被団協新聞

トップ >> 日本被団協について >> 被団協新聞 >> バックナンバーリスト >> 「被団協」新聞2008年 8月号(355号)

「被団協」新聞2008年 8月号(355号)

強くさけべ平和、平和、平和を

 

 原爆症認定集団訴訟は、最初の提訴から5年が過ぎました。原告被爆者は306人。判決が出た8地裁2高裁のすべてで勝ち、今、国に対し一括解決を求めています。提訴後に亡くなった原告は52人。その生前の声を聞いてください。

 ガレキの中に半焦げの母が見えた。弟満吉、妹レイ子、ミサ子。母にすがりつくような姿。‐‐「死体を焼かんば」誰かが耳もとで言った。母のそばに、みんなを集めて…焼けてしまったところは、ボロボロにこぼれ落ちる。木片を、ほうぼうから拾い集めながら焼いた。バケツに骨を入れた。2つのバケツいっぱいになった。(寺山忠好 絵と文による絵本『こぎゃんことがあってよかとか』より)

 父は行方不明のままで今でも遺骨さえみつかっていません。母は15年前に亡くなりました。被爆で亡くなった他の方々も、何の罪もなかった人々です。私も、人を見殺しにしたり、死体をまたいで逃げましたので、本当にすまないことをしたと、自分を憎み、原爆を憎んでいます。(福地義直 東京地裁陳述書より)

 私は、いたって元気な子どもで、米俵一俵をかかえることも出来ましたし、野山などを走り回って遊んでいました。‐‐被爆直後に水状の下痢が2〜3日続き、発熱も伴いました。その後はとても疲れやすく学校から帰るときは日陰でよく休むようになりました。‐‐自分のがんは間違いなく原爆放射線に由来するものであると確信しています。(鈴田智蔵 熊本地裁陳述書より)

集団訴訟“10連勝”

 大阪地方裁判所で7月18日、原爆症認定集団訴訟の近畿第2陣の判決がありました。原告11人のうちすでに認定されている6人を除き、4人を認定する勝訴判決でした。1人の訴えは認めませんでした。
  これで、集団訴訟は10連勝となり、現在の認定行政の誤りを指摘する司法の流れは不動のものとなりました。

非がん疾患も認定

 判決では「新しい審査の方針」が積極認定の対象としていない非がん疾患である、肝硬変、体内異物、血小板減少症、入市被爆者の心筋梗塞が認定されており、新基準も改めるべきであることが明らかになりました。

救護被爆者にも道

 敗訴した1人は遠隔地での救護被爆者でしたが、被曝の可能性は認めた上で、今回の申請疾病が医療を要する症状とは認められず放射線起因性がないとされたもの。したがって救護被爆者にも認定の道を開きました。

国に控訴断念要請

 日本被団協などは声明で、国が控訴することは被爆者に対するさらなる加害行為であるとし、国は控訴を断念して原告全員の認定を直ちに行なうとともに「新しい審査の方針」を根本的に改め集団訴訟の全面解決に踏み出すべきである、と主張しました。
  また判決当日から、厚労省前や渋谷街頭、総理大臣官邸前で「国は控訴するな」「福田総理の政治決断で一括解決を」と宣伝行動を行ないました。22日には厚労省に「認定制度の抜本改定を求める署名」26万834人分を提出。署名の累計提出数は76万144人分となりました。
  22〜24日は、各政党と懇談、福田総理大臣の政治決断による一括解決にむけて、力添えを要請しました。

国は不当控訴

 国は25日、敗訴した4人について不当にも控訴。被団協などは直ちに「控訴は人道にも反する」との抗議声明を発表しました。
  国は6月27日にも、長崎地裁で敗訴の20人のうち審査で認定されている10人を除く10人について控訴。長崎の原告は、7人が認められなかったこと、全員が国家賠償請求を棄却されたことを理由に全員控訴しています。

