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◆ カナヤマ世界の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S WORLD HISTORY HANDBOOK.
カナヤマ 世界歴史 辞典
日本語版
見出し語 『 つ 』。
メ ニュー (目次) #jpmenu
■ 次の項目を選び、クリックして下さい。
□ 世界史辞典 (総合)。
□ つ ● 五十音順 ( アイウエオ順)。
□ 見出し語 つは。
〇 つた ツタンカーメン。
(古代エジプト国王)。 《人名》。
(国王在位:紀元前1361年頃
ー前1352年頃)。
TUTANKHAMUN.
○ 古代エジプトの国王(ファラオ)。
○ エジプト王国の、エジプト新王
国の国王。
○ エジプト王国の、エジプト第18
王朝の国王。
(⇒ 古代エジプト)。
(⇒ エジプトの歴史、
■ ツタンカーメン (英:TUTANKHAMUN)
は、 古代エジプト国王 (王在位 :紀元前
1361年頃ー前1352年頃)である。
■ ツタンカーメンは、 古代エジプトの国王
(ファラオ)であり、 エジプト王国の、エジプト
新王国の国王 であり、 エジプト王国の、エジ
プト第18王朝の国王である。
〇 つば ツバル。
(現存独立国)。 《国名》。
国名略号: Ⓞ Ⓘ TUV。
● 国名: ツバル。
● 英語国名: TUVALU。
● ツバルの位置 (英:THE
TUVALUAN (TUVALU’S)
LOCATION) :
オセアニア、 南太平洋地域の島。
● ツバルの国民 (英:THE
NATIONAL(S) OF TUVALU) :
ツバル人 。
(英:TUVALUAN(S))。
● ツバルの概要や歴史の簡略表
記載。
(⇒ ポリネシア)。
(⇒ 太平洋地域)。
(⇒ オセアニア)。
(⇒ 世界)。
カ国)リスト)。
(⇒ 国民名(約200カ国)リスト)。
〇 つば ツバルの歴史。
(つばるのれきし) 。
《各国史》。
THE HISTORY OF TUVALU.
(⇒ ツバル歴史ガイド
ブック)。
(⇒ 世界・各国史ガイドブック)。
〇 つば ツバル歴史ガイドブック
(簡略) (つばるれきしがいどぶっく)。
《各国史》。
THE GUIDEBOOK OF THE
HISTORY OF TUVALU.
○ ツバルの歴史の総合ガイド
ブック。
(⇒ 世界・各国史ガイドブック)。
● 五十音順 (アイウエオ順)。
■ 『 現在は、過去の成果であり、
未来は、現在の成果である。 』
(良き現在は、過去の人々の良き努力
や活動の積み重ねの成果であり、
明るい良き未来は、現在の人々の、
良き努力や活動の積み重ねによって
形成される。)
■ 上位のWEBサイト。
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◆ 世界史辞典。
● 見出し語は、グリーンでマークされています。
■ ツタンカーメン
(つたんかーめん) 。
■ ツタンカーメン。
■ 名称 : ツタンカーメン (つたんかーめん)。
英名 : Tutankhamun, Tutenkhamen,
Tutenkhamon。
■ 古代エジプトの国王(ファラオ)、
国王在位、紀元前1361年頃〜前1352年頃。
■ エジプト王国 (紀元前3100年頃〜前332年、
エジプト第1〜31王朝)の、 第18王朝の国王
(ファラオ)。
■ エジプト新王国の国王 (ファラオ)。
■ 1922年に、考古学者のハワード・カーター
が、エジプトの王家の谷で、ツタンカーメンの墓
を発見した。
参照してください。
■ ツタンカーメンの黄金のマスクは、 世界的に
知られている。 ツタンカーメンの墓で、 棺
(ひつぎ)の中に置かれていた。 古代エジプ
トでは、黄金は、 永遠の命(いのち)の象徴で
あった。
■ ツタンカーメンの墓は、 王家の谷で、発見
された。 王家の谷は、 エジプト中部のルクソ
ール (Luxor,古代エジプトでは、 テーベ
(Thebes))の近くにある (ナイル川を挟(は
さ)んでルクソール(テーベ)の対岸にある)。
■ ツタンカーメンは、 墓で、 黄金のマスクを
かぶったミイラの状態で、発見された。
古代エジプトでは、 死後の再生、復活を
願って、 死体をミイラにした。 古代エジプト
人は、 肉体は滅びても、 魂(たましい)は来
