厚生労働省は原爆症認定の新基準をつくり、すでに適用し始めています。被団協は「認定基準検討会」を組織し、この程 「作業文書」第1号 として「『寄与リスク』概念をめぐる誤解について」(安斎ら著)を公表しました。厚生労働省が新しい認定基準を検討する際に基礎とした児玉和紀教授(広島大学)の論文「原爆放射線の人体への健康影響評価に関する研究」の誤りや問題点を指摘したものです。
例えば、ある癌が10万人あたり非被爆者群で10人、被爆者群で15人発生したとします。つまり、被曝によって5人余計に発生した発生した場合です。この時、被曝による危険度(リスク)をどのように表したらよいでしょう。
三つの考え方があります。1、発癌者が5人増えた(絶対リスク)、2、発癌者が1.5倍に増えた(相対リスク)、3、被爆者群の発癌者15人のうち被曝に起因するのは5人だから、被曝の寄与率は33%だ(寄与リスク、「原因確率」ともいう)の三つです。
児玉論文は、「寄与リスクは絶対リスクと相対リスクの考えを併せもつ最適リスク評価尺度だ」と主張しましたが、これは誤りです。
なぜなら、非被爆者群で20人発生していた癌が被爆者群で10人増えて30人になった場合、絶対リスク10人、相対リスク1.5倍、寄与リスク33%となり、相対リスクも寄与リスクも、前のケースと区別できないのです。寄与リスクは相対リスクと同じ欠陥をもつ尺度に過ぎず、「最適性」の主張には根拠がありません。それに、同じような状況下で被災した被爆者を放射線起因性で認定したりしなかったりするのは、非情でもあり非現実的です。
さらに、新しい線量評価方式(DS86)は遠距離被爆者の場合に大きな誤差を含むことも大きな問題です。被爆者補償の精神は国家責任の自覚と弱者救済の視点を基本とすべきで、一見科学的に見える方式で機械的に処理するようなことにならないことを切望します。
厚生労働省は、「新認定審査方針」に「原因確率」(寄与リスクともいう)の考え方を取り入れました((1)参照)。これによれば、「原因確率」がおおむね50%以上の場合には原爆放射線の影響の可能性があると推定し、10%未満の場合はその可能性が低いとするようです。
原爆放射線の影響は、(1)爆発後一分以内に浴びた初期放射線のガンマ線と中性子線による体外被曝、(2)その後の「黒い雨」などの放射性降下物や残留放射線による体外被曝、(3)放射能を含んだ水や食物を摂ったり、塵や砂ぼこりなどを吸い込むことによる体内被曝――これらすべてを考慮しなければなりません。
ところが「新認定審査方針」は、旧厚生省のときと同様、(2)と(3)を軽視しています。また、「原因確率」を計算するときの初期放射線の量についても、遠距離の中性子線量に大幅な過小評価があり、松谷裁判や京都裁判でも問題になったDS86をそのまま使い、爆心地からの距離ごとのガンマ線と中性子線を単純に足し算した「吸収線量」を使っています。
「吸収線量」は、体重1kg当たりが吸収した放射線のエネルギー量(単位=グレイ)で表します。しかし同じ「吸収線量」でも、人体に与える影響は放射線の種類によって異なります。そこで、ガンマ線を基準にして、その何倍の影響を与えるかを生物学的効果比として「線量等量」(単位=シーベルト)で表します。通常、中性子線の生物学的効果比は10ないし30です。つまり、同じ「吸収線量」でも中性子線の人体への影響はガンマ線に比べ10〜30倍も大きいのです。
こうした事情を考慮していない「新認定審査方針」では、遠距離被爆者の「原因確率」が実際よりかなり小さく抑えられ、従来の認定基準(内規)よりも申請却下が増える可能性もあります。
(次号で具体例を考えます。) 作業文書2
「新認定審査方針」を19歳のとき広島の爆心地から1.8kmで被爆して、肝臓ガンで認定申請をした場合を考えてみましょう。
広島の爆心地から1.8km地点のDS86による「吸収線量」は、ガンマ線が15.2センチグレイ、中性子線が0.13センチグレイと推定されます。(1センチグレイは吸収線量の単位でグレイの100分の1)。「新認定審査方針」のように、DS86のガンマ線と中性子線の「吸収線量」を足し算すると、15.3センチグレイとなります。「新認定審査方針」にある肝臓ガンの、皮膚ガンなどの表から、被爆時年齢19歳の「原因確率」は7.5%となり、「おおむね10%未満である場合には、当該可能性が低いものと推定する」として、申請は却下されるでしょう。
一方、広島の爆心地から1.8kmでは、ガンマ線の吸収線量の実測値はDS86の推定値の1.5〜2倍の20〜30センチグレイ、中性子線量の実測値はDS86の60〜160倍の8〜21センチグレイです。中性子線の生物学的効果比を20として合計の「線量当量」を求めると180〜450センチシーベルトになります。「新認定審査方針」にある表のセンチグレイを、本来の「線量当量」のセンチシーベルトに読み直して「原因確率」を求めると、中性子線の生物学的効果比を20とした場合には48〜71%になります。この結果、「おおむね50%以上である場合には、当該申請に係る疾病の発生に関して原爆放射線による一定の健康影響の可能性があることを推定する」として、認定されるか、個別審査にまわるでしょう。
放射性降下物と残留放射能による放射線の体外被曝と体内被曝の影響は入市被爆者の調査で明らかにされています。これらの要因を軽視したうえに、具体例に示したような過ちをおかす「新認定審査方針」によって、本当は放射線によって生じた障害を持つ被爆者の認定申請が、却下される事例が増加する可能性があります。