原爆被爆者対策基本問題懇談会が厚生大臣に行なった答申(1980年12月11日)に 対する怒りに満ちた「被団協」新聞1981年新年号1面 |
被団協運動の憲法とも言われる「原爆被害者の基本要求」が1984年に策定されて、今年40年を迎えます。
その4年前の80年12月11日、厚生大臣の私的諮問機関である原爆被爆者対策基本問題懇談会(基本懇)が戦争被害受忍論を打ち出した答申を発表。全国の被爆者は怒りに燃えました。直後に発行の「被団協」新聞81年新年号は1面に「死んだ人が犬死にになる―被爆者は答申を認めない」との大見出しを掲げ、2面には「基本懇の頭上に落としてやりたい―ドーンとさく裂した被爆者の怒り」の見出し。各地の被爆者が声を寄せ、「遺族に謝れ(長崎・山口仙二)」「全国民への挑戦(長野・前座良明)」「メチャクチャ腹が立つ(北海道・酒城繁雄)」などの言葉が躍ります。
日本被団協はその頃、73年策定の「原爆被害者援護法案のための要求骨子」をかかげて座り込みを含む中央行動など運動をすすめ、野党4党共同案の国会での審議、被爆問題国際シンポジウム開催など、国民的、世界的世論が盛り上がる中で、79年に発足した基本懇には期待が寄せられていました。
期待を裏切る答申に大きな怒りを燃やし、原爆を裁く「国民法廷」運動を展開。83年に「要求骨子検討委員会」を設置して全国的な要求調査も実施。84年10月10日に「原爆被害者の基本要求」原案を発表し、全国討議を進めました。寄せられた意見は67件200項目を超え、二十数回にわたる修正を重ねて、11月18日の全国都道府県代表者会議で採択されました。
「基本要求」は各界から支持を受け、作家の大江健三郎は著書の中で「核時代における切実な生き方の定義が見事に表現されているのではないでしょうか」と述べています。
ウクライナへのロシアの侵攻からまもなく3年、ガザ地区へのイスラエルの無差別爆撃開始から3カ月。どちらも解決の見通しが開けないまま、新年を迎えています。
ウクライナとガザ、いずれにおいても核兵器の使用威嚇がなされていることには怒りを超え、言葉もありません。
私たち広島・長崎の原爆被害者が、自ら体験した非人道的な核兵器の廃絶を求め続けて、まもなく79年を迎えます。
「人間として死ぬことも生きることも許さない核兵器は、人類と共存させてはならない」と訴え、核兵器も戦争もない世界の実現へと力を注いだ運動の成果は「核兵器禁止条約」制定などゆるやかながらも実を結んできました。昨年行なわれた核兵器禁止条約第2回締約国会議においても、日本被団協代表は重要な役割を果たし、会議の成功に貢献しました。
しかし一方では冒頭にあげた危機も、厳然と存在しています。
核兵器の非人道性を具体的に示し、繰り返し訴え続けて、目的の実現へ力を尽くす決意を新たにしています。
日本政府に条約の署名・批准を求める署名活動が、核兵器禁止条約の第2回締約国会議が目前に迫った11月22日、広島市の平和記念公園でありました。
広島被爆者7団体の主催で、10人が参加。締約国会議に向けて訪米する広島県被団協の箕牧智之理事長(日本被団協代表委員)は「核兵器廃絶の先頭に立つべき被爆国が責任を果たすよう求めていこう」と熱く訴え、「被爆者の願いを世界の人々に伝えたい」と決意を述べました。
核兵器を持つロシアやイスラエルが侵略、戦争を止めず、核兵器が使われる危機が高まっていますが、国連も核兵器不拡散条約(NPT)も無力で、この条約の運用がますます急がれています。批准国・地域は69に増えているのに、日本はいまだに背を向け、同じ米国の核の傘を借りているドイツなどが表明した締約国会議へのオブザーバー参加すら拒んでいることが報告されました。
もう一つの広島県被団協の佐久間邦彦理事長も訪米を前に「会議が終わるまで、政府にオブザーバー参加を求め続ける」と、賛同を呼びかけました。(田中聰司)
ニューヨークの国連本部で開催の核兵器禁止条約第2回締約国会議を前にした11月16日、核兵器廃絶日本NGO連絡会が日本政府に対し要請を行ないました(写真)。
