性・恋愛・結婚


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※オススメ度:(最低)〜★★★(十分オススメ)〜★★★★★(最高) / 難易度:(易しい)〜●●●●●(難しい)

 
表紙 表紙 ★★   
『負け犬の遠吠え』
酒井順子/2003年10月刊/講談社/1,400円+税(文庫2006年10月刊/講談社文庫/571円+税)

 書評ではなく感想文です。読んだらこういう気分になるという例。

 まず、戦略的とか問題提起としての意味があったんだろうけど、「勝ち犬/負け犬」転じて「勝ち組/負け組」という言葉を流行らせるきっかけになった責任は大きいと思う。それに「勝ち/負け」の分け方からして、問題あり過ぎだと思う。

 「モテ問」みたいな恋愛ショボ系団体に関わっている人間からすると、苦もなく恋愛してきて、キャリアややりがいのある仕事を持ってて、社交性もあって対人恐怖なんて言葉も関係なく社会を飛び回って人生を楽しんで、それでも、結婚してないというだけで「負け犬」です、などというのははっきりいってあきれてしまう。さらに、30代後半になって恋愛にも飽きて(つまりままならなくなってきて)くると、ある意味では「モテない人」の唯一の存在証明の場であった「マニア化」「おたく化」の領域(電車や芝居など)にまで進出しようとしているのは許せない。

 自分たちはそれだけ人生を楽しんでいて、結婚した女性は皆、打算か「女を使った」というような書き方をして「勝ち犬」にしているのは、自分を「負け犬」と呼び、被害者側にして、やいたいことばかりやってきた「うしろめたさ」を隠蔽しようとしているように思える。だけど、その「うしろめたさ」こそ、実はこの本の本当のテーマだと思われる、「子どもを産む/産まない」の葛藤なのかもしれないが。

 上野千鶴子が、「出産は女にとって最大の快楽です」みたいなことをどこそこで言ってたせいなんじゃないかと思ってしまうのだが、「産んでない女」である著者が産むべきかどうか悩んでいるのは、例えば「次の休暇は海外旅行に行くべきかどうか」と同じ次元であるような気がしてしまう。つまり「楽しいことはやっておかなきゃ損!と思うけれど・・・ちょっとリスクが大きすぎる」というような。

 モテ問題を考えるとき、ロマンティックラヴイデオロギー批判が出てくるけど、本当に批判すべきだったのは、恋愛のロマンティックな部分だけ消費して、それにともなう責任や面倒くさいところはいらないというような態度だったんじゃないだろうか。

 あと社会の不思議なんだけど、「不倫」ってそんなにポピュラーなものなんですか。
 テレビのなかだけの話じゃないんだ?

