◆ TKKI カナヤマ オフィシャル ホームページ。
TKKI KANAYAMA’S OFFICIAL HOMEPAGE.
◆ カナヤマ日本の歴史ハンドブック。
KANAYAMA’S JAPANESE HISTORY HANDBOOK.
◆ カナヤマ上杉謙信ガイドブック。
KANAYAMA’S UESUGI KENSHIN GUIDEBOOK.
(Kjhh)31442
カナヤマ 上杉 謙信
ガイドブック
上杉謙信 年表。
No.10。
■ パソコン、 ネットブックPC、 タブレット端末(PC)、
スマートフォン, ネットテレビ用 電子書籍。
メ ニュー (目次) #jpmenu
■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。
□ 上杉謙信 詳細年表。
□ 上杉 謙信 ガイドブックの内容。
■ 上位のWEBサイト。
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□ (Cse) 国際理解総合サイト (われら地球市民) >
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□ (Kjhh) 上杉 謙信 ガイドブック (要覧 ) >
□ (Kjhh) この日本語ページ 。
■ カナヤマ 主要 公式ホームページ 略語
一覧表。
LKOH GIMEH ETCSS GIMJH JTCSS EP
□ 主要サイト の略語・説明表 。
□ 日本史辞典の先頭ページへ。
◆ 上杉 謙信 ガイドブックの内容 :
■ 初学者・初心者用 オンライン 上杉 謙信 ガイドブック
(要覧)。
■ 上杉 謙信 (うえすぎ けんしん) 関連 初学者・初心者
向インターネット用オンライン 電子書籍 (ブック)。
■ パソコン、 ネットブックPC、 タブレット端末(PC)、
スマートフォン, ネットテレビ用 電子書籍。
■ 上杉 謙信 ガイドブック。
■ 上杉 謙信 の 入門 ガイドブック。
■ この本1冊で (このホームページ1つで)、上杉 謙信のこ
と(概略) が、一通り、わかります。
■ 上杉 謙信 は、 戦国時代(室町時代後期)、安土桃山時
代の、武将で、 越後 国 (えちごのくに、現在の新潟県)の
国主、戦国大名 で、 関東管領 (かんとうんかれい) となり、
義(道理)を重んじ、 関東、 信濃(しなの、現在の長野県)、
北陸の各地に進軍し、 多くの勝利をおさめた。
■ パソコン、 PDA(携帯情報端末) 用 WEBサイト。
● TKKI カナヤマ 著 上杉 謙信 ガイドブック (要覧)。
□ 日本史辞典の先頭ページへ。
◆ (Kjhh) 上杉 謙信
ガイドブック。
( 上杉 謙信 要覧 )
◆ 上杉 謙信 年表。
#uesugikenshindetailedchronology
■ 上杉謙信 詳細年表
(うえすぎけんしん しょうさいねんぴょう)。
◆ 上杉謙信 詳細年表。
■ 上杉謙信 (うえすぎ けんしん) の詳細に関しては、
『 上杉謙信 ガイドブック (要覧) 』 を参照して下
さい。
(たけだしんげん)、 北条氏康 (ほうじょううじやす)、
かつ) 』 の項目も参照して下さい。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典 31436。
■ 戦国時代については、『 中世日本歴史詳細 年表 』
を、安土桃山時代、江戸時代については、『 近世日本
歴史詳細年表 』を参照して下さい。
■ より理解を深めるために、 当年表と近い時期の日本
史辞典の年表の、 『 戦国時代 (室町時代後期) 年表、
吉 年表、 徳川家康 年表、 お江(おごう) 年表、 大奥
年表 』 も参照して下さい。
■ 当年表 は、 上杉 謙信 (1530年〜1578年) が
生きた時代の詳細年表 である。
■ 上杉 謙信 (うえすぎ けんしん、生没年 : 1530年
〜1578年) の時代の日本へタイムスリップして、 上
杉謙信の足跡、活動を見てみましょう。
■ 歴史学の立場から、年代を追って、 上杉謙信 の実
