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◆ カナヤマ武田 信玄ガイドブック。

     KANAYAMA’S TAKEDA SHINGEN 

  GUIDEBOOK

 

 

   (Kjhh)41522

  カナヤマ  

  武田信玄

  関連 年代順

  出来事ブック。 』

 

 

  ■ パソコン(PC)、 携帯用パソコン(PC)、

    タブレット端末(PC)、 スマートフォン、

    ウエアラブル端末、 スマートテレビ用

    電子書籍。

 

 

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メ ニュー (目次)。  

 ■ 次の項目から選んで、クイックして下さい。

 

 □ 武田信玄 関連年代順

     出来事ブック (総合)

 

 □ 武田信玄 関連年代順

       出来事 (各年・詳細)

 

  □ 1521年〜1582年の出来事

 

 □ 武田信玄ガイドブック

 

 

  ■ 武田信玄と同時代近くの関係史料。

 

   □ 武田 信玄 画像 No.1

 

   □ 上杉謙信ガイドブック

    □ 上杉謙信 関連年代順

      出来事ブック  

           

   □ 織田信長ガイドブック

   □ 織田信長 関連年代順

           出来事ブック

 

    □ 室町幕府ガイドブック

     □ 室町幕府 関連年代順出来事 

       ブック。 

 

   □ 武田信玄 詳細年表。 

 

 

 

  □ 武田信玄 関連年代順

    出来事ブックの内容

 

 

 

 ■ 上位のWEBサイト。 

 □ (KOH) カナヤマ オフィシャル   >

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 □ (Khh)  歴史学ハンドブック      > 

 □ (Kjhh) 日本史ハンドブック。     > 

 □ (Kjhh)  武田信玄ガイドブック。     >  

 □ (Kjhh)  武田信玄 関連          >  

          年代順出来事ブック。 

 □ (Kjhh)  この日本語ページ。

 

 ■ カナヤマ 主要 公式ホームページ

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  □ 主要サイトの略語・説明表

 

 

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#jpcontentsofthisbook

 

◆ 武田信玄 関連年代順

   出来事ブックの内容 :

 

  ■ 初学者・初心者向 インターネット用 

       武田信玄ガイドブック。

 

   ■ パソコン(PC)、 携帯パソコン(PC)、 

   タブレット端末(PC)(iPad、他)、

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    ウエアラブル端末、 スマートテレビ用 

   インターネット向  電子書籍。

 

  ■ この本1冊で (このホームページ1つで)、

    上杉 謙信のこと(概略) 

    が、一通り、わかる。

 

  ■ 武田 信玄は、 室町時代後期(戦国時代)の、

    武将であり、 甲斐国(かいのくに、現・山梨県)

    の守護大名、戦国大名、国主であり、 後に、

    甲斐国、 信濃国(現・長野県)、 駿河国(現・

    静岡県中部)の支配者となった。

 

  ■ 武田信玄 ガイドブック。

 

  ■ 初心者用 オンライン 武田信玄 ガイドブック 

    (要覧)。

 

  ■ 武田信玄 ( たけだしんげん) 関連 

    初心者向 インターネット用  オンライン 

    電子書籍 (ブック)。

 

  ■ 日本史書、 日本史の電子書籍。

 

  ■ 武田信玄の 入門 ガイドブック。

 

  ■ パソコン、 PDA(携帯情報端末) 用 

    WEBサイト。

 

  ■ パソコン、 携帯情報端末(PDA) 用 

    電子書籍。

 

  ■ TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

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#jphappenings

 

   Kjhh) 

   武田信玄 関連

   年代順出来事

   ブック (総合)。

 

 

#jphappenings/eachyear

 

 

◆ 武田信玄 関連

   年代順出来事

     (詳細・各年)。

 

 ■ 武田信玄 関連年代順

    出来事 (詳細項目)。

 

  □ 1521年〜1546年の出来事

 

  □ 1546年〜1551年の出来事

 

  □ 1551年〜1561年の出来事

 

  □ 1561年〜1569年の出来事

 

  □ 1569年〜1573年の出来事

 

  □ 1573年〜1578年の出来事

 

  □ 1578年〜1582年の出来事

 

  □ 1582年の出来事

 

 

 

 ■ 備考。

 

  ■ 当書籍では、 歴史の出来事の5W1H

    (いつ、どこで、だれが、何を、なぜ、どの

    ように) や、 歴史の出来事の流れ(原因

    理由⇒事件勃発⇒経過⇒結果⇒原因理

    由)に沿って、歴史(過去)の出来事を分か

    り易く、説明している。

 

  ■ より理解を深めるために、 本史辞典の、 

  『 上杉謙信 (うえすぎけんしん)、 

    北条氏康 (ほうじょううじやす)、  

    徳川家康 ( とくがわいえやす)、

    今川義元  (い まがわよしもと)、 

    明智光秀 (あけちみつひで)、 

    豊臣秀吉 (と よとみひでよし)、 

    武田 勝頼 (たけだしんげん) 』

   の項目も参照してください。

 

  ■ 西暦・和暦の記載。

  ● この年代順出来事は、

    西暦を先に、その後ろの( )内に和暦を記載し

    ている。 

  ● この年代順出来事に記載されている日付(年

    月日)は、 一般の歴史書で使用されているの

    と同じように、1872年(明治5年)以前は旧暦

    (太陰太陽暦)を用い、 1873年(明治6年)

    以後は新暦(太陽暦)を用いている。 

 

 

  ◆ では、武田信玄 (たけだしんげん)に関係す

     る出来事を、年代順に、見てみよう。

 

  ■ さあ、武田信玄に関する色々な出来事を見て

    みよう。

 

  ● 歴史学の立場から、武田信玄の生涯や実像

    (真実の姿)を見てみよう。

 

