第5号

※「モテない問題を考える会通信」は、2000年2月創刊。隔月刊で発行していましたが、現在不定期発行です。
 通常価格は200円(6、10、13号は250円)です。


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モテ問通信表紙 ▼05号(2000年10月)もてない問題ってこんなことかな 草野ヘタレ子モテ問宣言 西成昌子/ヴァギナが描けるか!? 鷹野原美奈/納得できないセクハラの定義 黒保と金/[フェミニズムとわたし 1]コンドームを持ち歩け!?(コンくんと私) 名木太/編集後記

 
もてない問題ってこんなことかな  草野ヘタレ子

イラスト  小谷野敦氏の『もてない男』(新書)を読んだ時、あーこういう問題について男性にはこんな風に考えている人がいるのかって新鮮に驚きました。それから「モテ問」の冊子を見つけてたしかにこれって重要なことかもしれないなと思いました。でも、もてるってどういうことなのかな。何も努力しなくても他人に好かれる、大勢の人気者になることかな、それともたった一人でいいから理解し共感してくれる相手がほしいのかな。また、どちらを選ぶかによって対処の仕方が違うと思うんだけれど。
 高校生のとき(20年前)に読んだ本に「フランスでは『私、ボーイフレンドがいないの』ということは、私は魅力がない女の子よ、と言っているのと同じです」という文がありました。「いくらなんでもひどーい、それにこれは日本では通用しない」と感じたけれど、今どうやら世の中がすっかりそうなっているみたいですね。また男と女は金星人と火星人くらい違うから理解しようなんて無理だという本もあった。それも一理あるかもしれない。私の個人的体験からだした見解は、もてない悩みは
1、恥ずかしい
2、欲望が実現できないのでつまらない・寂しい・つらい
という2つに分類できると思います。
 そのうち、恥ずかしいの方は、はるかな大昔からある「結婚できない男女は欠陥人間」という概念というか偏見が源だと思います。うちの親や親戚(戦中派)なんかそうです。いや、若い人でさえそう信じているひとはいる。「だから○○さんって結婚できない(もてない)んだよねえ」というせりふは、悪口のホームラン王であります。そしてさらに追い討ちをかけるように西欧からカップル・デート文化が入り込んで、それに便乗して儲けようとする業者やマスコミがあおって自分たちの首をしめるような文化をつくりあげたといってもいいかも。個人の生活の多様性が認められるようになっていくと、それでは困る、不利益をこうむると思い込んでいる人たちがいるようです。ブライダル、服飾宝飾・美容業界その他、少子化が進むと困る政府や不幸な結婚や人間関係を我慢して続ける人たちとか。
 男性の場合、童貞が恥ずかしいっていう価値観は、これは大人の男性が悪いと思う。今のお年寄りたちの若いころは公然と売春婦を買うことできてそこでなんとかすればよかったわけで、恋人を得るために人間を磨くとか努力する必要なかったんだもんね。女の人とうまくやっていけるわけがない。相手を同等な人間として見ないのだから。それで若い奴らは情けないみたいなこと言っているのだもの。若者に正しいことを教えられるわけがない。女にしたってそう。お嫁さんになる以外の努力はあまり推奨されてなかったし、男性と対等に付き合うっていうのにいまだなれていない。あとは利用者を増やしたいアダルト業界と手術で儲けようとする医者の陰謀かな。男性にはいくつになっても他人はライバルで、若いやつにもてる秘訣なんか絶対教えてやるもんかー、っていう人多いんじゃないだろうか。
 さて、私はおくてで、ずっとBFもいなくて泣いたり怒ったり追いかけたり追いかけられたり恥のかきっぱなしでいつも周囲の好奇の目、哀れみと軽蔑と非難、同情にさらされて来ました。友達が減ったりしてつらかったけど「フン、自分の人生を決めるのは私よ」と思っていると案外平気だしそれなりに理解してくれる人も現れます。
 2の寂しくてつらいのは、人間として当然です。男女に限らず誰だって友達や恋人ほしいしセックスしたい。でもなかなかぴんとくる人がいなかったり出会いのチャンスがなかったりしてそれができにくいですよね。願望をストレートに表現すると引かれたり誤解されたりするし。それも常識といわれているものや社会環境や構造が一因になっていると思う。何しろ異性と上手に付き合っているモデルが少ないから学習のしようがないもの。お手本にするのは映画とかドラマだけれど現実離れしているし、一番参考になるのは友人知人のケースくらいか。