(2007/06/30 たけだぺてろ) ←一覧に戻る ↑先頭に戻る
 
表紙 ★★   ●●●
『もてない男─恋愛論を超えて』
小谷野敦/1999年1月刊/ちくま新書/700円+税

 もてないということは別に恥ずべきことではない。「もてない男」はこう主張したいらしいが失敗している。数少ない見るべき章とくだらない章とがはっきりしている。
 まずすばらしいと思った章を見てみる。その章は二章(本の中では第二回)の自慰論の部分である。性器をいじって気持ちがいいという自慰行為(幼児オナニー)と性交渉の相手がいない時にする自慰行為(思春期オナニー)をわけたところが優れている。自慰行為をする人はもてない人だという考えや自慰行為にはアダルトビデオやヌード写真が必要だという意見はすべて後者の行為をさしている。前者の価値づけを高めれば自慰行為における罪悪感が取り除くことができるのではないか。
 次にくだらない章について考えてみる。他の残りの章全部私にとってくだらない。
 性行為の時に男が主導権をとらなければならないと思わせられたり女性をオルガスムスに導くことが必要だと思わせられていることが問題(実際には性行為に技術がなくても愛情があれば満足する例が多い)だと私は思うがこういう点にふれられていない第一章童貞論に不満である。第三章恋愛論、第四章嫉妬孤独論は何が言いたいのか分からない。第五章の愛人論は中でいっていること自体は理解できるが「もてない男」には関係ない話としか感じられない。
 第六章は強姦・誘惑論について書かれている。著者と私の意見が最も異なるところである。強姦の例として大学教授二人による教え子強姦事件が掲げられている。その際強姦のみが問題になり姦通罪を見落しているという。だいたい姦通罪を廃止すべきでなく男女平等に適用すべきものとして復活を主張する。男性の方が経済力があり女性と離婚しても生活の上で問題がないのに対し、経済力がない女性の方からはなかなか訴えられない(結婚がくずれると生活ができない)ということが分かっていない。さらに、文中で「据え膳食わぬは男の恥」という言葉がでてきて、据え膳をくうかどうか分からない。どうしようと悩む箇所がある。据え膳を食うべきか分からないと男が悩むのは、女性から性行為をしたいと思っても口で言えないので態度で示している場合と男が性行為をしたいという願望を女性のしぐさに投影している場合の二つの可能性が考えられる。この際に男性がすることは性行為の同意を求めることでしかない。その結果が拒否だった場合は性行為をあきらめること。あきらめることができないような人はそういった状況にならないように注意する。レイプをすることができる男という存在(誰でもレイプするということが言いたいのではなく筋力などの力関係でレイプをすることが可能であるということ)について考えが浅いのではないか。
 最終章は反恋愛論である。恋愛には恋愛固有の問題があり恋愛をすぐに結婚とつなげて考える著者のやり方には反対である。
 結論として「もてない男」を読んでももてないということは恥ずべきことではないと思えない。逆にもてないことがかわいそうという気になる。

(2000/02 黒保と金「モテ問通信」1号より) ←一覧に戻る ↑先頭に戻る
 
表紙 ★★★  ●●
『人はなぜストーカーになるのか』
岩下久美子/2001年1月刊/文春文庫PLUS/600円+税

 見知らぬ人につきまとわれて怖かったという体験談を最近知人から聞いたり、「ストーカー」という言葉を適当に使ってる自分というのもあり、あと、恋愛がらみのストーキングだとされる側にも問題ある場合あるんじゃないかという疑問もあって、ちょっと1冊読んでみました。
 この本、とてもしっかりした本でした。取材をもとにしたストーキングの例から、被害者のための現場での対処法、警察との対応法、法律面のこと、相談先などの情報も行き届いていて親切だし、加害者側の問題も洞察していて秀逸です。また、合間に出てくるメディア批判、警察批評も冷静で的を射ていると思います。
 ストーカー被害にあってる人も、自分がストークしちゃうんじゃないかと思ってビクビクしてる人も、是非読んでみて下さい。現代社会を生きていく勇気をもらえると思います。

「ストーキング」の定義
 最初に「ストーキング」という言葉の指す意味について単純に「あ、そっか」と思ったんですが、「「ストーキング」の特徴は、“継続性”と“エスカレート”である」ということでした。例えば、嫌がらせの電話が継続的にかかってきて、それが頻繁になっていき、電話に出ないと今度は待ち伏せされて…というような。だから、「ストーカー列伝」で書いてたようなことは、定義からしてもストークではありませんでした。言うとすれば「つきまとい行為」。「つきまとい行為」が継続、エスカレートしていくようなら「ストーカー行為」ということです。もちろん、単発の「つきまとい行為」が必ずしも問題ないわけではないですが、それは「ストーキング」とは呼ばないようです。
 以前、男友達で集まった時、ある女性を「偶然だね」と駅で待ち伏せた男を「お前、ストーカーだよ」と皆で冷やかしたんだけど、「オレは2回だけだから、ストーカーじゃない!」と反論され、一同大笑い。だけど、彼の主張は正しかったんだな…。すまん。
 だから、単発の待ち伏せなどの行為は軽微で相手に対して被害を与えているわけでもなく(もちろん、相手が迷惑じゃなかったら大成功だ!)、多少迷惑であったとしても、通常の人間関係の中で起こるようなことであって、あまり自意識過剰になって罪悪感を持つようなことではないのでしょう。どちらかというと、ちょっと良いくらいの話で。何の問題もありません。ただ、3号の三宅さんの指摘にもあるように、待ち伏せは求愛行動として有効かどうか甚だ疑わしい行為ではあります(笑)。が、それで気が済むならやってみる価値は十分あるでしょう。

