「1995年日本被団協被爆調査」から
日本被団協調査委員会 田中煕巳
日本被団協は被爆50年を迎える1995年に全国の被爆者約4000人を対象とする原爆被爆者調査を行った。1985年、日本被団協が独自に、約13000余の被爆者を対象として原爆被害の調査を行ってから10年を経ている。95年調査のねらいは当初、被爆50年に開催が予定されていた被爆問題国際シンポジウムに85年調査以降、新たに生じた問題を調査、解明し、問題提起をすることにあった。しかし、調査計画、体制づくりなどがおくれ、当初の目的を果たすことができなかった。しかし、この調査で得られた結果は今後の被爆者運動に有用な情報を多く提供している。調査計画から1年有余を得たがここに被爆状況と急性症状およびその後の健康に関する部分の報告を行う。
95年調査は大きく分けて2つの目的をもって行われた。 1.直接被爆、入市被爆を問わず、原爆の炸裂後2週間以内の2キロメートル内の地域での行動あるいは市外での救護状況を目安として、残留放射能あるいは体内に取り込まれた放射性物質による内部被爆の影響を調査する。 2.被爆者の健康、暮らし向き、住まい、人のつながり、不安や要求など、高齢化した被爆者の相談事業、援護施策に必要な被爆者の実状を調査する。
1. 調査の対象は全国約4000名を目標とした。
県別、ブロック別調査実施数を図1に示す。
1.調査の実施は各県、各ブロックの実状に見合った体制のもと、1995年4月中旬から6月中旬までに行った。調査結果は別紙資料「調査シート」に転記し、調査結果の集計、解析はパーソナルコンピュータ用データベースソフト「アクセス」を用いて行っている。調査票の点検、整理と調査シートへの転記、データの入力は被団協事務局において行った。
T 対象の属性、被爆状況について
調査対象者で集計された3592名の被爆地、被爆情況、男女別、年齢階層別の図を図2に示す。
1.被爆地について
2名の広島、長崎両市被爆者があった。
広島と長崎の被爆の割合はほぼ2:1の割合になっている。
2.被爆状況
広島、および長崎の被爆状況でみると、直爆被爆者は広島が1504名、長崎が993名であり、被爆地不明が7名であった。また、入市被爆者は広島への入市が625名、長崎への入市が210名であり、両市への入市被爆者が2名であった。広島の場合入市の割合が多いのは広島の市内は壊滅したため、入市者による救援、復旧等が行われたのに対し、長崎は直爆被爆者の生存割合が多く、救援や復旧に直爆被爆者が当たることができたことを示している。
3.男女別構成
広島、長崎の直爆被爆者および入市被爆者の男女別の割合は、長崎の直爆被爆者のみが男女ほぼ同数であるが、他はやや男性の割合が多く、ほぼ60%を示している。
4.年齢別構成
広島、長崎両市の全対象被爆者の年齢別分布をみるために、年齢を5歳毎に区分し、年齢不明を含め12区分とした。広島と長崎とも年齢区分5(65歳〜69歳)が最も多く、その前後で単調に減少するが、広島と長崎で減少傾向に違いが見られる。広島の年齢区分4(60歳〜64歳)が少ないのは、この年齢層の爆死者が多いことを反映していることも考えられる。
直爆被爆者の被爆地の距離別分布を見たのが図3である。被爆距離は200メートルに区分し、800メートル以下と4キロメートル以上、および被爆距離不明を含め19区分とした。広島、長崎とも直爆被爆者の距離別分布はでたらめで、特別の傾向は認められない。
被爆時直爆被爆者がどのような周囲環境にあったかは被爆者の被害の状況に著しい違いを生じる。そこで、被爆場所が屋外と屋内のいずれであったか、また何らかの遮蔽物があったかどうかについて問うた。問に答えた結果を被爆距離が2キロメートル以内の人と、以遠の人についてそれぞれ図4と図5に示す。
直爆被爆者の原爆症の発症については、被爆距離との関係が重視され、例えば2キロメートル以遠の直爆被爆者は原爆による放射線の影響はないとして、ほとんどの原爆症の認定申請が却下される。しかし、直爆被爆者の場合でも、その後の行動によって、強い残留放射線の影響を受けた被爆者があることに注目する必要がある。そこで、直爆被爆者の被爆後2週間の行動を問2、問3で問うた。
図6に示されるように、直爆被爆者2480名のうち複数の回答も含め2キロメートル内に入らなかったと回答している人は345名にしかすぎず。2キロメートル以内での被爆者1210名を除いた、2キロメートル以遠の直爆被爆者1370名の内1000余名の遠距離被爆者が直爆後2キロメートル内で行動したことが分かる。
