※「モテない問題を考える会通信」は、2000年2月創刊。隔月刊で発行していましたが、現在不定期発行です。
通常価格は200円(6、10、13号は250円)です。
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たけだぺてろのヘテロ宣言 たけだぺてろ ホモ雑誌をめくって見た事はあるでしょうか。僕は古本屋に勤めているので、お客さんから買い取った普通のアダルト雑誌と一緒に『アドン』とか『サムソン』とか同性愛者向けの雑誌もよく紛れて入ってきます。 作りはほとんど普通の男性向けエロ本と変わらないと思います。グラビアがあって、官能小説みたいな読み物があって、風俗店の広告があって、漫画があって、とだいたい同じですが、その間に、エイズ問題とか、ゲイ・レズビアンパレードの報告とか、シリアスな記事が載っています。ミニコミ紙みたいな感じがあります。ただのエロ本ではない部分があります。戦いの場でもあるわけですね。大袈裟かもしれませんが。 グラビアは雑誌によって、対象がかなり限定されているみたいです。ジャニーズ系から、デブ専、ふけ専、マッチョ兄貴専(という言い方があるのかどうかわかりませんが)とか。僕から見れば、ただのオヤジじゃねえか、という感じの人が裸になって性器を勃起させてたりします。読者の恋人、パートナー募集欄に「 歳以上で、労働者タイプの人、細身の人不可」なんて書いてあったりします。 こういうホモ雑誌をみていると、自分はなんて偏狭なセクシャリティを生きているんだろう、と思ってしまいます。僕は女性がモデルになっている「普通の」エロ本を見ます。アダルトヴィデオを見ます。以前、アダルト雑誌の一ページを見ながら、どれくらい眺めていたら何も感じなくなるんだろう、と思ってじっと見つづけてみたことがあるんですが、5分も 分も同じ写真を見ていたらさすがに飽きてきます。が、飽きてきたなあと思って、写真のモデルさんの胸だとか、お尻だとかをみると、やっぱり面白いなあと思ってしまうわけです(面白いというのは、きれいだなあとか、触りてえなあとか、やりてえなあとかそういうことです)。なんでだろう、と思います。何故、僕は女性の身体を見ると感じてしまうんだろうと思います。何故か、と考えると同時に、女性を自分の性的な嗜好の絶対的なものだとも考えているわけです。そういうときに、ホモ雑誌の、太っ腹のオヤジの有る意味ではコケティッシュかもしれないグラビアのことを考えると、自分のセクシャリティ、性嗜好が、絶対的なものではなく数あるなかから意識的にか無意識的にか選んだものに過ぎないのではないかと思えてきます。何も女性の身体は絶対的に美しいものでも魅惑的なものでもない、と。 世の中にはいろいろな人がいます。異性に惹かれる人もいれば、同性が好きな人もいる。その中でも、太った人が好きだったり、中年以上の人が好きだという人もいる。そういう多様性の中で、自分は女性に惹かれるということをカミングアウトしたい、と思ったのです。 カミングアウト。私は同性愛者です、私はレズビアンです、と公言することですね(でいいのかな?)。でも、それよりもなによりも、まず、自分の性的な嗜好自体を認めることですよね。自分にはこういう性的な欲望があり、それはけして悪いことでも、異常なことでもないんだ、ということを自分で肯定して初めてカミングアウトできる。それはとてもすごいことだと思うんです。 僕はカミングアウトしていません。僕は女性に対して、性的な欲求を持つ男ですが、誰もそのことに対して驚きもしないし、非難もしません。当たり前のことなので、そのように扱われています。むしろ当たり前のことだからこそ、それはかえって隠しておかなければいけないことのように、それを公表する場は奪われているように思います。 口に出せない欲望は下心という罪悪感になって、女性といると常に付きまとってきます。罪悪感はなかなか口に出せません。例えば、セックスしようと女性を誘ったことがあります。ある意味ではそれはカミングアウトのようなものだったのかもしれませんが、その人に向けられた自分の欲望を肯定できていたわけではありません。