,「除くクレーム」により,各成分の特定の組合せのみを除くものであるところ,本件各発明と引用発明は技術分野,用途,作用効果等を共通にし,その技術的思想は同一である。そして,本件各発明は,本件各訂正により除外された組合せ以外の成分(A)〜(D)及び同(A)〜(E)からなる発明であり,成分(A)〜(C)及び同(E)はいずれも周知の成分であるほか,成分(D)については,「TEPIC」と同一の化学的構造を有するが商標名だけが異なる多官能エポキシ樹脂(例えば「アラルダイトPT810」)が含まれるのであり,本件各発明は依然として引用発明と実質同一であるというべきであると主張する。
      そこで,まず,上記各発明の技術的思想について検討を加える。
    (2)先願明細書に記載された発明と本件各発明の技術的思想について
      ア 先願明細書の公開公報である昭63-278052号公報(甲第1号証)によると,先願明細書には次の記載があることが認められる。
        ・・・
      イ 上記アで認定した先願明細書の記載によると,同明細書に記載された発明に関して,以下のとおり認定することができる。
        先願明細書に記載された発明は,ネガティブ型フォトレジストとして用いられる感光性エポキシ系樹脂皮膜組成物に関するものであり,未露光部分の除去(現像)のために多量に使用される有機溶剤は環境汚染や火災等の原因となるなどの問題があるところ,これをできるだけ回避する必要があることから,良好な解像性,可撓性,密着性,耐薬品性及び密着性に優れた皮膜特性を得るというこの種の皮膜組成物に求められる性質を確保しながら,アルカリ水で現像可能な感光性皮膜が形成できる感光性皮膜組成物を提供することを目的とするものである(上記ア・・・)。
        先願明細書に記載された発明においては,感光性皮膜組成物に含まれる反応生成物のエポキシ樹脂は不飽和カルボン酸及び多塩基酸と順次反応させて用いられるところ,不飽和カルボン酸との反応については,エチレン結合を有する不飽和化合物で固形のエポキシ樹脂を溶解して不飽和カルボン酸を反応させる場合と固形エポキシ樹脂を不活性有機溶剤に溶解して不飽和カルボン酸を反応させる場合がある。さらに,レジスト層がはんだ温度に耐え,かつ,永久的な保護皮膜として用いられるようにするためにエポキシ樹脂を使用することができる(上記ア・・・)。
      ウ 本件訂正後の本件特許に係る明細書の記載
        本件特許に係る特許公報(乙第1号証),手続補正書(乙第2号証)及び訂正審判請求書に添付された訂正に係る明細書(甲第11号証)によると,本件特許に係る本件訂正後の明細書(以下「本件訂正明細書」という。)には,次の記載があることが認められる。・・・
      エ 上記ウで認定した本件訂正明細書の記載によると,本件各発明に関して,次のとおり認定することができる。
        ソルダーレジストは,プリント配線板に部品をはんだ付けする時に,必要以外の部分へのはんだ付着を防止し,回路を保護することを目的とするものであるから,一般に,密着性,電気絶縁性,はんだ耐熱性,耐溶剤性,耐アルカリ性,耐酸性および耐メッキ性などの諸特性が要求されるものである(上記ウ・・・)。
        従来のソルダーレジストには,密着性,耐薬品性,耐メッキ性,厚膜での内部硬化性,はんだ耐熱性,回路間への埋込み性などに問題があるものや,ニジミが生じてしまうものがあり,特に,高密度化されてきたプリント配線板に対応するための液状フォトソルダーレジストには,熱硬化性(密着性,はんだ耐熱性及び電気絶縁性など)が劣るという問題がある(上記ウ・・・)。
        熱硬化性に配慮したものとして,エポキシ樹脂を使用し,分子中にエポキシ基を残存させることで熱硬化を併用するものがあるが,エポキシ基を残存させると感光量が減少し,紫外線による硬化性が低下するという問題があり,露光部分の現像液に対する耐性が低下しやすくなるため長時間現像ができず,未露光部分の現像残りが生じやすいなどの問題がある(上記ウ・・・)。
        また,エポキシ樹脂を使用するレジストインキ組成物で,アルカリ水溶液を現像液とするものもあるが,アルカリ水溶液に対する溶解性のない樹脂の比率を高めると,やはり感度が低下し,現像残りが生じたり,これを生じないようにするために長時間現像すると露光部分が現像液に侵されるなどの問題がある(上記ウ・・・)。