像(歴史的有名な人物には、実像と虚像がありますが)
を見てみよう。
■ 日付(年月日)は、全て旧暦、人物の年齢は、数え年。
● 一般的な歴史書籍で使用されているのと同じように、
当年表の日付(年月日)は、1872年(明治5年)12月
2日までは、旧暦(太陰太陽暦)を用い 、人物の年齢も
数え年を用いている。
□ 日本史 辞典 の先頭ページへ 。
◆ 上杉謙信 詳細年表。
● では、上杉謙信 (うえすぎ けんしん) に関係する出
来事を、年代順に、見てみ よう。
#uesugikenshindetailedchronology-1521
■ 1521年 ● 大永(だいえい、たいえい)改元。
(大永 元年) 1521年8月23日に、和暦の「永正」(え
いしょう) が、 「大永」 (だいえい・たい
えい、 大永元年・1521年・8月23日〜
大永8年・1528年8月20日) に改元さ
れる。
■ 1521年 ● 1521年11月、 後に上杉 謙信のライ
(大永 元年) バルとなる、 武田 信玄(たけだ しんげ
ん、太郎) が、 誕生する。
甲斐の戦国大名となる、武田 信玄
(たけだ しんげん、幼名:太郎) が、甲
斐(現在の山梨県)で、 甲斐国守護・武
田信虎(のぶとら)と信虎・正室の大井夫
人(おいいふじん)との間の子として、生
まれる。
■ 1528年 ● 享禄(きょうろく)改元。
(享禄 元年) 1528年8月20日に、 和暦の「大永」
(だいえい、たいえい) が、 「享禄」 (き
ょうろく、 享禄元年・1528年・8月20日〜
享禄5年・1532年7月29日) に 改元さ
れる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1530年 ● 上杉 謙信 (うえすぎ けんしん、虎千
(享禄 3年) 代) が、 誕生する。
越後の戦国大名となる、上杉 謙信
(うえすぎ けんしん、幼名:虎千代) が、
越後で、 長尾為景の子として、誕生する。
虎千代(後の上杉 謙信)が、 越後守護代
・長尾為景の4男(または3男)として、春
日山城で、生まれる。
■ 1532年 ● 天文(てんぶん、てんもん)改元。
(天文 元年) 1532年7月29日に、和暦の「享禄」(きょう
ろく) が、 「天文」 (てんぶん、てんもん、
天文元年・1532年・7月29日〜 天文24年
・ 1555年・10月23日) に改元される。
■ 1534年 ● 上杉 謙信の敵となる、 織田 信長 (おだ
(天文 3年) のぶなが、幼名:吉法師)が、 尾張で、 織
田信秀の子として、 誕生する。
■ 1536年 ● 武田信玄(太郎)は、 元服(成人)し、武
(天文 5年) 田 晴信(はるのぶ) と称す。
■ 1536年 ● 豊臣秀吉 (とよとみ ひでよし、幼名:日
(天文 5年) 吉丸?)が、 尾張で、弥右衛門の子とし
て、 誕生する。
■ 1541年 ● 北条家の北条氏綱が死去し、 北条氏康
(天文10年) が、 家督を継いで、 北条氏の第3代当主
となり、 1541年に、北条家の実権(1541
〜71年)を持つ。 一説には、1538年(天
文7年)に氏綱が、 隠居し、氏康に家督を
譲り後見していたとも言われている。
■ 1542年 ● 徳川家康 (とくがわ いえやす、幼名:竹
(天文11年) 千代) が、 三河で、松平広忠の子として、
誕生する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1543年 ● 上杉 謙信(虎千代)は、元服(成人)して、
(天文12年) 長尾 景虎(ながおかげとら) と名乗り、 栃
尾城に入る。
■ 1546年 ● 武田勝頼 (たけだ かつより) が、甲斐
(天文15年) の戦国大名の武田信玄の子として、 生ま
れる。
#uesugikenshindetailedchronology-1548
■ 1548年 ● 1548年 12月に、上杉 謙信 (長尾景
(天文17年) 虎)は、兄の晴景に代わって、家督を継ぎ、
越後・春日山城に入る。
上杉 謙信 (長尾景虎)は、19歳で、
