※「モテない問題を考える会通信」は、2000年2月創刊。隔月刊で発行していましたが、現在不定期発行です。
通常価格は200円(6、10、13号は250円)です。
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デート文化 名木太![]() ま、とりあえず本稿では前者「カップル同士のイベント」については考えないことにしましょう。それが楽しめるかどうかは、そのカップルの状況にもよると思いますので、楽しめるように頑張って下さい。ということで後者「お付き合いへ至るための道のり」という考え方にともなって出てくる問題を書いてみたいと思います。 まず、デートが「カップルへの道のり」である以上、デートの相手は限られます。まずは、恋愛対象であること。異性愛者の場合、同性とはデートできないことになります。また、相手が「独り身」であること。相手のいる人とデートしたら怒られますし、デートによって付き合える展望はあまり見えません。 また、「独り身」の異性とのデートにしても、「カップルへの道のり」という考え方にはデートというそれ自体の楽しみを、「手段」化してしまっているもったいなさがあると思われます。デート自体には意味が無く、デートした「結果」付き合えてナンボ、の世界です。二人で食事に行ったり、映画に行ったりして、んで「付き合ってもらえませんか?」ということでダメだった場合の虚しさ。「このデートは一体何だったのか?」という。この場合、せっかくのデートが「無駄なデート」だったということになってしまいます。 そこで、デートを「カップルへの道のり」という狭い縛りから解いて、それ自身が「目的」であるような、「デート文化」というものを提唱します(別に提唱しなくてもいんだけど)。「デート文化」というものが定着すれば、私たちの関係性はもっと豊かになってゆくのではないでしょうか? 私は、最近ちょこちょこデートしてます。この間まで本屋で働いていましたが、お店のお客さんで知り合った人(男)と二人でハイキングに行ったり、また、元同僚(女)と二人で映画を観に行ったりと、異性・同性ともデートしてます。 まず、同性の話でいきますと、男同士で会うというと、一般的には一緒にパチンコ行って(全然一般的じゃないか?)、飲みに行って会社のグチとかしゃべって、カラオケでそれぞれ勝手に歌ってストレス発散というようなことはあります。しかし、「デート」っぽい付き合い--二人で食事に行ったりとか、ショッピングしたりとか、映画観に行ったりとか--というのは、考えてみると案外してないものです。 男同士で「デート」というと、変な感じもしますが、やっぱし私自身最近男とデートしてみて、それは、「デート」と呼ぶ価値が十分あると思いました。胸張って「デート」と言いましょう。「デート」なんです。 「同性愛嫌悪(ホモ・フォビア)」というのがありますが、男同士のデートが避けられがちなことはそれと関連してくると思われまして、男同士は特に、仕事以外のことでは仲良くしたらいけないという圧力があると思います。というか、男自身の中に男同士の張り合い意識が根付いていて、素直に他の男と仲良くできづらい状況にあります。でも、やってみるとなかなか良いぞ、男同士のデート!(ちなみに、女同士は案外「デート文化」あると思います。「プレゼント文化」もあるし…。) 次に、「付き合い」を除外した異性(恋愛対象性)とのデート。これはなかなか難しいこともありつつ、うまくいくと楽しいのではないかと思います。世の中にはいろんな「種類」のステキな人たちがいます。「デート文化」があれば、そんないろんなステキな人たちと、それぞれステキな時間を過ごせる可能性が出てきます。また、「女友達」が欲しいなぁと思っていても、なかなかその「距離感」がつかめないという人には、打ってつけかもしれません。 ここで異性との「デート」における注意点を挙げておきますと、「カップルへの道のり」という縛りを解いた場合に、相手は理論的には「独り身」でなくとも問題ないのですが、実践的には、やはり付き合っている人のいる相手とのデートを考える場合には、ちゃんと相手のパートナーの気持ちも考慮した方が良いでしょう。嫉妬問題も当然出てきます。無理矢理デートするのはやめましょう。 また、やはり異性とのデートにおいては何といっても「邪念」の問題が出てきます。もしかして、付き合えるんじゃないかとか、俺に気があるんじゃないかとか、もしやセックスできるんじゃないかとか…。これを考え始めると危険です。失敗しがちです。もう、そこら辺は、「無垢」に徹して望みましょう。もちろん、たまたま、付き合うことになっちゃうとか、セックスすることになっちゃうということはないこともないこともないかとは思われますが、これを最初っから期待していると痛い目に合うでしょう。