        本件各発明は,上記のような欠点がなく,現像性及び感度が共に優れ,かつ,露光部の現像液に対する耐性があり,寿命の長い感光性熱硬化性樹脂組成物であって,ソルダーレジストに要求される一般的特性も備えたものを提供することを目的とするものである(上記ウ・・・)。
        感光性プレポリマーと熱硬化性成分としてエポキシ樹脂を併用する場合は,有機溶剤に可溶なエポキシ樹脂が用いられるのが一般であるが,エポキシ樹脂が感光性プレポリマーとからみ合った状態で溶け込んでいると推測され,例えばアルカリ水溶液で現像する場合,エポキシ樹脂は一般にアルカリ水溶液には溶けないため,エポキシ樹脂とからみ合った状態の感光性プレポリマーの溶解性も低下し,また,エポキシ樹脂は樹脂組成物の生成段階で使用された有機溶剤に溶けているため,硬化剤との反応が速くなって,現像残りが生じやすくなる。他方,有機溶剤を現像液とする場合,エポキシ樹脂はやはり生成段階で使用された有機溶剤に溶けており,硬化剤との反応が速くなるため,現像性が低下するとともに,露光部においてはエポキシ樹脂が現像液に溶解するなどの理由により,塗膜が侵されやすく,感度も悪くなる(上記ウ・・・)。
        しかしながら,本件各発明は,使用する希釈剤に難溶性の微粒状のエポキシ化合物(「エポキシ樹脂」と同じ。)を熱硬化性成分として用いたことを最大の特徴とし,このようなエポキシ樹脂の粒子を感光性プレポリマーが包み込む状態となるため,感光性プレポリマーの溶解性を低下させず,かつ,希釈剤に難溶性であるため,エポキシ樹脂と硬化剤との反応性も低いので現像性を低下させず,露光部が現像液に侵されにくくなるとともに組成物の保存寿命も長くなる(上記ウ・・・)。
      オ 上記イ及びエで認定したところによると,先願明細書に記載された発明と本件各発明は,いずれもいわゆるソルダーレジストとして用いられる樹脂組成物である点で共通し,活用される技術分野についても同様であるということができる。
        他方,先願明細書に記載された発明が,従来現像液として使用されてきた有機溶剤の問題性を踏まえ,アルカリ水で現像可能な感光性皮膜組成物の提供を目的とするのに対し,本件各発明は,現像液を有機溶剤,アルカリ水溶液のいずれとする場合においても,従来のソルダーレジストの問題点を回避しつつ,現像性及び感度が共に優れ,かつ,露光部の現像液に対する耐性があり,寿命の長い感光性熱硬化性樹脂組成物を提供することを目的としており,そのための構成として熱硬化成分であるエポキシ樹脂について,希釈剤に難溶性で微粒状のものを用いたことを特徴とするものであるといえる。そして,本件各発明の構成において特徴とされる「エポキシ樹脂が希釈剤に難溶性で微粒状のものである」との点は,先願明細書中には何ら開示されておらず,むしろ,先願明細書に記載された発明の構成上の特徴を基礎付ける記載において,同発明のエポキシ樹脂を「溶解」して不飽和カルボン酸と反応させることが前提とされている。もっとも,上記ウ・・・で認定した本件訂正明細書の記載によると,本件各発明において,「難溶性」とは,ある程度「溶解度が小さい」ものを含む概念として使用されている用語であると認められるから,エポキシ樹脂が「溶解」すること自体は,本件訂正明細書の記載と矛盾するものではないが,少なくとも,先願明細書には「難溶性」という要素を発明の構成に必要なものとして位置づける趣旨の記載は認められない。
        そうすると,先願明細書に記載された発明と本件各発明は,課題,これを解決する手段である発明の構成及び作用において異なるものであるといわざるを得ないから,両発明は技術的思想において互いに異なるものであるというべきである。
    (3)上記(2)のとおり,先願明細書に記載された発明と本件各発明の技術的思想は異なるものであり,先願明細書の実施例2以外の記載において本件各発明と実質同一の発明が開示されているということはできないから,本件各発明が同記載の発明と実質同一であるということはできない。
      したがって,本件各発明に係る特許が,平成6年改正前の特許法29条の2の規定に違反してされたものということはできないから,審決の判断に誤りはなく,取消事由2は理由がない。
  3 取消事由3(本件発明1と甲第3号証発明の相違点についての判断の誤り)について