長尾家の家督を相続し、 長尾氏の本拠地
である春日山城に入り、越後守護代となる。
■ 1550年 ● 越後国の守護・上杉定実が、後継者を遺
(天文19年) (のこ)さずに死去する (越後・守護家の断
虎)に、越後の国主の地位を認めた。
■ 1550年 ● 上田長尾家当主の長尾政景(まさかげ)が、
(天文19年) 上杉 謙信(長尾景虎)の長尾家の家督相続
に不満を持って、反乱を起こす。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1551年 ● 上杉 謙信(長尾景虎) は、長尾政景の反
(天文20年) 乱を鎮圧する。
● 上杉謙信(長尾景虎)の(実)姉の桃(仙
● 上杉謙信(長尾景虎)は、越後を統一し、
名実共に、越後国主となる。
■ 1551年 ● 織田信長の父・信秀が急死し、織田信長
(天文20年) が、織田信秀の家督を継ぐ。
■ 1552年 ● 第1次川中島の戦い。
(天文21年) 5回の川中島の戦いの最初の戦い、即ち、
回の戦いのうちの最初の戦い。 その後、今
回を含め信濃で5回戦ったが、 結局、勝敗つ
かず。
■ 1554年 ● 豊臣秀吉(木下藤吉郎) が、織田信長に
(天文23年) 仕える (家臣として仕え始める)。
互いに婚姻関係を結び、 甲相駿三国同盟
が成立する。
■ 1555年 ● 弘治(こうじ)改元。
(弘治 元年) 1555年10月23日に、和暦の「天文」
(てんぶん、てんもん) が、 「弘治」 (こうじ、
弘治元年・1555年・10月23日〜弘治4年・
1558年・2月28日) に改元される。
■ 1555年 ● 上杉 景勝 (かげかつ) が、 誕生する。
(弘治元年) この時、一方、上杉 謙信(長尾景虎)、26歳。
上杉 景勝 は、上杉謙信の姉の男子で、謙
信の甥(おい)であり、 後に、上杉謙信の養
子となる。
上杉 景勝 (うえすぎ かげかつ、幼名・
長尾 卯松(うのまつ)、(後に直江 兼続が仕
える主君・大名) が、 誕生する。
● 上杉 景勝は、 長尾政景(ながおまさか
げ)の次男 (長男は早世) で、 上杉 謙
信(長尾景虎)の甥(おい)である。
長尾 政景は、上杉謙信の姉婿で、上杉
景勝の父で、越後・坂戸城主(新潟県南魚
沼市六日町坂戸) である。
■ 1556年 ● 上杉 謙信(長尾景虎)が、出家すると宣
(弘治2年) 言して、高野山(一説には比叡山)へ向かう。
しかし、家臣達の説得で、出家を断念する。
謙信(景虎、27歳) は、越後の家臣達
が謙信の言うことに従わないため、越後の
国主を放棄し、逃走したが、 約1ヵ月後、越
後の家臣達に引き止められて、 越後の国
主に復帰した。
■ 1558年 ● 永禄(えいろく)改元。
(永禄 元年) 1558年2月28日に、和暦の「弘治」(こうじ)
が、 「 永禄」 (えいろく、 永禄元年・1558
年・2月28日〜 永禄13年・ 1570年・4月
23日) に改元される。
■ 1559年 ● 1559年2月に、武田信玄 (武田晴信)
(永禄 2年) は、 出家して、 徳栄軒信玄と号し、信玄
と呼ばれる。
■ 1559年 ● 織田信長 は、 尾張一国を統一し、 尾
(永禄 2年) 張国主となる。
■ 1560年 ● 直江 兼続 (なおえ かねつぐ、幼名・樋口
(永禄 3年) 与六) が、誕生する。
● 直江 兼続は、 越後の坂戸(さかど)城主
(現在の新潟県南魚沼市六日町坂戸)・長尾
政景(ながおまさかげ)の家臣、樋口 兼豊(ひ
ぐち かねとよ、樋口 惣右衛門(そうえもん))
の長男として、生まれる。
● この時、 上杉 謙信 (けんしん、長尾景虎)、
31歳。 上杉 景勝 (かげかつ、長尾 卯松)、
6歳。 上杉景勝は、上杉謙信の甥(おい)で、
長尾政景の次男(長男は早世)で、 後の直江
兼続の主君。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1560年 ● 1560年5月に、織田信長は、 桶狭間
(永禄 3年) (おけはざま)の戦いで、 今川義元を破る。
今川義元は、 尾張の桶狭間で、敗死する。