この問で、移動しなかったと回答した直爆被爆者の被爆距離とその後の生活環境との関係を調べた。その結果を図7に示す。
2週間以内に2キロメートル以内に入域行動した直爆被爆者と入市被爆者においては、いつ入域し、何処で、何をしたかが放射線による被爆にとって重要な意味を持つ。この回答は個人毎のデータで膨大になるので原資料は別紙に報告する。本、第1次報告書では原資料は添付しないが、問8の急性症状の発症状況との関連で、必要と考えられる部分については1部例示し考察する。
低線量被爆の影響が最近注目されているが、外部被爆は低線量被爆であっても、摂取した食物、吸収した埃などのの影響を考える必要がある。図8に回答結果を示す。複数回答がゆるされているので、図が複雑になっているが、ほこりを吸ったと回答した総数は広島980名、長崎456名であり、何らかの水を飲んだ人の総数は広島1644名、長崎831名になっている。この数は広島と長崎それぞれの直爆被爆者と入市被爆者の総数の77%と69%に相当する数である。
1. 外傷と被爆状況
被爆時の外傷について問6で、自覚した急性症状の発症について問7で回答を求めた。図10に直爆被爆者の外傷の有無と被爆距離との関係を示す。
原爆放射線の影響によると考えられる症状16を例示し、被爆後5ヶ月以内(昭和20年内)に自覚ある発症があったかどうかの回答を求めた。また、それぞれについて発症した時期と続いた期間の回答を求めた。
直爆被爆者で何らかの急性症状があったと回答した人は広島で1070名であり、71%にあたり、長崎では502名で51%であった。
入市被爆者の場合は広島が303名で48%、長崎が95名で45%あった。
急性症状を発症した人については、直爆被爆者の場合は問1の被爆距離との関係、問2、問3の被爆後2週間内の、爆心地から2キロメートル内での行動などとの関係を求めた。また、入市被爆者の急性症状発症者については2週間内の、爆心地から2キロメートル内での行動との関係を求めた。
広島、長崎の直爆被爆者の中で急性症状に該当する症状ありと問7で回答した被爆者の割合と被爆距離との関係をそれぞれ図12に示す。これらの図から距離区分8(2.1〜2.3キロメートル)以遠被爆者でも急性症状の発症ありと回答した割合がかなり高いことに注目したい。このことは2キロメートル以遠の直爆被爆者において、被爆距離だけで被爆状況を判断していけないことを示している。言い換えれば、直爆被爆者の場合も被爆後の行動との関連を見落としてはならないことを示している。
図12では急性症状を発症した被爆者で2週間以内に爆心から2キロメートル以内に入域した人を急性入心者として示している。この人たちは直爆後の行動の中で残留放射線の被曝を受けていると考えられる。図12ではさらに、2キロメートル以遠の被爆者でその後2キロ内に入域していないにもかかわらず急性症状を発症した人数を出すために、発症者全員の数から急性入心者数を除いた数を急性無入心者数として示し、これらの被爆者の急性症状発症率を示した。図中では、「…者を除く」の文字が欄内に入っていないこと、また、この欄内の2キロメートル以内の数字は発症者全員の数と同数であることを断っておきたい。
遠距離直爆被爆者の急性症状発症者と直爆後の2キロメートル内地域での行動との関係の一例を図に示す(省略)。
これらの図から注目すべきことは2キロメートル以遠で直爆しその後爆心地帯へ入らなかった被爆者にも急性症状発症者がいることであり、これと同様の傾向は高橋健委員による95年調査の追加分析(1994年4月被爆者問題研究会)においても報告されている。
直爆被爆距離と急性症状の発症数と割合との関係を脱毛、皮下出血、下血を例に取り広島の場合を図13−1に、長崎の同様の関係を図13−2に示す。
これらの結果から、広島と長崎で興味ある相違が見られる。その第1は長崎の近距離被爆者の急性症状の発症者の割合が少ないこと。脱毛の場合800メートル以内の被爆者でも40%以下であること。第2に広島の直爆被爆者の急性症状発症者の割合は距離が遠くなるにしたがい単調に減少するのに対し、長崎の場合は距離区分8〜9(2.1〜2.5キロメートル)でわずかに増加していること。これらの特徴は広島と長崎の地形の違い、建造物の違いに関係していると考えられる。第一の特徴は広島は爆心を中心にして平坦な地形であるが、長崎は爆心から近距離であるにも関わらず山の陰になっている地域があること。また、近距離であるにも関わらず長崎医科大学とその付属病院の建造物が頑強であったことなどが考えられる。第2の特徴である2キロ以遠において急性症状の発現がおおいのは谷に沿った方向では爆風が早く吹き抜けるなどにより、爆発直後の放射性物質の飛散が遠距離まで到達し異方性を生じたことなどが考えられる。
