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4月23日に出航したパシフィック・ワールド号 |
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船上でのテープカット |
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船内展示の一部 |
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オスロ・ノーベル平和センターの展示の一部 |
ノルウェー・オスロにあるノーベル平和センターでは現在、日本被団協のノーベル平和賞受賞を記念して、日本被団協の活動を紹介する展示「世界人類へのメッセージ」が開催されています。広島への原爆投下当日の写真や日本被団協の活動資料を通して被爆者運動の歩みを紹介する他、世界最高峰の写真家集団マグナム・フォトの写真家アントワン・ダガタ氏が昨年11月に来日し撮影した被爆者の肖像写真も並びます。
洋上特別展
この度、ノーベル平和センターとピースボートが提携協定を結び、「洋上特別展」が実施されることとなりました。センターで公開中の展示を学芸員が再構成し、ピースボート船内に約70平方メートルの常設スペースが設置されました。
オープニング
この洋上特別展の就航クルーズの出航に先立ち、4月22日午後、横浜港に停泊中のピースボート(客船名:パシフィック・ワールド号)内にてオープニングセレモニーが行なわれました。
ノーベル平和センターのキム・レクステン・グルンネベルグさんがノルウェーから来日し、日本被団協の和田征子さんらとテープカットを行ないました。展示の中で被写体となった神奈川県原爆被災者の会副会長福島富子さんも参加。グルンネベルグさんは「世界中の多くの人にこの展示をみて核廃絶や平和について考えてほしい」と述べました。
寄港先でも
ピースボートは約3カ月間の世界一周クルーズを、年3回実施しています。今後、各クルーズに乗船予定の約1700人の乗客にこの展示を広めていくほか、寄港先の学生や市民団体、国連関係者らを洋上特別展に招待する予定です。(ピースボート・畠山澄子)
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「ピースアクション in TOKYO&ピースパレード」が、4月12日に東京ウィメンズプラザで開かれ、108人が参加しました。東京都生協連、東京地婦連と東友会の共催で、今回20回目。
オスロでのノーベル平和賞授賞式とたいまつ行進などの動画上映の後、東友会の家島昌志代表理事が、核兵器廃絶を訴え続けた被爆者運動がノーベル平和賞を受賞した意味と今後の使命、授賞式の様子を報告しました。
被爆証言は、広島駅で1歳のとき母とともに被爆した綿平敬三さん。爆死した父の顔を知らず、母の胎内にいた弟を亡くし、5歳のときから仕送りする母と別れ独りで育った寂しく苦しい戦後の生活、60歳のとき1回だけ届いた母の手紙など映像を使って証言。ノーベル平和賞受賞にも触れて「みなさんに、ぜひ、私たちの願いを引き継いでほしい」と訴えました。
参加団体の活動報告とアピール採択、記念撮影(写真)の後、青山から表参道、渋谷駅までパレード。核兵器廃絶と平和な世界への願いを道行く人びとにアピールしました。(村田未知子)
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3月20日開催された「ノーベル平和賞新居浜報告会」は、想定をはるかに超える160人が参加しました。この会は、松山市での報告会に参加した有志が「新居浜でもノーベル平和賞受賞で関心が高まっている今こそ、被爆の実態を伝え、核兵器廃絶の想いを高めて欲しい」と企画しました。
報告者は日本被団協代表理事の松浦秀人さん。結婚をためらう被爆者の気持ち、運動の歴史と核廃絶への想い、授賞式の様子など、時にユーモアを交えながらのお話は、90分という時間を感じさせませんでした。
愛媛県原爆被害者の会新居浜支部の富林健二さんの協力で、原爆写真展も同時開催することができました。会場からの意見発表では、高校2年生が発言、参加者の共感を呼びました。