この日外務省を訪れたのは、連絡会に参加する14団体の17人。日本被団協から田中熙巳代表委員と和田征子事務局次長が参加しました。
要請書は「核兵器禁止条約第2回締約国会議に向けた要請と質問」として、2つの要請と4つの質問を載せています。
【要請事項1】核兵器禁止条約第2回締約国会議にオブザーバー参加し、日本政府として「核兵器のない世界」に向けて議論に積極的に貢献してください。
【要請事項2】12月8~9日に長崎で開催される「核兵器のない世界」に向けた国際賢人会議第3回会合にて、被爆者団体やNGOと賢人会議委員らが意見交換をする場を設けてください。
田中代表委員が要請書を軍縮不拡散・科学部の林美都子審議官に手渡し「日本は核兵器禁止条約に署名も批准もしておらず非常に残念。唯一の戦争被爆国の政府なのだから、核兵器をなくすためにリーダーシップをとってほしい」とあいさつしました。
外務省からは、オブザーバー参加についての明確な回答はありませんでしたが、賢人会議では対話の機会をつくると回答しました。
賢人会議、被爆者と対面
12月8日、長崎で開かれた外務省主催の「国際賢人会議」で、15人の委員全員と被爆者が対面する時間がありました。長崎被爆者4団体と日本被団協の代表の5人で、長崎被災協会長の田中重光日本被団協代表委員と木戸季市日本被団協事務局長が参加。30分間で5人が発言したのみで、対話や意見交換はありませんでした。
日本被団協は12月13日厚生労働省と事務折衝を行ないました。
10月の中央行動で厚労大臣宛の要請への回答がありましたが議論の時間がなく、改めて話し合いを求めていたもの。岡野和薫被爆者援護対策室長ほかが対応しました。
被団協からは木戸季市事務局長ほか在京の国会対策委員会のメンバーと中央相談所の原玲子相談員が参加。厚労省の「被爆者の介護手当より介護保険を優先する」との見解の誤りをただすなどしましたが、明確な回答は得られませんでした。
核兵器禁止条約第2回締約国会議が11月27日~12月1日、ニューヨークの国連本部で開かれました。日本被団協から箕牧智之代表委員と木戸季市事務局長が参加(詳報4~5面)。会議は35項目からなる「宣言」を採択し終了しました。「宣言(暫定訳)」の抜粋を2回に分けて紹介します。
1 我ら、核兵器禁止条約(TPNW)の締約国は、核兵器がもたらしている人類に対する実存的脅威に取り組み、その禁止と完全な廃絶への誓約を支持するという揺るがない決意のもと、第2回締約国会議に集った。
2 我らは2022年ウィーンで開催された第1回締約国会議の成功を祝福するとともに、ウィーン行動計画を含む、同会合の宣言、成果および決定を歓迎する。
3 我らはウィーン行動計画の広範な行動において締約国が達成してきた進展を歓迎し、非公式作業部会の共同議長、推進役、窓口の有能な任務遂行能力を認める。
4 第1回締約国会議以降、条約の普遍化に向けて進展も続いている。
5 条約は現在、93の署名国と69の締約国によって、強固なものとなっている。我らは、まだこの条約に署名および批准または加入していない全ての国に対して、遅延することなく、署名および批准または加入することを改めて求める。
6 核兵器の影響に関する証拠に基づいた政策立案が、核兵器の廃絶に関する全ての決定および行動の中心になければならない。多国間条約において核軍縮を前進させるために創設された初の国際的な科学機関である科学諮問グループは、この条約に対する認識を強化し、その普遍化を推進するために、より広範な科学コミュニティーとのネットワークを構築し、維持することにも役立つ。
7 核兵器禁止条約は、国際赤十字・赤新月者連盟や核兵器廃絶国際キャンペーン、その他の関連する国際および地域的組織、非政府組織、学術界、個人、宗教指導者、核兵器の被害者、核兵器の影響を受けているコミュニティーなど、幅広い利害関係者に積極的に関与することで恩恵を受け続けている。我らは、この条約のジェンダー条項と、核軍縮における女性と男性の平等で完全かつ効果的な参加が不可欠であることを再確認する。