好きだからとか、もっと近づきたいからとか、そんなことでごまかしていたような気がします。僕が欲望を抱く「女性一般」と、その時いた「彼女」を一緒にしたくなかったからです。こういうことは恋人であれ、知り合いであれ、女性と親しくなるといつも感じてしまいます。だから、キスしたりセックスしたり出来たとき初めて自分が肯定されたような気持ちになれたのです。自分ではどうすることも出来ない罪の意識をだれかに許して貰うという感じでしょうか。だから、そういう相手がいなくなると、不安になります。自分の欲望はいけないことなのだろうか、と。 でもカミングアウトとはそういうことではないと思うのです。誰かに肯定して貰うわけではない。ホモ雑誌が戦いの場みたいだと思ったのはこういうことです。誰も認めてくれない。認めてくれないどころか、異常だと思われている。私は異常なんだろうか。異常であれば、私は悪いのだろうか。私は否定されねばならないのだろうか。そういう問いとの戦いです。いや私は悪くない。異常である事は悪くない。同性に対してであろうと性欲を持つのはけして悪くない。誰も認めないかもしれないけれども、私は私を肯定する。こういう戦いだと思うのです。 たぶん、同性愛者の人だって、失恋もするし、片想いもするでしょうけれども、同性を愛するということを肯定して初めて恋愛出来るわけですよね。それを否定してしまっては、彼は(彼女は)だれも愛せない人になってしまう。同性愛者であるということを公言するということは、私は人を愛するんだ、ということを公言することと同じだと思うのです。 だから、僕も公言したいと思いました。僕は異性愛者です。 愛とはなんだ? 性とはなんだ? そんなことはわからない。セックスしたいだけではないのか。それでもかまわない。それは後の問題だ。とりあえずは、たまには自分で自分を肯定したい。僕は女性に性欲を抱く人間です。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
[どーゆーこと? 1]男性差別? 名木太 ■たまに世の中の情報に触れてみると、「やっぱ世の中間違ってるよなぁ」と確信してしまうことや、もっともらしく語られている言葉に、「何かちょっと変じゃないか?」と思うこともある。それらにショボく素朴に突っ込んでみたい。 どうして男性は、男性であるというだけの理由で不当に差別されていることを、嘆いたり怒ったりしないのだろう。 (姫野カオルコ「さんぽ道「レディース・セットも頼めない」」、「週刊金曜日01/3/2号」金曜日、20ページ) いきなりマイナーですが、「週刊金曜日」中のエッセイ。しかも古いけど。 持ち回り連載(多分)の「さんぽ道」というコーナー。上記書き出しから何が出てくるのかなと読み進むと、内容は病院事務員の佐藤さん(29歳・男)が同じ病院の医者の小野さん(33歳・女)と実はお互い好き同士だったにも関わらず、男の方は「自分は事務員だし…」、女の方は「自分の方が年上だし…」とお互い引け目を感じてしまって告白できず、結局小野さんは同病院の医者と結婚してしまったという話。 姫野によると、これは男性の方が女性より地位も収入も上でなければならないというプレッシャーであり、「男性差別」らしい。 けど、これって単純に見て、自分に何かしらの引け目を感じてしまって、自信なくてコクれなかったという、どこにでもあるちょっといいくらいの切ない話でしょう。もしこれが、実際求愛して、その後に本人や周りから「事務員のくせに何考えてんの?」とかいう話なら差別と言っていいと思うけど。しかも職業差別。 さらに、姫野の締めの言葉はこうくる。 「佐藤さんと小野さんの話のようなことが、職場や年齢は違えど、世の中には多い。なのに、なぜ男性はマン・リブを訴えないのだろう。訴えていいと思うよ。」 年上の女性に求愛できずで、「これは男性差別だ!」って怒る人がいるんだろうか? 男性ということからくるプレッシャーから生きづらさを感じている人は確かにいるし、メンズ・リブの人たちが取り組んでいると思うんだけど、何で姫野はこんな変な例を持ち出して、しかも「訴えていいと思うよ」なんて、どこの高みから言うのかな? 