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「被団協」新聞2024年2月号(541号)

2024年2月号 主な内容
1面 ビキニ事件70年 原水禁運動から日本被団協結成へ
共有すべきこと / 核兵器なき世界を模索
地震被災者のみなさま お見舞い申し上げます
2面 声明 核兵器禁止条約発効3周年にあたって
領域の判定・推定は困難 ワーキンググループが報告
非核水夫の海上通信(234)
核兵器禁止条約第2回締約国会議宣言〈抜粋〉(下)
3面 核兵器禁止条約発効3周年 1月22日を中心に各地で行動
中央相談所講習会 時間いっぱい質問と交流 九州ブロック
メリッサ・パークICAN事務局長 広島で被爆者と交流
4面 相談のまど
 介護保険の介護認定 状態が変化したら
 「要介護」の場合は区分変更申請を
 「要支援」の場合は改めて申請を

投稿 ドイツの脱原発
増刷と修正「証言活動のしおり〈改訂版〉」

 

ビキニ事件70年
原水禁運動から日本被団協結成へ

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東京・夢の島の都立第五福竜丸展示館

 「54年3月1日、ビキニ環礁におけるアメリカの水爆実験で、第五福竜丸など日本の漁船が死の灰(放射性降下物)で被災した事件は、国民にあらためて原水爆の恐ろしさを知らせると同時に、抑えられていた広島・長崎の怒りも一気に爆発させた。原水爆禁止の国民署名運動が全国的に始まる。55年8月6日には、最初の原水爆禁止世界大会が広島で開催され、被爆者が原爆被害の苦しみを訴えて感動を呼ぶ。被爆者の間からは「生きていてよかった」の言葉も出た。1956年、第2回原水爆禁止世界大会が長崎で開催され、大会中に日本原水爆被害者団体協議会が結成される」(「日本被団協50年史」より)。
 1954年3月1日にアメリカが太平洋マーシャル諸島のビキニ環礁で行なった水爆実験。広島・長崎原爆の1000倍以上の威力でした。周辺の島民ともに近海で操業していた多数の漁船が被害を受けました。
 3月14日、第五福竜丸が静岡県焼津に帰港し、乗組員とマグロの被ばくが明らかになりました。日本国民にとって広島・長崎につづく3度目の核兵器被害に原水爆禁止の世論は盛りあがり、全国で署名運動を展開。第1回原水爆禁止世界大会が開かれた55年8月までに3216万を超える署名を集めました。
 世界大会では、話す方も聞く方も初めての、広島・長崎の被爆者の訴えが感動をよびました。参加者の反響に励まされた被爆者は56年8月の第2回世界大会の中で、被爆者の全国組織、日本被団協を結成したのです。


 

 昨年上演された演劇『わが友、第五福竜丸』の作・演出を手がけた坂手洋二さんから、またビキニ事件から70年の今年、東京・夢の島の第五福竜丸展示館等で行なわれる企画について第五福竜丸平和協会事務局長の市田真理さんから、それぞれご寄稿いただきました。

共有すべきこと
坂手洋二 劇作家・劇団『燐光群』主宰

 『わが友、第五福竜丸』は、燐光群の創立四十周年記念公演です。
 劇中、第五福竜丸についての物語ばかりでなく、ビキニ事件から福島第一原発の汚染水放出に至る、今の時代の「低線量被曝」について、私たちが共有すべきことを描きたいと思いました。
 第五福竜丸が焼津に帰港して2カ月後に、太平洋の放射能汚染を調べるため、調査船・俊鶻丸が出発したことは、もっと知られるべきです。その調査で、水爆実験で放出された放射能が攪拌されないことが明らかになりました。放射能はかなり遠くまでベルト状になってゆっくりと運ばれ、海流ごとの密度の違いで、簡単には混じり合わないことがわかったのです。
 この結果からして、原発の放出した汚染水も海で薄まらず動き続けるはずだと、想像されます。ビキニもフクシマも、知られていないことが多すぎます。海水汚染・食物連鎖による人への影響を、確かめてゆく必要があります。
 第五福竜丸同様の被害に遭った多くの漁民がいる、高知での公演も印象的でした。土佐・幡多ゼミナールの山下正寿先生にいろいろな方をご紹介いただきました。
 第五福竜丸の母港・焼津での公演では、多くのゆかりの方にも観ていただきました。そして、第五福竜丸が造船された、和歌山県串本町で千秋楽を迎えました。
 多くの人に支えられ『わが友、第五福竜丸』を上演できたことは、私と劇団にとって大切な財産になりました。皆様に心より感謝しています。

