被団協新聞

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「被団協」新聞2008年 10月号(357号)

厚労省の審査方針 抜本的見直し迫る

肝機能障害など認める
 

 原爆症認定北海道訴訟第1部の判決が、札幌地方裁判所で9月22日にありました。原告7人のうち、今年4月に認定された3人を除く4人について、原爆症と認める原告側勝利の判決でした。これで原爆症認定集団訴訟は、地裁・高裁あわせて原告側の11連勝となりました。
  判決は、各原告について、放射性降下物や誘導放射能による被曝が過小評価されている可能性があること、内部被曝の影響についての検討が不十分であることを指摘。4月から適用の「新しい審査の方針」で積極認定の対象とされていない疾病である、B型およびC型肝炎ウイルス感染による肝機能障害、甲状腺機能障害、高血圧症に、放射線起因性を認めました。

厚労省に申し入れ

 日本被団協は、当日上京した北海道原告団と同弁護団の代表と全国原告団、同弁護団ともに厚生労働省に対し申し入れを行ない、控訴断念、審査の方針の再改訂、全国の集団訴訟の一括解決などを訴えました。
  24日から10月3日は控訴するな」と厚労省前で行動、24日と2日には院内集会を開きました。

 
たたかいは続く

 原告団長の安井晃一さん(84歳)は、前立腺癌で1996年に申請し却下をうけ、集団訴訟にさきがけて99年に提訴していました。その後上皮内癌で申請、却下をうけ03年に追加提訴。どちらも4月に認定されましたが、長いたたかいを経た判決でした。22日は入院先から一時外出の許可を受け法廷に入りました。
  報告集会で安井さんは「私たちのすすめてきたたたかいは、決して被爆者だけの問題ではなく、人類全部の問題である。核兵器をなくさない限り、再び被爆者が出てくるのは明らかだ。このことについても、各裁判所の判断の背景にあると確信している。私たちの任務は生涯を終えるまで続くということへの決意が、今ひしひしと私の胸につきあげている」と、思いを述べました。

国連で原爆展を―日本被団協代表理事会

 日本被団協は9月12〜13日、東京で代表理事会を開き、今年度の方針に基づく運動について話し合いました。
  2010年にニューヨーク国連本部で開催されるNPT再検討会議に向け、被団協が取り組むこととして、代表団を派遣すること、国連ロビーで原爆展を開催することが討議され、実現の方向で11月の全国都道府県代表者会議に提案することを確認しました。
  NPT再検討会議の開催は5年毎で、前回05年にも被団協は国連ロビーでの原爆展を開催し、好評を博しました。代表団も36人を送り、原爆展会場ほかたくさんの集会で証言者として活躍しました。今回も多くの被爆者の参加が期待されます。
  代表理事会では、あわせてヒロシマ・ナガサキ議定書の国内市長賛同署名運動を進めることも確認しました。
  その他、集団訴訟の今後の課題、海外遊説、各党に対する公約要請等について討議しました。
  実相普及活動を交流
  各地の実相普及活動の報告がブロックごとに行なわれました。総会後わずか3カ月間についてですが、報告されただけでも証言活動が550回、原爆展が180会場で延べ日数540日、参観者8万5千人にのぼりました。すべての活動をつかみきれていないことを考慮すれば、実際にはもっと多くの取り組みが行なわれていると考えられ、全国各地で実相普及活動に汗する被爆者の姿が明らかになりました。

被爆者の願いを公約に 各党に要請

 日本被団協は、近日中に衆議院の解散、総選挙が予測されることから、各党に対し「第45回衆議院選挙における公約策定にあたっての要請書」を9月22日送付しました。
  要請書は「私たち原爆被爆者が、2度と核による被害者を世界のどこにもつくらせないよう、核兵器の廃絶と、原爆被害に対する国家補償を求めて運動をしてきたこと」をふまえ、「原爆症認定集団訴訟を提起したのも、原爆被害の残酷さ、深刻さ、永続性を、裁判を通して国内外に知ってもらおうという思いからです」として、核兵器廃絶のため国際政治のうえで指導的役割を果たすこと、被爆者の援護施策を一層充実させること、原爆症認定制度およびその運用を抜本的に改善することなどを、総選挙の公約に取り入れ、選挙後の政治でその実現をはかるよう要請しています。

