日本被団協結成大会(1956年8月10日)宣言
原爆から11年あまりたった今になって、私たちは、はじめてこのように全国から集まることができました。あの瞬間に死ななかった私たちが今やっと立ち上がって集まった最初の全国大会なのでございます。今日までだまって、うつむいて、わかれわかれに、生き残ってきた私たちが、もうだまっておれないでてをつないで立ち上がろうとして集まった大会なのでございます。
私たちがこのような立ち上がりの勇気を得ましたのは、全く昨年8月の世界大会のたまものであります。あの大会で同胞の皆さんや、世界の皆さんたちにかすかな声が聞きとられて、私たちに温かいまなざしが向けられ愛の手がさしのべられはじめてから、私たちは急に元気づいてまいりました。私たちはこの機会に全世界の皆さんたちに心からの感謝と立ち上がりの決意とを披瀝したいと存じます。
又、私たちのこの感謝と決意の言葉は、あの瞬間に無残な死をとげ、又、その後のろうべき原爆症でつぎつぎに死んでいった30数万の父や母、息子や娘、夫や妻たちの声なき声に代っての言葉としてお受けとりいただきたいのです。私たちは今日の集まりで亡き人々をしのび、又長い年月のかぎりない思いを互いに語り合いました。しかし、私たちの胸につもったかなしみと怒り、悩みと苦しみについてのつきることもない語り合いは、決してひとときのなぐさめや、きやすめのためではありませんでした。手をつないで決然と立ち上がるためにほかなりませんでした。世界に訴うべきは訴え、国家に求むべきは求め、自ら立ち上がり、たがいに相救う道を講ずるためでありました。
かくて私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おうという決意を誓い合ったのであります。
私たちは今日ここに声を合わせて高らかに全世界に訴えます。人類は私たちの犠牲と苦難をまたふたたび繰り返してはなりません。破壊と死滅の方向に行くおそれのある原子力を決定的に人類の幸福と繁栄との方向に向わせるということこそが、私たちの生きる限りの唯一の願いであります。
それにもかかわらず世界の現状はかえって水爆競争時代に入ったかのごとく広島、長崎の原爆に千倍の威力をもつ水爆の実験さえ行われています。私たちが「止めてくれ」と血の叫びを挙げているにもかかわらず、水爆実験は冷然として行われつつあります。原爆以来放射能の病いのおそろしさに直面してきた私たち、今年になってからだけでも早くも広島、長崎で数名の人たちが放射能の病いで死んでいった姿をまのあたりに見た私たちが、空気や水を放射能で汚染する水爆実験をどうして黙って見ておられましょうか。私たちはもはやいかなる力の前にも黙っていない覚悟です。
私たちは、遂に集まることができた今日のこの集まりの熱力の中で、何か「復活」ともいうべき気持ちを感じています。私たちの受難と復活が新しい原子力時代に人類の生命と幸福を守るとりでとして役立ちますならば、私たちは心から「生きていてよかった」とよろこぶことができるでしょう。
私たちの感謝と決意を披瀝して、この大会から全世界におくる挨拶といたします。
1956年8月10日/第2回世界大会二日目/日本原水爆被害者団体協議会