  ● 歴史学の立場から、年代を追って、武田信玄

    の実像 (歴史的有名な人物には、虚像と

    実像があるが)を見てみよう。

 

  ● 日付は、一般の歴史書と同様に全て旧暦

    ある。

 

  ● 現代も、過去の時代も、人間は、利害と感情

    (友愛)と理性等で行動し、富、名誉、権力等

    を手に入れるために努力する。 

       人類の歴史は、 平和と戦争の歴史で

    ある。 人は、美しき者、平和を好む者であり、

    人は、醜き者、争う者でもある。

 

 

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◆ 武田信玄 関連

   年代順出来事

     (詳細・各年)。

 

  ■ 『 では、年代を追って、武田信玄の行動

      を詳しく見てみよう。 』

 

 

#jphappenings-1521

 

 ■ 1521年 (永正18年・大永元年)。

 

  ● 永正年号から大永 年号に改元。

      大永年号1521年ー1528年。

  ■ 1521年永正18年 ・大永元年)に、

    大永(だいえい、たいえい)年号に改元。 

  ● 1521年永正18年 ・大永元年)8月23日、 

    和暦の「永正」(えいしょう、

    永正元年・1504年〜永正18年・1521年) が、

    和暦の「大永」(だいえい、たいえい、

    大永 元年・1521年 8月23日〜

    大永 8年・1528年・ 8月20日) に

    改元される。   

 

 

 ■ 1521年 (大永元年) 11月。

 

  ● 武田 信玄太郎が誕生する。  

  ■ 1521年(大永元年)11月に、 武田 信玄

    (たけだ しんげん、幼名:太郎(たろう))が、 

    甲斐国(かいのくに、現・山梨県)の守護大

    名、戦国大名、国主の武田信虎(たけだの

    ぶとら)の子として、誕生する。

 

  ● 1521年(大永元年)11月に、 後に甲斐国

    (かいのくに、現・山梨県)の戦国大名となる、

    武田信玄 (たけだ しんげん、幼名:太郎) 

    が、 甲斐国で、 甲斐国守護・武田信虎(た

    けだのぶとら)と信虎・正室の大井夫人(おお

    いふじん)との間の子として、生まれる。 

 

  ● 信玄(太郎)の父の、武田信虎は、甲斐源氏

    の名門・武田氏の第18代当主であり、 信虎

    期には、甲斐国統一が達成されていた。

  ● TKKI カナヤマ著 武田 信玄ガイドブク。

 

 

 ■ 1528年 (大永8年・享禄元年)。

 

  ● 大永年号から享禄年号に改元。

      享禄年号1528年ー1532年。

  ■ 1528年(大永8年・享禄元年) に、

    享禄(きょうろく)年号に改元。 

  ● 1528年(大永8年・享禄元年)8月20日、 

    和暦の「大永」(だいえい、たいえい、

    大永元年・1521年〜大永8年・1528年)  が、 

    和暦の「享禄」(きょうろく、

    享禄 元年・1528年 8月20日

    享禄 5年 ・1532年 7月29日)  に 

    改元される。 

 

 

 ■ 1530年 (享禄3年)。

 

  ● 上杉謙信(虎千代)の誕生。

  ■ 1530年(享禄3年)に、 越後国(えちごのく

    に、現・新潟県)の戦国大名となる、上杉  

    謙信(うえすぎ けんしん、幼名:虎千代)が、 

    越後国(えちごのくに、現・新潟県)の、

    守護代の長尾為景(ながお ためかげ)

    の子として、誕生する。

    

 

 ■ 1532年 (享禄5年・天文元年)。

 

  ● 享禄年号から 天文年号に改元。

      天文年号1532年ー1555年。

  ■ 1532年(享禄5年・天文元年)に、

    天文(てんぶん、てんもん)年号に改元。 

  ● 1532年(享禄5年・天文元年)7月29日に、 

    和暦の「享禄」(きょうろく、

    享禄元年・1528年〜享禄5年・1532年) が、 

    和暦の「天文」(てんぶん、てんもん、

    天文 元年・1532年・ 7月29日〜

    天文24年・1555年・10月23日) に

    改元される。 

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

   

 

 ■ 1534年 (天文3年)。

 

  ● 織田信長(吉法師)が誕生する。

  ■ 1534年(天文3年)5月12日に、 

    織田 信長 (おだのぶなが、幼名(ようみょ

    う):吉法師(きっぽうし)、生没年:1534年

    ー1582年))が、 

    尾張国(おわりのくに、現・愛知県西部の相当

    地域)の、戦国武将、国人領主の織田信秀

    (おだ のぶひで、生没年:1511年ー1552

    年頃))の子として、誕生する。

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

 ■ 1536年 (天文5年)。

 

  ● 信玄が元服する(成人となる)。

  ■ 1536年(天文5年)3月に、 武田信玄(太 

    郎)は、元服(成人)し、 室町幕府・12代将

    軍の足利義晴(あしかがよしはる)から一字

    の晴を賜り、武田 晴信(はるのぶ)と称す。

 

  ● 1536年(天文5年)3月に、 武田信玄(太 

    郎)は、元服(成人)して、 室町幕府の第

    12代将軍の、足利義晴(あしかがよしはる)

    から一字の晴を賜り (足利義晴から「晴」の

    偏諱を賜り)、 名を晴信(はるのぶ)と改め

    る。

        信玄の官位は、従五位下・大膳大夫

   (じょごいのげ・だいぜんだいぶ)に叙位、任

   官される。

 

 

 ■ 1537年 (天文6年)。

 

  ● 豊臣秀吉(日吉丸?)の誕生。

  ■ 1537年(天文6年)に、 豊臣秀吉  (とよ

    とみ ひでよし、幼名:日吉丸(ひよしまる)?)

