Playtime

1967

監督・脚本
  ジャック・タチ
     
出演
  ジャック・タチ
バルバラ・デネック
     


    今年(2003年)の夏行われた「ジャック・タチ映画祭」で幻の大作「Play Time」の復元版が上映された。長い間見てみたいと思っていた映画だったのだが予想通りジャック・タチの最高傑作であり映画史に残る1本であった。

 ジャック・タチは75年の生涯に6本の長編と数本の短編を作っただけである。恐るべき寡作であるが彼の徹底的な完璧主義からしてそうならざるを得なかったのだろう。1949年長編「のんき大将脱線の巻」で陽気な郵便配達夫を演じ人気を得、1953年「僕の伯父さんの休暇」1958年「僕の叔父さん」で国際的評価を得て9年の歳月をかけ「Play Time」を製作。しかし興行的に失敗、破産に陥る。以後1971年「トラフィック」1974年「パラード」を製作。1982年死去。これがジャック・タチの大まかな人生である。
 ジャック・タチの定番キャラクター「ムッシュー・ユロ」は長編2作目「僕の叔父さんの休暇」で始めて登場する。この邦題は問題があり「僕の叔父さん」が先に公開されたためにこの題名がついたが原題は「ユロ氏のヴァカンス」である。この時点ではユロ氏は誰の叔父さんでもなかったのである。長編3作目「僕の叔父さん」においてユロ氏とその妹夫婦の息子との交流を描いた作品で、ユロ氏は「叔父さん」としての地位を獲得する。以後「Play Time」「トラフィック」とユロ氏は登場する。一連のユロ氏ものを通して見てみるとこのユロ氏という人物はチャップリンのそれと似て一つのキャラクターであり同一人物であるという訳ではない。

  ユロ氏は受動的な役柄とはいえ「休暇」「僕の叔父さん」ではまだ主役の役回りをしていた。しかし70mmフィルムによる「Play Time」では我々が考える意味での物語の主役を放棄してしまっている。この辺にこの映画の公開当時の失敗があるようであるが、「主役、物語の喪失」でありながらこの作品は人を感動させる不思議な作品となっている。

 物語は前半後半に別れ前半はユロ氏が面会に行った相手となかなか会えないすれ違い、後半は新装開店のナイトクラブでアメリカ人観光客バーバラとの交流を描く。それが巨額の制作費を投じて作られた近代的なパリのビル街を舞台に描かれるのである。70mmのヴィスタサイズに隅々まで明晰に描かれる風景、人々は一度に捉えることは難しく、私は映画館で2回見たがその後仏版DVDで見返すごとに新たな発見をしている。「Play Time」というのは観客にむけてつけられた題名なのかもしれない。

 




    本作におけるタチの徹底した計算は映像はもとよりセット、人物、音楽、効果音、映画内での時間軸にまでに至る。DVDを見てはじめて気がついたのだが群集が映し出されるシーンでは観客の視界の負担を軽減させるためであろうか、なんと紙に書かれた人物を配置している周到ぶりである。小さくてわかりにくいが左下のオフィスのシーンでも書割の人間が存在する。広い視野をまるで探し回らなければならないような感覚にとらわれるのもこの映画の特長であろうか。

 「タチヴィル(タチの都市)」と呼ばれるこのパリの風景は全て屋外に立てられたセットである。ビル郡もいくつかは張りぼてである。短編「僕の叔父さんの授業」のラストでビルが左右に割れて見ている物を吃驚させるシーンがあるが張りぼてのビルを人が押して動かしているのである。タチの映画は「文明社会の皮肉」と言われる事があるが私はそうは思わない。「僕の叔父さん」の下町の家も妹夫婦の近代的な家もタチヴィル、近代的ビル郡も多分にタチの愛情のこもったものであるように見える。操作のややこしい機械を相手に苦戦する守衛(左上)にしても文明と付き合っていく人間に対する愛情に満ちた視線を通して我々に届けられている。グロテスクな反ユートピアとしての未来の構図はタチの映画には現れてこない

  本作はとにかく映像が美しい。タチの映画は全て映像が美しいが70mmフィルムで撮られた本作品は特別に美しい。中でもアメリカ人観光客バーバラがビルに入ろうとする際ガラスの扉にエッフェル塔が反射するシーンの美しさは何度見ても感動する(右上)。昔「サウンド・オブ・ミュージック」を映画館で見た時、シネマスコープ画面にスイスの山々や空が映し出される美しさに目を奪われたが、本作も一点の汚れのない清潔な映像で、このタイプの映像の好きな人にはたまらない作品であろう。少なくとも私はこのシーンだけでも100点満点をあげたい。

 喜劇と呼ぶのを躊躇いたくなるのがジャック・タチの映画である。その笑いは爆笑ではなく微笑、人の心を丸くさせる類のものである。「僕の叔父さん」ではギャグはそれ自体が一つの効果として扱われていた。しかし、「Play Time」「トラフィック」ではギャグは意味を成さず連続的におこり時には一つの画面で複数のギャグがおこる事さえある(「トラフィック」の交通事故のシーンなど)。そこでは画面に中心はなく観客10人が違うものを見ているということさえおこり得る(昔「ウォーリーを探せ」という絵本があったが、あれもこの延長線上にあるのであろう)。

 




    映画のラストシーン、バーバラがユロ氏からもらったスカーフの中に鈴蘭のアクセサリーが入っている。バスから彼女が外を見るとやはり鈴蘭に似た街灯が並んでいる。彼女を乗せたバスはメリーゴーランドのように道路を廻り去っていく。ここで2時間かけて1日を描かれた映画の時間は急に加速する。ラスト5分で街は暗くなり夜になる。それにあわせて音楽もテンポアップする。このシーンの素晴らしさは奇跡としか言いようがない。画面がフェードアウトして真っ暗な画面になってからも音楽は続き、観客は幸福な時間を過ごしたことの確認をする‥‥。

 まだまだ、書き足りない事があるが実際のところは多くを書きすぎたのかもしれない。この映画の素晴らしさはここで云々するよりも1回見れば十分であろう。

 残念なことに「Play Time」は国内ではビデオ、DVDは発売されていない。私は仏版DVDを買ったが当然字幕はない。しかし極端に科白が少なく、しかも科白は物語に必要ない(というより所謂ところの物語自体がない)ので映画を見る分にはまったく問題がない。興味のある向きは是非見てみることをお勧めすすめ次第である。

 追記:ジャック・タチの作品はほぼ全て邦版DVDで発売された。「P;aytime」には短編「僕の叔父さんの授業」も収録されている。興味のある向きは購入をお勧めする。

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