 結論として、もてないのは寂しいこともあるけれど、恥ずかしくはないと思う。
 だっていい相手が見つからないことだってあるし、そういうときに無理して恋人つくるのは不自然だもの。寂しいと感じるのは人間として当然の感性だし。フリーでいるのを馬鹿にするひとがいたらその方がおかしいと思う。それにセックスしなくても死なないもんね。でも寂しいから、もてる方法を探して性格を変えようとしたり美しくなろうとしたり、いい仕事を見つけたりお金持ちになろうとしたり、だましたりいろいろしますね。果ては占いに相談したり自己啓発セミナーに参加したりする人も。
 でも、不思議なことにもてたい、相手がほしいという思いがあるうちはこなくて「まあ、いなくてもいいか」と、その願望をすてると、相手はやってくるんです。「降れば土砂降り」なんだよね。
 んで、私の 年以上の人生において自分はもちろん親兄弟、親戚、友人知人、学校や職場の人たちを観察し考察した結果を述べますと、
1、もてるもてないは美醜、体型、職種、学歴、年齢、人格、お金のある無し、健康か否かなどの条件には関係ない。本当に関係ない。(ただし条件重視の結婚相談所経由やお見合いは別)
2、もてる男女はそのような環境に生まれついて、そのように育つ。よほどのことがないかぎりそれは生涯つづく。(この場合のもてるとは周囲の人間に好かれる、執着されるということです。必ずしもいいことばかりではなく、兄弟に妬まれたり、痴漢など変態行為をされる場合も含まれます。)逆もまた真なり。
3、身近に男女関係のうまくいく人がいると、それを無意識にまねることができて、結果的に相手が見つかったときにうまくやれる。不仲な両親をみて育つと恋愛をはぐくむときに困難を生じることが多い。(それを克服する人は大勢いますが)だから恋愛でうまくいきたいと思えばまず、両親の関係を分析してみるのが有効です。これは本当です。だれだって多少なりともマザコン、ファザコンなのは当然。影響受けないわけがないのです。
4、もてるように見える人は、よく観察すると大体同じようなタイプに受けていることがわかる。相手が変わってもタイプは同じとか。共通する特徴とは性格だったり外見だったりいろいろ。たとえば女性の場合彼ができると、実はお父さんに性格がそっくりだったとか、またはその正反対だったり。
5、引かれ合う男女は共通点が見られる。同じ常識を共有しているとか生育環境が似ているとか。たとえば外見や収入を重要視する人がいれば周りに同じような人が集まってきて、その「外見とお金が大切だ」という思い込みがますます強化されるというふうに。
6、恋人がほしい、Hしたいという願望にこだわっているとそれに目をふさがれて周りを見えにくくし、チャンスを失う。これはほんとです。それらをいったん手放して与えられるのを待っていればそのときが来たらわかります。それでもつらくてどうしても我慢できないときはいっそお金で解決したほうがいいかもしれません。サービスや技術を利用して、お金で解決できてそれで人生が少しでも明るくなるのなら。(これは実際に行った結果を元にした意見ですが、実行して思ったようにならずがっかりしてもしりません、念のため。)
7、男女間に友情は成立します。逆にいうと同性同士でも友情は必ずしも成立しません。性別、年令関係なく合う人間同士だったら友達になれます。どんな熱烈な恋愛で結婚しても親密な期間なんて数年で終わるし、そのあと友達になれなかったら「家庭経済・運命共同体」をやっていけません。また仕事でも友達になったほうがいい仕事できます。恋愛に似た感情を持つこともありますがそこを間違わず乗り切れば友情にいけます。だがそれもずっと続くことは少なく恋愛も数年で終わるように友情も期限があることが多いのではなかろうか。ひとの成長には個人差があるし、多分恋人をつくるより長続きする友人を持つほうが人生においてはるかに厳しいのではないかと思います。モテるという字に「持てる」と当てるのなら、主語はいい人間関係をってことになるのかな。それこそが一番大変なんではないかと。
 以上、もてるもてないに関する個人的意見でした。