● 義元の部下として信長と戦っていた、徳
川家康(松平元康)は、尾張より、松平軍
の兵を撤退し、三河へ戻り、今川家から独
立する。
● 駿河の戦国大名、今川義元が、上洛途
中で、死去(敗死)する。
今川 氏真(うじざね)が、駿河・今川家
(氏)の家督を継ぐ。
● 今川 義元が敗死し、今川家が衰退の兆し
を見せ始めたので、武田信玄は、今川氏と
の同盟を破棄し(甲駿同盟を破棄し)、今川
領の駿河に侵攻しようと計画する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
#uesugikenshindetailedchronology-1561
■ 1561年 ● 1561年3月に、 北条氏攻め(小田原
(永禄4年) 城攻め)。 上杉謙信(長尾景虎) は、
関東管領・上杉憲政を擁して、 旧上杉家
家臣団10万人の大軍で、 北条氏康の北
条氏を攻め、 小田原城を包囲する。
● 1561年3月に、 上杉謙信(長尾景虎)
は、鎌倉の鶴岡八幡宮で、 上杉憲政より、
山内上杉氏の家督を継承(相続)し、 関
東管領に就任し、上杉政虎と称す。 その
後、1561年 12月に、上杉輝虎と称す。
■ 1561年 ● 第4回川中島の戦い。 1561年8月に、
軍1万3000人が、信濃(現在の長野県)
の川中島で、決戦を行うが、 勝敗がつか
ず、 互いに撤退する。
■ 1562年 ● 1562年1月に、 徳川家康(松平元康)
(永禄 5年) は、 織田信長と清洲同盟(織徳同盟)を
結ぶ。
■ 1564年 ● 直江兼続 (樋口 与六) が、 小姓・近
(永禄7年) 習として 上杉 景勝に仕える (家臣とし
て仕え始める)。 通説だが、 これを立証し
える史料はない。
■ 1564年 ● 謙信(上杉輝虎)の姉婿で上杉景勝の
(永禄7年) 父の、長尾政景が、 舟遊びの最中、溺
死する。
● 上杉 謙信(上杉輝虎)が、 長尾政景の
次男の、上杉景勝を養子とする。
● 第5次川中島の戦い (最後の川中島
の戦い)。 謙信の上杉軍と信玄の武田軍
の北信濃(長野県北部)での戦いで、勝敗
の決着つかず。
■ 1565年 ● 室町幕府の13代将軍の足利 義輝 (よ
(永禄 8年) してる、(将軍在位1546〜65年))が、
松永久秀(まつながひさひで)に殺される。
義輝の弟の足利 義昭 (あしかが よし
あき)は、 僧であったが、還俗 (げんぞく)
し、室町幕府の再興(さいこう)をめざす。
■ 1567年 ● 1567年10月に、 信長 は、 美濃(み
(永禄10年) の、現在の岐阜県)の斉藤氏を滅ぼす。
■ 1568年 ● 1568年11月に、 織田信長は、 足利
(永禄11年) 義昭(よしあき)を奉じて、上洛を果たし、
義昭を将軍位に就(つ)ける (将軍在位15
68〜73年)。 この戦いに、家康は、信長
へ援軍を派遣した。
■ 1568年 ● 武田信玄 が、駿河(するが、静岡県中
(永禄11年) 部)を占領する。 今川氏真(うじざね) が、
駿河を離れ、 遠江(とおとうみ、静岡県西
部)の掛川城へ逃れる。
1568年12月、 武田信玄 が、 駿河
に侵攻を開始し、 今川氏真軍や今川氏へ
の北条氏康の援軍と戦う。 甲相駿三国同盟
(1554〜68年)は、ここに、崩壊する。
■ 1569年 ● 1569年6月に、越相同盟 締結。 上杉
(永禄12年) 謙信(上杉輝虎)は、 武田信玄を牽制(け
んせい)するため、宿敵である北条氏康 の
北条家と同盟を結ぶ (越相同盟、1569〜
71年)。
● 戦国大名としての駿河今川家(氏)が滅
亡する (統治権の喪失)。
今川氏真(うじざね)が、 徳川家康と和
睦し、 遠江・掛川城を開城する。
■ 1570年 ● 1570年3月に、上杉 謙信 (上杉輝虎)
(永禄13年) は、法号を、「不識庵(不識院)謙信」と称し、
謙信と呼ばれ、 上杉謙信 となる。
■ 1570年 ● 元亀(げんき)改元。
(元亀 元年) 1570年4月23日に、 和暦の「永禄」
(えいろく) が、 「 元亀」 (げんき、元亀
元年・1570年・4月23日〜 元亀4年・