(と言いつつ、私の場合はまだまだ「邪念」出まくりで、渋い思いをすることが多いです。今後、修行していきたいと思っています。) 私の経験から言うと、「邪念デート」(普通のデート?)というのは、「ここでどんな言葉を掛けたらセックスに近づけるか」とか一生懸命考えてしまいがちで、そのデート自体が楽しいのかどうか、ひいてはその相手自体を本当に好きなのかどうか、相手といて今楽しいのかどうかということが分からなくなってしまうものです。(そういう意味では、「デート文化」がお互いに楽しめないなら、付き合ってももしかしたらうまくいかないかもしれないと思います。) さて、純粋な「デート文化」の良いところは、やはり、好きな人とその瞬間、瞬間を楽しめるということでしょう。「デート文化」と言ったところで、だれとでもデートが出来るわけではありません。お互いに、「一緒に映画観に行ったら楽しいかな」などと思えることが前提条件ですが、デートに臨んだら、もう純粋に映画なら映画を楽しむ。食事なら食事を楽しむ。会話なら会話を楽しむ。楽しいでしょ? 楽しいよね? 「セックスしてナンボ」「付き合ってナンボ」という膨大なイメージを相対化して、その時々を楽しむ。何のために「デート」するのか? もちろん、「デート」を楽しむためです! さぁ、みなさんも楽しいデート(もちろん、ショボいのもありです)、やってみませんか 「デート文化」を実践された読者さんは、是非どんなだったかご報告下さい。 ※ちなみに、「デートに「邪念」はつきもの」という考え方もありますので、「邪念」のことは「かわいいやつ」とでも思って仲良く付き合っていくのも良いでしょう。 ※デート問題もそうですが、モテない問題全般についても、“だめ連”というとても面白い団体がありまして、そちらでも取り組んでらっしゃるはずです。(雑誌やテレビにもたまに出ています。『だめ連宣言!』(作品社、1500円+税)、『だめ!』(河出書房新社、1500円+税)、『だめ連の「働かないで生きるには 」』(筑摩書房、1500円+税』を発行。)モテ問は、だめ連さんの影響を多分に受けていますし、だめ連がなければ、モテ問はなかっただろうことを断っておきます。『だめ連宣言!』お薦めです。恋愛問題以外にも、こころの問題や、仕事の問題などいろんなダメ問題についてのトークがあります。読んでみて下さいね。 ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
ノック知事は「セクハラ」か?疑惑2 名木太![]() さて、というわけで自ら勉強&自問自答ということで、『知っていますか? セクシュアル・ハラスメント 一問一答』(養父知美/牟田和恵著、解放出版社、1999年5月刊、1000円+税)という本を読んでみました。 この本をみると(というか法律でもそんな感じになっているようですが)、セクハラを「対価型」と「環境型」の2つに分けています。とりあえず引用します。 対価型は地位利用型ともいわれ、仕事上の権限や地位を利用して、労働条件の変更とひきかえに性的な要求をおこなうものです。典型的な例としては、デートに誘う、交際を迫る、セックスを要求するなどの性的な誘いかけをして、「言うことをきけば給料を高くする」「つきあってくれたら昇進させてあげる」「言うことを聞かないなら、やめてもらう」「いやなら配置替えする」などと圧力をかけるものです。 環境型とは、労働条件の変更や経済的不利益は必ずしもともないませんが、性的な言動が繰り返されることで、仕事が円滑におこなえなくなったり、働きにくい職場環境をつくったりするものです。具体的には、抱きつく、胸や腰をさわるなどの身体的接触行為、性的なうわさを流す、卑わいで不快な冗談を言うなどの言葉によるもの、ヌード写真を貼るなどの視覚によるいやがらせ行為がこれにあたります。(2ページ) …でした。分かりましたか? なるほど、これによると、ノック知事の強制猥褻は、地位を利用して猥褻行為を断りづらくさせたものなので、「対価型」なのでしょう。そして、我らが気を揉んでいる言葉遣いに関する問題は(「髪切ったね? 失恋?」とか微妙なもの含めて?)「環境型」になるのでしょう。 さて、書いている内容は分かるのですが、私的にはもう「セクハラ(性的嫌がらせ)」はこの本でいう「環境型」のことだけに絞った方がいいんじゃないかと思いました。そして、「対価型」はもう完全に別の問題として考える。だって、「対価型」って別に「嫌がらせ」じゃないじゃないですか? 「性的」なだけで。(ちなみに、この本では、「いろいろなセクシュアル・ハラスメント」として挿絵の中で「お茶くみ・掃除の強要」も挙げています(3ページ)。