第7回協議

 被団協、全国原告団および弁護団の3者と厚生労働省との第7回協議が7月4日ありました。
  3者側は、肝機能障害が多く認められた長崎地裁判決を受け、新しい審査の方針が早くも破綻したことを強調しました。
  厚労省側からは、大阪高裁で甲状腺機能障害の認定が確定後、原発性の甲状腺機能障害も認定するようになったことが明らかにされました。
  昨年の審査基準の見直し開始以来滞留している申請数をただしたのに対し、前年度分で2500件、4月以降の申請を加えると5〜6000件が滞留していると回答。認定作業のテンポを速めることを強く求めました。
  最後に、裁判の一括解決に向けての協議を始めることについて、意見の交換がなされました。

4月からの認定591件に

 厚生労働省は7月7日と10日、14日、28日に審査部会を開き、7日には個別総合審査を行ないました。これらを合わせて163件が新たに認定されました。これで新基準に基づく認定は591件となりました。認定原告は、仙台・大阪両高裁での確定7人を含め、162人となりました。

被爆者運動 これから

 原爆症認定集団訴訟は全面解決へ向けて大きなヤマ場を迎えています。日本被団協第53回定期総会(6月10‐11日)は、この前進を踏まえて次の段階への課題を打ち出しました。原爆被害への国家補償要求、憲法問題など課題の具体化について田中煕巳日本被団協事務局長に聞きました。

◆原爆症認定集団訴訟のたたかいはまだ続いていますが、被爆者運動の中での意義は
  被爆者運動は国家補償要求を掲げて被爆者施策の多くの改善をかちとってきましたが、原爆症認定制度の問題だけはほとんど手がつけられませんでした。松谷英子さんの最高裁での勝利判決にもかかわらず、その後定められた認定基準は松谷さんさえ認定できないような厳しいものでした。行政に司法の判断を反映させるには集団訴訟を起こすしかない、と
いうことになり
ました。
  集団訴訟運動のなかで日本被団協はまず原爆被害の全体像を徹底的に明らかにし、原爆被害は放射線被害だけではないことも訴えてきました。国は原爆被害を放射線の被害に矮小化し、その放射線の被害に対する認定制度においてさえ、抜本的改善をしようとしませんでした。原因は原爆被害を隠ぺい、過小評価しようというアメリカの政策が根底にあって、被害を「受忍」させる政策をとり続けてきたところにあります。だが、このたたかいのなかで、残留放射線の影響をある程度認め、広く認定するようになりました。
  原爆被害の全容を明らかにし、核兵器廃絶を訴えてきたのも、勝利の大きな要因になっていると思います。

◆運動方針では「国家補償」をめざす運動が強調されています
  「基本要求」にそって提起した「被爆者対策の抜本的改善を求める当面の要求」(06年10月)の実現をめざします。今こそ現行法を改正して、死没者への補償を含む原爆被害の全体に対する国の償いを求める運動を、大きく展開するときだと思います。
  「国家補償」の要求は国民の戦争被害は受忍すべきとする国の政治の基本姿勢と真正面からぶつかる問題です。法改正、施策の抜本的改正をどう進めていくか、議論をしていきたいと思います。

◆方針で「情勢に大きな変化が起きている」と強調されています
 最大の核兵器保有国であるアメリカでめざましい動きがでています。キッシンジャー元国務長官やペリー元国防長官ら4氏が「核兵器のない世界を」と提言、ノルウェー政府はこれにこたえて、2月に核軍縮国際会議を開催しました。アメリカの科学者たちの運動も広がっています。
  2020年には核兵器廃絶を、そのための国家間交渉を始めさせようという国際世論が高まっています。まず2010年の核不拡散条約(NPT)再検討会議に向けて核兵器廃絶の「明確な約束」を誠実に実行させることが重要です。NPTが守られてきたかどうかを国際司法裁判所へ訴えようという提案、平和市長会議の「ヒロシマ・ナガサキ議定書」の提起など、今度こそ、という行動が広がっています。
  日本でも核兵器廃絶運動、イラク戦争に対する協力反対、9条の会の運動など「大きな変化」が起きています。原爆症認定運動の前進も、こうした変化のなかで勝ち取られてきたものです。