    が、 尾張国(おわりのくに、現・愛知県西部)

    の、農民・足軽の弥右衛門の子として、誕生

    する。   

 

  ● 秀吉の誕生日は1536年 (天文5年)説も

    ある。

 

 

 ■ 1542年 (天文11年)。

 

  ● 徳川家康竹千代) が誕生する。

  ■ 1542年 (天文11年)に、 徳川家康 (とく

    がわ いえやす、幼名:竹千代(たけちよ)) が、 

    三河国 (みかわのくに、現在の愛知県東部)

    の、戦国武将・国人領主で岡崎城主の、

    松平広忠 (まつだいら ひろただ) の子

    として、 誕生する。

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

 ■ 1543年 (天文12年)。

 

  ● 謙信が元服する(成人となる)。

  ■ 1543年(天文12年)8月15日に、 

    上杉謙信(虎千代)は、元服(成人)して、 

    長尾 景虎 (ながおかげとら)と名乗る。

 

 

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#jphappenings-1546

 

 

 ■ 1546年 (天文15年)。

 

  ● 武田勝頼の誕生

  ■ 1546年 (天文15年)に、 武田勝頼(たけ 

    だ かつより) が、 甲斐国(かいのくに、

    現・山梨県)の戦国大名の武田信玄の子として、 

    産まれる。

 

 

 ■ 1548年 (天文17年)。

 

  ● 謙信が越後守護代となる。

  ■ 1548年(天文17年)に、 上杉謙信(長尾

    景虎)は、 数え年19歳で、長尾家の家督を

    相続し、 長尾氏の本拠地である春日山城

    (かすがやまじょう)に入り、 越後国(えちご

    のくに、現・新潟県)の守護代(しゅごだい)

    となる。

 

 

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#jphappenings-1551

 

 ■ 1551年 (天文20年)。

 

  ● 謙信が越後を統一する。

  ■ 1551年(天文20年)に、 上杉謙信(長尾

    景虎)は、 越後を統一し、名実共に、越後国

    の国主となる。

 

 

 ■ 1552年 (天文21年)。

 

  ● 謙信と信玄が

    第1次川中島の戦いを行なう。

  ■ 1552年(天文21年)に、上杉謙信(長尾景虎)

    と武田信玄(武田晴信)との間で、第1次川中島

    の戦い (5回の川中島の戦いの最初)が行な

    われる。

 

 

 ■ 1552年 (天文21年)頃。

 

  ● 信長の父・織田信秀の急死

  ■ 1552年(天文21年)頃に、 勝幡織田氏

    (織田弾正忠家)の、信長の父・織田信秀 

    (おだのぶひで、生没年:1511年ー1552

    年頃)が、急死する。

        その後の家督争いで、実弟の織田信行

     (信勝)に勝ち、織田信長が、織田信秀の勝

     幡織田氏(織田弾正忠家)の家督を継ぐ。

 

  ● 織田信秀の没年には、1551年(天文20年)

    説、1549年(天文18年)説もある。

 

 

 ■ 1554年 (天文23年)頃。

 

  ● 秀吉が信長に仕え始める。

  ■ 1554年(天文23年)頃に、豊臣秀吉(木下

    藤吉郎)が、織田信長に仕える (家臣として

    仕え始める)。

 

 

 ■ 1554年 (天文23年)。

 

  ● 甲相駿三国同盟が成立。

  ■ 1554年(天文23年)に、

    武田信玄、北条氏康、今川義元の間で、互い

    に婚姻関係を結び、 甲斐国本拠地の武田氏、

    相模国本拠地の北条氏、駿河国本拠地の今

    川氏の三者の甲相駿三国同盟 (こうそうしゅ

    んさんごくどうめい、1554年ー1567年)が、

    成立する。

 

 

 ■ 1555年 (天文24年・弘治元年)。 

 

  ● 天文年号から弘治年号に改元。

      弘治年号1555年ー155 8年。

  ■ 1555年(天文24年・弘治元年)に、

    弘治(こうじ)年号に改元。    

  ● 1555年(天文24年・弘治元年)10月23日に

    和暦の「天文」(てんぶん、てんもん 、

    天文元年・1532年〜天文24年・1555年) が、

    和暦の「弘治」(こうじ、 

    弘治 元年・1555年・10月23日〜

    弘治 4年・1558年・ 2月28日) に

    改元される。 

 

 

 ■ 1556年 (弘治2年)。

 

  ● 謙信の越後放棄と国外退去。

  ● 越後の国人領主たちが後を追

    って謙信を連れ戻す。

  ■ 越後国各地の国人領主(こくじんりょうしゅ、

    = 国衆)たちは自立心(独立心)が強く、越後

    国の国主(こくしゅ)の謙信の命(命令)に従わ

    ないことが多く、謙信は嫌気(いやけ)がさし、

    1556年(弘治2年)3月に、家臣同士の領土

    争いや国衆の紛争の調停などで心身が疲れ

    果てて、上杉謙信(長尾景虎)は、突然、出家・

    隠居すると宣言し、 1556年(弘治2年)6月

    には、謙信(長尾景虎)は、 越後国(えちご

    のくに、現・新潟県)の国主の座を放棄して、 

    春日山城(かすがやまじょう)をあとにし国外

    の高野山(こうやさん)へと向かう。

 

  ● 1556年(弘治2年)に、慌(あわ)てふためい

    た、越後国の国人領主(国衆)たちは、 越後

    を逃亡した謙信を追いかけ、懇願し、服従を

    誓い、説得し出家を断念させ、越後国主の謙

    信を越後国に連れ戻す。

 

 

 ■ 1558年 (弘治4年・永禄元年)。

 