    (1)Xは,甲第3号証の実施例4には,ビスフェノールS型エポキシ樹脂の「エピクロンEXA−1514」が記載されており,甲第3号証中では,N−グリシジル型エポキシ樹脂とビスフェノール型エポキシ樹脂とが並列的に示されているように,N−グリシジル型エポキシ樹脂と,本件発明1の成分(D)に挙げられたヘテロサイクリックエポキシ樹脂とは,化学構造を異なる視点で表示した名称であり,トリグリシジルイソシアヌレートのように両者に該当する化合物が存在するのであって,本件発明1は,甲第3号証の実施例4の感光性熱硬化性エポキシ樹脂組成物におけるビスフェノールS型エポキシ樹脂の代りに,それと同等に用い得るN‐グリシジル型エポキシ樹脂として公知のトリグリシジルイソシアヌレートを用いたものにすぎないから,このような発明は甲第3号証発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたものである旨主張するので,以下において検討する。
    (2)甲第3号証には,審決が認定した事項(摘記事項(1)〜(11)。当事者間に争いがない。)のほかに,次の記載がある。
      ・・・
    (3)甲第3号証には,そもそも,エポキシ化合物として「使用する希釈剤に難溶性の微粒状」のものを使用することについて一切記載がなく,上記(2)の記載によると,甲第3号証発明は,レジストインキ組成物に求められる一般的な特性において優れたものであり,特に,耐熱性,耐溶剤性等に優れ,希アルカリ水溶液で現像可能な液状レジストインキ組成物を提供することを目的とするものであると認められる(なお,本件特許出願人であるYは,甲第3号証記載の発明に係る特許の出願人でもあり,本件訂正明細書において,甲第3号証記載のレジストインキ組成物は従来技術の一つとして記載され,同組成物はアルカリ水溶液を現像液とするため,アルカリ水溶液に対する溶解性のないエポキシ樹脂の比率を高めると,同様に感度が低下し,また未露光部分の現像液に対する溶解性が低下しやすくなり,現像残りが生じたり,長時間現像が必要となり,露光部分が現像液に侵されるなどの問題があるとされている(5頁9欄26行〜36行)。)。
      他方,上記2(2)エ及びオにおいて認定したとおり,本件発明1は,現像性及び感度が共に優れ,かつ,露光部の現像液に対する耐性があり,寿命の長い感光性熱硬化性樹脂組成物を提供することを目的とするものであって,上記2(2)エ(同ウ(キ))のとおり,感光性プレポリマーと熱硬化性成分としてのエポキシ樹脂を併用する場合において,有機溶剤に可溶なエポキシ樹脂が用いられるのが一般であり,エポキシ樹脂が感光性プレポリマーとからみ合った状態で溶け込んでいると推測されることを前提として,アルカリ水溶液で現像する場合は,エポキシ樹脂は一般にアルカリ水溶液には溶けないため,エポキシ樹脂とからみ合った状態の感光性プレポリマーの溶解性も低下し,また,エポキシ樹脂は樹脂組成物を生成する段階において使用された有機溶剤に溶解しているため,硬化剤との反応が速くなり,現像残りが生じやすくなるという問題がある一方,有機溶剤を現像液とする場合は,エポキシ樹脂は溶剤に溶解し,やはり硬化剤との反応が速くなるため,現像性が低下し,露光部においては,エポキシ樹脂が現像液に溶解するなどの理由により,塗膜が侵されやすく,感度も悪くなる(また,水溶性エポキシ樹脂を使用した場合は,アルカリ水溶液で現像すると,露光部においては,エポキシ樹脂が現像液に溶解するなどの理由により,塗膜が侵されやすく,感度が悪くなる。)という問題があることを技術的課題として認識するものである。そして,上記2(2)エ(同ウ(ク),(ケ))のとおり,本件発明1は,現像液として有機溶剤,アルカリ水溶液のいずれを使用する場合においても,使用する希釈剤に難溶性の微粒状のエポキシ化合物(「エポキシ樹脂」と同じ。)を熱硬化性成分として用いるという課題解決手段を採用することにより,このようなエポキシ樹脂の粒子を感光性プレポリマーが包み込む状態となるため,感光性プレポリマーの溶解性を低下させず,エポキシ樹脂と硬化剤との反応性も低いので現像性を低下させず,露光部が現像液に侵されにくくなるとともに組成物の保存寿命も長くなるという効果を奏するものである。そうすると,本件発明1は,課題認識の視点において,甲第3号証発明と全く異なるものであり,これに伴って異なる課題解決手段を採用しているものというべきである。