◆「戦争の語り継ぎ」の課題で、戦後世代の役割がいっそう大きくなっています
 被爆体験の継承は急がなければなりません。体験の継承にとって一方交通で「語る」だけでは不十分です。真実がうまく伝わらないでしょう。特に戦争を知らない世代、戦後を知らない世代への継承は、少人数でも「対話」を重視していかなければならないと思います。対話を通し、若い人たちの疑問にも答え、語り合うことが大事です。被爆者の願いの機微に触れることもできます。
  体験聞き取りの若者の運動が芽生え、広がっていることに期待し、被爆者としても応えていくことが大切です。

◆憲法問題も方針は重視しています
 憲法の平和主義の理念はヒロシマ・ナガサキを大きな土台として生まれました。9条をなくして「戦争する国」に変えることは、原爆体験を無にすることになります。
  今年度の運動方針では9条の会が全国的に広がっていること、9条世界会議が大きな成功を収めたことに触れ、「ノーモア・ヒバクシャ9条の会」を支持し、憲法学習を呼びかけています。

非核水夫の海上通信

G8サミット

 G8洞爺湖サミットは、近年のG8としては初めて「核軍縮」に言及した。これまでのサミットが「不拡散」ばかり語り、自らの軍縮義務については黙りであったことを考えると一歩前進である
  しかしその文言は、核保有国が行なっている核削減を「歓迎」し、G8外の核保有国、すなわち中国やパキスタンの核が「不透明」なのでしっかりやれ、と読めるような表現だ。元来、世界の核の95パーセント以上を保有するのは米ロであり、彼らが後戻りせず一層の削減を率先する責任がある。4保有国と4同盟国からなるG8に、そのような責任意識は見受けられない。
  サミットはまた「地球温暖化で原発に関心をもつ国が増えている」とし、不拡散と保安を強化しつつ原子力の基盤整備を進めることを打ち出した。しかし、安易な原子力拡大は核拡散の危険を高める。不拡散措置を強化しつつ、核に依存しない再生可能エネルギーを模索すべきだ。
  川崎哲(ピースボート)

新たな「平和の文化」を

 長崎はよく雨が降る。ある時、「ヒバクシャの店」に飛びこんで雨傘を1本買った。青空に小さな彩の花をちりばめたような楽しい傘だった。フランスで大事な仕事がある日に曇っていると、この傘をお守りのように持ってでかけた。7年ほど愛用したのだが、団体の観光客とバスに乗ったとき置き忘れ、添乗員が見つけてホテルに預けてくれたと聞いて駆けつけたが、傘はもうなかった。

被爆者の店で求めし雨傘をなくしてパリの街をさまよう

 ホテルに探しに行った帰り道、雨がしとしと降ってきた。その雨に濡れながら、この世を去った被爆者の顔が次々に思い出された。私はその方々の活動している元気な姿しか目にしたことがなかったから、いつでも会えるような気持ちでいたが、歳月はおそろしい勢いで過ぎていったのだ。被爆証言ができる人々が年々少なくなってゆくことを雨の街角で実感し、心細くさえ思われた。と、その時、「集団の記憶」という言葉が浮かんだ。かつて肥田舜太郎先生に講演していただいた高校の生徒たちが、被爆者とバトンタッチし、被爆の記憶が全ての人々の記憶として受け継がれることを願った言葉だ。