  ● 弘治年号から永禄年号に改元。

     永禄年号1558年ー15 70年。

  ■ 1558年(弘治4年・永禄元年)に、

    永禄(えいろく) 年号に改元

  ● 1558年(弘治4年・永禄 元年)2月28日に

    和暦の「弘治」(こうじ、

    弘治元年・1555年〜弘治4年・1558年)

    が、 

    和暦の「永禄」(えいろく、

    永禄 元年・1558年・ 2月28日〜

    永禄13年・1570年・ 4月23日) に

    改元される。 

 

 

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#jphappenings-1559

 

 

 ■ 1559年 (永禄2年) 2月。

 

  ● 信玄が、徳栄軒信玄と称する。

  ■ 1559年(永禄2年)2月に、 武田信玄 

    (武田晴信)は、 出家して、「徳栄軒信玄」

    (法号、法名)と号す(称す)。

 

  ● (注意)  戦国武将の出家は、 欲望を捨

    てる、俗世を捨てるという意味ではなく、 

    仏の心持ちをもち、新たに心を入れ替えた

    ことを一般の人に示すパーフォーマンスで

    ある。

 

 

 ■ 1559年 (永禄2年)。

 

  ● 信長が尾張を統一する。

  ■ 1559年(永禄2年)に。 織田信長は、 

    尾張国(おわりのくに、現・愛知県西部)

    一国を統一し、 尾張国の国主(こくしゅ)

    となる。

 

 

 ■ 1560年 (永禄3年)。

 

  ● 信長が桶狭間の戦いで、

    今川義元を敗死させる。

  ■ 1560年(永禄3年)5月に、織田信長は、 

    桶狭間(おけはざま)の戦いで、 今川 義元

    (いまがわ よしもと)を破る。 今川義元は、 

    尾張の桶狭間で、敗死する。

 

  ● 家康が三河へ戻る。

  ■ 1560年(永禄3年)に、 義元の家臣して

    信長と戦っていた、徳川家康(松平元康(ま

    つだいらもとやす))は、 尾張より、松平軍

    の兵を撤退し、三河国(みかわのくに、現・

    愛知県東部)の岡崎城へ戻る。

       その後、1561年(永禄4年)4月に、

    家康は、今川氏から独立する。

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

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#jphappenings-1561

 

 

 ■ 1561年 (永禄4年)。

 

  ● 謙信の小田原北条氏を攻め、

    小田原城を囲む。

  ■ 北条氏攻め(小田原城攻め)。

  ● 1561年(永禄4年)に、 上杉謙信(長尾

    景虎)は、 関東管領(かんとうかんれい)

    の上杉憲政(うえすぎのりまさ)を擁して、 

    旧上杉氏家臣団の約10万人の大軍で、 

    北条氏康(ほうじょううじやす)を攻め、小田

    原城を包囲する。

 

  ● 謙信が、山内上杉氏家督を

    相続し、関東管領となる。

  ● 謙信が、上杉政虎と称する。

  ■ 1561年(永禄4年)閏3月16日に、 

    上杉謙信(長尾景虎(ながおかげとら))は、 

    鎌倉の鶴岡八幡宮(つるがおかはちまんぐう)で、

    上杉憲政(うえすぎのりまさ)より、

    山内上杉氏(やまのうちうえすぎけ)の家督

    と関東管領職を相続(継承)し、

    関東管領(かんとうかんれい)に就任し、

    上杉憲政から一字の政を賜り、

    上杉政虎(うえすぎまさとら)と称す。 

 

 

 ■ 1561年 (永禄 4年)。

 

  ● 家康は織田方となり、今川氏

    から独立する。

  ■ 1561年(永禄4年)4月に、三河国西部の

    徳川家康(松平元康)は、 尾張国の織田

    信長と和睦し、織田方となり、今川氏の今川

    義元の後を継いだ今川氏真(いまがわ(うじ

    ざね)と断行し今川氏から独立する。

 

 

 ■ 1561年 (永禄4年)。

 

  ● 謙信と信玄が、第4回川中島の

    戦いで、戦い、引き分けとなる。

  ■ 第4回川中島の戦い。

  ● 1561年(永禄4年)8月に、 上杉謙信(上杉

    政虎)の率いる上杉軍 と 武田信玄(徳栄軒

    信玄)の率いる武田軍が、 信濃国(しなのの

    くに、現・長野県)の北部の川中島で、衝突し、

    第4回川中島の戦いが起こり、激戦となる。

       第4回川中島の戦いでは、勝敗がつがず、

    引き分けとなる。

 

  ● 謙信が、上杉輝虎と称する。

  ■ 1561年(永禄4年)12月に、上杉謙信(上杉

    政虎)は、 室町幕府・13代将軍の足利義輝

    から一字の輝を賜り、諱(いみな)を輝虎(てる

    とら)と改め、上杉輝虎(うえすぎてるとら)と

    称す。

 

 

 ■ 1562年 (永禄5年)。

 

  ● 信長と家康が同盟を結ぶ。

  ■ 1562年(永禄5年)1月に、徳川家康(松平

    元康)は、 織田信長と清洲(きよす)同盟(織

    徳同盟)を結ぶ。 

 

 

 ■ 1564年 (永禄7年)。

 

  ● 謙信が上杉景勝を養子の一人

    とする。

  ■ 1564年(永禄7年)に、上杉謙信(上杉輝虎)

    が、長尾政景の次男の、上杉景勝を養子とする。

 

  ● 謙信(上杉輝虎)が、 長尾政景の次男の、

    上杉景勝を養子とする。

 

  ● 謙信と信玄が最後の川中島の

    戦いを行なう。

  ■ 1564年 (永禄7年)に、上杉謙信(上杉輝虎)

    と武田信玄(徳栄軒信玄)は、第5回川中島の

    戦い (第1〜5回川中島の戦いの最後)を行う。

 

 

 ■ 1565年 (永禄8年)。

 