どこが性的で、どこが嫌がらせなんだか全く意味が分かりません。) この本では、「男性もセクハラにあうの?」の項目で、「あいます」とし、説明として「そもそも女性がセクシュアル・ハラスメントにあいやすいのは、いまの社会では地位や力のうえで一般に女性が男性より立場が弱いためです。仕事上の力関係をあからさまに、あるいは暗黙のうちに利用して、性的な圧力がかけられるとセクシュアル・ハラスメントになるのです」(43ページ)と書いています。 私もそう思います。立場が弱い者が、立場の強い者(というより裁量権をもった者)に逆らえないという、ただそれだけのことです。だから、表面的には「対価型セクハラ」にあうのは女の方が圧倒的に多いとは思いますが、「女」が被害者であり、ひいては加害者は「男」であるとイメージさせるような「男/女」での分け方は極力やめた方がいいんじゃないかと思います。男女とかいう話ではなく、会社の中での裁量権の問題であって、その中で現状として下層に女性が多いという話でしょう(女性が下層にある状況は、また別に語るべき問題です)。そうしなければ、働く男は「男(自分)=加害者」という視点しか持てず、「男/男」という階級性が見えなくなってしまう危険性があると思います。 さらに、「性的」であることは副次的なことで、よく似た話は会社の中ではいくらでもあります(会社勤めしたことがないので多分としか言えませんが…)。例えば、先日友人から聞いた話では、社内結婚していた二人が離婚したのをきっかけに、上司の元妻が、部下の元夫を北海道に転勤させたという話。「対価型セクハラ」と非常に近いですが、こうなるともう「性的嫌がらせ」という言葉が全く内容と一致しません。 また、男同士の話であり、なおかつ性的でも何でもない話ですが、缶コーヒー「BOSS」のCMシリーズ(毎回サラリーマンネタ)では、例えば、駅で部下が上司に「携帯電話の着信メロディって何なんですかねぇ? 子どもじゃあるまいし…」と話しかけた瞬間、上司の携帯から着メロが流れる。そして、上司は部下の左遷を匂わせるという、ちょっとオーバーではあるが、ありがちな話。 はたまた、性的な話であれば、上司に風俗に誘われて嫌だけど断れないということもあるでしょう。 それらは、会社の中の上下関係の中ではいくらでもある話であって、なおかつやはり大きな「問題」なわけです。そして、「対価型セクハラ」と言われているものは、全くその問題のことであって、女性特有の問題として語るべきものではないでしょう。(ちなみに、前記「お茶くみ・掃除の強要」は、新入社員への「飲み会幹事の強要」などと並べると分かり易いか?) 「対価型セクハラ」問題は、「職権(裁量権)乱用問題」と言ったらいいのか分かりませんが、そういう一般に行われている不当な問題へ一般化した方がよいのではないでしょうか? そうすれば、みんなで闘えると思います。 注…原稿書いた後に、ふと、もしかして「ハラスメント」の訳が微妙なのかと思い辞書引いてみると「harass」=「繰り返し攻撃する、しつこく悩ます」、「harassment」=「悩み(の種)」とありました。ですので、「セクハラ」=「性的悩みの種」と考えると「対価型」も「セクハラ」なのか…。 ちなみに、この本の中に「出ました、モテ問!」と思える文章を発見しましたので、以下引用のみしておきます(笑)(傍線引用者)。 (「「おれがやったらセクハラで、あいつなら、セクハラじゃない」?」の項目より) 同じことをしても、人によってセクハラになったり、ならなかったり。不公平なようですが、そういうことも「あり」です。「相手が望まない」性的言動がセクシュアル・ハラスメント。逆にいえば、言われた相手がいやでなければ、セクシュアル・ハラスメントにはなりません。性的な事柄というのはそういうもので、もてる男性とそうでない男性がいるのと同じこと、といえなくもありません。(30ページ) (「社内恋愛とセクハラはどう違う?」の項目より) の場合、とくに地位の上下関係があると、女性社員はデートや交際の誘いが断りにくく、しかたなく一度や二度はつきあうというのは、ままあることです。それを、男性が「彼女も好意をもってくれている」と誤解し、さらに深い交際を求めるようであれば、女性にとっては苦痛が高じていきます。交際する気持ちはないと言ってもいまさら聞いてくれない、最初に断らなかったのが悪かった……と自分を責めてますます悩み、仕事にも悪影響がでるという事態になれば、これはセクシュアル・ハラスメントです。(47ページ) ←全目次に戻る ↑先頭に戻る |
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