 

座標 対印原子力供給は危険だ

 核兵器保有国でありながら核不拡散条約(NPT)に加わっていないインドに核燃料や資材・技術を輸出することが認められることになりました。原子力供給国グループ(NSG、日本など45カ国)総会が9月6日、インドへの禁輸解除を承認したのです。
  インドと原子力協力協定を結んだアメリカが強く後押しし、日本も禁輸解除に賛成しました。
  日本被団協は8月18日、声明を発表して、日本政府に「唯一の被爆国政府が、米印原子力協定に勇気を持って反対し、NSG会議でも例外措置を認めない意思を表明するとを強く求め」ていました。
  米印協定、NSG決定はNPT条約に基づく核不拡散への国際的努力を有名無実にするものであり、日本政府の態度は、被爆者と世界の人びとの「核兵器のない世界を」の願いを踏みにじるものです。
  NPTは米英ロ仏中の5カ国にだけ核兵器保有を認め、他国には認めない、という不平等な体制です。しかし、2000年の再検討会議(5年ごとに開催)で、核保有国は「自国の核兵器の完全廃絶」を「明確な約束」として受け入れています。2010年の再検討会議に向けて、約束の実行を求める運動が世界に広がっています。
  2020年までに核兵器廃絶を実現する具体的提案も、ヒロシマ・ナガサキから発せられています。
  根本的な解決は、核兵器廃絶しかありません。「ノーモア・ヒバクシャ」‐‐その実現へ、道はいま大きく開かれてきました。

 

札幌地裁勝訴 国は控訴を断念し新基準の見直しを

 原爆症認定集団訴訟で11勝目となった9月22日の札幌地裁勝訴判決を受け、日本被団協と全国原告団および全国弁護団は声明を発表しました。

 声明では、国・厚生労働大臣に対し、控訴断念とともに「新しい審査の方針」を抜本的に見直すこと、各地の原爆症認定集団訴訟を直ちに解決することを求めています。
[声明]
  本日、札幌地方裁判所は、北海道在住の被爆者7名にかかる原爆症認定集団訴訟に関して、未認定原告4名に対する厚生労働大臣の却下処分を取り消し、原爆症と認める勝訴判決を言い渡した。
  すでに、全国の7地方裁判所において、ほとんどの原告を原爆症と認める判決が繰り返され、仙台、大阪では、被爆者全員を原爆症と認める高等裁判所の判決が確定している。
  本日の札幌地方裁判所における判決も、「放射線起因性の判断基準として用いられていた審査の方針には」「放射性降下物や誘導放射能による被曝線量が過小評価されている可能性があること、内部被曝の影響についての検討が十分とはいえないこと」と指摘した。
  また、判決は「新しい審査の方針」でいわゆる積極認定の対象となっていない肝機能障害であるHBV(B型肝炎ウィルス)感染による肝硬変及びHCV(C型肝炎ウィルス)感染による肝炎、慢性甲状腺炎(橋本病)、高血圧症について、放射線起因性を認めた。これは、本年4月から運用されている「新しい審査の方針」の抜本的な見直しを迫るものである。
  被爆後63年を経て、被爆者の高齢化は進み、全国では勝訴原告を含む56名が提訴後に死亡している。原告・被爆者に残された時間は長くはない。
  国及び厚生労働大臣は控訴を断念し、直ちにこれまでの誤った被爆者行政を改め「新しい審査の方針」を抜本的に見直すとともに、現在各地で行われている原爆症認定集団訴訟を直ちに全面的に解決すべきである。そして被爆者の悲願である核兵器廃絶と国家補償の実現をはかるべきである。