  ● 信玄が親今川派の武田義信を

    廃嫡する。

  ■ 1565年(永禄8年)10月に、武田氏の親

    今川派の信玄嫡男の武田義信(たけだよし

    のぶ)が廃嫡(はいちゃく)される武田義信事

    件が起こる(発生する)。

 

 

 ■ 1567年 (永禄10年)。

 

  ● 信長が美濃の斎藤氏を滅ぼす。

  ● 信長が尾張、美濃の2か国の

    戦国大名になる。

  ■ 1567年(永禄10年)10月に、信長は、 

    美濃国(みののくに、現・岐阜県南部)の

    斉藤氏を滅ぼす。 

 

 

 ■ 1567年 (永禄10年)。

 

  ● 甲相駿三国同盟の

     甲駿同盟が破綻する。

  ■ 1567年(永禄10年)に、

    駿河国の今川氏が、武田氏への塩止めを

    行ない、

    甲斐国本拠地の武田氏、相模国本拠地の

         北条氏、駿河国本拠地の今川氏の三者の

    甲相駿三国同盟 (こうそうしゅんさんごく

    どうめい、1554年ー1567年)の中の甲駿

    同盟が破綻する。

 

 

 ■ 1567年 (永禄10年)。

 

  ● 信長が美濃の斎藤氏を滅ぼす。

  ● 信長が尾張、美濃の2か国の

    戦国大名になる。

  ■ 1567年(永禄10年)10月に、信長は、 

    美濃国(みののくに、現・岐阜県南部)の

    斉藤氏を滅ぼす。 

 

 

 ■ 1568年 (永禄11年)。

 

  ● 信長が畿内に進出する。

  ● 信長の援助で、足利義昭が

    室町幕府の将軍となる。

  ■ 1568年(永禄11年)9月に、織田信長は、

    足利義昭(よしあき)を奉じて、上洛を果たし、 

    10月に、義昭を室町幕府の第15代将軍位

    に就(つ)ける。 

        この戦いに、 家康は、信長へ援軍を

    派遣する。

  ● TKKI カナヤマ著武田信玄ガイドブック。

 

 

 ■ 1568年 (永禄11年)。

 

  ● 武田氏と徳川氏が今川領

    に侵攻する。

  ● 北条氏は今川氏に味方し、

    甲相駿三国同盟の甲相

     同盟が破綻する。

  ■ 武田氏と徳川氏の今川領侵攻。

  ● 1568年(永禄11年)12月に、武田氏と

    徳川氏は、共同で、今川領に侵攻する。

       その後、1568年(永禄11年)12月

    に、武田氏は今川領だった駿河国(する

    がのくに、現・静岡県中部)を領有し、

    1569年(永禄12年)5月に、徳川氏は、

    今川領だった遠江国(とおとうみのくに、

    現・静岡県西部)を領有する。

 

  ■ 1568年(永禄11年)12月に、北条氏の

    北条氏康は、今川氏の今川氏真に援軍を

    送り、武田氏の武田信玄と敵対し、甲相駿

    三国同盟の甲相同盟が破綻する。

 

  ● 信玄が駿河を領有する。

  ■ 1568年(永禄11年)に、 武田信玄

    (徳栄軒信玄)が、 駿河国(するがのくに、

    現・静岡県中部)を占領する(領有する)。 

 

  ● 1568年(永禄11年)12月に、今川氏真

    (うじざね)が、駿河国を離れ、 遠江国(と

    おとうみのくに、現・静岡県西部)の掛川城

    (かけがわじょう)へ逃れる。

 

 

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#jphappenings-1569

 

 ■ 1569年 (永禄12年)。

 

  ● 謙信が宿敵だった北条氏と

    同盟を結ぶ。

  ■ 越相同盟。

  ● 1569年(永禄12年)3月に、 上杉謙信

    (上杉輝虎)は、 武田氏の武田信玄を牽制

    (けんせい)するため、 宿敵であった北条氏

    の北条氏康(うじやす)と同盟を結ぶ。

 

  ● 家康が今川氏を滅ぼす。

  ● 家康が遠江を領有する。

  ● 家康が三河、遠江の2か国の

    戦国大名となる。

  ■ 1569年(永禄12年)5月に、 戦国大名として

    の駿河今川氏が滅亡する (今川氏の統治

    権の喪失)。 

        今川氏真(うじざね)が、 徳川家康と

    和睦し、遠江国の掛川城(かけがわじょう)を

    開城する。

 

  ■ 1569年(永禄12年)5月に、徳川氏は、

    今川領だった遠江国(とおとうみのくに、

    現・静岡県西部)を領有する。

 

 

 

 ■ 1570年 (永禄13年・元亀元年)。

 

  ● 永禄年号から元亀年号に改元。

     元亀年号1570年ー 1573年。

  ■ 1570年(永禄13年・元亀元年)に、

    元亀(げんき) 年号に改元。  

  ● 1570年(永禄13年・元亀 元年)4月23日に、 

     和暦の「永禄」(えいろく、

    永禄元年・1558年〜永禄13年・1570年) 

    が、 

    和暦の「元亀」(げんき、

    元亀 元年・1570年・ 4月23日〜 

    元亀 4年・1573年・ 7月28日) に

    改元される。

 

  ■ 室町時代後期の各年号。

    暗記法: 大享天弘永元天      

    (えいだいきょうてんこうえいげんてん)。

  ● 永正(えいしょう)年号: 1504年ー1521年。

  ● 大永(だいえい)年号:   1521年ー1528年。

  ● 享禄(きょうろく)年号:  1528年ー1532年。

  ● 天文(てんぶん)年号  1532年ー1555年。

  ● 弘治(こうじ)年号:    1555年ー1558年。

  ● 永禄(えいろく)年号:  1558年ー1570年。

  ● 元亀(げんき)年号    1570年ー 1573年。

  ● 天正(てんしょう)年号: 1573年ー 1592年。

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

 