入市被爆者で何らかの急性症状発症を回答した被爆者は広島で303名で48.6%、長崎では95名で45.2%であった。入市被爆者の約半数近くが被爆後急性症状があったと答えている。また、広島、長崎の入市被爆で、急性症状の1つである脱毛症状を発症した人はそれぞれ58名と22名であり、その割合は広島、長崎の場合でそれぞれ9.1%と10.5%であった。脱毛を含む急性症状の発症者の10日以内の爆心地帯での行動のいくつかの例を図14に示す。
この図は入市した日と滞在時間を示したものであり、爆心地より500メートル毎に区分された行動地域と行動内容は示されていない。被曝線量の目安にするには荒すぎるデーターであるが、入市者の行動の一端がうかがえる。10日目に初めて入市した人で、脱毛症状があったと回答した人があるが、にわかには信じがたく被爆後50年を経ての記憶に曖昧さがあったことと、調査実施の段階で必ずしも面接調査に拘らなかったことの弱点がでていることは否めない。
入市被爆者の急性症状と被爆状況との関連を明らかにするために、入市時期、期間、行動範囲などから相対推定被曝線量を求め、相対被曝線量と急性症状の発症数などとの関係を見る必要がある。目下検討中である。
放射線の影響と考えられながら、いまだ医学的にも解明されていない症状としていわゆるぶらぶら病を訴える被爆者が少なくない。問8でぶらぶら病的症状があったかどうかの回答を求めた。図15に示すように、回答者総数の3分の1に当たる1143人があったと回答している。ぶらぶら病があったと回答した人の84%の人が急性症状があったと回答した人であった。被爆直後に急性症状による窮地を脱することができた被爆者も、その後の健康が優れなかったことを示している。
図16にぶらぶら病の症状との考えられている症状別の回答数を示す。複数回答が許されているが、すぐに疲れると回答した人が非常に多い。この人達の多くがあわせて根気が続かないと回答している。
被爆により健康状態が大きく変わったと回答している人は図17に示すように635人で全体の17.7%であり、少し影響があったと答えた人が最も多く1135人で31.6%である。健康状態が大きく変わったと回答した人の87.9%が被爆後急性症状があったと答えている。原爆が健康に与えたとの意識は被爆状況に大きな関連がある。
日本政府は、対日平和条約(第19条a項)で、原爆被害を含むすべての対米請求権を放棄しましたが、アメリカの原爆投下の道義的・政治的責任が、これによって、解消されるものではありません。
問10は被爆後50年を経た今日までの健康状態の変化を、10年毎の健康状態で回答を得たものである。「1.病気らしい病気はしなかった」から「6.長期の入院をした」まで、「その他」を含め7項目の選択肢をもうけた。病気をした人については「主な病名」を記入して貰った。各10年毎に年齢別、被爆直後の急性症状の有無別に集計を行った。
各10年毎の健康状態と急性症状の発症の有無との関係を示す。また、これらの結果を急性症状のあった人となかった人に分けて、それぞれの50年間にわたる健康状態の変化をまとめて示したのが図18−補である。
各10年において急性症状があった人の「入退院の繰り返し」「長期入院」の数は急性症状の無かった人の数を初期は4倍から5倍を上回っている。この割合は年数を経るにしたがい、小さくなっている。年を経て急性症状のなかった人の有病率が高くなったことを反映している。
図18から50年間の健康状態の変化がよく分かる。「病気せず」「ときどき医師にかかるが大病はしない」が減少し、「入退院の繰り返し」「長期入院」の数が増加している。高齢化した被爆者にとって避けることのできないことだけに、日本の高齢化社会が直面する課題として、被爆者だけの問題とするのではなく、このことの対処には広い国民との協同が求められるといえる。
図19に示されるように最近の健康状態をみると、よく通院するが最も多く、2297名を超えており全体の63.9%。比較的元気と答えている人が765名でそれに次ぐ。よく通院、入退院を繰り返している人々の被爆状況を見ると、よく通院する人の59.9%、入退院を繰り返している人の場合70.4%が急性症状があったと回答しており、50年前の被爆状況が今日の健康状態に大きな影響を与えていることが分かる。