被爆者のかたえに訳す証言を五度くりかえし五度こころ慄う

 私の住む国フランスは今や多民族国家になり、フランス人の4人にひとりは家族に外国人がいる。パリ郊外にある10万人の街は250を越す国籍の住民で構成される。その多くの人々が戦争や紛争を体験し、学校の1クラスのなかに歴史的な反目を背負って対立する子どもたちもいる。そうした社会では核兵器廃絶だけ唱えて共感を得るのは難しい。多民族が共存できる社会を実現するため、新たな「平和の文化」を生み出す努力を続けるしかない。子どもたちが地球人として、かけがえのないこの星に生きていけるように。
  子供らの平和の風船はろばろとノルマンディーの空にかなしも
〈短歌は、美帆シボ第一歌集『人を恋うロバ』(ながらみ書房)より〉

ヒロシマ・ナガサキを次の世代に

ヒロシマ・スピリットを世界へ 広島ピースボランティア 原田健一

 広島原爆資料館でボランティア・ガイド(ヒロシマ ピース ボランティア=(財)広島平和文化センターの事業で、200人以上が登録)をしています。この春で満8年になりました。資料館の要所に立ち、来館者にその場で説明します。また依頼があれば、資料館の展示や平和公園の慰霊碑を一緒に歩いて案内もします。私は英語を少し話すので、主に外国人来館者の担当です。ここ数年、資料館を訪れる外国人は目に見えて増えています。中でも多いのはアメリカ人とオーストラリア人。ヨーロッパやアジアからの来館者も増えているようです。わざわざ訪れる人たちだけに、原爆に深い関心を持っていて、多くの人が真剣に説明を聞いてくれます。

 事実をわかりやすく
  私は兵庫県の出身で、被爆の惨状だけでなく、その爪あとの残る戦後の混乱・復興期の広島も体験していません。だから被爆については客観的にしか話せないし、逆にまた、客観的に話すことを大事にしています。
  被爆についてほとんど知識のない外国人来館者にも被爆の実相を理解してもらえるよう、事実を分かりやすく説明することを心がけています。
  たとえば、本館のパノラマ模型ではわずか3ミリの原爆が街全体を破壊してしまったこと。資料館の建物より大きな火の玉が人々の頭上に突然現れたこと。広島はきのこ雲という煙突を持った巨大なストーブとなり、その中であらゆるものが焼かれていったこと。今も25万人の被爆者が後遺症に苦しんでいること…。こうした説明が、被爆の実相を理解する助けになればと思っています。

  前向きな話も入れて 
  もう一つ心がけているのは、明るい前向きな話を取り入れることです。人間は、暗い話は聞いても忘れやすくできていると、どこかで読んだことがあります。原爆投下3日後に路面電車が走り始め、人々を勇気づけたこと。翌年の春には、真っ黒に焼かれた樹木が芽吹き、生きる希望をもたらしたこと。焼け跡の中で1年後には人々が「世界平和は広島から」と立ち上がり、ヒロシマ・スピリットの原点となったこと。こうした話をすると、それまでのこわばった表情がとたんにほころびます。明るく心を打つ話が深く記憶に残り、周りの人にも話したくなる。その時、資料館で見た被爆の実相も一緒に伝えてもらえれば…。
  「きのこ雲の写真は見ていても、その下で何が起こっていたのかは知らなかった。原爆の恐ろしさがよくわかった。ありがとう」。そんな言葉をエネルギー源に、9年目の活動を続けています。

「継承」という重責を担って 長崎平和案内人 調仁美

 (財)長崎平和推進協会では「平和案内人」事業を05年4月に開始し、現在114人が活躍しています。この「平和案内人」への参加が、私の平和活動の第一歩でした。
  これまでの3年間、被爆の実相を伝える意義を感じる一方、非被爆者の限界も実感しました。被爆者の一語一語には、リアリティーがあり、他人が安易に立ち入れない重みがあります。それに比べ、自分の言葉は何もかも薄っぺらに響き、改めて「継承」という重責を痛感しました。