 ■ 1570年 (元亀元年)。

 

  ● 謙信は、北条氏康の子の北条

    三郎を養子の一人とする。

  ■ 1570年(元亀元年)4月に、 上杉謙信(上杉

    輝虎)は、 北条氏康の男子(七男)の、北条三

    郎を養子とし、その後、景虎という名を与える 

    (上杉三郎景虎)。

 

  ● 信長は姉川の戦いで、

    浅井・朝倉氏に勝利を得る。

  ■ 姉川の戦い。

  ● 1570(元亀元年)年6月に、織田信長は、

    近江国の姉川(あねがわ)で、浅井・朝倉

    連合軍を破る。 

        この戦いに、家康は、信長と共に参

    戦し、信長を助ける。

 

  ● 信長と石山本願寺との戦いが

    始まる。

  ■ 石山(いしやま)合戦の始まり。

  ● 1570年(元気元年)9月に、本願寺(一向

    宗)の石山本願寺は、織田信長に対抗する。

 

  ■ 本願寺と織田信長との戦いの石山合戦

    (1570年ー1580年)が、始まる。

 

 

  ● 謙信は、不識庵謙信と称する。 

  ■ 1570年(元亀元年)12月に、 上杉謙信

    (上杉輝虎)は、出家して、「不識庵謙信」

    (法号、法名)と号す(称す)。 

 

  ● (注意)  戦国武将の出家は、 欲望を捨

    てる、俗世を捨てるという意味ではなく、 

    仏の心持ちをもち、新たに心を入れ替えた

    ことを一般の人に示すパーフォーマンスで

    ある。

     

 

 ■ 1571年 (元亀2年) 9月。

 

  ● 比叡山・延暦寺を 焼討ちに

    する。

  ■ 1571年(元亀2年)9月に、 織田信長は、

    浅井氏・朝倉氏に味方する比叡山・延暦寺

    焼討ちにする。

 

 

 ■ 1571年 (元亀2年)。

 

  ● 北条氏康が死去し、北条氏政

    が小田原北条氏を継承する。

  ■ 1571年(元亀2年)10に、  北条氏康

    (ほうじょううじやす)が、死去する。 

       小田原北条氏(= 後北条氏)は、氏康

    の子の北条氏政(ほうじょううじまさ)が継

    承する。

 

  ● 北条氏政は、家康・氏真・氏康

    の盟約を破棄し、武田氏と同盟

    を結ぶ。

  ■ 甲相同盟締結、越相同盟破棄

  ● 1571年(元亀2年)12月に、  北条氏政は、

    外交方針を転換し、 掛川城開城時の徳川

    家康・今川氏真・北条氏康の盟約を破棄し、

    信玄と甲相同盟を結び、 同時に、謙信との

    越相同盟を破棄する。

       北条氏政と上杉謙信との関東をめぐる

    戦いが始まる。

 

  ■ 氏政の甲相同盟締結・越相同盟破棄で

     信玄の西上作戦の環境が整う。

  ● 氏政の甲相同盟締結によって武田領の東方

    の北条氏の脅威がなくなり、 また、氏政の

    越相同盟破棄により北条氏政と上杉謙信の

    戦いが始まり武田領の北方の脅威もなくなり、 

    武田信玄は、 武田領の西方の徳川氏や織

    田氏の領国を侵略し、上洛できる西上作戦の

    環境が整う。 

 

  ■ 氏政の甲相同盟締結で、家康は北条氏と

     敵対する。

   氏政の甲相同盟締結によって、武田氏と敵

    対する徳川家康は、 武田氏徳川領侵攻時、

    以前のように、北条氏の援軍を得られなく

    なるばかりでなく、 小田原北条氏と敵対す

    ることとなる。

 

   氏政の甲相同盟締結で今川氏真は北条氏

     にいる意味を失う。

  ● 北条氏康の子の北条氏政が、外交方針

    を転換し、掛川城開城時の徳川家康・今川

    氏真・北条氏康の盟約を破棄し、信玄と甲相

    同盟を結んだため、 信玄より駿河国を取り

    戻し戦国大名・今川氏の復興を目指す今川

    氏真(いまがわうじざね)は、北条氏にいる

    意味を失い、その後、徳川家康の元へ移る。

 

  ■ 氏政が信玄に援軍を送る。

  ● その後、1572年(元亀3年)の武田信

    玄の「徳川・織田領国侵攻の西上作戦」の

    際に、北条氏政は、 信玄に約2000人の

    北条軍の兵を援軍として武田軍に参加させ、

    北条軍は、 武田軍が織田徳川・連合軍に

    勝利を得た三方ヶ原の戦い(みかたがはら

    のたたかい)で、活躍する。  

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

 ■ 1572年 (元亀 3年)。 

 

  ● 信玄は、上洛を開始し、

    織田氏・徳川氏を攻める。

  ■ 1572年(元亀3年)10月に、武田信玄

    (徳栄軒信玄)は、 上洛の軍を起こす 

    (上洛を開始する)。

 

  ● 家康は、三方が原の戦いで、

    信玄に大敗する。

  ■ 1572年(元亀3年)12月に、 遠江 国(とお

    とうみのくに、現・静岡県西部)の三方が原

    (みかたがはら)の戦いで、 徳川・織田連合

    軍は、 武田信玄(徳栄軒信玄)の武田軍に

    大敗する。

 

 

 ■ 1573年 (元亀4年)。

 

  ● 足利義昭は、信長に敵対する。

  ■ 1573年(元亀4年)2月に、 足利義昭 は、

    武田氏、朝倉氏、浅井氏、本願寺と協力して、

    信長討伐を謀(はか)る。

 