核兵器なき世界を模索
市田真理 第五福竜丸平和協会事務局長

 この地球で2000回を超える核実験が行なわれ、人類が地球に刻印した「死の灰」はこれまでにない時代「人新世」を作り出してきたともいえます。「3・1ビキニ記念のつどい」(3月3日明治学院大白金校舎)では、「人新世」をどうとらえていくのかを人類学者の山極壽一さんといっしょに考えます。
 館内では、全国の小中学生が描いた第五福竜丸の絵(5~6月)、収蔵資料による企画展「第五福竜丸の航海と漁師たちの素顔」(7~9月)、ヒロシマ・ナガサキ・フクシマを描いてきた画家・山内若菜さんの作品展(10~1月)。平和教育ワークショップやSNSによる発信「第五福竜丸航海記」など、若い世代との協働も準備中です。
 核兵器がなかった地球環境に戻ることができない私たちは、核兵器のない未来を模索するしかありません。たくさんの仲間に支えられて第五福竜丸の航海は続きます。


地震被災者のみなさま お見舞い申し上げます
日本被団協事務局長 木戸季市

 2024年元日の16時10分、震度7の地震が石川県能登半島を襲いました。亡くなられた方と被災された方に心から追悼と見舞の真を捧げます。
 強い余震とその回数の多さはこれまで聞いたことがないものです。地震の被害は甚大。朝日新聞は1月23日現在の被害を、死者233人、安否不明19人、怪我人1175人、避難者数1万5309人、住宅被害3万8724棟、震度1以上の余震回数1501回と報じています。
 またこの地域には志賀原発が存在しています。動いていなかったから事なきを得ましたが、変圧器が大量の油漏れで外部電源の一系統がダメになり、敷地内では最大35㎝の段差が生じるなど深刻な事態が発生。稼働していたらどんな惨事が起こっていたかと思うと恐ろしい限りです。やはり原発はゼロにするしかありません。
 森林伐採、温暖化、核兵器の生産・実験・使用の威嚇。利潤追求の人の傲慢さに地球は耐えかね警鐘を鳴らしているように思えてなりません。

募金の取り組み

 日本被団協は、被災地の被爆者に届けるため、募金を開始しました。郵便振替で「能登半島地震募金」と明記してお送りください。送金先=郵便振替00100―9―22913日本原水爆被害者団体協議会