問11では入院時に付き添いを必要とした人に誰が介護し、介護手当の需給状況をについて補足質問を行った。図20に示されているように、入退院を繰り返した人201名のうち介護を必要とした被爆者の数がこの図では示されていないが、手当を受給した人はわずかに20名にすぎないことが示されている。さらに質問は受給しなかった理由を問うているが、報告は省く。
原爆は被害者に大きな犠牲を強いた。家族の柱であった親の命を奪われたもの、沢山の家族の命を奪われたもの、被爆者自身の健康が損なわれたことなどにより、被爆者のほとんどの生活が一変してしまったといっても過言ではない。
1.被爆によりどのように生活が変化したか
問12で被曝したことはあなたの人生にどのような影響を与えたかの回答を求めた。複数の回答をゆるしているため回答の組み合わせが図21に示すように膨大になっている。
問13では現在の暮らし向きについて質問している。図22に示された解答から被爆者の50年後の暮らし向きを見てみよう。図は1部の選択を非図示にしたあるので、示された数字と経の数字がわずかに異なっている。
被爆者の現在の暮らしに関して見ると、図22に示されるように、17名の生活保護受給者と大変苦しいと答えた人が34名あったが、何とかやっていると、困っていない人を合わせると2225人で約60%になっている。しかし、これらの中に将来に不安を感じると複数回答している人がそれぞれ25名と189名に及んでおり、将来に不安だけを回答した921名を含め60%近くが将来に不安を感じていることを示している。年金制度の改悪などを含め日本の高齢者がおかれている将来への不安感が被爆者にも重くのしかかっているといえる。
高齢化した被爆者にとって現在の家族構成、住生活は福祉との関わりが大きい。そこで、まず、問14で住まいについての実状を調べた。県別の統計図を作成したが、本報告においては、ブロック別の特徴を見てみる。図23に結果を示す。
住居については予想以上に持ち家の率が高く、東海北陸、近畿、広島、中国の各ブロックでは90%以上が持ち家に住んでいると答えている。一方、東京、大阪などの大都市では70%を切っており、借家、賃貸アパートの住居率が高くなっている。高齢者ホームなど施設にはいっている人は8名であった。
住居状況と関連して、家族構成を見てみよう。問15で一緒に済んでいる家族について質問している。
夫婦二人で暮らしている人が1710名(48%)と最も多く、次いで、子供や孫達と暮らしていると答えた人が983名(27%)になっている。
これを、ブロック別に見ると、大都会の一人暮らしが多く、東京、大阪、近畿ブロック、福岡、長崎などは一人暮らしが10%を超えている。一方、子供や孫と一緒に暮らしている人は東海北陸ブロックが最も多く(51%)、次いで関東、中国、九州ブロックとなっている。
被爆者はこれからの人生をどう過ごしたいか、将来への願いを問16に回答している。自分だけ、夫婦だけで暮らすと答えた人が一番多く、1440名全体の40%に及んでいる、次いで子供や孫たちと一緒に暮らすが1053っめいと続いてる。 図25で結果をみてみよう。
図25で1桁の回答項目は非図示にしてあるため、各項目の数の総和と図中の計の数字とは合わないが、自分だけ、夫婦だけと答えたながらも子供や、孫たちと一緒にと答えている人、あるいは、老人ホームに入らざるを得ないと考えているひとが121名に及ぶことが示されている。一方、子供や孫たちと一緒に暮らしたいと答えながら老人ホームに入ることを考えている人が54名となっている。
これからの人生を自分だけで、夫婦二人だけでと答えている被爆者が多いことが示されたが、もし一方が寝込んでしまったりしたとき、面倒は誰に看てもらいと考えているのだろうか。問17ではこのようなとき面倒を看てくれる人がいるのかどうか、いるとして誰が看てくれるかの回答を求めた。回答結果を図26でみてみよう。
総数の68%に当たる2448名が看る人があると回答している。608名の看てくれるかどうかと答えた人は、一応看て貰い人はあるが看てくれるかどうかの不安をもった人であろう。パーセントは6%と小さいが看てくれる人がいないと答えた242名の抱える問題は大きいといえる。ブロック別では東京、近畿、四国の各ブロックのパーセントが高い。被爆者相談活動を通して、看てくれる人をどうつくっていくかが大きな課題であろう。