会場アンケートには「被爆した身内の事を思い涙が出た」「世界では原爆を、規模の大きい爆弾ぐらいにしか思っていない事に衝撃を受けた」などの感想があり、大変意義ある報告会になりました。(佐々木龍)
2021年に発効した核兵器禁止条約。現在の批准国は73、署名国94です。22年の第1回締約国会議では「宣言」と50項目の具体的な「行動計画」を採択。23年の第2回では非公式の作業部会を設置し、そのまとめ役の任命等。そして今年3月が3回目。「核戦争が人類にもたらすリスクとその壊滅的な人道上の帰結」というテーマで様々な視点からの発言が出たこの会議では、締約国とオブザーバー国やNGOの発言が自由に行なわれました。
初日のハイレベルセッションで発言した日本被団協の濱住治郎事務局長代行は、胎内被爆者として「生まれる前から被爆者という烙印をおされている。原爆は本人の未来を奪い家族をも苦しめる‘悪魔の兵器’」と発言し、これまでの議論を踏まえ、核兵器禁止条約を世界にどう知らせ育てていくか、そして核被害者の援助や環境修復、基金などについて前進する会議への期待を述べました。5日間の会議で出された発言は、2026年核兵器禁止条約再検討会議の議題とされます。「核抑止論」は、今後も大きな争点の一つになるでしょう。
最終日に出された「政治宣言」では「締約国は核兵器が人類にもたらす存亡の危機に対処する揺るぎない決意を再確認した」とし、広島・長崎の被爆者、核被害者について「核時代の幕開け以来、核兵器とその実験の影響に苦しんできた無数の犠牲者のことを認識する」と記し、更に「日本被団協が、2024年のノーベル平和賞を受賞したことを祝福する」との祝意も表されました。
核兵器禁止条約という苗木は、5年経った今、育てられています。更に世界を覆うような大樹に育てるのは、私たちの一人一人の思いと行動です。被爆体験を伝え続けたように。
「被団協」新聞で「基本要求を読んで」と「ノーベル平和賞受賞をうけて」について原稿募集があり、自分なりの意見、心に浮かぶそれらの思いを書き綴り文字にいたしました。しかし後日、日本被団協編による『被爆者からあなたに-いま伝えたいこと』を購入。そこに書かれた文字のひとつひとつの意味の深さ、心に染み入りました。心身ともに労して完成された書籍に、深い感銘と感動を受けました。本書に対する思いを深く感じました。私の思いは軽薄な言葉にすぎません。
私は昭和20年8月10日、長崎の防空壕の中で生まれました。前日9日は原爆が投下され、長崎の地は地獄絵図、一瞬にして廃墟となりました。生まれた私は手の平にのるほどの極端な未熟児。飲むものも食べるものもない防空壕の中で、家族は恐怖に耐えました。
決して使用してはならない原爆を投下したアメリカは、投下後の街の状況、何よりも知りたかった人体への影響を調査しました。炭のように焼け焦げた人体、顔面が焼けただれて生きている人々…苦しむ被爆者の調査を当たり前のように実行するアメリカの非道な行為は、人として許せないものです。
自国の勝利のために方法を選ばない戦争は、破壊的で愚かな行為です。核を使用し破壊して得た勝利とは何でしょうか。
日本被団協のノーベル平和賞受賞は、世界が進むべき未来への第一歩を示しています。人とは何か、平和とは何かを世界に呼びかけ、人々の心に届けました。
しかし今、戦争をしていない日本が、戦争ができる日本へと移行しようとしています。日本が世界の戦争に駆り出されようとしています。憲法9条を持ち、戦争を決してしない日本が、国と国民との約束が、揺るぎ始めています。
戦争のない平和の構築と、決して核を必要としないこと。それが国づくりの第1歩です。ふたたび被爆者をつくらないために。
私たちは毎年7月最後の土・日に「原爆と人間展」を開催します。土曜日朝一番に、前大垣市長は必ず足を運んでくれ、私が説明役でした。
パネル№16の、米国バーンズ国務長官(当時)の談話「原爆は日本を打ち破るために必要なのではなく、ソ連をもっとコントロールしやすくするためだった」-これが一番腹が立ちますと言ったら、「これが政治です、政治ってこんなもんですよ」前市長はそう言いました。私は頭をガツンと殴られたように感じました。ソ連に米国の強さを見せつけるために、広島、長崎の市民20数万人が焼け死んでいったのです。これが彼のいう「政治」なのだと思い知りました。
