※「モテない問題を考える会通信」は、2000年2月創刊。隔月刊で発行していましたが、現在不定期発行です。
通常価格は200円(6、10、13号は250円)です。
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なんかうさんくさい性の自己決定権 黒保と金![]() 「買春否定派の黒保と金からみて宮台真司が主張している性の自己決定権についてどう考えているんだ。売春婦(セックスワーカー)の人権という点で重要な考え方だと思うんだけど。」「宮台真司ってまったり革命とか訳の分らんことを言っている社会学者だろ。どうせ売春婦擁護にかこつけて買春を肯定しているんだろう。興味ないなあ。」「そんなこと言わないでさあ。性の自己決定権については『性の自己決定原論』という本が出ているからそれの感想だけでも教えてくれよ。」というわけで『性の自己決定原論』を読むはめになった。 読んでみて自己決定権という概念はそれなりに重要だと思う。ただし性の自己決定権にはなんかうさんくささを感じるというのが感想である。 この論文で性の自己決定権についての定義は書かれていない。その代わりに「自己決定権とは、他人に迷惑をかけない限り、例え本人にとって結果的に不利益がもたらされようとも、自分のことを自分で決められる権利のこと」と自己決定権の定義を定めている。この自己決定権の定義から性の自己決定権とは性のことについて他人に迷惑をかけない限り、本人にとって結果的に不利益になっても自分で決められることをいうと定義づけられるだろう。簡単にいえば他人に迷惑をかけない限り、本人にとって不利益になっても(性行為を)やるやらないは自分で決めるということになる。 この性の自己決定権は3つの部分に分けて考える事が出来るだろう。1つめは他人に迷惑をかけない限りという部分である。2つめは本人にとって不利益になってもという部分である。3つめは(性行為を)やるやらないは自分で決めるという部分である。3、2、1の順番で説明してみたい。 (性行為を)やるやらないは自分で決めるという部分は基本的に賛成である。ただし性行為は自慰行為と違い一人で出来るわけではないから、自分で決めると思っただけでは性行為は出来ないことを性の自己決定権を主張する人はどう解決するのかという疑問をのべておく。 次に本人にとって不利益になってもという部分である。本人にとって不利益になってもというからには世間的には良くない(ふさわしくない)と思われている必要があるだろう。障害者や高齢者や子どもが性の自己決定権を言うことは権利意識の拡大やパターナリズム(温情主義・父親的干渉)からの自立と言うことで正当性がある。ただしそれ以外の人の性の自己決定権には正当性があるのだろうか。 最後に他人に迷惑をかけない限りという部分についてである。宮台真司は「個人対個人が自由意思で行う単純売春(非管理売春)については、一九七〇年代のヨーロッパの流れに従って、早急に合法化すべきだと考える。」(263ページ)と言っている。単純売春は誰にも迷惑をかけないから良いと宮台真司が考えている証拠だと思う。私はヨーロッパが単純売春(非管理売春)については容認の方向に進んでいようが日本ではすべての買春を許すべきではないと思う。その理由は日本で買春を容認することは必ず他人に迷惑がかかるからである。具体的に言えば性の経験の有無でその人を馬鹿にしないという前提がないところで買春を合法化すれば童貞蔑視に拍車がかかる事は目に見えている。 そもそも高校生の援助交際に代表されるように若い年齢で性行為をするという性の自己決定権を行使する人を擁護しても高年齢になっても性行為をしないという性の自己決定権を選択する人について何も言わないのはなにかいかがわしさを否めない。 宮台真司は売春婦の人権ということにかこつけて(どんな人にも人権があるということで売春婦の人権も守られるべきだと私は思う)買春の擁護がしたいだけという気がしてならならない。 注1 『性の自己決定原論』紀伊國屋書店(1998)には宮台真司の他に速水由紀子・山本直英・宮淑子・藤井誠二・平野広明・金住典子・平野裕二が書いている。全員の意見が一致していると思えないので(特に宮台真司と山本直英、宮台真司と平野裕二)コーディネーターの宮台真司にしかふれていない。 注2 この中で男性を主体にしているときは買春、女性を主体にしているときは売春という用語を使っている。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
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