ストーカーと被害者の関係
 1章、2章、補章・桶川事件のストーキング例を読むとよく分かりますが、本当のストーカー行為はやっぱし怖いです。結構ヘビーなのでシンクロしそうな人は読み飛ばした方がいいかも。暗い方へ暗い方へシンクロするのはよくないですからね。
 さて、ストーカーは被害者側から見ると、
 (1) 見ず知らずの人
 (2) 面識だけある人
 (3) 過去に交際・結婚していた人
 に分けられ、(2)、(3)が大半のようだ。
 (1)、(2)などはかなり怖いと思うが、このケースのする側の心理は私には分からない。私もコンビニ店員の女性を好きになってしまい、手紙やプレゼントしたことあるけど、「彼氏がいるんで」ってことで、ま、当然というか諦めたけどな(この顛末は私的にはちょっといい話だったのですが(笑))。(1)は多分、最も孤独でキビシクなってる人なんだろかな。(2)とかは妄想的になっちゃってるんかな。この本の例にも、拒絶されても「彼女は自分を試しているんだ!」と加速していく人が出てくる。これはイカンだろう。
 (3)は私的には、正直よく分かるというか、私の中にもストーカー気質あるなと思ってしまう。ので、以下(3)のケースを中心に考え評します。

ストーカーのこころ
 岩下さんは「心を病んでいる加害者のケア」の重要性を随所で指摘しており、書名と同タイトルの3章ではストーカーのこころの問題を、精神面から、また現代社会の状況、都市の問題などから洞察していて、この部分は「こころ本」としても十分読めます。
 ストーカーの特徴を見ると、およそ「アダルト・チルドレン(AC)」に関する本を読めば出てくる特徴と重なる。そして、ACとは要するに「ボーダーライン人格障害」のことらしいのだが、岩下さんはその他にEQ(心の知能指数)低下問題、「平気でうそをつく人たち」問題も含め、現代的なこころの問題として同一線上に捉え、根は深いと考える。
 AC本を「え、普通の人はこうじゃないのか?」とスラスラ読んでしまう私は、もちろんストーカー的特徴と共通点が多かった。逆に全然違うなと思う部分もあったが、恐らくそれは、上記(2)と(3)のケースでは心理的に微妙に違うからではないかと思う。私の勝手な推測だが、(2)は共感能力の欠如とナルシシズム、(3)は我らがAC特有の「見捨てられ恐怖」が原因なのではないかな(AC万歳!)。
 「見捨てられ恐怖」が強いと、失恋時はかなりキツイけど、恋愛中も難しいことが出てくる。「藁をも掴む恋愛」になっているのだろう。みんながすいすい泳いでる横であっぷあっぷして一生懸命さばりついてるような感じなんだろうかなと思う。要は「自信」持つことが大切なんだろう。言うは易しって感じだけど。ま、疑いもなく自信満々なヤツもどうかとは思うが(笑)。
 ACとのつながりで言うと、なるほどと思ったのが、「ストーキングは一種の「嗜癖」(addiction : もともとはアルコールや薬物への中毒・依存に対して使われていた精神医学用語で、有害な習慣、あるいは過剰なのめり込みという意味)であると言い換えてもいいだろう」という個所。「共依存」と共にお馴染み我らが「嗜癖」。なるほど、それで薬物同様、「継続」「エスカレート」するのか? それから、ドメスティック・バイオレンス(DV、夫から妻への継続的暴力)や幼児虐待(母親から子への継続的暴力)も嗜癖らしい。嗜癖には注意したい。まぁ、宇多田ヒカルだって「Addicted To You」だけどね。

モテ問題(恋愛問題)
 3章では、アッシー、メッシー、シャイマン問題にも触れていて(!)、そこら辺モテ問的に読めてとても面白い。岩下さんは、これらはどれもコミュニケーション不全問題であり、ストーカーに連なると考える。
 あと、非常に興味深い内容というか、私もこの頃考えてたことが指摘されていたので引用する。