  ● 信玄が、急死する。

  ■ 1573年(元亀4年)4月に、 武田信玄(徳

    栄軒信玄)が、上洛途中で、死去(病死)する。

 

  ● 武田勝頼が武田氏を継承する。

  ■ 1573年(元亀4年)4月に、武田信玄(徳栄軒

    信玄)死後、  武田勝頼 (たけだかつより)が、 

    武田氏の家督を継承する。

 

  ● 室町幕府が実質上滅亡。

  ■ 室町幕府が実質上滅亡。

  ● 1573年(元亀4年)7月に、織田信長が 、

    足利義昭を京(きょう、京都)から追放する。

 

  ● 織田信長は、信長を裏切った、足利 義昭

    (よしあき)を京(京都)より追放し、室町幕

    府を実質上滅ぼす。

  ● TKKI カナヤマ著武田信玄ガイドブック。

 

 

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#jphappenings-1573

 

 

 ■ 1573年 (元亀4年)。

 

  ● 足利義昭は、信長に敵対する。

  ■ 1573年(元亀4年)2月に、 足利義昭 は、

    武田氏、朝倉氏、浅井氏、本願寺と協力して、

    信長討伐を謀(はか)る。

 

  ● 信玄が、急死する。

  ■ 1573年(元亀4年)4月に、 武田信玄(徳

    栄軒信玄)が、上洛途中で、死去(病死)する。

 

  ● 武田勝頼が武田氏を継承する。

  ■ 1573年(元亀4年)4月に、武田信玄(徳栄軒

    信玄)死後、  武田勝頼 (たけだかつより)が、 

    武田氏の家督を継承する。

 

  ● 室町幕府が実質上滅亡。

  ■ 室町幕府が実質上滅亡。

  ● 1573年(元亀4年)7月に、織田信長が 、

    足利義昭を京(きょう、京都)から追放する。

 

  ● 織田信長は、信長を裏切った、足利 義昭

    (よしあき)を京(京都)より追放し、室町幕

    府を実質上滅ぼす。

 

 

 ■ 1573年 (元亀4年・天正元年)。

 

  ● 元亀年号から天正年号に改元。

     天正年号1573年ー 1592年。

  ■ 1573年(元亀4年・天正元年)に、

    天正(てんしょう) 年号に改元。 

  ● 1573年(元亀4年・天正 元年)7月28日に、 

    和暦の「元亀」(げんき、

    元亀元年・1570年〜元亀4年・1573年) 

    が、 

    和暦の「天正」(てんしょう、

    天正 元年・1573年・ 7月28日〜

    天正20年・1592年・12月 8日) に

    改元される。 

 

  ■ 1573年(元亀4年)7月に、織田信長は、

    元号を元亀から天正へと改めることを朝廷

    に奏上し、これを実現させる。

 

  ■ 安土桃山時代の各年号。

    暗記法: 元天文慶      

          (げんてんぶんけい)。

  ● 元亀(げんき)年号    1570年ー 1573年。

  ● 天正(てんしょう)年号: 1573年ー 1592年。

  ● 文禄(ぶんろく)年号  1592年ー 1596年。

  ● 慶長(けいちょう)年号 1596年ー 1615年。

 

 

 

 ■ 1573年 (天正元年)。

 

  ● 信長は、朝倉・浅井両氏を

    滅ぼす。

  ■ 1573年(天正元年)に、織田信長は、朝倉・

    浅井両氏を滅ぼす。

 

  ● 1573年(天正元年)8月に、 信長は、 

    越前に行軍し朝倉軍を破り、朝倉義景を自害

    させ、 9月に、北近江の小谷(おだに)城を

    落とし、浅井久政・長政父子を自害させる。 

       小谷城落城前、信長の妹のお市と娘

    3人は、落ち延びて、信長が引き取る。 

       信長は、 越前と北近江を領土とする。

 

  ■ 1573年(天正元年)に、 豊臣秀吉(羽柴

    秀吉)は、 浅井氏滅亡後、その旧領の北近

    江三郡の経営を織田信長より任される。

        その後、北近江(きたおうみ)の長浜

    城の城主(城代)となる。

 

 

 ■ 1575年 (天正3年)。

 

  ■ 長篠の戦い。

  ● 1575年(天正 3年)5月に、信長・家康連

    合軍は、 三河・長篠(ながしの)で、 武田

    勝頼の率いる軍に大勝する。 

 

  ■ 1575年(天正3年)8月に、信長は、越前

    に侵攻し、本願寺門徒の軍を破り、 再び、

    織田領にし、越前を柴田勝家に経営させる。

 

 

 ■ 1576年 (天正 4年)。

 

  ● 謙信は、本願寺、武田氏と提

    携して、信長と対抗する。

  ■ 1576年 (天正4年)に、上杉謙信は、 

    織田信長との同盟を破棄し、本願寺顕如と講

    和し、 武田勝頼とも和睦して、謙信を盟主

    とする、 反信長包囲網を築き上げる。

 

 

 ■ 1577年 (天正5年)。

 

  ● 謙信は、手取川の戦いで、

    信長軍を破る。

  ■ 手取川の戦い。

  ● 1577年(天正5年)9月に、信長軍は、 

    北陸で、 上杉謙信(不識庵謙信)の率いる 

    上杉軍に敗れ撤兵する。

 

  ● 1577年(天正5年)9月に、手取川の戦いで、

    謙信(不識庵謙信)は、 柴田勝家の率いる

    織田軍を、越前国(えちぜんのくに、現・福井

    県東部)で、破る。

  ● TKKI カナヤマ著 武田信玄ガイドブック。

 

 

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#jphappenings-1578

 

 

 ■ 1578年 (天正6年)。  

 

  ● 謙信が急死する。

  ■ 1578年(天正6年)に、 上杉謙信(不識庵

    謙信)が、死去(病死)する。

 