声明 核兵器禁止条約発効3周年にあたって
2024年1月22日 日本被団協

 広島・長崎の原爆投下から79年目の新しい年をむかえました。
 被爆者はあの惨禍を決して繰り返してはならないとの強い決意をもって、核兵器廃絶を願う国内外の多くの方々と共に、たゆまず運動を続けてきました。2021年の核兵器禁止条約の発効は、私たちにどれだけ大きな喜び、希望を与えたことでしょう。生きていてよかった、との喜びの涙と共に被爆者たちは、廃絶という核兵器の真の終わりに向かって新たな一歩を踏みだしました。
 今日現在まで条約に93の国と地域が署名し、70の国と地域が批准・加入、世界の約半数の国と地域が条約を支持しています。他方、条約発効後の2022年2月24日に始まったウクライナ戦争は今も継続し、さらに2023年10月7日に始まったハマスとイスラエルの武力衝突はパレスチナ・ガザ地区を中心とする戦火が止まず、終わりの見えない不安を世界に与えています。そんな中で核兵器の使用に言及する発言もあります。停戦まで一体どれだけの命が奪われるのでしょうか。核保有国とその傘下にある国々の指導者には、停戦への強い自覚と決断、そして行動が求められます。
 条約の第2回締約国会議が2023年11月27日から12月1日に開催され、2022年6月の第1回会議で採択された50項目の行動計画の具体的な作業が進められています。核保有国が不参加であってもできることは、条約の署名・批准国を増やすこと、それは核兵器の使用の非人道性への理解を広げることでもあります。広島・長崎の被爆者だけでなく世界の核被害者の支援、環境の修復など国際協力が求められます。締約国の一層の増加とともにさらなる真摯な議論がなされることを期待し、何より日本政府が条約に参加することを強く求めます。
 核兵器の存在と使用がどのような世界をもたらすのか、その悲劇的結末を、日本政府に、世界に、被爆者は支援の皆さんと共に訴え続けていきます。


領域の判定・推定は困難
ワーキンググループが報告

第7回「黒い雨」検討会
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 厚生労働省の、第一種健康診断特別区域等に関する検討会(「黒い雨」検討会)第7回会合が昨年12月27日東京・港区の会議室で開かれました。
 この検討会は、2020年7月に原告側が勝訴した「黒い雨」訴訟広島地裁判決の後、敗訴した国側の控訴を機に設置されたもの。構成員(委員)は11人で、日本被団協推薦の気象学者・増田善信さんと日本被団協の木戸季市事務局長が参加しています。20年11月16日の第1回から21年7月9日までに5回開かれました。同年7月14日の高裁判決で控訴棄却、原告側の全面勝訴が確定した後、22年4月22日に第6回が開かれていました。
 厚労省は、検討会の目的を第一種健康診断特別区域の再検討とし、基本懇意見に基づき科学的・合理的な根拠を追求する、具体的には、①当時の気象状況の復元、②健康影響の医学的解明、③残留放射能について検証するとしており、年間1億7千万円の予算をつけています。
 第7回検討会では、気象、土壌、健康影響のそれぞれのワーキンググループから検証結果が報告されました。しかし、「領域判定を気象モデル計算によって行なうことは現在の技術をもっても依然困難性を伴う」「精度の高い領域の推定は困難」等の文字が並び、原爆投下から約80年後に当時の現状に関する「科学的」知見を得ることが困難であることが示されたと言えます。
 木戸事務局長は会合の最後に「核兵器が人間に何をもたらしたか、真正面から議論する場をもってほしい。国民を守る立場から検討してもらいたい」と発言しました。


核兵器禁止条約第2回締約国会議宣言〈抜粋〉(下)

 前号から紹介している核兵器禁止条約第2回締約国会議(11月27日~12月1日)で採択された35項目からなる「宣言」暫定訳の抜粋、後半をご紹介します。

18  我らが前回集ったときよりも多くの国が、拡大核抑止による安心供与や核配備の取り決めのもとにある。核軍縮・不拡散体制を損なういかなる傾向も懸念される。TPNWは、核兵器の移譲や管理の受領、核兵器の配置や設置、配備の許可も明確に禁じている。我らは、そのような核の取り決めを持つ全ての国に対し、それらに終止符を打ち、この条約に参加するよう強く求める。

19  軍事および安全保障上の概念、ドクトリン、政策において、核抑止が永続し実施されることは不拡散を損ない、核軍縮に向けた前進も妨害している。

20  核軍備の近代化と拡大に多大な資金を投じることは、軍縮、教育、外交、環境保護、健康および人間の真の幸福のための持続可能な開発への投資を犠牲にするものであり、逆効果である。