8 核のリスクは、その強調度をますます高めていること、核兵器の質的近代化と量的増加が進行していること、緊張が高まることによって、とりわけ悪化している。この危険な転換点で人類が世界的な核の破局に近づく兆候が示されるなか、我らは何もせず傍観していることはできない。
9 我らは、核兵器の壊滅的な人道上の結末に対する深い懸念を再確認する。それは、国境を越え、人間の生存と福祉に重大な影響をもたらし、生存権の尊重とは相容れない。核兵器の使用は、環境、社会経済的および持続可能な開発、グローバル経済、食料安全保障、核兵器の女性および少女への不均衡な影響を含む現在および将来世代の健康に対して長期にわたる損害を与えうる。
10 核兵器の壊滅的な人道上の結末と核兵器に関するリスクは、核軍縮の道徳的および倫理的要請と、核兵器のない世界の達成および維持の緊急性の根拠となるものである。これらは、この条約の創設を促し、その実施を導いている原動力である。これらの考慮は、全ての軍縮政策の中心に据えられなければならない。
11 過去の核兵器の使用および実験は、制御することが不可能な破壊力と無差別な性質によって引き起こされる受け入れがたい人道上および環境上の結末と現在も続く負の遺産の存在を明確に示している。我らは、TPNWの積極的義務を含め核兵器の使用および実験による危害に対処することへの支持を再確認する。
12 新たな科学的研究は、核兵器の壊滅的な人道上の結末とそれに関連するリスクの多面的かつ連鎖的な影響を強調している。この科学的証拠は、国際的なレベルにおける緊急の政策的対応を必要とするものである。
13 核兵器の使用に対抗する唯一の保証は、その完全な廃絶と、核兵器が再び開発されることはないという法的拘束力のある保証である。
14 我らは、核兵器のいかなる使用も使用の威嚇も、国際連合憲章を含む国際法の違反であることを強調し、さらに核兵器のいかなる使用も国際人道法に反することを強調する。そのような威嚇は、軍縮・不拡散体制および国際の平和と安全を損なうものでしかない。我らは、いかなるそして全ての核兵器による威嚇を、それが明示的であるか暗黙的であるかに関わらず、またどのような状況であるかに関わらず、明確に非難する。
15 大量破壊をもたらすという威嚇は、人類全体の正当な安全保障上の利益に反するものである。これは危険で、誤った、受け入れがたい安全保障へのアプローチである。核の威嚇は容認されるべきではない。
16 我らは、核兵器の使用および核兵器の使用の威嚇は認められないという明確な認識が広がっていることを称賛する。しかし、これらの宣言は、声明を超えて、有意義かつ目に見える行動に結びつくものでなければならない。
17 核兵器は、平和と安全を実現するどころか、強制、脅し、緊張の激化につながる政策の道具として使われている。核抑止を正当な安全保障ドクトリンとして改めて提唱し、主張し、正当化しようとする試みは、国家安全保障における核兵器の価値に誤った評価を与え、危険なことに核兵器の水平的および垂直的拡散のリスクを高めている。
18 我らが前回集ったときよりも多くの国が、拡大核抑止による安心供与や核配備の取り決めのもとにある。核軍縮・不拡散体制を損なういかなる傾向も懸念される。我らは、非核武装国の領域における核兵器のいかなる配置も憂慮する。TPNWは、核兵器の移譲や管理の受領も、核兵器の配置や設置、配備を許可したりすることも明確に禁じている。我らは、そのような核の取り決めを持つ全ての国に対し、それらに終止符を打ち、この条約に参加するよう強く求める。
〈核兵器廃絶日本NGO連絡会翻訳チームの訳文をもとにしました〉