      したがって,甲第3号証発明は,本件発明1とその目的において相違する発明であるばかりでなく,甲第3号証には,上記の本件発明1における技術的課題及びその解決手段について何ら示唆がないというべきであり,Xが主張するように,「N−グリシジル型エポキシ樹脂」と本件発明1における「ヘテロサイクリックエポキシ樹脂」は化学構造を異なる視点で表示した名称であって,両者に該当する化合物として公知の「トリグリシジルイソシアヌレート」なる化合物が存在するからといって,甲第3号証の記載に接した当業者が,本件発明1が解決の対象とする技術的課題の本質を認識し,それを解決するための手段として,本件発明1と甲第3号証発明の相違点に係る構成(成分(D)のエポキシ化合物として「使用する希釈剤に難溶性の微粒状」のものを使用するとの構成)に想到することが容易であるということはできない。
      以上によると,本件発明1は当業者が甲第3号証発明に基づいて容易に想到し得たものではないというべきであり,本件特許は平成11年法律第41号附則2条12項によりなお従前の例によるとされた同法による改正前(以下「平成11年改正前」という。)の特許法29条2項に違反してされたものということはできないから,審決の判断に誤りはなく,取消事由3は理由がない。
  4 取消事由4(「発明未完成」についての判断の誤り)について
    (1)Xは,本件発明1は成分(A)及び(D)の組合せによって60通り(又は450通り,720通り)の選択肢があり,本件訂正明細書に示されたわずか3例の実施例のみによって,これらの選択肢すべてについて発明が完成されていたと推認することは不可能であり,本件発明1は,発明が完成されていない部分を含み,全体として発明未完成であると主張するので,検討する。
    (2)本件訂正明細書には,Xが主張するとおり,本件発明1の成分(A)には,(a)群の4通り,(b)群の6通り及び(c)群の2通りの合計12通りの選択肢があることが認められるほか,同明細書においては,「上記1分子中に少なくとも2個のエチレン性不飽和結合を有する感光性プレポリマー(A)としては,(a)ノボラック型エポキシ化合物の不飽和モノカルボン酸による全エステル化物(a−1)のエステル化反応によって生成する全エステル化物の二級水酸基と飽和または不飽和多塩基酸無水物とを反応させて得られる反応生成物(a−1−1)・・・」(6頁12欄49行〜7頁13欄5行)との記載に続けて上記各選択肢が挙げられていること,各選択肢の具体例として製品名又は公知の物質名が多数列挙されていること(7頁13欄46行〜8頁15欄39行)が認められる。
      本件訂正明細書の上記記載によると,本件発明1の成分(A)は,従来から公知であった「1分子中に少なくとも2個のエチレン性不飽和結合を有する感光性プレポリマー」について,出発物質,中間生成物,反応生成物等に応じて個別に表記したものであり,これらは,その特徴から一群の化学物質であるということができるから,成分(A)に属する各物質は,感光性プレポリマーとして共通の効果を奏すると予想することができる。
      また,本件訂正明細書には「次に前記,1分子中に少なくとも2個のエポキシ基を有する微粒状エポキシ化合物(D)としては,公知慣用のエポキシ化合物を用いることができる。しかし,この場合のエポキシ化合物は,前記1分子中に少なくとも2個のエチレン性不飽和結合を有する感光性プレポリマー(A)に微粒状で分散させることが必要であり,常温で固型もしくは半固型でなければならず,また混練時に前記感光性プレポリマー(A)および使用する希釈剤(C)に溶解しないもの,及び/又は感光性及び現像性に悪影響を及ぼさない範囲の溶解性のものである。これ等の条件を満たすものとしては好ましいのは,・・・ジグリシジルフタレート樹脂;日産化学(株)製TEPIC,チバ・ガイギー社製アラルダイトPT810 などのヘテロサイクリックエポキシ樹脂;・・・ビキシレノール型エポキシ樹脂;・・・ビフェノール型エポキシ樹脂;・・・テトラグリシジルキシレノイルエタン樹脂などがある。」(10頁19欄8行〜同欄28行)との記載があることが認められ,この記載及び本件発明1の内容によると,本件発明1の成分(D)には,5つの選択肢があること,これらがいずれも「1分子中に少なくとも2個のエポキシ基を有する微粒状のエポキシ化合物」であり,かつ,使用する希釈剤に難溶性のものであること,常温で固型若しくは半固型のものであることが認められる。
      そうすると,成分(D)の選択肢として示された5つの物質は,上記のような性質を有する一群の化学物質であるということができるから,選択肢を入れ換えても,本件発明1が目的とする効果を奏するものと予想することができる。