21  「平和のための新たなアジェンダ」で国連事務総長が示したように、核兵器が人類にもたらしている脅威は、核兵器の全面的な廃絶を確実にする動機付けとならねばならない。TPNW締約国はこの呼びかけに耳を傾け、緊急かつ完全で、検証可能かつ不可逆的な核軍縮という高い優先事項を繰り返し表明する。

22  我らは、核兵器を非正当化し、汚名を着せ、全面的に廃絶するという不屈のコミットメントのもとで、これまで以上に決意を固めている。

23  我らは、核軍縮・不拡散体制の礎石である核兵器不拡散条約(NPT)、包括的核実験禁止条約(CTBT)、非核兵器地帯諸条約など、他の補完的な条約を含め、軍縮・不拡散の基本設計全体を前進させ強化するための役割を担っている。

24  TPNW第1回締約国会議以降、核兵器国のいずれも、NPT第6条や自国の核兵器の廃絶を達成するという明確な約束に従った進展を遂げていない。むしろ核軍備の強化、量的拡大の積極的な追求、透明性の低下さえ見られる。核軍備の廃絶に向けて真剣かつ誠実な交渉に取り組むというNPT第6条の法的義務およびNPT再検討会議で合意され、繰り返し表明されてきた自国の核軍備の全面的廃絶を達成するという明確な約束を果たしていない。

25  我ら、TPNW締約国は、TPNWとNPTの補完性を再確認する。

26  我らは核兵器の壊滅的な人道上の結末に対する懸念に関する2010年NPT再検討会議の諸条項、なかでも放射能汚染の影響を受けている地域の環境回復への取り組みに関する諸条項を推進し続ける。

27  我らは、TPNWのいかなる規定も、無差別にかつ平和的目的のための原子力の研究、生産、利用を発展させる権利に影響を及ぼすものと解釈されてはならないことを改めて強調する。

28  各国がCTBTの署名および批准に向けた確固とした歩みを続けることが不可欠である。我らは全ての国に対し、核実験を禁止するグローバルな規範を支持し続け、核実験という恐ろしい負の遺産を歴史へと追いやるよう強く求める。

29  我らは、非核兵器地帯諸条約の締約国のうち、まだTPNWに参加していない国々に対し、遅滞なくTPNWに参加するよう求め、相互に強化し合うことを求める。

30  我らは、TPNW締約国として、これら補完的諸文書の普遍化と全面的な実施における継続的進展の重要性を強調し、その後退を防止する。

31  我らは、この条約の目的および趣旨を効果的に実施するために必要なあらゆる措置をとるものとし、この条約とその趣旨および目的に関する一貫性を確保するために、国際的および二国間での義務を見直し続ける。我らは全ての非締約国に対し、この条約の趣旨と目的の実施に悪影響を及ぼし得るいかなる活動も差し控えることを求める。

32  我らはまた、この条約の趣旨および目的を妨げ、損なうような新興技術の応用のありうる影響を含め、原子力分野の科学と技術の新しいかつ継続的に進化する発展に国際社会が対処しなければならないと考える。

33  多様な利害関係者の有益な役割を認識し、我らは、国際機関や国会議員、市民社会、科学者、核兵器の影響を受けているコミュニティー、核兵器の被害者、金融機関、若者と協働し続けるという誓約を新たにする。

34  我らは、国際社会の全てのメンバーの間に信頼を醸成する必要性を再確認する。核兵器のない世界を達成し、維持するための協調的な行動において、全ての国々と協働的に取り組むという我らの意思は明白である。

35  我らは、この条約の普遍化と効果的な実施、そしてウィーン行動計画の実現に尽力する。我らは、現在と将来の世代のため、核兵器のない世界を達成するために不断に取り組む。いかなる状況においても、核兵器が再び使用され、実験され、あるいは使用すると威嚇されることが決してないよう確保することを約束し、尽力する。我らは核兵器が完全に廃絶されるまで休むことはない。