  ● 謙信死去後、御館の乱が

    始まる。

  ■ 1578年 (天正6年)に、 上杉謙信(不識

    庵謙信)の有力継承候補者の2人の養子の、

    上杉景勝(うえすぎかげかつ) と、 上杉三

    郎景虎(うえすぎさぶろうかげとら)との間に、

    上杉氏の家督相続をめぐって争う、越後の

    内乱である、御館の乱(おたてのらん、1578

    年〜1579年)が起こる。 

 

  ● 上杉景勝は、武田勝頼と同盟

    を結ぶ。

  ■ 1578年(天正6年)に、上杉景勝は、 

    武田氏の武田勝頼と甲越同盟を結び、武田

    氏の菊姫を、景勝の正室夫人にむかえる。 

       上杉景勝は、 御館の乱(おたてのらん、

    1578年〜1579年)で有利となる。

  ● TKKI カナヤマ著 上杉謙信ガイドブック。

 

  ● 強大な信長軍の上杉領侵攻

    開始。

  ■ 1578年(天正6年)に、 強大な信長軍は、

    北陸地方の、上杉領の能登、加賀の攻略を

    開始する。

 

  ● 織田水軍が、毛利水軍を破る。 

  ■ 1578年(天正6年)11月に、 織田水軍が、 

    鉄甲船を用いて、毛利水軍を破る。

 

 

 ■ 1579年 (天正7年)。

 

  ● 信長が安土城を完成させる。

  ■ 1579年(天正7年)に、 織田信長は、 

    五層七重の豪華絢爛(ごうかけんらん)な

    天守をもつ安土城を完成させる。

 

  ● 上杉景勝が、御館の乱で、

    勝利を得る。

  ■ 1579年(天正7年)に、 御館の乱(おたて

    のらん)で、 上杉景勝は、武田氏の後ろ盾

    を得て、戦いを有利にすすめ、 上杉氏継承

    有力候補者の上杉三郎景虎は、自害(自刃)

    する。

 

  ● 上杉景勝が、越後の国主

    となる。

  ■ 1579年(天正7年)に、 御館の乱(おた

    てのらん)で、上杉景勝が、上杉三郎景虎

    に味方した勢力に大方勝利

    を得る。 そして、上杉景勝が、御館の乱

    で内部分裂し弱体化した上杉氏の家督を

    継承(相続)する。 

       そして、1579年(天正7年)に、

    上杉景勝が、越後国(えちごのくに、現・新

    潟県)の上杉氏の家督を継承し、上杉謙信

    の後継者として、御館の乱で弱体化した

   上杉氏の当主となる。 

 

 ■ 1580年 (天正8年)。

 

  ● 信長が、一向宗の、石山

    本願寺を屈服させる。

  ■ 1580年(天正8年)に、 織田信長は、 

    本願寺(一向宗)の、石山本願寺を屈服

    させる。

 

  ■ 本願寺と織田信長との戦いの石山合戦

    (1570年ー1580年)が、信長の勝利

    で終わる。

 

 

 

#jphappenings-1582

 

 

 ■ 1582年 (天正10年)。

 

  ● 強大な織田軍に攻められ、

    上杉氏が滅亡の危機。

  ■ 1582年(天正10年)に、 越後国の大名の、

    上杉景勝は、強大織田軍に攻められ、 御館

    の乱で弱体化した越後の上杉氏は 滅亡の

    危機を迎える。

 

  ● 強大な織田軍に攻められ、

    武田氏が滅亡する。

  ■ 1582年(天正10年)2月に、織田信長は、 

    武田領への攻撃 を開始し、 3月11日に、武田

    勝頼を討ち取り(天目山の戦い)、戦国大名の

    武田氏は滅亡する。 

 

  ● 家康が駿河を領有する。

  ■ 1582年(天正10年)2月に、 織田軍に協

    力して、 徳川軍も、武田領の駿河に侵攻し

    て、駿河国(するがのくに、現・静岡県中部)を

    占領する。 

       家康は、同年に、この戦功により、 織田

    信長から駿河国一国を与えられる。

 

 

 ■ 1582年 (天正10年)。

 

  ● 信長が中国地方出陣前に、

    茶事で、京に一時滞在。

  ■ 1582年(天正10年)に、 1582年(天正10

    年)5月に、織田信長は、明智光秀に、備中国

    にいる秀吉軍への援軍を命じ、 一方、信長は、

    6月上旬後半の自身の中国地方行軍予定前に、

    6月上旬前半に京(きょう、京都)で茶事(ちゃ

    じ)で茶会(ちゃかい)を開くため、安土城から、

    名物茶器を携え、京へ上洛するため、信長は、

    5月29日に安土城を出て5月29日に京の

    本能寺に到着し、京に6月上旬前半まで滞在

    する予定であった。

 

  ● 本能寺の変で、信長死す。

  ■ 本能寺の変。

    1582年(天正10年)6月2日未明に、明智

    光秀が、 6月1日の本能寺での茶会の翌日

    に京(きょう、京都)の本能寺にいた織田信長

    を攻め、自害させる。 信長、数え年49歳で

    死す。

 

  ● 本能寺の変で信長が死去し強大

    な織田軍が侵略を中止し、上杉

    氏が滅亡の危機を脱する。

  ■ 1582年(天正10年)6月2日に、織田信長

    が、本能寺の変で、自害(自刃)する。  

      越後を攻めていた強大な織田軍が、頭領

    の信長を失い、越後国への侵入を中止し、

    御館の乱で弱体化した上杉氏は、滅亡の危

    機を脱する。

 

 

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#jphappenings/summary-per2110

 

 

 

 『 あなたのハートには 

    何が残りましたか? 』。

 

 

 

以  上