1573年・7月28日) に改元される。
■ 1570年 ● 1570年4月に、織田信長は、 軍を、
(元亀 元年) 越前に侵攻したが、 信長の妹婿の北近
江の浅井長政に背後をつかれ、 京(都)
へ逃れた。
■ 1570年 ● 1570年6月に、織田信長は、 近江国
(元亀 元年) の姉川で、浅井・朝倉連合軍を破る (姉
川の戦い)。 この戦いに、家康は、 信長
と共に参戦し、信長を助けた。
● 1570年9月に、本願寺は、信長に対抗
する(石山合戦の始まり)。
(元亀1年) 男子 (越相同盟での北条氏の人質)、北条
三郎を養子とし、 景虎という名を与える
(上杉三郎景虎)。
■ 1571年 ● 相模国(さがみのくに、現在の神奈川県)
(元亀 2年) の北条家の、 北条氏康(1515〜71年)
が、死去する。 氏康の子、北条氏政(15
38〜90年) が 北条家の実権 (1571
〜90年) を握る。
■ 1571年 ● 1571年9月に、信長 は、 比叡山延暦
(元亀 2年) 寺を焼討ちする。
● 1571年10月に、 北条氏康が死去する。
● 1571年12月に、 北条家の家督を継承
(相続)した、北条氏政は、上杉謙信の上杉
家との同盟を破棄し(越相同盟を破棄し)、
武田信玄の武田家と同盟を結ぶ(甲相同盟
を結ぶ)。
■ 1572年 ● 1572年10月に、武田信玄は、上洛の軍
(元亀 3年) を起こす (上洛を開始する)。
● 1572年12月に、遠江の三方が原(みか
たがはら)の戦いで、徳川・織田連合軍 は、
武田信玄の武田軍に大敗する。
■ 1573年 ● 1573年2月に、足利義昭は、 武田氏、
(元亀 4年) 浅井氏、朝倉氏、本願寺と協力して、信長討
伐を謀(はか)る。
● 1573年4月に、 武田信玄が、上洛途中
で、死去(病死)する。
武田信玄が、病状悪化し、武田軍は、徳
川領の三河や遠江から、軍を返し、甲斐へ
帰国した (信玄は帰国途中、信濃・駒場で
病死)。
● 1573年7月に、室町幕府滅亡。 織田信
長が足利義昭を追放する。
織田信長は、信長に反旗をひるがえした、
足利 義昭(よしあき)を京都より追放し、 室
町幕府を滅ぼす (室町幕府滅亡)。
● 1573年7月に、 信長は、元号を元亀か
ら天正へ と改めることを朝廷に奏上し、これ
を実現させた。
● 1573年に、 武田信玄死後、 武田勝頼
(たけだ かつより)が、武田家の家督を継承
する。
■ 1573年 ● 天正改元。
(天正 元年) 1573年7月28日に、 和暦の「元亀」(げん
き) が、 「 天正」 (てんしょう、天正元年・
1573年・7月28日〜 天正20年・ 1592
年・12月8日) に改元される。
■ 1573年 ● 1573年に、織田信長 は、朝倉・浅井両
(天正 元年) 氏を滅ぼす。
● 豊臣秀吉(木下秀吉)は、 浅井氏滅亡後、
その旧領の北近江三郡の経営を織田信長よ
り任され、 北近江(きたおうみ)の長浜城の城
主となる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1575年 ● 上杉 謙信が、 直江 兼続 (樋口兼続)
(天正 3年) を重用する。
(天正 3年) 連合軍 は、三河・長篠(ながしの)で、
武田勝頼の率いる武田軍に大勝する
(長篠の戦い)。
● 1575年8月に、信長は、越前に侵攻し、
本願寺門徒の軍を破り、再び、織田領にし、
越前を柴田勝家に経営させる。
■ 1576年 ● 上杉謙信は、 織田信長との同盟を破棄
(天正 4年) し、本願寺 ・顕如と講和し、 武田勝頼の
武田家とも和睦して、謙信を盟主とする、
反信 長包囲網を築き上げる。
● 上杉 謙信は、 越中、能登、加賀の攻略
のため、出発(出陣)する。
■ 1577年 ● 手取川の戦い。 1577年 9月に、上杉
(天正 5年) 謙信 は、 柴田勝家の率いる織田軍を、
越前で、破る。
1577年 9月に、信長軍 は、北陸で、
上杉謙信の率いる上杉軍に敗れ (手取川
の戦い)、 撤兵する。
● 上杉 謙信は、越中、能登、加賀を支配する。