看てくれる人がいると回答した人には、誰が看てくれると考えているかを尋ねている。その結果を図27ででみてみよう。この図には看てくれるかどうかと答えた人も含む2546名の回答である。実にその半数近くが配偶者だけを寝込んだときに看てくれる人として期待をしていることが分かる。被爆者の場合すべての被爆者か高齢であることを考えると深刻な問題といわざるをえない。
暮らしに係わる調査の最後の質問は問18「あなたは何か困ったことが起こったときなどに、すぐ相談する人や相談にのってくれる人達がいますか?」であった。結果を図28でみてみよう。60%近い2080名の人が相談相手がいると答えている。心強いことである、しかし、15%に当たる535名が困ったときの相談相手がいないと答えている。この問題は「寝たきりになったときに看てくれる人があるかどうか」の設問に、看てくれる人がいないと回答した人に、相談相手があるのかどうかが問題であろう。そこで問17で看てくれる人がいないと回答した人の相談相手のありなしを調べたのが図29である。この結果をみると、相談相手があると答えた人は242名中41%の100名であり、18%との43名は相談相手もいないと答えている。寝たきりになっても看てくれる人どころか相談する人もいない人たちであり、深刻な問題を提起している。この人達にどのような援護の手をさしのべたらよいかの課題を被爆者相談活動に提起しているといえよう。
以上被爆者がおかれている生活上の問題についての調査結果を解析した。
問19と問20ははそれぞれ医療機関と行政(政府・厚生省、自治体)に対する要望を記述回答を得たものであり、統計処理でなく、別の検討が必要であり、第1次報告者では取り扱わない。
問21は今の生きがいについて回答を求めたものである。結果を図30に示す。
男女の違いはほとんどない。男性が「仕事に」、女性の場合「子供や孫の成長に」が高くなっているが、最も割合が高いのは「趣味に熱中すること」であり、複数選択を含むと35%に及んでいる。次いで、「子供や孫の成長に」の31%となっている。
85年調査でも、設問内容は異なるが「家族に囲まれて」や「趣味に」が比較的高い比率を示していた。最も自然な願いであるといえる。
問22では被爆者運動への参加について回答を求めた。
全体では「会費を払い」、「被団協新聞を読み」、「積極的に参加する」と複数回答した人が、最も多く、18%を示している。次いで高いのが「会費を払い」、「被団協新聞を読み」、「時々参加する」と「会費を払い」、「被団協新聞を読み」の12%であり、被爆者運動への積極性が認められる。この結果は、95年調査が各県の被爆者組織によって実施されたので、被爆者運動に参加もしくは関心の高い被爆者が調査対象者になったことにを反映していると考えられる。ブロック別にみると、関東、東海・北陸、九州の各ブロックと福岡県が被爆者運動に対する積極性の高いことが分かる。
95年調査の調査で選択肢から回答を求めた最後の質問は、調査の直前に施行された「被爆者の援護に関する法律」に関する質問であった。被爆50年に「国家補償の援護法」の制定を求めて、被爆者と国民の運動は大きく高揚していた。混迷の続く政局の中で援護法制定に積極的であった社会党は与党の立場になっていた。しかし、制定された「被爆者の援護に関する法律」はいくつかの前進面があったが国家補償の精神にたつものにはなっていない。法の内容を十分討議する時間がなかった段階での質問になったことを断っておきたい。結果を図32に示す。
よく知っていると回答した479名(13%)と大体知っていると回答した人1971名(55%)を合わせると新しい法律に対した姿勢を伺うことができる。新しい法律に対する意見は「自由記述」により求めたので、同じように自由記述の回答を求めた、最後の質問、問24「ふたたび被爆者をつくらないために、原爆被害に対する国家補償を実現し、地球上から核兵器を廃絶させようという被爆者運動について」の回答の解析は本報告からは割愛する。
誤字、脱字などがあることをおそれる。不十分であるが、主要な調査目的に沿った結果が示されていると考える。調査委員会で十分な討議を経ていないので、不十分な点、誤った点があるとすれば、その責は前調査委員長の田中煕巳にあることを付記しておく。
このページは東京反核医師の会の渡植貞一郎氏のご協力によるものです。