差別されてるらしい人に向かって。「動機は?」って思うよなぁー。ウーマン・リブからの連帯という雰囲気でもないし…。 姫野の文章はすごく変というか、言葉遊びみたいな様相なんだよな。本当に男性が差別されてると思ってるのかな。この話が「差別」の話なんだったら、同じくコクれなかった小野さんも差別されていることになるから、女性差別の話でもあるはずなんだけど、それについて姫野は触れない。それどころか、小野さんは「引け目を感じることで、結果的に男性差別をしている」のだそうだ。 大体、このタイトルは何? 「レディース・セットも頼めない」。そりゃそーでしょ、レディースなんだから(笑)。姫野は「お子様ランチも頼め」なくて困っているのか。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
編集後記(9号) ▼前号に続き、編集長書き過ぎですね(笑)。くどくてスマン! 投稿や感想はいつも通り面白いね。今号新人さんいなかったですが、感想・投稿お待ちしてますよ! 最近思うに僕にとっての「モテない問題」は、「こころの問題」だ(もしくは「東京・個人主義問題」)。まず、アダルト・チルドレン(家庭環境)、いじめ体験あり、自信がなくて見捨てられ恐怖もあり、いつも緊張感一杯で所在なく、こじれては神経症(ボーダーライン人格障害?)。恋愛(ゆうか人間関係)もなかなか上手くいかないと。 皆さんはどうなんでしょうか。ま、「モテない問題」となるとやっぱ、自分に対する「自信のなさ」と「コミュニケーション不全・不和」は大きいとは思う。自信あったら多分そんな悩まないと思うんよね。 何か色々書きたいことたくさんあって、でも頭ん中でうまくまとまらない内に、また書きたいことが出てくる。鬱屈や疑問ばかりたまってマズイので、まとまらないなりにもとりあえず書いていこうかなと思ってます。ちょっといい加減ではあるんですけど。 でも、本当に書きたいことは、シャドウ・ワークのことで、搾取の連鎖のことで、ストレスとかこころの病のことなんだ。友人関係や恋愛関係や家族関係なんかの「共同体」においてすら、(金を伴わなくとも)ストレスを媒介に資本主義化されてて寂しいな、世知辛いなという話なんだな。 何か、今までまとめ役でいこうとしてきてたんだけど、やっぱそれぞれの悩みやこだわりは微妙に違くて、まとめるのも無理があるというか、自分には出来ないかなと思ってきたので、僕は僕の視点でばぁーと行っちゃうんで、皆さんは皆さん自身のテーマで書いてどんどんお寄せくださいね! 企画についても実現しない内に新しいアイデアが出てきて結局手つかずが多い。前島さんが「人間界のことはよくわからん」と書いてたけど、その辺で、分からない者同士集まって「人間界の謎・座談会」というのもいいかなと思ってみたり(笑)。あと、「ACは悪いのか?座談会」とかね。 4、5月最悪やったけど、6月は雨勝ちながら調子良かったな、私は。ていうか、最近は「調子どう?」って人に聞かれて、「ぼちぼち」って言うのも面倒になってきたから、「いいよ」って答えることにしてる。で、実際調子良んだよな。独りで考え事してても、前みたいにめっちゃハイになったり、情緒不安定になって気ぃ狂いそうになったりとかなくなってきた。浮き沈みがあんましなくなってきた。何か、普通の人間になりそうな予感もする。繊細さを失いそうで怖いけどね(笑)。 引きこもりは、過ぎるとキツイかなと思った。最近は僕は、銭湯のおじさんや、酒屋のおばさんや、定食屋のにーちゃんや、パチ屋の常連と普通に話したりなんかしてて、まぁ、そうやって身近にしゃべる機会があると良いのかもしれない。 以前ちらっと触れた「週刊宝島」取材の件。マスメディアの体質について書きたかったんだけど、今号書評の『人はなぜ〜』から言葉を借りると、マスコミは「取材や調査の上で面識のない人に突然連絡を入れて、不躾に、そして一方的に話を聞き出し、あらかじめ用意した論調に沿うコメントを入手したら、「はい、さようなら」」(159ページ)といった感じかな。