核兵器禁止条約(TPNW)の締約国による第2回会議が、11月27日~12月1日、ニューヨークの国連本部で開催され、日本被団協は2人の代表(箕牧智之代表委員、木戸季市事務局長)を送りました。会議の中では、冒頭のハイレベルセッションでの発言と、パネル討論のパネリストとして発言。会議の成功に大きな役割を果たしました。また、各種サイドイベントへの参加、街頭行動、世界の若者や核被害者との交流、大学や高校での証言活動など、多彩な活動を行ないました(日程別項)。
ハイレベルセッションで発言する木戸さん | 平和首長会議イベントで発言する箕牧さん(中央) |
パネル討論のパネリストたち | 学生たちと |
韓国のみなさんと | 教会で証言する箕牧さん |
国連本部前の集会 | 核被害者フォーラム |
若者たちと | NY市立大学ラガーディア校の先生方と |
写真は、UNTVの画像のほか、永野友雅さん、レイチェル・クラークさん、大村義則さん、箕牧智之さんの提供です。
25日 ニューヨーク到着
26日 ICANキャンペイナー会議に参加
27日 TPNW会議パス受け取り
会議・ハイレベルセッションで木戸が発言
会議・核兵器の人道的影響に関するテーマ別討論で木戸がパネリストとして発言
サイドイベント・「核兵器のない世界を求める市民社会の声」で箕牧が発言
ジャパンソサエティーのコンサート
28日 各国市民社会による街頭デモ
サイドイベント・若者の集会で箕牧が発言
ミッドタウンの教会で証言、交流会
29日 核被害者朝食会
中満泉上級代表を木戸が訪問
サイドイベント・「人類と核兵器は共存できない」で木戸が発言
NY市立大学ラガーディア・コミュニティーカレッジで箕牧が証言
国連日本代表部を木戸が訪問
30日 NY日本領事館前での訴えに木戸が参加
ブルックリンの高校で箕牧が証言
ドキュメンタリー映画「広島への誓い」上映会
1日 会議最終日傍聴
2日 ニューヨーク出発(3日帰国)
*イベントがない時間は基本的に会議を傍聴しました
11月27日からの核兵器禁止条約第2回締約国会議に合わせ、25日~12月2日、ニューヨークに滞在し会議の傍聴、サイドイベントへの参加、学生や市民への証言活動をさせていただきました。
27日、平和首長会議での発言は、広島市長、長崎市長、そして朝長万左男先生と4人で行ない、会場は座れないほどの人でした。私は写真と絵を掲げて証言し「人間の命、あなたの命も私の命も同じだけ重い、地球よりも重い」と述べると会場は大きな拍手にわきました。ICANの新しい事務局長もおられました。
若者たちへの証言やニューヨーク市立大学での証言、ブルックリンでは高校生に証言しました。プロジェクターを使っての証言は高校生、大学生にはよく理解されたようで、女の子が涙を流し、質問も多く、核兵器の恐ろしさが理解されたと手応えを感じました。
会議の最終日は傍聴しました。「宣言」について各国とも異論なく大賛成の中、大きな拍手で議場は興奮気味の中閉会されました。
次回は2025年3月3日からニューヨーク国連本部で開催、議長国はカザフスタンです。
箕牧代表委員と共に核兵器のない世界をめざす核兵器禁止条約締約国会議に出席してきました。私は冒頭のハイレベルセッションと核兵器の非人道性に関するパネルデスカッションで発言したほか、会議を傍聴してその成功に努めました。
冒頭発言では会議の成功を願い、パネルデスカッションでは、ふたたび被爆者をつくらないことを願って核兵器の廃絶と原爆被害への国の償いを求めてきた長年の日本被団協運動を伝えました。
締約国会議では終始熱心な話し合いが行なわれましたが、会議とは別に2回開かれた「核被害者の集い」も強く心に残っています。参加者は日本、韓国、南太平洋諸国とカザフスタン。核兵器禁止条約の6条と7条にある「被害者援護と環境回復」に関する当事者の集いです。ここに参加して2つの取り組みが必要と感じました。ひとつは核被害の実態を徹底的に調査・研究すること、もうひとつは被害者援護と環境回復を実現するための国際的運動をすすめることです。