    (3)また,本件訂正明細書中には,本件発明1に該当し,成分(A)及び(D)について代表的な選択肢を配合したものである実施例3〜6が記載されていること(13頁25欄48行〜14頁27欄44行),実施例のそれぞれについて,感光性,現像性などの点に関し,具体的な試験結果とともに効果が記載されていること(14頁28欄42行〜16頁32欄48行及び第1表)が認められる。
      なお,Xは,本件訂正明細書の実施例6は本件発明1の実施例ではないと主張するが,実施例6には,「微粒状「YL−6056」(油化シェル(株)製ビフェノール型エポキシ樹脂)5.0部」を配合したものが記載されており,このエポキシ樹脂は本件発明1の成分(D)に該当するから,実施例6が本件発明1の実施例であることは明らかである。
    (4)以上によると,本件発明1は,その内容として特定された各成分を組み合わせて,実施例等の明細書の記載を参考にしながら,本件訂正明細書に記載された効果を奏することができるものであり,本件発明1が未完成であるとはいえないから,本件特許は,平成11年改正前の特許法29条1項柱書に違反してされたものということはできず,Xの主張を採用することはできない。
      なお,Xは,この点に関連して,成分(A)において,各群における樹脂の物性を特徴付ける特性基は多種多様であり,単独で用いた場合と,他の樹脂と併用した場合とではレジストパターンの物性が異なるとも主張するが,上記2(2)エ及びオで認定したとおり,本件発明1の最大の特徴は,成分(A)の感光性プレポリマーを含有する感光性樹脂組成物において,「使用する希釈剤に難溶性の微粒状エポキシ化合物を熱硬化性成分として配合した点」にあるものと認められ,上記(3)の各実施例についての試験で確認された現像性等についての効果が成分(D)によるものであると考えられるから,Xのこの主張は,上記判断に影響を与えるものではない。
      したがって,取消事由4は理由がない。
  5 取消事由5(「記載不備」についての判断の誤り)について
    (1)Xは,本件訂正明細書の発明の詳細な説明は,平成2年法律第30号の附則9条(工業所有権に関する手続等の特例に関する法律施行令附則2条1項)によりなおその効力を有するとされた同法による改正前(以下「平成2年改正前」という)。の特許法36条3項に定める要件を満たしたものということはできないし,このように実施のための具体的な形態が発明の詳細な説明に明確に記載されていない事項を記載した特許請求の範囲は,昭和62年法律第27号の附則3条1項によりなお従前の例によるとされた同法による改正前(以下「昭和62年改正前」という。)の特許法36条4項に定める要件を満たしたものということもできないと主張するものと解することができる。
    (2)しかしながら,上記4で説示したとおり,本件訂正明細書には,本件発明1の効果を確認できる実施例が開示されており,成分(A)及び(D)の各選択肢について,感光性熱硬化性樹脂組成物として共通の効果を奏することを予想することができる。
      また,本件訂正明細書において,実施例として成分(A)〜(D)の組合せが具体的に記載されており,成分(A)〜(D)について具体的な商品名や物質名を挙げて例示されているから,実施例と異なる組合せによって本件発明1の感光性熱硬化性樹脂組成物を得ることが,当業者にとって過大な試行錯誤を要するものとは認められない。
      そうすると,本件訂正明細書には,平成2年改正前の特許法36条3項に違反する記載不備は認められず,昭和62年改正前の特許法36条4項の規定に違反する記載不備をいう点は前提を欠くものであるから,Xの主張はいずれも失当である。
      したがって,取消事由5は理由がない。
  6 取消事由6(本件発明2についての判断の誤り)について
    上記3〜5のとおり,本件発明1についての取消事由3〜5は理由がないところ,本件発明2は,ソルダーレジストパターンの形成方法に関するものであるが,樹脂組成物の配合組成において成分(E)を更に含有する点で本件発明1と異なるだけであって,成分(A)〜(D)を含有する点は本件発明1と同様であるほか,本件訂正明細書の記載(11頁21欄19行〜22欄11行)によると,成分(E)の「エポキシ樹脂用硬化剤」としては公知慣用の硬化剤類を使用することができるとされていることが認められる。
    そうすると,取消事由3〜5と同様の理由によって本件発明2についての審決の判断の誤りをいうXの主張は失当である。
    したがって,取消事由6は理由がない。
第6 結論
  以上のとおり,X主張の審決取消事由はいずれも理由がないから,Xの請求は棄却されるべきであり,主文のとおり判決する。」