 男性の方にストーカーが多い理由は、昨今の恋愛における男女の関係性の急激な変化にあるようにも思える。
 最近は、積極的に異性にアプローチするのも、別れ話を切り出すのも、女性の方からという風潮が強い。ひと昔前の日本においては、女性の方から男性を口説くなどということはほとんどなかった。恋愛の主導権は男性が握っていたのである。それが今は、立場が完全に逆転している。(略)
 女性の方から別れを言い渡されるケースが多くなった結果生じたのが、恋愛における“フラれ男”の急増という事実である。(略)
 ここ数年のうちに急激に変化し続けている男女関係における価値観、そして力関係。パワーゲームの逆転、(略)(173ページ、傍線引用者)

 本当、コンドームを嫌がるのも女性の側だとか、私的には「喰われた」と感じた経験もあったり(笑)、いろいろ逆転現象起きてると思うが、ここでは「振る/振られる」問題について私見を述べたい。
 ストーカーには振られ男が多いときた日には、どんどん「振られ男」のイメージは「カッコ悪いし、しかも怖い」って風に悪くなってくるけれども、これはやっぱ「振ったもん勝ち」っていう恋愛における厳然たる事実が絡んでると思う(笑)。そのことに気付かなきゃならない。恋愛で勝ち負けだとか、主導権だとか、僕は言いたくないけど、岩下さんも「パワーゲーム」と書いている通り、残念ながらそれはある。絶対、振った方が主導権握るし、振られた方は振り回されることになる。僕の経験から言うと、付き合ってる時にもう喧嘩ばっかしてるし、仲直りしようにもどうにも気持ち通じ合わないし、もうめっちゃキツイなと思って振ったことがありました。今思えば、それで終わっとけばめちゃ楽だったと思う。自分にとってすごく自然。でも何か知らないけど、上手いこと振り返されました。気付かない内に。恋愛に慣れてる人は、そういうことはよく分かってるんだと思う。「振られたら負け」ってことが。だから、慣れてない人は、そこら辺完全に不利。だから、ストーク気分になっちゃってる人は、あ、自分は振られたからそうなってんだな、やられたなということを冷静に分かっておいた方がいいように思う。モテようがモテまいが誰しも振られたら、そういう力関係になっちゃうんです。離婚に関する本にも、そういう心理学的研究が載ってました。切り出された方が負け。こればっかりは仕方ない(笑)。
 ついでに言うと、そこでストーク気分になったとしたら、その時点で、「相手は自分を嫌いになったが自分はまだ相手を好き」ってことじゃないと思うんだよね。もうね、それは相手を嫌いなんだけど、「見捨てられ恐怖」とか絡んで執着してるだけだと思うんだ(相手への依存というか、恋愛嗜癖のようなものだったら、キツイけど諦めるしかないと思う。それを相手がOKならいいけど、ダメだったんだから相手を間違ってるか、もしくは自分が変わるしかないんだろう)。もしくは、その間の相手の対応に対する恨みつらみによる執着。納得いかないという…。だから、嫌いにも関わらず復縁を求めてる場合もあると思う(笑)。もし、まだ好きなんだったら、相手を大事に思ってるんだったら、別れても幸せになって欲しいと思うんじゃないかな。キレイ過ぎ?(かもね…)
 あと、フォローするとすれば、ストーカーって「執着」が特徴とされてるけど、現代社会の尻軽さやスピードに置いてかれてこじれてるようにも、私には見える。パッパと切り替え早かったり、服着替えるような「恋愛」する人もいたりとか。それは本当に「自由」でステキなことなんだろうかと思うけどね。次から次に自己中心的な「恋愛」続けて…。私はそこで相対主義持ち出してそーゆーのも「よし」とはしません。よかねーだろ(笑)。そーゆーのこそ、ストーカーの特徴とされてるけども「他人の苦しみがわかるという共感能力の欠如」だと思うよ、私は。