会議に向け日本からは私たちのほか、日本原水協(被爆者の金本弘さん、佐久間邦彦さんと二世の大村義則さんも)、原水禁、NGO連絡会、ピースボート、ノーニュークストウキョウ、反核法律家協会、反核医師の会などの市民団体、国会議員(公明・谷合正明、立憲・塩村あやか、共産・笠井亮、れいわ・櫛渕万里の各議員)など多数が参加していました。
それにしても情けなかったのは「唯一の戦争被爆国」を自称する日本政府の姿が見られなかったことです。米政府の顔色ばかり見て、日本国民の願いを聞かない政府とはどこの国の政府でしょうか。悲しい限りです。
私は今、核戦争が起こされるのではないかという恐怖にかられています。核戦争の危機が高まっています。ウクライナとガザから伝えられる光景は被爆者にとってあの日の再来です。核戦争が起これば何もなくなった真っ黒の街、死体の山、死の世界が残るだけです。
広島・長崎に投下された原爆は「いのち、からだ、くらし、こころ」の被害をもたらしました。原爆は、人間として死ぬことも、人間らしく生きることも許さない絶滅だけを目的にした「狂気」の兵器です。人間として認めることのできない絶対悪の兵器です。
原爆投下によって世界は一変しました。原爆が人類を滅ぼすか、原爆を無くし人間が生き残るかの世界です。
1954年3月にアメリカが行なった水爆実験によるビキニ事件を契機に起こった原水爆禁止運動に励まされ、広島・長崎の被爆者は被爆から11年後の1956年8月に日本被団協を結成しました。「私たちは自らを救うとともに、私たちの体験をとおして人類の危機を救おう」と誓い合いました。それから今日まで、「ふたたび被爆者をつくるな」とあきらめることなく闘ってきました。日本国内はもとより世界の各地を訪れ、非人道的な核兵器被害の実相を伝え、核兵器の廃絶を訴え続けてきました。核兵器の非人道性に関する国際会議、核兵器禁止条約交渉会議に参加し核兵器禁止条約の成立にも尽力しました。
今日から始まる第2回締約国会議では、昨年のウィーン宣言と行動計画を受け、核被害者への援護をはじめ希望をもたらす会議となることを心より祈念しています。
核兵器禁止条約(TPNW)第2回締約国会議が11月27日から12月1日にニューヨーク国連本部で開催され、宣言「核兵器の禁止を堅持し、その破滅的結果を回避するための私たちの誓約」を採択し終了しました。
ロシアやイスラエルの核使用の威嚇のもとで、会議には締約国だけでなくオブザーバーとして35カ国が出席して討論されました。次回会議に向け被害者支援や環境修復の計画など条約の6条と7条に関する国際協力の推進が確認されました。
核兵器のない世界に向け、大きな転換点になったと強く感じました。
この会議に参加しなかった日本政府は、多くの市民社会の声を無視しこの流れに背を向けています。「唯一の戦争被爆国」を自称しながら、全く無責任と言わざるを得ません。
本締約国会議には、箕牧智之代表委員と木戸季市事務局長が日本被団協を代表して参加し、本会議では、TPNW第6条と第7条の核被害者の援護に関する国際的取り組みに関する討議での重要な役割を果たしました。
木戸事務局長は会議の冒頭、ハイレベルセッションで発言。また、核兵器の非人道性に関するテーマ別討論ではパネリストも務め、一貫して核兵器のもたらす結末について訴え、大きな共感を得ました。
箕牧代表委員は会議の内外で原爆被害者としての証言に立ち、多くのNGO代表も参加した多方面にわたる討議の中で、被爆者として締約国会議の成功に大きく貢献しました。
TPNW第2回締約国会議でえられた知見をもとに、これからの日本被団協の運動において新たな課題に取り組む決意を固めました。
2023年12月5日
日本被団協
代表委員 田中熙巳
代表委員 田中重光
代表委員 箕牧智之
事務局長 木戸季市
11月23日、核兵器廃絶ネットワークみやぎの講演会&第2回総会を、仙台市福祉プラザで開催しました。
開会あいさつで、木村緋紗子代表は「核兵器禁止条約の発効で希望を持てたが、翌年のロシアによるウクライナ侵攻、そしてイスラエルの戦争が起き落胆している。戦争は絶対にやってはいけない。広島・長崎両市長の平和宣言に勇気をもらえた。日本政府は、核兵器禁止条約に参加・批准すべき。それには、国民一人ひとりの行動にかかっている。核なき世界に向けて活動してまいりましょう」と話しました。