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モテ問宣言  西成昌子

イラスト  「モテ問通信」を知って、速攻「私もやりたい!」と名木太さんにせまりました。ちょうどそのとき私は「本命の彼との関係は辛すぎてヘトヘトヨレヨレ、なのに別の嫌いな男から言い寄られ、のらりくらりと拒絶してたら怨念をぶちまけられてこっちも内心逆ギレ、でも気が小さいから押され気味」という状況だったので「モテる/モテない問題」に関して私もひとこと物申す…ふりをしてその嫌いな男性に陰で文句を言いたかった。
 けど、それでは我ながらあまりに私怨すぎます。でも名指し的でないとすれば「モテない男性諸君、モテるのも決してラクじゃないんです。自分がモテないからってイケて(そうに見え)る女の子を攻撃したりなんてことはやめましょう」と言うのか? 私が? 実際モテてもイケてもいないのに? やだなぁそんなこと言って敵を作るの…。そうこうするうちその男に対する怒りも冷めてどうでもよくなってきて、いよいよ「モテ問に取り組んで、それで自分は何をどうしたいのか?」っていうイメージがはっきりしなくなりました。しないまま、文章を書き始めようとしたがやっぱりしっくりこない。『もてない男』とフェミニズム系の本(2冊ぐらい。笑)を読んで問題意識とか知的向上心を喚起しようとしたけど、一瞬頭が良くなった気がするだけで考えらしい考えは湧いてきません。自分は秋元康とか中谷彰宏、マドモアゼル愛なんかの「生き方本」を20冊は読んだが果たしてモテるようになったか?とか処女喪失直後相手に「余は満足じゃ」と言われてガッカリしたとか、来し方行く末に思いをはせてみても小ネタ集ができるだけで膨らまない。…自分の欲求をたぐり寄せる作業がつづき、答えが出ました。

 私はけっきょく「モテたい」のです。
 何か考えてる時の、真剣なまなざし。寂しさと対峙しつつ健気に生きる。いい仲間(←モテ問のみなさん…?)ができて忙しそうにしている。ちっとも読まなかった本をぐいぐい読み始めている。訴えたいことがいっぱいある。エトセトラ。そんな女の子に私はなって、そして誰かわかんないけどナイスな男子にこう思われるのです。
でもキミって本当は弱くて甘えん坊でかわいい女の子なんだよね!
俺だけは知っているぞ! と。
 モテの奴隷め!と私は自分をののしりました。
 鎖骨のきれいに見える洋服を選んだり猫のような目を化粧で作って前髪の隙間から男の子を見つめたりすることが即ちモテへの道、というのがどうやら違うらしいと気づいて、手の込んだ「モテたがり方」をしているだけとはなんといやらしい。
 しかも「モテたい宣言」じゃないですかこれじゃ。

 「モテ」から自由になりたい、と私は思います。業とか欲と上手に付き合いたい、モテようがモテまいがシアワセでいたい。それは遠い道のりでしょうか。「モテ問」に参加するなんてわかりにくいやり方ではなく、例えばナントカセラピーで一発完治、みたいな手がどっかにあるんでしょうか。(あ、それで「生き方本」読んじゃうのか。)

 だけど、まずは「モテ問」です。ほかの人の「モテ問」をのぞき見しながら、悠長に「モテ」と向き合っていければいいなと思っています。「せっかく出会った人たちとの縁を大切にする姿勢」とかアピールしてあわよくばモテたい…という果てしない邪心は持ちつつ、ですが。

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納得できないセクハラの定義  黒保と金

 私自身セクシュアル・ハラスメント(以後セクハラと省略)について良く分からないことがあった。そこで名木太さんが『モテ問』第3号で紹介していた『知っていますか?セクシュアル・ハラスメント一問一答』(解放出版社)を読んでみた。
 この中でセクハラの定義は

相手の意に反した性的な言葉やふるまいによって、労働条件を悪化させたり働きにくくしたりすることを、セクシュアル・ハラスメント(性的いやがらせ・おびやかし)、あるいはセクハラといいます。

と書いてある。そして

ある行為や状況がセクシュアル・ハラスメントにあたるかどうかは、基本的には、「相手の意に反する」「不快な」という受け手の主観的な尺度が基準になります。するほうに「悪意がなかった」としても、それが受け手の意に反し、仕事上の悪影響を与えるものであれば、セクシュアル・ハラスメントなのです。

