原爆松谷裁判

2000年7月18日、最高裁は上告を棄却しました。

原爆松谷裁判とは

 長崎で3歳5ヵ月で被爆した松谷英子さんは、爆風で飛んできた原爆瓦が頭に当たり、頭蓋骨埋没骨折し、脳損傷による半身不随という重い障害をおいました。被爆直後脱毛にも泣かされた松谷さんは「この障害は原爆のせいだ」と厚生大臣に原爆症認定を申請しました。しかし厚生大臣は、「原爆放射線の影響ではない」と却下しました。
原爆松谷裁判はこの却下処分の取り消しを求めて争われているものです。長崎地裁、福岡高裁は、松谷さんを「原爆症と認定せよ」と判決を下しましたが、国は最高裁に上告し、最高裁での審理がつづいています。

 1998年5月には「原爆松谷裁判ネットワーク」が発足し、最高裁に向けて「松谷英子さんをこれ以上苦しめないで」の声を、当面100万人の署名に託して届ける運動を強めています。

裁判のあゆみ

1942.3.2松谷英子さん長崎県で生まれる
45.8.9長崎市稲佐町で被爆、爆心から2.4キロメートル
77.12原爆症認定申請
78.3厚生省が却下
78.5.18厚生省へ異議申し立て
78.8棄却
87.2再度原爆症認定申請
87.9却下
87.12.15厚生省に異議申し立て
88.6棄却
88.9.26厚生大臣を被告として、原爆症認定却下処分の取り消しを求めて長崎地裁に訴状を提出
22回の公判を重ねる
93.5.26長崎地裁で松谷さん全面勝利の判決
93.6.7厚生大臣が福岡高裁へ控訴 13回の公判を重ねる
97.11.7福岡高裁で松谷さん全面勝利の判決
97.11.20厚生大臣が最高裁へ上告
98.5.15「原爆松谷裁判ネットワーク」14団体参加で結成
99.5.6原爆松谷裁判弁護団が上告理由反論書提出

ニュースより(1997.6月〜)

判決後の松谷さん  上告理由をきる     原爆松谷裁判ネットワーク結成  松谷さんネットワーク結成へ
松谷裁判10周年   署名20万に   署名32万に 裁判支援する会が総会  「上告理由反論書」提出
署名41万に   最高裁への要請行動   署名46万に

松谷さんの受けた原爆被害

 1945年8月9日、長崎に原爆が投下されました。当時3歳5か月だった松谷英子さんは、爆心地から2.45キロにある稲佐町の自宅で被爆しました。
 縁側で遊んでいた松谷さんの頭に、爆風で飛んできた屋根瓦がつききさり、頭蓋骨埋没骨折によって脳に損傷を受けました。被爆直後には下痢や脱毛など原爆被爆特有の症状があり、その後は脳の傷のため何度も引きつけを起こすなど、医者に見放されるほどの重傷でした。放射線の影響で治癒能力が低下したため、傷口がふさがるのに2年半かかりました。
 松谷さんは、この傷がもとで、右半身麻痺という重い障害を負わされてしまったのです。
 頭の傷はいまでも深く陥没しており、寒いときや暑いときにはひどく痛みます。曲がった右足では坂道や道の段差などで転んでしまいます。負担のかかる足腰はいつも痛み、全身が疲れます。右の手はハンカチをつかむこともできず、顔までしか上がりません。
 けれども、松谷さんは何度も挑戦し珠算検定2級に合格。左手だけで伝票をめくり、そろばんをはじきます。
 障害をかかえながらも、なんとか自立しようと一生懸命生きてきました。

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