また、戦後GHQの支配の間、外傷のない男女の急性放射線障害を報じたジョージ・ウェラー記者の記事を差し止めました。原爆投下1カ月後の記事で、この中で日本人医師が「今も1日10人ほどが亡くなっていく、医師は当惑し、西洋以外のどんな治療も施せない」と言っています。
私は2015年NPT再検討会議行動のニューヨークでの証言活動でも「我々被爆者はパワーゲームのいけにえとなった」と話しました。
放射線障害の情報隠しによって実態がわからず、原爆投下後14日以内に指定された地域に入った人に入市被爆者として被爆者健康手帳が交付されたが、それでよかったのか…真実を発信していれば、もっと救われる人たちがいたのではないか。
戦争は金と命の無駄使い。得をするのは軍需産業だけ。核は抑止力として必要だという人に、私は言いたい。「今の核兵器は広島・長崎の原爆の何百倍の威力がある、あなたの頭上で爆発すればこの世から消滅するが、それで満足ですか?」。
核兵器を使えば報復で返されます。それでは地球は人が住めなくなる。核兵器は使えない兵器です。使えなければ捨てるしかありません。早くみんな気がついて、一斉に捨ててください。それこそが人類の願いです。
日本機関紙協会が主催する全国新年号機関紙誌コンクールで、「被団協」新聞新年号に審査員特別賞が授与されました。
講評で、「(ノーベル平和賞授賞式を)大写真1枚、そして式典の様子を伝える2枚の計3枚の写真で伝えた抑制的とも言える紙面は、だからこそ、被団協という団体が、ぶれずに何を求めてきた仲間たちなのかということをよく表している紙面でした。団体が望んだことは、ノーベル平和賞を受賞することではなく、大見出しとなった「核兵器も戦争もない世界を」なのだ。そのことに深い感動を覚えました」との評価を受けました。
【問】認知症が進んだ私の妻は、自宅で転倒し大腿骨頚部骨折で手術しました。その後回復期リハビリ病院に転院しリハビリを受けましたが、「要介護3」となり自宅での介護はとても無理ということで施設入所をすすめられました。月額15万円程度で済むとのことでしたので、それならぎりぎり負担できると思い入所させました。ところが最近、請求額が20万円近くになっていて、このままではいずれ貯金も使い果たしてしまうのではないかと不安です。
なぜ請求額が増えたのでしょう。また妻は被爆者健康手帳を持っていますが、助成はないのでしょうか。
* * *
【答】お連れ合いは有料老人ホームに入所されたのですね。施設入所の場合、介護保険制度による特別養護老人ホームへの入所は「要介護3」以上となり、医療機関からすぐに入所というのはなかなか難しい状況です。地域によっては特別養護老人ホームと費用負担に差がない場合もあり、比較的入所しやすいため、医療機関としては有料老人ホームへの入所をすすめたのだと思います。
ほとんどの介護付き有料老人ホームは、介護保険制度の「特定施設入居者生活介護」の指定を受けているため、通常の入所費用に介護保険サービスの利用料が上乗せされることになります。ですから、「要支援」や「要介護」の認定を受けたとたんに毎月の費用に加えて介護保険の利用料を合算して請求されます。
お連れ合いの場合「要介護3」で計算すると1日の報酬単価は679単位でこれに地域区分10・27をかけた6973円となります。この額の1カ月分(30日または31日)に夜間看護体制加算など加えられ、ざっと計算しただけでも、毎月2万円以上(介護保険の利用料負担1割の場合)の負担になります。介護度が重くなれば支払う額は増えていきます。
有料老人ホームの場合は、被爆者健康手帳を持っていても利用料は助成対象ではありませんし、被爆者の介護手当にも該当しません。
「要介護3」なので、特別養護老人ホームへの入所申し込みをおすすめします。有料老人ホームに入所しながらの申し込みでも問題ありません。特別養護老人ホームや介護・医療院などへの施設入所は、被爆者健康手帳による利用料の助成があります。申し込みをしてすぐの入所にならなくても、今後のことを考えると選択肢の一つです。