講演会は、非核の政府を求める宮城の会事務局長、核廃絶ネットみやぎ署名呼びかけ人の杉山茂雅弁護士が「被爆者運動に関わって学んだこと」を話しました。
「原爆認定集団訴訟への関わりで田中熙巳さんと出会い、被爆者がどういう思いでいるのか、これまでどのように生きてきたのかなどを世の中の人びとに知らしめる必要性を痛感した。仙台地方裁判所での訴訟では、核兵器廃絶を求めることにつなげなければならないとの思いから、裁判長の心情に訴え気持ちを動かす必要があると考えた。原爆の被害をきちんと示すため、何が起きたのか写真や書物を読みまくった。同時に医学的な立証も必要だった。国は科学的に立証できないかぎり認めてくれない。2007年3月、仙台地方裁判所は、原告2名に対し原爆の放射線と病気との因果関係を認め、厚生労働大臣の認定申請却下処分を取り消す判決を下した。ガン予防について認めたのは仙台地裁のみ。被爆の実相を世界に知らせていく必要がある」と強く訴えました。
引き続き第2回総会を行ない、事務局からの提案の後、4人の方から議案に対する質問や意見、参加組織の核兵器廃絶への取り組みの報告などがありました。議案は全て承認され、2024年に向けての取り組みが共有されました。(核廃絶ネットみやぎ)
11月16日、東友会は結成65周年を迎えました。これを期して19日に開かれた記念式典と祝賀会には、139人が参加し、東京の被爆者の長年の活動を讃え合いました。
式典は、ネバー・アゲイン・キャンペーンの一期生、中村里見さんのミニコンサートで開会。
家島昌志代表理事が「被爆者平均年齢が85歳となり、このような式典も長年の悲願である核兵器廃絶も、私たちには難しい課題になったが、命ある限り核兵器廃絶の運動をたゆむことなく続けたい」と挨拶。東友会の65年間の活動がスライドで紹介されました。
その後、東京都、広島市、長崎市が挨拶。公明党の山口那津男代表、社民党の福島みずほ党首、共産党の小池晃書記局長をはじめ自民、立憲民主、生活者ネットの代表が挨拶しました。
感謝状は東友会と長年協働を続けている東都生協、岩波書店労組、日本原水協など5団体と医師、弁護士などの8人、被爆者15人に贈呈。記念品とした被爆二世の陶芸家の湯飲みが好評でした。
祝賀会は東京都生協連の村上次郎会長理事の乾杯の発声ではじまり、日本被団協の田中熙巳代表委員を皮切りに、「おりづるの子」(東京被爆二世の会)の青木克明代表など参加した団体代表、感謝状を受けた被爆者などから挨拶や激励が続きました。(村田未知子)
毎月22日に東京・日野市の高幡不動駅で、被爆者の声を発信しています。11月22日は、被爆者の片山由美子さんと井上のふたりで、ハンドマイクで訴えました。
岩波ブックレット『被爆者からあなたに』を紹介。また片山さんの「入市被爆したものです。私たちの頭上に二度と原子爆弾が落ちてはなりません」との力強い言葉が駅前に響きました。
『被爆者からあなたに』で、「受忍論」が被爆者に自助とがまんを強いるもので、公助を後回しすることは民主主義の国として許されない、としていること、ウクライナ戦争におけるロシアの核威嚇は絶対に許されないこと、世界で反核キャンペーンが取り組まれていることを報告しました。
高齢の女性から声援をいただきました。
(井上葉末)
『原爆とたたかい続けてー東京の原爆症認定訴訟』 「原爆とたたかい続けて」編集委員会編
2011年に終結した原爆症認定集団訴訟に続いて、12年3月27日に東京地裁に提訴され、18年12月24日に原告団長の山本英典さんの東京高裁での勝訴判決で終わった「ノーモア・ヒバクシャ東京訴訟」が、原告全員勝訴という成果をあげたことを豊富な写真とともにまとめた1冊。
法廷を圧倒した被爆者の証言、厚労省のなり振り構わぬ攻撃とそれに反撃した弁護団、証言した各医師の努力、裁判を支えた東京の被爆者のことが紹介されています。