紙上討論<被爆者と憲法>

特攻隊員だった私――今、9条守るため命ある限り 阪口善次郎

 私は大正10年生まれで現在満86歳です。昭和19年12月に海軍通信学校高等科を卒業後、駆逐艦浜風に後部通信室室長として乗り組みました。20年4月7日沖縄に上陸作戦を行なっているアメリカ艦隊を攻撃すべく戦艦大和、巡洋艦矢矧、駆逐艦9隻で、天一号海上特攻隊の一員として参加しましたが、奄美大島沖でアメリカ軍に轟沈され、約6時間の漂流後救助されて呉海兵団に配属され、本土防衛の陸戦隊に転属しました。毎日の訓練は、アメリカ軍の上陸作戦の際、その先頭を行く戦車に向かって体に箱地雷を巻きつけ体当たりをするというものでした。
  8月6日広島への原爆投下。広島駅を復旧し汽車を通す作業を行なうため、翌日昼すぎに入市しました。広島市街地のあの悲惨な光景を見て即座に、防ぎようのないこの様な破壊力を持つ兵器が出現した以上、いかなる事情があろうとも戦争は直ちに中止しなければ我々が命を張って守ろうとしている日本国、日本民族がなくなってしまうと思いました。
  復員後とびこんだ労働運動、農民運動を通じて反戦反核運動に参加し、以来63年。昭和38年からの20年間は大阪府議会議員をつとめ、退職後、吹田市原爆被害者の会で2年間会長代行を務め、昭和60年に大阪被団協理事に就任、現在に至っています。
  今、9条を守らねば。命ある限り頑張ります。

核廃絶訴え行進

 第五福竜丸の無線長・久保山愛吉さんの命日である9月23日、焼津市内で核廃絶を訴える献花墓参行進がありました。54年前ビキニ環礁での米国の水爆実験で被爆し、半年後に亡くなった久保山さんをしのび、約250人が白菊を手に行進。実行委員会を代表し静岡県被団協の川本司郎会長が「日本の反核平和運動はビキニ事件が契機になった。次代の核廃絶運動を担う若い人々に、その歴史を知ってもらいたい」とあいさつしました。
  午後の集会では、日本原水協の高草木博事務局長が「2010年への核兵器廃絶の世界運動を」と題して講演しました。

原爆症認定 新たに235件

 厚生労働省は、9月の医療分科会と審査部会で205件、事務局で30件を認定。4月からの合計は1021件です。

非核水夫の海上通信
九条の視点

 今年の秋葉市長による8・6広島平和宣言に素敵な一節がある。
  「市民が都市単位で協力し、人類的な課題を解決できるのは…軍隊を持たず、世界中の都市同士が相互理解と信頼に基づくパートナーの関係を築いて来たからです。日本国憲法は、こうした都市間関係をモデルとして世界を考えるパラダイム転換の出発点とも言えます」
  紛争予防NGOネットワークGPPACでは、参加者は国家を代表せず都市名を記す。東京、ソウル、北京、台北から集まり東北アジアを議論するという具合だ。中国代表とか台湾代表とやると、議論が国家間政治に縛られる。日本対ロシアではなく、東京とウラジオストックで話し合う。
  ピースボートは「世界一周」と言わず「地球一周」と言う。世界地図は国境線で色分けされているが、地球には線も色もない。船で回るとそれが分かる。
  軍隊ではなく市民の連携が平和を作る。憲法九条のこの視点が今とても大切だ。
  川崎哲(ピースボート)

横浜駅東口・駅ナカ通路で原爆展

直野章子(ノーモア・ヒバクシャ9条の会呼びかけ人会の発言から)

 8月22日〜25日、横浜駅東口そごう前で「原爆と人間展」が開かれ、約1万4千人が見学しました。神奈川県原爆被災者の会、同県生協連、同県原水協の3者で構成する原爆展運営委員会主催。神奈川大学の学生の協力もありました。
  会場では、親子や、祖父母と孫で語り合いながら見学する姿が見られ、家族の中で戦争や平和について考えあう場にもなっているようでした。
  原爆症認定訴訟支援の募金箱には、約60万円が寄せられました。
  感想文には、若い人から「被爆者の方々の想いは痛いほど伝わりました。この想い、平和への願いを継いで僕らは万人が笑顔でいられるような世界を、その基盤を必ず創っていきます。必ず」「将来選択を迫られたときに(戦争は)NO!とはっきり示せるように、展示で見たもの聞いたものを忘れない」などの声が、また外国人からも「目をそむけたりさけてはとおれない過去の事実。もう二度と大勢の人が苦しむ戦争を、そしてもう二度と原爆が落とされないことを祈ります(イギリス)」などの声が寄せられました。