〈核兵器廃絶日本NGO連絡会翻訳チームの訳文をもとにしました〉


核兵器禁止条約発効3周年
1月22日を中心に各地で行動

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3カ所でアピール
富山

 日本政府に核兵器禁止条約発効への参加を求める富山の会は1月22日、条約発効3周年アピール行動を3カ所で行ないました。16時からの富山駅南北自由通路の行動には30人が参加。原爆パネル展、平和の木にメッセージ、折り鶴コーナー、風船コーナー、シール投票、チラシ配布、署名などをにぎやかに行ないました。高校生の帰宅時間でたくさんの高校生と対話し、署名も46筆が集まりました。3周年にあたっての声明と署名はがき付きチラシを260セット配布しました。
(核禁条約富山の会)

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記念イベント
宮城

 条約発効3周年・核兵器廃絶ネットワークみやぎ発足3周年記念イベントを1月20日、福祉プラザで開催。95人が参加し、ライブ配信で12人が視聴しました。
 開会あいさつで木村緋紗子代表は、第2回締約国会議に不参加の日本政府について「国際的な信用を失っている。私たちが運動を広げ条約参加を求めていきましょう」と訴えました。
 第1部は、ジャズユニット「空と大地のあいだに」の演奏会。ピアノの優しいメロディと心に染み込む歌声が会場いっぱいに響き渡りました。
 第2部は、カクワカ広島共同代表の高橋悠太さんの講演でした。核兵器廃絶運動に関わるようになった経過や、締約国会議に参加したことなどが詳しく話され、「条約は新たなステージに進んでいる」との言葉に希望を感じました。
 (核廃絶ネットみやぎ)

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記念交流会
神奈川

 1月22日、神奈川県生活協同組合主催の「2024核兵器禁止条約発効記念交流会」が開催されました。多くの参加者があり被爆者も18人が参加しました。
 記念講演は長崎大学核兵器廃絶研究センター特任研究員の林田光弘さんの「被爆者の思いを繋ぐために」。林田さんは、「被爆者の平均年齢は85歳」「被爆者に残された時間はわずか」「十年後はどうなっているのだろう」等、被爆者が一番心配している事を、事例を交えながら問題提起されました。
 グループ交流もあり、被爆者と生協の若い会員との意見交換を行ないました。 (東勝廣)

駅前で行動
千葉

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 1月22日、日本政府に核兵器禁止条約の署名・批准を求める千葉の会はJR船橋駅南口で午後2時から1時間、署名活動を行ないました。能登半島地震被害への募金を兼ねた活動としました。9団体31人の参加でした。
 参加団体の各代表が、ウクライナとパレスチナ地域での戦争で核兵器による脅しが行なわれていることなどにも触れ、唯一の戦争被爆国である日本の政府が先頭に立って核兵器廃絶に取り組むべきだと訴えました。スピーチの合間にはコーラスグループがギターと歌声で場を盛り上げました。署名をしながら能登半島地震での志賀原発の危険性の話をする方もあり、核への関心の高さを感じました。(千葉県原爆被爆者友愛会)

繁華街で宣伝
愛知

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 1月21日、日本政府に核兵器禁止条約への参加を求める愛知県民の会が名古屋市栄で12時から1時間署名、宣伝行動を行ないました。
 3人の被爆者ほか14人が参加し「世界で93カ国が参加している核兵器禁止条約に日本も参加を」と声をかけ、チラシを配りながら署名を訴えました。自転車で通りかかった中学生やチラシを受け取った人が引き返して署名をしてくれました。
 愛友会の金本弘理事長が「核兵器禁止条約は、被爆者が60年以上訴え続け実現した。日本政府も早く参加を」と訴えたほか、次々に「核抑止力論では平和は築けない」「日本こそ禁止条約に参加し、核兵器廃絶の先頭に立て」と訴え、金本さんとうたごえ協議会のみなさんが、歌で行動を賑わせました。 (塚本大地)