編集委員の1人である宮原哲郎弁護士は、「32人の原告の内すでに18人もの原告が帰らぬ人となっています。亡くなった被爆者のためにも、厚労省が頑なに拒んでいる原爆症認定制度の抜本的な改定のための運動を、さらに強く押し進めなくてはという思いを新たにしました」と話しています。
「証言活動のしおり」改訂版入手しました。2003年発行の分はしおりだらけ、マーカーの跡だらけ、手ずれもあってもうかなり傷んでいます。また、データもその都度書き加えているので、赤ペンもかなり入っています。その分、最新のデータはありがたいです。また、2003年版に証言が載っている方々がみなさん故人になられていることで、ますます「語り継がねば」の責任感に迫られています。
兵庫二世の会制作の脚本例は、知人がかかわっているのでこれも誇らしいです。
11月末から12月初め、芦屋市内の小学校は「平和を考える週間」としてのプログラムがあり、芦屋市原爆被害者の会の会員が4つの小学校で「平和学習講話」をします。さっそく、改訂版からの情報を取り込みます。ありがとうございました。
【問】1年前に「脳血管障害」を発症し、回復期リハ病棟でリハビリを受け、何とか退院しました。「右片麻痺」が残り身体障害者2級の手帳を交付されました。一人暮らしですが、退院後はデイサービスに通いながら近くに住む娘が泊まり込んだり、通ってきて介助してくれていますし、近所の友達の援助で何とか生活をしています。
杖をついても転びやすく、衣服の着脱にも介助が必要なことが多いため被爆者の介護手当が受給できないかと主治医に相談し、診断書を書いてもらって申請しました。ところが保健所の担当者に「家族介護手当は重度障害でないと受給できない」と言われました。「家族介護」ではないと思うのですが。
* * *
【答】介護保険では24時間365日支援を受けるわけにはいきません。特に、ヘルパーの生活援助の制限は著しく、どうしても別居している家族や友人、知人、または介護保険外で専門家の援助を受けないと暮らしは成り立ちません。
あなたの場合、娘さんの介助ということで担当者が家族介護手当の対象と判断したようです。家族介護手当の対象は重度障害のみ。これは家族が介護するのは当たり前という、日本の介護観によるものでしょう。
別居している家族が通ってきたり、時には泊まり込んで介護している場合は、家族介護ではなく費用介護に該当します。たとえ肉親でも、交通費をかけて通い、自分の生活や家族の協力で介護にかかわることができているのですから、十分でなくても対価は支払いたいと思うのが常識です。
費用介護の対象になる障害には、中等度と重度があります。あなたの場合は主治医が中等度と判断して診断書を書いてくれたと思いますので、その旨をきちんと担当者に話してみてください。
被団協では各県の窓口の対応について問題がある場合には厚労省に改善するよう具体的に申し入れています。ただ、先日の厚労省要請で「介護保険サービスは質の高いサービスを提供しているので、それを優先して」という回答がありました。これには納得できません。被爆者の介護手当は介護保険とは別の制度です。1968年に制度化されたもので、被団協が勝ち取ってきた制度です。
私たちも被爆者援護の独自の制度は介護保険と並立で利用できることをしっかり確認しておく必要があります。
『被爆者相談のための問答集〈介護編〉』
介護保険サービスや、被爆者独自の介護手当の内容や申請方法など詳しく解説しています。
400円(送料別)。
『被爆者相談のための問答集№30〈改訂版〉』
現行法による被爆者施策を詳しく解説。「介護編」と合わせて活用を。
400円(送料別)。
『証言活動のしおり〈改訂版〉』
『証言活動のしおり』20年ぶりの改訂版。証言をしたときによく出される質問への対応例、証言活動の実例や証言のための参考文献、資料と用語集、などを収録。
700円(送料別)。
いずれもお申し込みは日本被団協事務局まで。