モテ問題(恋愛以前問題)
 またちょと引用します。

 基本的に友達が少ない上に、恋愛経験を積んで来なかったがゆえに、高田は正直言って女性と二人きりになった時の会話の仕方がわからなかった。彼にとっては女性のイメージは未だに謎であり、異質な存在であるため、女性とフランクに話すということができない。女性というだけで「性」の違いを過剰に意識してしまうのである。(72ページ)
 現実は、ストーカーがシミュレーションした通りにはならない。が、恋愛経験が足りないストーカーたちには、それが我慢ならない。(141ページ)
 ストーカーを生むひとつの側面には、間違った「男らしさ」の認識がある。(231ページ)
 私たち現代女性は、明確に拒絶できる意志を持っている。「いやなことは、いや」なのであり、言葉の逆はあり得ない。男女が合意の上でベッドを共にした時のピロートーク以外には、決してあり得ないのだ。(232ページ)
 思えば昔は、「いやよいやよも好きのうち」とはいうものの、本当に人の嫌がることはしないというのが、人間の基本的な規範であり、モラルであった。他人の気持ちや立場への配慮に欠けた者は、不躾な人とか無礼者、非常識といわれたものだ。(253ページ)

 その通りなんですけどね。でも、「基本的に友達が少ない上に」って言われた日には、じゃ、どーすりゃいーのよってのはあるよね(笑)。異性と何を話したらいいのか分からない。どういうのが本当に男らしいことなのか分からない(もちろん別の路線でもいんだけど)。微妙なサインも判別できない(笑)。失敗を恐れてますます恋愛経験を踏めないという悪循環に陥る。片や周りの人たちは自分の知らないところでどんどん経験を積んでいっているようで、自分は置いてけぼりにされてる気分になる。まー、モテない人間には辛い世の中だ(笑)。いや、笑い事じゃないんだけどさ。頑張るぞ!

まとめ
 元に戻って、やっぱしストーカー行為はやってはいけない。ストーカー本人にとってもよくない。継続的な嫌がらせに執着してしまいそうな時はもうそれはキビシイ状況だから、まずいなと思うべきだろう。どうしても嗜癖になりそうな場合は、カウンセリングとかで相談してみるべきだろう(但し、即効性は無いかな)。精神科で薬もらって一発で楽になる場合もあるかもしれない。(余談だけど、気ぃ狂いそうになった時のための119番みたいの欲しいよね。マジで。)それから、岩下さんも親切に書いてくれてるけど「まず立ち止まって、自分を見つめよ」というのが大事なんだろうな。自分のことが分かったら、自分の心と体のこと、自分の置かれてる状況やストレス、あと本当に自分にピッタリくる人のことも分かってくるような気もするし。
 また、当事者以外の人たちのフォローは一番大切なんじゃないかと思う。周りの人は傍観者にならず、手助けしてあげましょう。本当、最近は傍観者多いですから。
 最後に、ストーキングは「無言電話何回から」というふうな認定はできないとある。岩下さんは被害者の立場に立つことが重要と指摘している。私がちょっと思ったのは、本質はそれが「支配」かどうかということじゃないのかと。自戒の意味も込めて言うのだが、「他人を支配することはできないし、支配してはいけない」。但し、「感情は表現した方がいい」。恋愛関係も人間関係である以上、いろんないさかいや感情のすれ違いもある。それは素直に表現した方がいいと思う。私は、例えば悔しい思いをしたんなら嫌がらせもありと思う。酷い仕打ちされたと思ったら、単発でスッキリすんなら、それは感情表現だと思うし、どっちか言うと、何されても言い返せないで溜めてしまってるとしたら、追々体にも心にも良くないと思うし。キッチリ反撃できた時、「人生の意味」が分かるよ。但し、限度はあるし、めちゃはダメ。本人以外への嫌がらせも不可。んでやっぱ、気が済んだら、新しい未来へと旅立ってくれ。それが本当一番です。(これって、書評?)

(2001/07 名木太「モテ問通信」9号より) ←一覧に戻る ↑先頭に戻る


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