世で復活し、 年に1度、 この世に戻ってくる
と考えていた。
■ ツタンカーメン は、 およそ3300年前の
ジプト王国 (紀元前3100年頃〜前332
年、 エジプト第1〜31王朝、 英名:THE
EGYPTIAN KINGDOM) の国王(ファ
ラオ) で, 国王の在位 は、 紀元前13
61年頃から前1352年頃まで である。
■ ファラオとは、 古代エジプトの国王であり、
古代エジプトでは、国王をファラオと呼んだ。
■ ツタンカーメン は、エジプト王国の、エジ
プト新王国 (エジプト第18〜20王朝、英名:
THE NEW KINGDOM) の国王(ファラ
オ)で、 エジプト王国の、エジプト第18王朝
(英名:THE 18TH DYNASTY) の国王
(ファラオ) であった。
● エジプト新王国 は、紀元前1567年頃から
前1085年頃まで存在し、 エジプト第18王
朝からエジプト第20王朝まで である。
■ ツタンカーメンは、英名は、Tutankhamun,
Tutenkhamen, Tutenkhamon である。
■ ツタンカーメンの王在位は、 紀元前1361
年頃〜前1352年頃である。 他の説は、紀
元前1333年頃〜前1323年頃 などである。
■ ツタンカーメンの墓。
■ ツタンカーメンの墓は、 エジプトの「王家の
谷」(英:The King’s Valley)で、 1922
年に、 イギリスの考古学者・ハワード・カー
ターにより発見された。 カーターの調査開始
から30年目で発見された。
ツタンカーメンの墓は、 約3350年前の
もので、 幸運にも約3350年間盗掘を免れ
て、発見された。
ツタンカーメンの墓 は、 「KV62」と呼ば
れる。 「王家の谷」 (英:KV、the King’s
Valley)では、19世紀以降の発掘調査により、
発見した順に番号を付け、 62番目 に発見さ
れたからである。
■ 盗掘回避の理由。
■ 紀元前1361年頃、 ツタンカーメン (王在
位、前1361年頃〜前1352年頃) が、 エ
ジプト王国の国王(ファラオ)となる。
ツタンカーメンは、19歳で急死する。 墓
も、エジプトのテーベ西岸の「王家の谷」で、
急いで作られ規模も小さく(4部屋しかなか
った)、葬(ほうむ)られた。 そのため、長年、
盗掘から免れ、 豪華な装飾品が残った。
■ 王家の谷。
■ 古代エジプトでは、 太陽の昇る東側のナイ
ル川の東岸に、 生ける者の都・テーベ(現ル
クソール)をつくり、 「来世があると考えた」太
陽の沈む西側のナイル川の西岸に、 死者の
都・王家の谷をつくった。 王家の谷は、 古代
エジプトの新王国時代の王族等の墓地 であ
る。
■ 「王家の谷」では、「KV62」のツタンカー
メンの墓以外の王の墓は、皆、既に盗掘の
被害にあい、財宝は奪われている。
「王家の谷」で1922年以来久しぶりに
2006年に、 「KV62」のツタンカーメンの
墓の近くで、他の墓が発見された。 その墓
は「KV63」と呼ばれる。 やはり、荒らされ
た跡があり、盗掘の被害にあっていた。 誰
の墓かは不明である。
■ ツタンカーメンの生涯。
■ ツタンカーメンは、古代エジプトのアマル
マ(英:Amarna)で生まれ、育った。
ツタンカーメンは、父の死で、10歳ごろに
王位に就(つ)き、19歳ごろに亡(な)くなる。
■ ツタンカーメンは、アマルナで即位した数年
後、アテン神の信仰をやめ、都を、アマルナ
から(を捨て)、メンフィスへ移し、アメン神の
信仰を復活した。
エジプトの民衆の多くが、かっての信仰
と伝統の復活を望んだため、 ツタンカーメ
ンがアマルナで王位に就いた数年後、ツタン
カーメンは、エジプトの多くの民の要望にこた
えて、 宗教改革をした父・アクエンアテン(ア
メンホテプ4世)が築いたアマルマの唯一神
のアテン(アトン)神と都を廃止し、 エジプト
の首都を、アマルマよりメンフィス(英:
Memphis)に移し、旧来のアメン(アモン)
神信仰を復活した。 ここに、 「アマルナ時代」
(紀元前1379年頃〜前1359年頃)が終わ
った。
当時のツタンカーメンの名も、「トゥトア
ンクアテン」(旧名、アテン神の生きる似姿)
から「トゥトアンクアメン」(新名、アメン神の
生きる似姿、ツタンカーメン)へと改名した。
そして、ツタンカーメンは、 年1回の
オペト祭を、アメン神殿で行った。 オペト祭
は、年に1度行われ、アメン神と妻のムトの