以前の職場で何回か受けた取材経験も含めて感じるんだけど、マスコミの取材というのは見てると基本的にお墨付きもらいにいく作業のようだ。取材中は理解してるように見せるけど、結局出る記事は向こうの最初っからの思惑通り。「いかにもモテなさそうな面々におもわず納得 」などとなる。抗議しても言い訳ばかりで絶対謝らないし。マスコミの人間は横柄で信用できない。そして、そういう人たちの作り上げた記事が、世の中にまかり通ってる。(でも、そんな中ギリギリんとこで真摯に記事を書いてらっしゃる方も少数いる。) 仕事してた時、知人の女性から「うちの社長は女性差別」という意見を聞いた時、あぁ、「男女平等」の先には「能力主義」が待ってるんだなぁと思った。聞いた感じ、その社長の判断は女性差別でなくて、能力主義の上では合理的で「平等」な判断だと思ったのだ。男女平等によって能力主義がクリアに見えてくることは良いことなんだろうか。企業にとってこそ、男も女も関係なくて、とにかく金とってこれる「人材」が欲しい。で、恋愛においては、「男女平等」の先には「モテない問題」が待っているのかもしれない(笑)。 リベラルについて思った。自由主義者。私流に解釈すれば、自由人。誰もが皆「自由」に生きていると思っている人。基本的に他人に迷惑をかけなければ何でもOKと思っている。ただし、自分が他人にかけている迷惑については無自覚。いろんなことに関心があって多趣味。趣味人。困ったことがない。困りに対する共感性がない。「自立」している。他人の助けを必要としない。助け合うという意味が分からない。感情が穏やかといった所か。街でホームレス見かけて、「あぁ、ああいう生き方もあるんだね」って感じ? 多分、金に困ったことがない程度に裕福な人間は「リベラル」になる。んで多分、付き合う人に困ったことがない程度にモテる人は性的に「リベラル」になる。最近、貧乏人のくせに「リベラル」を口にするのはどーなんだろうと思ってきた(笑)。 さて、編集(対話)と書くの(思考)と体動かすの(行動)は同時にはできない。全部大切だけど、しゃべりながら体は動かせない。順番にバランス良く出来ればいんだけど、今回は重なってしまった。モテない問題とか言うけどさ(っていうか言い出したけど)、独りかカップルかというよりも、ステキだなとか、好きだなとか、大切にしたいなと想える人がいるっていうことが、幸せなことなのかもしれないなと思う今日この頃でした。 と色々書きつつ、最近もう考えるのが面倒だなと思う時がある。もう、十分悶えた。もういいでしょ。でも、何にも考えてない輩は少しは考えるようにしてくれ。お前らの分割り喰うのはもうまっぴらゴメンです。後は僕らの分も考えておくれ。 今月のBGMは、ボニー・ピンク。「それが自分のしっぽだということを/彼は知ってる/それでも回り続ける/回り続ける…」。 スペシャル・サンクス、中村一義さん、尾崎豊さん! そして、それぞれの言葉で返して下さった皆さま!! ありがとう!(名木太) ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
モテ問・希望的会則(第II期・案) (1) モテなくとも、搾取されることなく、安心してよりよく生きてゆける社会を追求・実現してゆきたい。 (2) ショボさと、誠実さと、真摯さと、楽しさと、ぶっちゃけた話をいつまでも大切に、気長に一歩一歩でいいから、前に進んでいきたい。 (3) 会員各人の研究・探究・モテ問答については、「モテない問題を考える会通信」にて発表することにより成果を共有し、各人の生きる糧としたい。 (4) ふっきれた時には、卒業してくれ。 (5) 当会は、老若男女、国籍、「モテる/モテない」を問わず、日本に住む全ての人々を会員とする。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
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