わが街の被爆者の会 鳥取県被爆協

 会員は現在330人余り。高齢化が進み、動きは悪くなっていますが、会は今こそ必要なはず、ひとりでやってきたことを3人で、3人でやってきたことは5人で…と、助け合って頑張っていこう、と決めています。
  写真は被爆20年と会の結成10周年記念事業として取り組み、1967年に建立した慰霊碑です。鳥取市内のお寺の所有地を無償で借りています。手前の「平和の鐘」は被爆50年に造ったもの、また200メートルほど離れたところには、被爆40年に建てた平和記念碑もあります。いずれも広く寄付を募ってできたものです。

映画『ヒロシマナガサキ』がエミー賞受賞

 昨夏日本でも公開され、全米でテレビ放映されたドキュメンタリー映画『ヒロシマナガサキ』が、今年のエミー賞(ノンフィクション番組賞の「映像制作の優秀な功績」部門)を受賞しました。同映画は、25年にわたり500人以上の被爆者を取材し創りあげた作品で、14人の被爆者の証言を中心に構成されています。スティーブン・オカザキ監督は本紙07年8月号で被団協の岩佐幹三事務局次長と対談し「自然な語りの中に被爆者の真実が映し出されていると思う。そこに衝撃的な力がある」と語っています。

風紋 「あなたとは違う」

 ◇…「私は自分自身のことは客観的に見ることができるんです。あなたとは違うんです」‐‐福田首相が辞任会見の最後にキレました。「総理の言葉は人ごとのよう」と質問した中国新聞・道面雅量記者への返答です。
  ◇…昨年10月、米民主党の大統領候補になるオバマ氏が「米国は核兵器のない世界を追求する」と語ったことについて、首相に尋ねました。返ってきた言葉は「そりゃ、そういう世界が実現すれば、それに越したことはないと思います」。
  ◇…被爆国の首相としてはあまりにもの足らない、まるで人ごと。この辞任会見もまた…。道面記者はあのときの首相の言葉を思い出して「どうしても聞かずにはおれなかった」と言います。
  ◇…「あなたとは違うんです」は、早くも今年の流行語大賞候補とか。

相談のまど

 脳梗塞で倒れたあとほとんど寝たきりに
  【問】私の母は被爆者で、5年前に脳梗塞で倒れ、自宅で介護していました。最近また脳梗塞の発作が起こり、入院していましたが、今は自宅に戻りました。以前は、入浴、食事などは何とか自分でできましたが、今は歩行もできず、ほとんど寝たきりで、身の回りのことは全くできません。認知症も少しあります。
  今回の入院前は、家族介護手当に該当しなかったのですが、今の状態では、申請すれば認められるでしょうか。
   *  *  *
  【答】家族介護手当は、寝たきりなど重度の障害がある状態でないと受給できないことになっています。
  お母さんの状態は、家族介護手当受給要件のひとつである「両下肢(足)の要を全く廃している」に該当すると思われますので、申請すれば受給できると思います。
  かかりつけの医師に介護手当用の診断書を作成してもらってください。 「別表3」(介護手当申請用書類の中にあります)に該当していると診断してもらえば大丈夫でしょう。
  また、介護手当は毎月申請することになっていますが、申請時に「家族介護手当継続支給申請書」を一緒に提出して認められれば、その後は、障害が改善した時以外は継続して受給できます。

ツボはここ 冬の冷え

 きびしかった残暑もようやく終わり、秋本番のさわやかな季節になりました。
  夏は〈陽の気〉が盛んでしたが、今からの季節は〈陰の気〉が活発になります。日暮れとともに家で身体を休めるように心がけましょう。また朝夕の温度差が大きく、皮膚に当たる冷気は、夏バテで体力が弱っている身体には燥邪となります。秋風邪をひいて、長引くと冬までぐずぐずすることになります。この時期から乾布摩擦を始めることをおすすめします。
  この時期の風邪は、鼻づまり、カラ咳などの症状が出ます。見過ごしてしまいそうですが、これらに加えて、便が乾燥して便秘となると、これははっきりと燥邪による病です。早めに、「印堂(いんどう)」と「百会(ひゃくえ)」にお灸をしましょう。