 「等身大」の伝え方を
  「何を、どのように伝えたらよいのか」…その迷いの中から、まずは充分な知識の習得を目指しました。資料や手記を読み進めるうち、聞き慣れない言葉や難解な当時の社会情勢に悩まされ、郷里長崎の地理さえ把握しきれていない現状に愕然とし、ともすれば命題さえ見失いがちになります。
  そんな時の私を後押ししてくれたのは、被爆者の方々であり、周囲の平和案内人の仲間たちでした。彼らとのコミュニケーションを通じて、各自の「平和を伝えたい」という想いに触れ、私の「等身大」の伝え方を模索するようになりました。

 自分なりの継承
  ガイドが伝える手段はまず「言葉」です。そこで、平和案内人有志数人で朗読グループを結成、被爆者の手記や詩、紙芝居を音読することを始めました。これは普段耳にすることの少ない作品に触れる機会にもなりました。読み進むにつれ、個々の作品に新しい生命が吹き込まれるようにも感じました。3月「朗読発表会」を開催。夫の祖父の被爆体験記を基に作った紙芝居を上演し、自分なりの継承方法を初めて実践できた思いです。

 学校に「出前講座」
  またグループ「ピースバトン・ナガサキ」を結成、「出前講座」と銘打ち、学校への訪問活動を6月から始めました。当時の写真や図解を多用したスライドで、原子爆弾の仕組みや被害を解説、訪問地域に関連した要素も盛り込みました。被爆者の手記に基づいた紙芝居との2本立てで、視覚面からの関心を高める工夫をしています。終了後生徒からは「原爆について自分はほとんど何も知らなかった」「今まで関係ないと思っていたが、原爆と自分たちの町との関わりを知り、ただ戦争の話を聞き学ぶだけでなく、今後に生かせるようにしたい」などの、嬉しい反応がありました。
  3年前、一から始めた自分だからこそ理解できる悩みや疑問を若い世代と共有しつつ、平和活動のネットワークの一端を担うことを目標としていきたいと思います。

「夏の雲は忘れない」 柳川慶子

 朗読劇『この子たちの夏』の中止が決まっても、私たちは朗読の公演を続けたいと思いました。23年間の上演回数を数えたら2日に1回どこかでやっていたことになるほど。日本中の「戦争は絶対に許せない」と思う皆さんに支えられ、もはや「社会のもの」となっていた舞台でした。
  他のことはやらなくてもこれだけは続けたい、と思っていた女優18人で「夏の会」を結成、新しいものをつくることになりました。広島・長崎の、被爆した子どもたちの声や母親たちの手記など、自分たちで資料を集めました。それは膨大なものでしたが、みんなで読み、選んで、一からつくり上げたのが『夏の雲は忘れない』です。演出は、戦争を知らない世代の人に引き受けてもらいました。朗読も、若い人につなげていきたいと思っています。
  私は『この子たちの夏』に21年前から参加してきました。それまでは何も知らないで過ごしてきた私でしたが、この仕事をさせていただいて、原爆はこの地球上から無くさなくてはいけないと、強く思うようになりました。原爆だけでなく、世界中に今も戦禍があります。戦争は、起こすのは大人だけれど、被害にあうのは子どもたち…これを許してはいけません。
  こういうことは、私たちひとりひとりが、対面で、地道に伝えてくことが大事だと思うのです。繰り返し繰り返し、子どものしつけのように。私は大上段に構えることはできないけれど、文化的なことで思いを伝えたいと考えています。舞台を観た人が、自分がいる世の中を考え直してくれたら…。
  私にも子どもと孫がいます。この子たちに、理不尽な死に方はさせたくない…こんな思いも込めて『夏の雲は忘れない』に取りくんでいます。(談)

県内全自治体に「原爆と人間展」

 三重県原爆被災者の会(三友会)では、2001年に、県内全自治体に働きかけて被団協制作の「原爆と人間展」パネルを購入してもらい、その年から自治体主催の原爆写真展の開催を要請、実現してきました。
  ところが近年の相次ぐ合併で自治体数が69から29に減少。三友会は昨年から各自治体に、手持ちのパネルを生かして合併前の旧市町村地区で原爆写真展を開催するよう、要請してきました。
  昨年は全市町村の56地区でしたが、今年は60地区での開催が決まりました。場所は市役所、図書館、公民館などの公共施設で、7月下旬から8月末までの3日から1カ月の期間、それぞれ開催されます。(三友会)