結婚を祝う古代エジプトの祭りである。
ツタンカーメンは、 若く勇敢な王(ファラ
オ)であった。 ツタンカーメンは、エジプトの
南にある、金の産地のエジプト支配のヌビア
の反乱を鎮圧した。 当時、エジプトでは、
金は、神々の肉と考えられ、エジプトは、金
の産地のヌビア(現在のスーダン)を手放す
ことはできなかった。
また、ツタンカーメンは、小アジア (現在
のトルコ)に勢力をもつヒッタイトとの激戦で、
戦いで勝利を得た。
■ ツタンカーメンの父・アクエンアテン(アメン
ホテプ4世)は、 古代エジプト王国の都を、
紀元前1379年頃、 テーベからアマルナ
へ移した。
ツタンカーメンの父・アクエンアテン(ア
メンホテプ4世)は、宗教改革を行い、アマ
ルナでアテン神に捧(ささ)げる神殿を造っ
た。
古代エジプトの新王国当時は、テーベの
市神(守護神)のアメン(アモン、英:Amon)
神崇拝が隆盛で、太陽神ラーと同一視され、
古代エジプトの首都テーべの神官の政治介
入や専横・堕落が増大した。 これを嫌った、
ツタンカーメンの父・アクエンアテン (アメン
ホテプ4世)は、古代エジプトの首都を、テー
ベ(英:Thebes)よりアマルナに移し、宗教
改革を行い、諸神の最高神のアメン(アモン)
神を否定し、 唯一絶対神としてアテン(アト
ン,英:Aton)神を人々に信仰させ、 古代
エジプト史でも特異な写実的なアマルナ芸
術が生まれた。 アクエンアテン (アメン
ホテプ4世)の王妃は、 ネフェルティティ王
妃である。
■ ツタンカーメンには、 6人の姉がいて、そ
の一人の姉が、アンケセナーメンである。
ツタンカーメンは、 姉のアンケセナーメンと
婚儀を結んだ(結婚した)。 当時は、古代エ
ジプトの王家では、 近親(結)婚は、王族の
血筋の純血を保てるとの理由でよく行われ
た。
■ ツタンカーメンの家族。
エジプトで保存されている、ミイラのDNA
鑑定等で、 ミイラからDNAサンプルをとり調
査して、近年、ツタンカーメン (英:Tutan-
khamun)の家族を特定し、家族が判明した。
ツタンカーメンの、王妃(夫人)は、 アン
ケセナーメン (英:Ankhensenamun) で
ある。
ツタンカーメンの、子(胎児) (英:baby
daughter)は、 氏名不詳である。 1922年
にハワード・カーターが発見した、ツタンカーメ
ンの近くに置かれていた2人の胎児ミイラの1
つである。
ツタンカーメンの、父 (英:father) は、
アクエンアテン (英:Akhenaten、在位、紀
元前1379年頃〜前1362年頃)で、 別名
は、 アメンホテプ4世(英:Amenhotep IV) 、
イクナートン である。 エジプトの都を、アマ
ルナに移す。
ツタンカーメンの、母 (英:mother)は、
氏名不詳で、 KV35号墓の年下の女性
(英:KV35 Younger Lady) である。
キヤ(側室夫人)またはネフェルティティ(王
妃)ではないかと推測されている。
ツタンカーメンの、祖父 (英:grand-
father) は、 アメンホテプ3世 (英:
Amenhotep III) である。
ツタンカーメンの、祖母 (英:grand-
mother)は、ティイ王妃 (ティー、英:Tiye)
である。
■ ツタンカーメンの死因。
ツタンカーメンの死因は不明であるが、
研究グループが、近年、ツタンカーメンのミ
イラをCTスキャンして調べた結果、 マラリ
アにかかっていたことや足を骨折して大怪
我をしていたことが判明している。
ツタンカーメンは、 マラリアの感染症
で病死したか、 事故で大怪我をし衰弱し
て事故死したか、 事故での大怪我とマラ
リア感染が重なって体力が衰えて死去した
などの説がある。
ツタンカーメンの事故死の説の場合、
当時、ファラオ(国王)は、 エジプト軍団を
率い優秀な戦士である必要があり、例えば、
馬に引かせる戦車(英:Chariot)で訓練中
に戦車より落ちて足を骨折し大怪我をし体
力が衰え死んだとも推定される。
♪♪ ツタンカーメンが登場する、興味深
い、ドキュメンタリー、映画、ドラマ。
★ ツタンカーメン が登場する、 興味深い、
ドキュメンタリー。
■ 『 ツタンカーメンDNA大解析
2 謎の死因に迫る 』。
(BBC放送・ドキュメンタリー)。
■ ツタンカーメンを詳細に述べる。
■ エジプト発掘 『 呪(のろ)われ