7団体で行動
広島

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 1月22日、広島被爆者7団体が条約の署名・批准を政府に求める声明を発表し、署名活動を展開しました。
 声明では、ウクライナ、パレスチナで続く戦争で核兵器使用の危機が去らず、この条約の必要性がますます強まったと指摘。政府と核保有国に「世界の核被害者の援助・環境の修復」(6条)の支援を取り付け、条約参加に近づける取り組みなどを呼びかけました。
 署名活動は平和記念公園で行なわれ、15人が参加。広島県被団協の箕牧智之理事長は「核の傘はボロボロだ。破れ傘からたくさんの放射能が人類を覆っている」と、傘への依存断念、条約参加の決断を政府に迫る運動を訴えました。被爆者や若者が海外で肩身の狭い思いをしなくて済むよう早期批准を、との声も上がりました。 (田中聰司)

つどい開催
長崎

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 長崎被災協も参加している「核兵器禁止条約の会・長崎」は1月22日、長崎被災協講堂で120人の参加で核兵器禁止条約発効3周年のつどいを開催しました。
 昨年秋にニューヨークで開催された第2回締約国会議に参加した各団体の参加者からの報告や、様々な活動に取り組む高校生や大学生など若い方々からの報告も相次ぎ、核廃絶への想いと決意を共有しました。
 県生協連が司会を担当し、アピール文の読み上げを大学生が担当するなど、被爆者はもとより幅広い年代の市民が参加し「つどい」を盛り上げてくれました。なお、昨年交代した鈴木史朗長崎市長は公務のため欠席でしたが、新たにこの会の賛同人になっていただきました。 (中川原芳紀)

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毎月22日行動
岐阜

 昨年12月22日、「被爆者の願いを継承する岐阜県民の会」は「すべての国に核兵器禁止条約の批准を求める署名運動」第19回街頭署名を行ないました。「ヒバクシャ国際署名」の活動を引き継ぐ形で2021年10月から署名活動を始め、岐阜市柳ケ瀬商店街の高島屋前で毎月行なっています。
 強い冷え込みの中、5人の参加で通行する人に呼びかけました。ロシアによるウクライナ侵攻は続き、イスラエルによるパレスチナ攻撃も連日行なわれています。クリスマス前の買い物で急ぎ足の人が多い中でしたが、足を止めて署名する人もありました。
 寒さのため30分で切り上げましたが18筆の署名が集まりました。この街頭署名は、毎回の数は多くありませんが、毎月コツコツと続け、785筆になりました。核兵器のない世界の実現を目指し、粘り強く活動していきます。新年も1月からスタートします。
(佐藤圭三)


中央相談所講習会
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時間いっぱい質問と交流

九州ブロック

 九州ブロック講習会が12月7日、福岡市で開催されました。参加者は、被爆者、被爆二世、支援者など50人でした。
 中央相談所の原玲子さんが「平均年齢85歳を超えた被爆者の援護・医療と介護問題について」のテーマでお話された後、各県から事前に出された質問に沿って説明がありました。会場からの質疑と交流は、時間いっぱいまで発言がありました。
 次いで「核兵器も戦争もない世界を求めて」というテーマで木戸季市日本被団協事務局長の講義がありました。核兵器禁止条約第2回締約国会議に関する代表委員と事務局長連名の声明や、木戸事務局長が参加されたハイレベルセッションの報告など、会議の内容と雰囲気を理解することができました。 (南嘉久)


メリッサ・パークICAN事務局長
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広島で被爆者と交流

 1月19~20日、ICANのメリッサ・パーク事務局長が広島を訪問し、原爆資料館の見学や講演などが行なわれました。
 2日目、講演後のパネルディスカッションには広島県被団協の箕牧智之理事長が登場。メリッサさんに市立工業高校制作の銅板の折り鶴をプレゼントしました(写真)。昨年ニューヨークで会って以来2カ月ぶりの笑顔での対面でした。
 メリッサさんは「核なき世界は可能」だと何度も話し、私たちを勇気づけました。そして「多くの被爆者が自分たちの経験を語ることは核なき世界につながる重要な行動だ」と述べました。
(広島県被団協)