#uesugikenshindetailedchronology-1578
■ 1578年 ● 上杉 謙信 が、 死去する。 謙信は、
(天正6年) 1578年に北条討伐または織田討伐を予
定していたが、 その前に、 死去する。
● 上杉謙信の2人の養子の上杉景勝と上
杉三郎景虎の間に、上杉家の家督継承
(相続)をめぐって、 越後の内乱である、
御館の乱 (おたてのらん、1578〜80
年)が起こる。
● 上杉景勝は、 武田勝頼の武田家と甲越
同盟を結び、武田家の菊姫を、上杉景勝
の正室にむかえる。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1578年 ● 信長軍は、上杉領の能登、加賀の攻略を
(天正 6年) 開始する。
● 1578年11月に、織田水軍が、鉄甲船
を用いて、毛利水軍を破る。
■ 1579年 ● 織田信長 は、 五層七重の豪華絢爛
(天正 7年) (ごうかけんらん)な安土城を完成させる。
■ 1579年 ● 御館の乱で、 上杉景勝は、武田家の後
(天正7年) ろ盾を得て、戦いを有利にすすめ、 上杉
三郎景虎が、自刃する。
■ 1580年 ● 直江兼続 (樋口兼続)の主君の、上杉景
(天正8年) 勝 が、御館の乱で、上杉三郎景虎に味方
した勢力に最終的に勝利を得る。 そして、上
杉景勝が、 上杉家の家督を継承(相続) し、
上杉謙信の後継者として、 上杉家の当主と
なる。
■ 1580年 ● 織田信長 は、 石山本願寺を屈服させる。
(天正 8年)
■ 1581年 ● 直江 兼続 が、直江家を相続する。
(天正9年) 直江兼続 (樋口兼続) は、 直江家の直
江信綱が死去しその妻、お船(おせん)と結
婚し、 直江家を相続し、 直江姓を名乗る。
■ 1581年 ● 1581年2月に、織田信長 は、 京都の
(天正 9年) 内裏(だいり)東の馬場で、京都御馬揃え
(馬揃えは、現在の軍事パレードに相当)を
行う。
■ 1582年 ● 越後の大名、上杉景勝 は、 織田軍
(天正10年) に攻められ、 越後の上杉家は 滅亡の
危機。
● 織田信長が、本能寺の変で、自刃。
越後を攻めていた織田軍が、 頭領の信長
を失い、撤退し、 上杉家滅亡の危機を脱する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1582年 ● 1582年2月に、織田信長 は、 武田領
(天正10年) への攻撃開始し、3月11日に、武田勝頼を
討ち取り(天目山の戦い)、 武田氏は滅亡
する。
● 1582年2月に、織田軍に協力して、 徳川
軍も、武田領の駿河 に侵攻して、駿河を占領
する。 家康は、 同年に、この戦功により、織
田信長から駿河一国を与えられる。
■ 1582年 ● 1582年5月に、織田信長 は、明智光秀
(天正10年) に、備中国にいる秀吉軍への援軍を命じ、信
長は、同年6月に、京都へ上洛した。
● 1582年6月に、秀吉の主君・信長は、本
能寺の変で自刃。
明智光秀 が、1582年6月に、京都の本
能寺にいた織田信長を攻め、 自害させる
(本能寺の変)。 信長、49歳で死す。
同年6月に、秀吉は、 明智光秀を討つ
(山崎の戦い)。
● 1582年6月27日に、秀吉は、に、清洲
城にて、他の織田家の重臣と 信長の後
継者と遺領の分割を決める (清洲会議)。
● 1582年12月に、秀吉は、 北近江へ侵
攻し、敵方の長浜城を降伏させ、 美濃へ
侵攻、平定する。
● TKKI カナヤマ 著 日本史 辞典。
■ 1582年 ● 織田信長死後、 織田領の信濃、甲斐、
(天正10年) 上野(こうずけ)へ上杉景勝の軍、 北条氏
直の軍、 徳川家康の軍 が侵攻した。
その後、戦いの結果、徳川家康と北条氏
直は和睦し、 信濃、甲斐は、徳川領に、上
野は、北条領となった。
ここに、 徳川家康 は、三河、遠江、駿河、
甲斐、信濃を領有する大大名になる。
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『 あなたのハートには 何が残りましたか? 』
以 上