と、セクハラを受ける人の主観によってその行為がセクハラかどうか決まるとされている。またセクハラは対価型と環境型の二つに分類されている。
 ここまでの説明でセクハラの意味はわかった。でも納得できないところも出てきた。
 まずは「相手の意に反した性的な言葉やふるまいによって」という部分である。立場を利用して相手の望まない性的関係を強いる行為だとか体に触る行為などがいろいろなセクシュアル・ハラスメントの例(3ページ)としてあげられているが、これらの行為をセクハラとして扱うべきかということである。
 相手の望まない性的関係を強いる行為は強制わいせつや強姦または準強制わいせつや準強姦という行為であり、体に触る行為は一般的にいう痴漢行為であろう。こういった行為はセクハラが日本に導入される前から犯罪行為として刑法や東京都迷惑防止条例(公衆に著しく迷惑をかける暴力的不良行為等の防止に関する条例)などの法令によって罰せられてきた。こういった犯罪行為にセクハラということは被害者の主観によって犯罪行為になったりならなかったりと理解されかねないので良くない。誰がみても犯罪行為にあたるものはあいまいさが残るセクハラという言葉を使うのでははなく性犯罪という用語を使うべきだと私は思う。
 それではどういった行為にセクハラという言葉を使うのが良いだろうか。コピーやお茶くみは女性の仕事だとか「女性なんだから結婚するのが一番の幸せ」といった性別役割分担の固定化や男らしさ女らしさの押しつけといったジェンダー・ハラスメントにこそセクハラという言葉を使うべきだと私は思う。
 例えば男性が男性に対して「君、結婚はまだかね。男なんだからいつまでも一人というわけにはいかないだろう。」とか「お前、この年になっても彼女いないの。もしかして童貞だろう。今度風俗に連れていってやろうか。」といった発言は別に犯罪行為ではない。でもいわれた本人からすれば自分の意に反した性的な言葉やふるまいによって不愉快になっているので十分にセクハラであろう。
 また、女性が男性に対して「男のくせにこんな物も持てないの。力がない人っていやね。」とか「先生って彼女いないでしょう。もしかして性経験ないんじゃないの。」といった発言は別に犯罪行為ではないが十分にセクハラに値するだろう。 
 こういったジェンダー・ハラスメントこそセクハラだということが認められれば、加害者と被害者がともに同姓という関係や加害者が男性で被害者が女という関係以外の加害者が女性で被害者が男性といった関係が見えやすくなる。
 言い換えればセクシュアリティーのことのみをセクハラとすると抱きついたり肩や髪の毛を触られる対象は今のところ女性しか考えられないから、セクハラの加害者はいつも男性で被害者はいつも女性という関係でしかとらえられなくなってしまって女性に対してそういった行為をしなければセクハラにならないということになってセクハラ防止という意味では逆効果だと思う。
 次に「労働条件を悪化させたり働きにくくしたりすること」という部分である。職場以外のセクハラの例として

セクシュアル・ハラスメントは職場だけでなく、学校でも起こります。これをスクール・セクシュアル・ハラスメント(スクールセクハラ)、とくに大学でのセクシュアル・ハラスメントをキャンパス・セクシュアル・ハラスメント(キャンパスセクハラ)と呼びます。

スクールセクハラとキャンパスセクハラがあげられている。学校内のセクハラが原因で学校に通いにくくなった結果として就職口が狭くなったという事は考えられる。でも直接に労働条件を悪化させたり働きにくくしたりすることと結び付けるのはどうかと思う。そして

町内会、ボランティア・グループ、趣味のサークル、PTA、病院、老人ホームなど、セクハラは、さまざまなところで起こります。

という箇所に至ってはセクハラと労働条件との関係を探そうとするほうが難しい。
 セクハラの定義の「労働条件を悪化させたり働きにくくしたりすること」という部分を「損害を与えたり、その場にいられなくすること」と変えたほうが良いと思う。そうすればいわゆるアフターファイブの席で行なわれる猥談や性的な話(男性だけが参加している飲み会は女性と何人付き合ったとか、いつ性的経験をしたといった話題が予想できるので私はめったに行かない)や学校の部活で行なわれるセクハラなどを問題にしやすくなると思う。
 そして日本の職場や組織の現状として管理者や中心人物に男性が多いのでセクハラの被害は女性を中心に考えるというのは大切なことであるが、セクハラの加害者は男性で被害者は女性といった性によって労働者を分断されないためにも(分断して統治するするのは支配者の常套手段である)男性が男性に対して行なうセクハラの例や女性が女性に対して行なうセクハラの例も書きくわえてほしい。

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