介護保険の介護認定 状態が変化したら
「要介護」の場合は区分変更申請を
「要支援」の場合は改めて申請を

 【問】私は、昨年夏入院した時に介護保険の申請をするように言われて申請し「要支援2」となりました。特にサービスは利用していません。その後、歩行が危なっかしくなりました。外出時は車いすを使用し、家の中ではトイレや食卓に移動するときに歩行車を使わないと移動できなくなりました。私の動きをみて息子が慌てて車いすも歩行車も購入してくれました。息子と二人暮らしですが、「要支援2」では必要なサービスが受けられないのではと思い、このままでは息子に負担をかけるばかりです。今の私のような状態では「要支援2」でしかたがないのでしょうか。

*  *  *

 【答】昨年夏から少しずつ筋力や全身状態が低下してきたのでしょう。「要支援2」で認定期間中だと思いますが、今のあなたの状態から見て改めて介護認定の申請ができると思います。
 「要介護」認定を受けていて状態が変化した場合には、認定期間中でも区分変更申請をしますが、「要支援」の場合には改めて介護認定申請をすることになります。自治体の介護保険課か地域包括支援センターに申請をしてください。
 改めて主治医意見書を書いてもらうことになりますので、主治医には今のあなたの状態を詳しく話しておくことが大事です。訪問調査時には息子さんも同席して状態をきちんと説明してもらうようにしてください。特に移動動作が難しくなっていることで、リハビリパンツや尿取りパットなどを使っているのであれば、恥ずかしがらずにきちんと伝えてください。訪問調査では認知症状や排せつなどについて重視します。
 なお、「要支援2」でも必要であれば車いすや歩行車などを福祉用具サービスとして利用できます。利用者本人の状態にあった機種を選定できますし、保守管理や状態に合わせて変更もできます。まずは要介護認定の申請をしてください。


投稿 ドイツの脱原発
東京 山田玲子

 ドイツに住む友人、ミュラー・柴・勵子さんからのお便りの一部をご紹介します。昨年大晦日の日付で書かれたもの。こちらには年始に届いた嬉しいお便りでした。

 今年、最も嬉しかったのは、ドイツの脱原発がついに完了したこと。最後の原子炉3基の運転が停止したのは4月15日、先進7カ国(G7)で初めてです。
 「緑の党」が連邦議会に進出した1980年以来、脱原発は市民運動が共に闘い勝ち得たもの。その実感を確かに受け取ることができました。脱原発を延期する決議を出したメルケル政権に抗してベルリンでデモがあったのは2010年の秋、その数カ月後に「想定外」の福島原発事故が発生。物理学を専攻したメルケルは首相決定権を行使して、脱原発を先行させたのでした。
 長年ドイツで生活し、学んだことの一つに「代替案」の提出があります。脱原発の代案は再生エネルギー。そして昨年の再生エネルギー率は46・3%(日本は10%)。2030年には80%にする計画です。
 (2023年大晦日 もう一人のれい子より)


増刷と修正
「証言活動のしおり〈改訂版〉」

 昨年10月に発行した「証言活動のしおり〈改訂版〉」は、好評につき初刷りがほぼなくなり、このたび増刷しました。みなさまにご利用いただきありがとうございます。
 増刷するにあたり内容を2カ所修正しました。
 〈修正内容〉いずれも巻末の「9被爆証言のための資料と用語集」のところ、巻末からヨコ書きで( )つきのページ番号のところです。①〓ページの下から3行目、長崎原爆ファットマンの形状「円筒型」を「ラグビーボール型」に。②〓ページの6行目、広島原爆の核分裂したウラニウムの量「弁当箱ぐらい」を「ピンポン玉ぐらい」に。
 お手元にお持ちの方はお手数ですが修正いただきますよう、よろしくお願いいたします。