たツタンカーメンと王妃 』。
(「エジプト発掘」(第1〜4集シリーズ)
の第2集)。
(NHKテレビ・2009年放送ドキュメン
タリー番組)。
■ ツタンカーメンを詳細に述べる。
■ ツバル
■ ツバル。
■ 名称 : ツバル (Fc14)。
● 英名 : TUVALU (Fc14)。
■ 現存独立国。 《国名》。
■ 略称名 (略号コード) : Ⓞ Ⓘ TUV。
■ ツバルの位置
(英:THE TUVALUAN (TUVALU’S)
LOCATION) :
オセアニア、 南太平洋地域の島、
南太平洋のエリス諸島。
■ ツバルの国民
(英:THE NATIONAL(S) OF TUVALU) :
ツバル人 。
(英:TUVALUAN(S))。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
◆ 現在のツバル (TUV)。
■ 国の面積 : 約 26 KM2。
(Ar14)
■ 国の人口 : 約 10,000 人。
(Po14)
■ 人口密度 : 384.6 人/KM2。
(Pd14)
■ 国の首都 : フナフティ 。 (Ca14)
(英:FUNAFTI)。
○ 数値は、国連統計に基づく。
■ ツバル (英:TUVALU) (Fc14) は、
現在、南太平洋のエリス諸島にある独立
国 である。
■ ツバルの別名は、 エリス諸島 (英:
THE ELLICE ISLANDS) である。
■ ツバルは、主に、エリス諸島に位置して
いる。
■ ツバルの位置 (英:THE TUVALUAN
(TUVALU’S) LOCATION) は、
オセアニア、 南太平洋地域の島、 エリス
諸島 である。
■ ツバルの国民 (英:THE NATIONAL(S)
OF TUVALU) は、 ツバル人
(英:TUVALUAN(S)) である。
● TKKI カナヤマ著 電子書籍。
■ 略称名 (略号コード)。
ツバル (英:TUVALU)の略称名
(略号コード)は、Ⓞ Ⓘ TUV である。
● <FIFA国名・略号コード(Ⓕ)なし>
FIFA(国際サッカー連盟)の「正式な」
国名・略号コード (Ⓕ) はない (2012
年10月現在)。
● (Ⓞ): IOCコード 。
(Ⓘ): ISO 3166-1 alpha3 コード 。
(Ⓕ): FIFAコード。
◆ ツバルの歴史。
■ ツバルの簡略な歴史に関しては、 「ツバル
歴史ガイドブック」も参照してください。
◆ (Hi34) ツバル簡略歴史一覧表。
○ 現在から過去へ。
■ 1978年 − 現在。
● ツバル の統治。
○ 1978年から現在まで、
イギリス連邦自治領の、ツバル (1978年 −
現在) (独立国) が、 ツバル地域 (エリス
諸島) を統治する。
○ 1978年から現在まで、
イギリス連邦自治領の、ツバル (1978年 −
現在、英:TUVALU, THE COMMON-
WEALTH REALM (:THE SELF-
GOVERNING DOMINION OF THE
COMMONWEALTH OF NATIONS))
(独立国) が、 ツバル地域 (英:THE
REGION OF TUVALU) (エリス諸島)
を統治する。
○ 1978年に、 ツバル地域は、 イギリスより
独立する。
● TKKI カナヤマ著 ツバル歴史ガイドブック。
■ 1892年 − 1978年。
● イギリス支配下のツバル。
○ 1892年から1978年まで、
イギリスが、 ツバル地域 (エリス諸島(英:
ELLICE ISLANDS)) を支配する。
○ 1892年に、イギリスが、 ツバル地域 (エリ
ス諸島)を、「英領ギルバート・エリス諸島」と
して、支配する。
○ 1975年に、イギリスが、 「英領ギルバート・
エリス諸島」を、英領ギルバート諸島(現キリ
バス)と英領エリス諸島(現ツバル)に分離し、
エリス諸島をツバルと呼ぶ(名付ける)。
● TKKI カナヤマ著 ツバル歴史ガイドブック。
■ − 1892年。
● ツバルの先住民の独立居住。
○ 1892年まで、
ツバルのポリネシア人先住民 (英:THE
POLYNESIAN NATIVES OF TUVALU)
が、 ツバル地域(エリス諸島)に、 独立して
居住する。
● TKKI カナヤマ著 ツバル歴史ガイドブック。
『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上