聞き書き第14集発行

 エフコープ生活協同組合(福岡)は6月、聞き書きによる被爆体験証言集「つたえてくださいあしたへ」第14集を発行しました。
  7月8日の発刊交流会で陶山恵子理事長が「被爆の実相を伝えることで私たちは、核兵器をなくす大きな力を発揮しました」とのべ、福岡県被団協の千代田不三男会長が「皆さんと手をつないで被爆の実相を残したい」とあいさつしました。
  証言被爆者の六本ミヨ子さんは「生協の皆さんの活動に涙が出ました」と感動していました。
(福岡・西山進)

わが街の被爆者の会 千葉県友愛会

 千葉では1970年に友愛会と原水協、民医連との「三者協」を結成して、被爆者健診を行なうなど運動をすすめてきました。他の友好団体とも「ピースフェスティバル」を共同開催するなど、関係を深めています。
  写真の「平和」パネルは折り鶴で作られており、6年前に不二女子高校から贈られたもの。以来毎年、慰霊式典で慰霊碑(79年建立)の横に設置し、当日参加者が献納する折鶴を飾っています。
  年6回発行のニュースのほかホームページ(http://www5.plala.or.jp/yuaikai/)も開設し、広報に力を入れています。

今年も好評 被爆者の声をうけつぐ映画祭

 「被爆者の声をうけつぐ映画祭2008」が7月4〜6日、明治大学ほかで開かれ『純愛物語』『夕凪の街桜の国』など8本の映画を上映しました。特別イベントも含め約770人が参加。実行委員会と明治大学軍縮平和研究所の主催で、今年は2回目です。
  感想として「原爆訴訟原告の方の話をきいて、声をうけつぐことの必要性を強く感じました。私にできることはなんだろう…という気持ちです」「いずれもよい作品、取り合わせもよくできていて感心しました」「来年も開催されるなら、今年より多くの方々にチケットを買ってもらえるよう、協力したい」などの声が寄せられました。

相談のまど

 【問】原爆症認定の「新しい審査の方針」にある、「放射線白内障(老人性=加齢性白内障をのぞく)」というのはどういうことでしょうか。
*  *  *
【答】最近まで、眼の水晶体の後嚢下に混濁があることが、放射線白内障の特徴とされてきました。ところが一般にも後嚢下混濁のある白内障があるとわかってきたため何をもって放射線白内障とするかが、はっきりしなくなっています。
  厚生労働省の医療分科会で、委員からその点を質問された健康局長は、「そういう時は救済」と答えています。日本被団協などとの協議の中でも、担当者は「老人性=加齢性との記載がなければ認定」と答えました。
  4月以降に白内障で認定された事例は、まだ少ないのですが、1・3キロ、1・7キロなど近距離の直接被爆者です。
  「新しい審査の方針」で積極認定の被爆状況であり、水晶体に後嚢下混濁のある白内障であれば申請してみてください。

ツボはここ 夏の疲れに

 8月7日は二十四節気の立秋です。まだまだ暑い日がつづきますが、暦の上では季節は秋です。
  この頃は、梅雨時よりも湿気が多い日がつづき、夏ばての身体には最悪です。ゆっくりと休養をとりましょう。
  夏の疲れをとり、本格的な秋から冬への変化に備えて、「中〓(ちゅうかん)」と「関元(かんげん)」に刺激をしましょう。
  夜寝る時あお向けになって、両手の指を重ねて人差し指、中指、薬指で押してください。固い場合や、ふにゃふにゃと柔らかくなっている場合は、不健康な状態ということになります。
  指圧のほか、お灸も効果があります。さらに仰向けの状態で、臍下丹田を意識して腹式呼吸をすると、全身がリラックスして熟睡することができます。